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政治的なお付き合い

それからも何人かの訪室者がみられた。

その誰もがティナの知らない役人で、ハルの態度はやはり愛想の欠片もないものだった。

気になっていた母国語で書かれた書類は、最初に来訪した狐目の男が入室するより先に、鍵付きの引き出しへとハルが回収していたが、それどころではなかったティナはまったく気付かないまま、確認した時には跡形もなかった。


内容が内容だっただけに胸騒ぎがして、もう一度あの書類を見直さないとと不安が過るが、チャンスを待つ他手はないだろうともどかしさに歯噛みする。

いつもの穏やかな物腰が嘘のような冷たい態度こそが彼の本性なのだろうかと先のやりとりが頭を離れず、次に浮かぶのは、先日お願いと称して、気持ちを利用する人間なのだとわざわざ伝えてきた出来事。

官吏達の話していた調査の本意と、狐目の男との意味深な会話。……恋愛対象のタイプ。

気になること、聞かなければいけないことはたくさんあるが、どれもどうすれば知ることができるのかわからなくて途方にくれる。


分厚いファイルを積み上げては処理に追われるハルを眺めながら、ティナはその横でどうアプローチするべきかと考えをまとめ始める。


しばらく紙の擦れる音と、羽ペンが紙上を滑る音だけが室内を占領していたが、本日何人目かの来訪者がそのドアをまた叩く。

溜め息と共に入室を許可したハルの元へと、次に訪れたのはイブニングドレスのような露出度の高いドレスを纏った美しいが居丈高な雰囲気の婦人である。

高い鼻をつん、と突き上げて高く細いヒールをぐらつかせることなくカツカツと鳴らして、その婦人は堂々たる振る舞いでハルの前まで歩き寄ると、優雅に一礼して、お手本よりもまっすぐな姿勢で彼を見上げた。


「ごきげんようミクトラントリ第一王子殿下」

その存在感に思わず釘付けになっていたティナだが、ハルは気付かない間に立ち上がって婦人を出迎えていた。

胸に手を当てると最敬礼をして

「これはメクネシエル皇后陛下。このような場所にまでわざわざおいで下さったのですか?おっしゃって頂ければこちらからすぐにでもお伺い致しましたというのに。けれどその美しいご尊顔を拝見できて光栄至極に存じます」

スラスラと淀みなく言葉を紡ぐ。

一方のティナは、皇后陛下という言葉に、完全に頭がフリーズした。













ハルは突然の賓客に緊張することなく、完璧な所作で彼女をソファへとエスコートした。

甘いマスクの下で、面倒事の到来に舌打ちする。

侍女が控えているとはいえ、ラッフェコルタの遣いの居ないプライベートな空間に二人で滞在する事態は避けたいと、皇后を気遣うように見つめると

「近衛兵は外に控えているのですか?御身に何かあればと心配するだけでも私の胸が張り裂けてしまいそうです。どうぞ傍に護衛をおつけ下さるよう、進言する無礼をお許しください」

皇后の入室と共に部屋の隅にて控えていた侍女へと目配せをする。

侍女が心得たように近衛兵の入室を依頼するのを皇后は詰まらなそうに見送っていた。


「貴殿との密会もスリリングで楽しそうだと思っていたのに残念だ。まあよい。それよりこの前の返事を聞きに来たのだ。考えてくれたか?」

女王様と言いたくなるようななめまかしい肢体をスリットの間から見せつけるようにして皇后は優雅に足を組む。

男なら誰もが跪いて足を舐めてしまいそうな視線を流して、けれどハルは、むしろ冷めた感情で一連の動作を見守った。それを表に出すことなど一切せずに微笑んで。

「そうですね。有難いお誘いで御座いますが、やはりどうしても難しいだろうと考えておりました。私が一国の代表などではなく、ただの一人の男であればと何度悔いたことでしょうか」

