茶会の終わり
「魔王と呼ばれる悪魔を知っているかね?初めの悪魔とされている、伝説級の古の存在だ。その昔、人類に破滅をもたらしたとも言われている」
背もたれに腕をかけ、軽く握られた拳で頭を支えると、アルバートはその長い足を優雅に組んでティナを見た。
「知りません。悪魔なんて、おとぎ話の存在でしょう?まさか信じているとでも?」
「カンターバラは、その伝説の舞台となった所縁の土地でね。魔王はその地に混沌をもたらしたが、代わりに鍵も与えたのだそうだ」
冗談を言っている顔ではなかった。
国の宰相がこんな戯言をスラスラと真剣に語る姿が、奇妙でティナは身を引いた。
変な宗教でも流行ってるのかな?
まるで心酔するように、その目は盲目に濁って見えた。
「鍵を握るのは、カンターバラの王族だ。それも混血してはいけない。けれどそのほとんどは、戦に敗れ絶命してしまった。奇跡の姫君も蒸発した。生きているという説もあれば、死んでいるという説もある。捜索は困難でね。姫君が秘された至宝であったためなんだが」
…秘された?
知らない情報が出てきて、ティナはきょとんと男を見る。
確かに幼い頃は、ずっと城に閉じこもっていた。
けれどまだデビュタントまでは遥かに遠く、お披露目する機会がないのは当たり前だと思っていた。
「奇跡の夜に初めて大勢の前にそのお姿を現した。子どもでありながらとても神聖で、神々しいものだったそうだ。美しく靡く髪は、アクアマリンのような煌めきを放ち、透けるようなアメジストの瞳が見る者すべてを魅了したとも。奇跡と呼ぶに相応しい、それは厳かな少女だっだそうだ」
アルバートは夜空を見上げて、その少女を想像するように、目を細めて笑みを浮かべる。
けれどティナは、無性に穴を掘りたくなっていた。
埋まって三日は隠れていたい。
なんだそう恥ずかしい修飾語は。今すぐ撤回してくれと切に願う。
「いくら探しても、その特徴に該当する者は見つからなくてね。だからとても驚いたよ。まさに目の前に居たものだから」
苦虫を噛み潰したような顔をしていたティナだったが、アルバートの一言に、思わず彼を注視した。
「姫君と同じ、蒼銀色の髪。そして透けるようなアメジストの瞳。どうしてそっくりなのか、聞いても?」
「…え?」
聞かれても、答えなど持ち合わせていない。
ティナの髪は生まれた時から染められることなく、ずっと今日まで白銀色だ。
蒼銀色とはどういうことなのか、こちらの方こそ聞きたい気分だ。
伝え語られる間に変化した?
セレナは何と言っていたか。
「私の髪は、銀色です。同じだとは思えませんが」
それともあの夜、青い月が出ていたと?
けれどもしも出ていたとして、爆撃を受けていた城はそれよりも強い光に囲われていた。
どれだけ強い月明かりでも、影響があるとは思えなかった。
「そうだね。だから私も、君がここへ派遣された時には気付かなかった。けれどさっき合点がいったよ。奇跡の夜とは、終戦を迎えた夜のことでね。姫君はその凄惨な戦場へと変貌した城内の景色を憂いて、癒しの光を降らせたそうだ。姫君が居た場所は、城のバルコニーでね。爆撃と降光が光源ならば、戦場に居た者が、姫君の姿を見つけることは困難だっただろう。何せ、そこを照らすものなどないからね」
言われてみれば、そうかもしれない。
「けれど、その場にいる誰もが姫君の存在に気付いた。暗闇で何かを見つける為には、必ず光が必要だ。なら、こう考えるのが自然だろう。姫君の傍に何か光源があったはずだ。けれど、戦の真っ最中に的になる照明を灯すだろうか」
まるで答えを知っているかのように、アルバートの言葉は疑問符が欠けていた。
「神秘の魔法を使う時、その姫君自身も光を纏っていたかもしれない。それがもし、青い光であったなら?」
こじつけだ。
無理やりすぎる強引な理論。
だと思うのに、この自信満々な態度は何だ?
「人が光るとは思えないけど?」
「そうかな?私はアナフィシア王女殿下が、魔法を使うのを見たことがある。その手に光を纏わせるところをね。魔法を使うと、現象に光が付随する」
確かにそうだ。それはティナだって知っている。
前に洞窟で足を捻挫した時も、発光すると気付かれるために治癒魔法が使えずに、痛む足を引きずって歩いた。
ならば、あの夜はどうだった?
