仮初の恋人
ちょっと色っぽい内容含みます(当社比)
甘い香りが立ち込めていた。
香りは頭の芯を微睡わすような、酔いにも似た甘さを纏わすが、緊迫した状況にティナは緊張を強くしていた。
壁に背を預けたまま、盾にしていたクッションを相手の顔へと押し付ける。
その視界を隠してしまうと、勢いよく足を引かれた。
突然の引力に抵抗も出来ずに引っ張られ、ずれ込んだ体は支えを失くしてそのままベッドに仰向けに寝転がる。
そしてその上に、錘をするようにのしかかる一回り大きな体。
顔にかかる銀髪を優しく掻き揚げて、眉目秀麗な顔がそっと微笑みティナを見下ろした。
「恋人の真似事は得意でね。早く素直になることを進めるが」
蕩けるような甘い声にどきりと心臓が跳ねる。
彼が打算で生きていて、今も全部が演技だと知っているのに。
その顔は見たこともない、愛おしい恋人に向けるような甘さを含む。
「それとも、本当に私の人になってくれるのかね?ティナ嬢が許してくれるのなら、私はいつでも歓迎するよ」
かすれるような低い声。耳元で囁かれると吐息が耳をくすぐった。
途端耳も顔も熱くなって、恥ずかしさに顔を覆う。
「……許して」
消え入りそうな声を出すのがやっとだった。
けれど彼は止まらない。顔を覆っていたティナの手をベッドの上へと拘束すると、露になったその目元に、羽のような軽さで唇を落とす。
リップ音が耳に響いた。
「何を?私は何も怒っていない。ただティナ嬢を心配しているだけだよ」
嘘だ。思うのに、痛いほどに押さえつけられた両腕はどれだけ力を入れても動かない。
口付けは次はこめかみへと落とされた。
「やめて。お願い。…許して」
耳、耳の裏、頬、首筋。
それは少しずつ下へと下がっていく。
そのリップ音が聴覚すらも辱めて、時々落とされる低い声にお腹の底がきゅっと疼いた。
「悪い子にはお仕置きが必要だろう?生憎女性に振り上げる拳は持ち合わせていなくてね。ティナ嬢の意には沿わないかもしれないが」
これまでどれだけ彼がティナにちょっかいをかけたとしても、せいぜい髪か、手に触れる程度だった。
その手だっていとも簡単に離れていって、戯れとわかる触れ方だった。
こんな、恐怖を感じるようなものではなかった。
「言う、全部言う。ちゃんと説明するから。お願い」
それだけで彼がどれだけ怒っているのか理解できる。
だって愛を囁くその瞳は、けして優しい色ではないのだ。
「さすがティナ嬢は賢明だね。じゃあ、まずはどうしてここに来たのかね?」
押さえつけていた手を持ち上げて、今度はその掌にキスをする。
止まらない行為にティナは困惑しながら答えを返す。
「あ、の。答えるから、それ、やめてほし…」
「いいから早く答えたまえ。私の気が変わらぬ内にね」
「…え、っと。細目の、男の人が入ってきた時…」
「最初からだね。彼は何と言っていた?」
「確か、ウサギが尻尾を出したとか。ウサギ…逃走者?」
口付けはどんどんと心臓へと近くなる。手首、腕、肘、二の腕。
頭がぼんやりとして働かないのに、その感触だけが妙にリアルで、疼くような熱さが逃がせなくて、心細げに声が震える。
「よく知っているね。そう、ウサギとは逃走者を示す言葉だ。それで、その真意は?」
「それは、わからない。…っ、ねえ?お願いやめて」
「ふむ。次の質問だ。何をするためにここに来た?」
腕を頭の上へと持ち上げられて、脇の下にも口付けを落とす。思わず身を捩るが押さえつけられた体はその唇から逃げられない。
捲り上げられた袖がギリギリ肩より上を隠していた。それをつまらなそうにハルは見つめる。
「ここに来たのは、ある人の依頼で。その…ハルの、好みを聞いてきてって言われたからで。ちょっ、待ってそれは駄目ッ」
胸元のボタンを器用に片手ではずし始めるハルの手を、自由になった片手でティナは慌てて掴んで止める。
「好み?キャシーかね?それともセシル?クリス?マティ?…いや、アナかね?最近通っているようだね。」