「つれないことを言うな。貴殿が手に入るならば私もヴィルシュタットを悪いようにはしない」

「買い被りすぎですよ。私などメクネシエル皇后陛下にそれほどの待遇をしていただけるような大層な男ではありません」

「どうしても無理だと申すのか?」

「本能の叫ぶまま、その手を取る意気地もない煮え切らない男なのです。どうか、お見限り下さい」

「私は欲しいものを諦めたことなど一度もない。これまで欲したものすべてを手中に収めてきた。貴殿も同じだ。覚悟しているといい」

「…それは、国を潰してでもと?」

「どう捉えるかは貴殿の自由だ。私に政治を動かす力はない。大それたことなど出来はしない」

「けれど願ったことは必ず叶えると?」

「そうだな…また来る。もう一度考えておいて欲しい。貴殿が秀逸な判断を下すのを待っている」

ハルの輪郭をなぞるように、皇后の手が頬から顎先までを辿っていく。

一度、名残惜しそうにその手を離すと、今度は顎を持ち上げるように手を添わされる。

そっとハルの唇に、真っ赤に紅を落とした彼女の唇が引き寄せられ、吐き気に似た嫌悪が胃から喉まで突き上がる。けれど表面だけは、やはり愛おしげに彼女を見つめて


「皇后陛下。お戯れが過ぎます」

傍に控えていた近衛兵が諌めるように声をかけた。

途端皇后の表情が、硝子にヒビが入ったように歪な形に豹変する。

「お前に言われる筋合いはないわ!出過ぎた真似をして私を興醒めさせるでない!」

あからさまに機嫌を悪くした皇后陛下は、近衛兵を射殺さん鋭さで睨み付けては厳しい声で叱咤するが、近衛兵は意にも介さず聞き流す。

「王から仰せつかっております故、恐縮でございますがどうぞお聴き止め下さいませ」

「サリオスめ。つまらぬ嫌がらせをしおって」

「皇后陛下を愛されているが故に御座います。その尊き御唇を奪われたなどとお知りになれば、どれほど心を乱されるか。争いの火種にもなりかねません。どうか、ご理解下さいませ」

「ふん。お前が黙っていれば済むことだろう。嫌だと正直に言えばいい。お前が私に恋慕しているだけだろう」

「…私はただの、一介の近衛に御座います。そのような不相応な恋慕、抱くだけでも罪に問われます」

「ならば黙っていろ。お前が私に意見す」

「メクネシエル皇后陛下」

皇后と近衛兵が口論をハルの声が遮った。

なんだ!?と荒ぶるままに振り返る皇后に、見惚れるほどの完璧な笑顔を心掛け

「お手を」

流れるようなエスコートをしてドアの方へと誘導する。

その笑顔に見惚れるように黙り込んだ皇后は導かれるままに足を動かす。

「貴女の愛を欲するものが私の他にもたくさんいらっしゃるようですね。正直恥ずかしくも嫉妬に胸が焼け焦げてしまいそうです。その美しさの証明だと思えば仕方のないことだとも存じてはおりますが。…ですが、私も醜い心をもつただの男に過ぎません。どうか嫉妬に狂う醜い姿を貴女に晒してしまう前に、今日のところは御前を失礼する無礼をお許し下さい」

女性には甘い言葉を。条件反射に近い慣れた感覚だ。

思うが今日は少しも楽しめしない。

ただ沸き上がる嫌悪感がずっと奥に滞り続けている。

だからつい、零してしまった。


「けれど、私には多くの民を慈しみ守る義務が御座います。もしも毒牙が向いたその時には、内に飼う猛獣を繋ぎ止めておく自信は御座いません。聡明なメクネシエル皇后陛下には過ぎた心配だと存じますが、どうぞ賢明なご判断を陛下が下されますように」

はっきりと皇后へ忠告する。

皇后の顔が豆鉄砲を食らった鳩のように固まった。

口を開いたままパクパクと、言葉に詰まる皇后のその背中をトンと押し出すと、よろめくように彼女は部屋を出る。続く近衛兵と侍女が出たのを確認すると余韻もなにもなく、空間を締め出すように、バタンと冷たい音を立てて乱暴にそのドアは閉められた。


ハルは一人きりになった部屋で、重くて長い溜め息を吐き出す。

苛立った様子で足早に椅子へと踵を返して、突然の衝突の目を見開いた。


気が立って注意力が散漫していたとは思う。

山積みの仕事に気が焦っていたのもあるだろう。

けれど確かにそこには何もなかった。

何もないはずのその場所で、急に何かにぶつかった。


反動にその何かがドンと跳ね返り、ハルは数歩ふらついた。

小さな悲鳴を耳が拾って、突然そこに現れた姿に、驚愕して息を飲む。

見たものが信じられずに、苛立ちも忘れてただ呆ける。

驚愕に小さなパニックを起こした頭が処理を拒絶して固まった。


 真っ青な顔をして、同じように固まって、ハルを見上げる少女の姿をただその瞳に映したまま。




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