あの時は無我夢中で、自分を顧みる余裕などなかった。
けれど、確か。全身に熱いくらいの熱が籠った。
青い光を放っていた?わからない。肯定要素も否定要素もみつからない。
「…………」
思わず言葉を失った。
動揺してはいけないとわかっているのに、何を言えばいいのかわからない。
「心当たりがあるのかな?あるなら教えてもらいたい。君が、奇跡の姫君に酷似するその理由を」
否定しなければ。
けれそどうやって?
知らない、で納得する相手だと思えない。
突然、一際強い追い風が吹いて、ティナの髪を躍らせた。
蒼銀色の光がキラキラと反射するそれに、深い色が混ざって見えた。
見覚えのある蒼色に、ティナは目を見開いた。
「やあ、久しぶり。相変わらず息災そうだね」
遅れて声が、頭の上から降りてきた。
風が止むと、髪は舞うのを止める。
ティナの髪よりも深みのある蒼い髪が、目の前で揺れていた。
「…っ、貴殿は」
「これ、俺のなんだけど。勝手にちょっかいかけるのやめてくれる?」
知っているそれより幾分低い声がした。
幼さを残す高い声ではなく、大人の色気ある、響くような低音。
「一体なぜ、こんなところにいる?貴殿は確か、ヴィルシュタットに残っていると」
「よく知ってるね。ちょっと心配事があって、追いかけてきたんだよ。アンタは何?コソコソと何を嗅ぎまわってるわけ?」
「…くっ。お前などに関係のないことだ」
「俺もアンタには微塵も興味なくてね。さっさと帰って欲しいんだけど」
「私は、お前ではなく、その娘に用事が」
「だから、それが何かって聞いてるのさ。これは俺のだから、手ぇ出すんなら覚悟しろよ」
「…っ!まあいい。今日のところは引いてやろう」
「はいはい。さよなら。二度と来んなよ。…次は、ないから」
見上げると、青年がベンチの背もたれに両手をついて立っていた。
端整な顔立ちに、すらりと長い手足。冷たく鋭い金の目だけは、記憶と同じ縦に細い瞳孔をしていた。
逃げるように足早に遠ざかっていくアルバートの姿を見えなくなるまで見送ると、その視線がティナへと移る。
ぞっとするような冷たい瞳が、瞬きひとつで馴染みの色に変わるのをティナは呆然と眺めていた。
「こんなとこで何一人で黄昏れてんの。おかげで馬鹿の目にひっかかってんじゃん」
「…クレア、で、あってる?」
「他に誰だと思ったのさ。こんなに体も冷え切ってるし。なんなの?一人ではおうちにも帰れないの?」
「なんでおっきいの?成長期?」
「俺が何歳だと思ってるの。舐められると腹ただしい相手と、おちょくるのにちょうどいい相手と、人によって外見を使い分けてんの」
「…待って。それだと私、おちょくられてることになる?」
「気付いてなかったの?そんなだからあんなしょうもない虫を引っかけるんだよ」
「一回殴ってもいいかな?」
「その前に返り討ちにするに決まってるでしょ」
身長差に、その外見に、声に。違和感が酷くてティナは困惑しながらまじまじとクレアを見る。
「帰るよ」
腕を引かれると簡単に体が引っ張られる。
力も外見に応じて変化しているようだった。
「クレア、ラッフェコルタの宰相と知り合いなの?」
「まあね。昔散々からかってやったから」
その一言に、さっきまで憎らしかったその顔が、急に哀れに思えてくるから不思議だ。
「……そう、なんだ」
言いたいことを全部飲み込んで、毛布を抱え直すと引かれるままにクレアに従う。
藪蛇は避けるのが賢明な生き方だ。
「…ねえ、五年前の話がしたいんだけど」
したくとも誰に聞かれても良くない話だ。
今すぐここで始めるわけにもいかなくて、相談するつもりで声をかけると、クレアも汲んでくれたようだった。
「いいよ。それなら今夜も俺の部屋に入れてあげる。…あの魔法疲れるから嫌なんだけどね」
「今日は一日寝てたの?」
「そうだよ。本当はもっとゆっくりしてたかったのに、アルバートとティナが一緒に居るのが見えたから、仕方なく出てきてあげたんだよ。感謝しなよ」
クレアは欠伸を噛み殺す。
本当に疲れてそうだと思うと、申し訳ない気持ちにならないこともないティナである。
「疲れてるなら、話はまた今度でもいいよ?」
「代わりにティナに色々世話してもらうからいいよ」
「…え?世話って?」
あんまりいい予感のしない言葉に、思わず引かれる手を強張らせる。
クレアはそんなティナの反応にニヤリと険悪な笑顔を浮かべる。
「俺の安眠に協力してね。ティナの話も本当は急いでしたいんでしょ?その冷え切った体もなんとかしないと。ほら、さっさと歩く」
月光に青く照らされながら、ティナはそうして月夜のお茶会を終えたのだった。




