貴族たちの休息
青と緑を混ぜたような不思議な輝きを閉じ込めたような瞳。
色素の薄い睫は金色に透けて見えた。
いつも穏やかな色を持つ切れ長のその目が、これほど大きく見開かれているのを初めて見た。
彼が感情を揺れ動かすその様を、余裕をなくして動きを止めるその様子を
そんなことが出来るのだと当たり前のことを初めて知った。
「何を、している?」
しばらくお互い無言で見つめ合っていたが、先に声を発したのはハルでだった。
声すらも、いつものような落ち着きはなく、動揺を隠せず微かに震え上擦っていた。
見つかったことよりもそれが衝撃でティナは固まる。
何を言葉にすればいいのかわからないまま、それでもなんとか口を動かした。
「あの…違うの。私、ハルに聞きたいことがあって…」
先ほどまで考えていたアプローチの手段のすべてがふっ飛んだ真っ白な頭で、ただ茫然とこちらを見つめるハルの瞳に自身を見つける。
相変わらず言い訳は一つも出てこない中で、何が悪かったのだろうと意味もなく現実逃避に思考が飛んだ。
ラッフェコルタの皇后陛下なんて大物が訪室されて、最初は隅に座り込んでなりゆきを見守っていただけだった。
「…聞きたいことかね?」
けれどその顔に見覚えがある気がしたのだ。
「えっと…ハルの好きな人のタイプとか……いやその、そんな下らないことじゃなくてね??」
思い浮かんだのは、今の問題に直結する重要人物になるはずの人で、だから確かめようと傍へと近寄って。
「あの、えっと…この外交の目的とかの…いや、それも違くて」
けれど記憶と時期が合わない。
ゲームとのズレに疑問が生じて、これから起こるはずの展開に、何か不具合はあるだろうかと考えて。
「…質問を変えようか。一体、どうやってここに?」
起こるべくトラブルを回避するための方法を考えて、そうして思考に潜り込んだまま、注意散漫となっていたら逃げ遅れた。
「その、門番の人が通してくれそうになかったから、外庭からお邪魔して…」
ぶつかったときに我に返ったが時すでに遅し。
「ふむ。警備の甘い場所はあるようだね。進言しておこう」
「!?」
墓穴を掘らない発言が見つけられない。
どの質問に答えるのも、ただ穴を掘るだけだと察したティナは口を閉じる。
途端に部屋は静寂に落ちた。
そもそも、最悪のタイミングで見つかった気がするのだ。
皇后との密会を見ていないというのはいくらなんでも通らないだろう。
その会話に核心を突くものこそなかったのは不幸中の幸いだが、会ってるのを見ただけでも大問題だと思う。
どうにか逃げ出す道はないか、と必死で言い訳を探すティナを静かに観察するハルの、その視線が射貫くように強かった。
「そういえば、突然ティナ嬢が現れたように見えたけれど、あれはクレアの魔法かい?目隠しとは、質の悪い彼らしい魔法だが。クレアが噛んでいるのなら、この私が気配すら感じなかったのにも納得がいく。ティナ嬢は、いつからこの部屋に居たのかね?」
眼光が強くなり、ティナは思わず息を飲む。
「…さっき、ドアが開いたタイミングで」
「さっきとは?今日は千客万来でね。ティナ嬢が一体どのタイミングで入室してきたのかキチンと教えてもらえないかい?一体、どの話を聞いてしまったのかをね」
「あの…えと…その…」
どのタイミングでもよくない気がする。
当たり前だ。政治的な話しかしていなかった。
正解を導き出せずに答えに窮するティナを、冷たい眼差しでハルが見つめる。
その目を見ているだけでも背筋が凍り付きそうで、逃げるようにティナは体を丸め込んだ。
「ご、ごめんなさい。誰にも何も言いません。ここで聞いたことは忘れます。絶対にハルに不利益を与えません!」
土下座の勢いで謝るティナだが冷たく見下ろしていたはずのハルは、その傍へとしゃがみ込むと
「そんな話はしていない。落ち着いてゆっくり話をしようじゃないか。ティナ嬢の今日の仕事は何かね?代わりの者を遣わせよう。さあ、顔をあげなさい」
いつもと変わらない、穏やかな声で話す。
けれどそれすらも恐怖に感じて、ティナは縮こまったまま顔を上げられずに謝り続けた。
そのまま小さく震えて動けないティナを置き去りに、ハルは溜息を一つ零すと立ち上がる気配がした。
部屋の外へと声をかけるとすぐに侍女が入室し、ハルは何やら指示を飛ばす。