スラスラとよく名前が出てくる。
いつもなら呆れかえるところだが、あいにくそんな余裕はティナにはない。
必死の抵抗はいとも簡単にねじ伏せられ、両手を交差させた状態で頭の上に拘束された。
開いたハルのもう片方の手が、ようやくティナの胸元のボタンにかけられる。
「ぎゃっ!?ちょっと、お願いだからやめてってば!そこは駄目だって言ってるのにっ!」
「静かにしないとその口から先に塞いでしまうよ?私ばかりが答えを貰うのも悪いね。質問に答えようか。…質問に答え合うなんて、いつかのようだね。」
クスリ、とハルが笑みをこぼす。
その凶悪さが、彼の言葉の本気度を証明している。
唇を何で塞ぐというのか。ティナは急いで押し黙った。
けれどハルの手は止まらない。一つ目のボタンがはずされた。
必死に両手を動かそうとするが、片手を使っただけの彼の拘束はティナの全力にびくともしない。
「~~~っ!!お願い。謝るから、何でもいうこと聞くから。それはずすのはやめて」
「私の好みは実は美しさでも可愛さでもなくてね。幼い頃に、もうこの人だと決めてあるんだ。私も昔はやんちゃでね。親に隠れてよく冒険をしたものだ。花園で、とある少女に出会ってね。好みと言えばその人だろうね」
「ねえ、手を放して?…あっ、だめだって。やめて」
ボタンは上から三つ開けられ、鎖骨、胸元へと口付けを落とされる。
痺れるような感覚に頭の芯がのぼせ上がる。
渾身の力での足をバタバタと動かして、けれど押さえつけられた体は寝返り一つ許されない。
名残惜しむように離された唇は、けれどそれ以上奥へと落とされることはなかった。
「他にもあるかい?そんなことの為にこんなところまでのうのうとやってくるような能無しではないだろう」
突然、声が冷たさを含んだ。
先までティナに密着していた体はすっと距離を開けていて、まっすぐに見下ろされるその瞳は冷静に色を変えていた。
まるで、スイッチが切り替わったかのように事務的な、感情を一切見せない表情。
ごくりとティナは生唾を嚥下する。
「…戦争の、可能性を探りに来たの」
「ほう?」
凍てつく目が眼光を鋭くした。
まるで、先ほどの役人たちに向けるような目。
これが彼の、王子としてのスイッチなのかもしれない。
「この国は、多くの魔法石を密輸しているわ。それも国がらみだと聞いた。一体何に使う為に?どうしてハルは国情調査をしているの?この国が怪しいと、何を根拠に疑っているの?」
「それは、ティナ嬢の嫌う機密情報だよ。聞いても良いのかい?」
「いいわ。知りたいの。…私はお母様を守りたいから」
「ヴィルシュタット国民を巻き込むような大きなことにはしない。安心するといい」
「どうかしら。この国の企みは世界に大きく影響を及ぼすことかもしれない」
「大きく出たね。私の方こそ聞きたいね。一体何を根拠にそんなことを疑うのか」
ティナは歯噛みした。
馬鹿正直にゲームの知識だと答える訳にもいかない。
けれど知っている未来を仄めかせる根拠を持ちえない。
それを集める為にここに来て、けれど集まる前に捕まってしまったのだから。
「…根拠はないの。でも、それをするなら魔法石をたくさん使うわ。純度の高い、最高級の魔法石をね」
「戦争の武器にでも使うと?」
「ある意味ではそうね。武器というには語弊があるけれど、大砲や鉄砲なんかよりもよっぽど強大な切り札をその手中に収めようとしてる気がするの」
「…情報交換しようか、ティナ嬢。そうすればここから逃がしてあげよう」
ティナの言葉にハルは興味を惹かれたようだった。
ティナの上からそっと降りると、背中を支えてティナを座らせ、そのボタンを閉じていく。
「もう少し味わいたかった気もするが…次の機会にとっておくよ」
最後にさらりと髪を浚うと、その一房に口付けを落とす。
そうして彼の拘束は何一つ残されることなく無くなった。