小さな声はその内容までを拾えない。そっと顔を上げて最小限の隙間からその様子を伺いみると、すぐに侍女は退室し、ハルはこちらへ戻ってきた。
思わず亀の子に戻ろうとするティナをひょい、と肩に担ぎあげると
「この部屋は王族専用の部屋でね、奥に休憩のための場所もある。必ず誰も入れないように人払いも済ませておいた。安心すると良い」
ハルはそのまま部屋の奥へと足を進めた。
部屋の奥に吊るされていたカーテンのような大きな布を捲ると、その先は壁ではなく、小さなプライベート空間へと繋がっていた。
蚊帳のように大きな厚手の布を何枚も合わせた天蓋付きの巨大な円状のベッドが置いてあり、更にその中にはいくつものクッションが敷き詰められていた。
「ラッフェコルタの王族は、何人も妻や愛人を娶るようでね。こうした場所で疲れを癒すのも仕事の一環なのだそうだ。気に入りの女性を連れ込んでね。私にもどうかと何人も紹介されたよ。断ってはいるがね」
紡がれる言葉に全身が鳥肌立つ。
そんな場所に連れてきて、一体どうしようというのか。
いつもの冗談だとしても、いらない尾ひれが何を生むかと想像するだけで恐ろしい。
けれど恐怖に震えるティナをあざ笑うように、ハルは軽い調子でけれど容赦なく言葉を続ける。
「ただし女性の不貞は打ち首だそうだよ。ティナ嬢もこうして私に連れ込まれたからには、他の男と一緒にいるところを見られたらいけないよ。他国民とはいえ、入国してしまえば法に縛られる。気を付けると良い」
続けられる言葉は死刑宣告だった。
そのベッドにダイブした瞬間に人生が終わる。
慌ててハルの腕から逃げ出そうと身を乗り出して、けれど抵抗虚しく勢いのままにベッドへと投げられた。
ばふっとベッドが派手に軋むが、クッションの柔らかさが衝撃を吸収してほとんど痛みは感じなかった。
代わりに思わず漏れ出た悲鳴に危うく舌を噛みそうになったが、それすら構わず転がるようにティナはベッドを飛び出した。
けれど一足先に入口の布を束ねていた紐が外され、目の前で出入口は閉ざされた。
勢いのまま厚手の布にぶつかる手前でハルの腕がティナを受け止める。
慌てて距離を取るものの、一気に薄暗く陰った視界に彼の表情は捉えきれない。
ぞわっと背中を駆け抜ける恐怖に今度は奥へと逃げ出すティナをぽうっと新たな光源が照らし出す。
照明具に灯が燈されたようだった。
間接的な光にぼんやりと明るくなるそこは、確かに逢引に使われそうなムードのある空間だった。
「わ、私は誰にも見つかってないから大丈夫」
「先ほど、見張りになんと言ったかわかるかね?」
人が大の字に四人は眠れそうな大きいベッドの奥の奥へと退避するティナに、ハルはいつもの胡散臭い笑顔を向ける。
「秘密の通路を使わせてもらった。これから休憩に入るから、誰も中に入らぬようにと伝えておいた。秘密の通路も逢引のために用意されたものでね。気に入った女性にだけその通路を教えておくのだそうだ。ラッフェコルタはヴィルシュタットとどうしても交友を持ちたいらしい。王族のみに許された秘密の通路まで親切にも教えてくれた。この部屋のものだけだけどね」
それはそちらで勝手に利用していただきたい。
ゆっくり獲物を追いつめるように、距離を縮めてくるハルから少しでも距離を取ろうとして、けれどドン、と壁に背中をぶつけたティナは近くにあったクッションを心許なくも盾にする。
「私の気に入りになら、その通路を教えてかまわないのだが。そうでなければ見張りや侍女の控える表のドアから退室頂くより他ないだろうね。どちらでも私はかまわない。ティナ嬢次第ということだね」
全てを正直に話すか、知らぬ存ぜぬを通して王の寵愛を受けたと晒すか。
天秤にかけろと暗に脅す。
「私のタイプを知りたいと言ったかね?そうだね、私にだけ素直で従順で企み事などしない人だ。そんな令嬢になら秘密の通路を教えてあげたくなってしまうかもしれないね」
それ本当のタイプじゃないでしょと思わず胸中で突っ込むが、逃げ道のない今のティナに反論は許されない。
「逃げ出すという選択肢は?」
「さあ。私の寵愛を受けて、逃げ切れた者は今まで居ないね」
「愛が歪んでいるという自覚は?」
「ないこともない」
にやりと笑うその笑みが、凶悪な色に染まるのをなす術もなく見つめながら、クッションひとつ向こうまで迫ったハルをどう迎え撃てばいいのか、わからないままティナはただハルから視線を逸らせなかった。




