ラッフェコルタの第二王女
アナシフィア=メクネシエル
ラッフェコルタの第二王女殿下その人である。
複雑に編み込まれている黒髪はハーフアップに纏められ、小さなだんごを結い上げていた。自然に下ろされた腰を越えるほどの長髪は、さらりと肩から流れ落ちると切り揃えられた毛先まで光を跳ね返して艶やかに揺れた。黒髪かと思われたそれは、光の具合で深緑に変わる。
大きな漆黒の瞳はその目尻をつり上げており、濃いアイシャドウが瞼を彩る。長く、密度のある睫毛は、その瞳により派手な印象を残していた。
白くきめ細かな肌に真っ赤な口紅がよく映えて、華奢で小柄なその肢体に、纏う衣もまたあでやかであった。裾から覗く白い足とのコントラストは息を飲むほどなめまかしい。
容姿だけで人を惑わせそうな、妖艶の美がそこにはあった。
「そなたが?」
深みのある、落ち着いた声がぼつりと落とされた。
豪奢な椅子に横たわるアナシフィアは、向かいの椅子の奥に座りもせずに佇む少女へと目を向ける。
アナシフィアと差異のない小柄な体を恐縮するように小さくしており、絹糸のように艶やかな白銀の髪は、俯いた顔を隠すように垂れ下がっていた。
影に隠れたその美貌こそ伺えはしないものの、全体的な容姿だけでも洗練された美が際立ち、消え入るような声で返事がなければ、少女がただの人形ではないかと疑うほどに端正であった。
「左様にございます」
問いかけに対して、少女の落としたその返答も実に簡素なものだった。
続きをしばらく待ってはみたがそれ以上に紡がれる言葉はなく、アナシフィアは吐息を落とした。
「不審船を発見したと聞いておる。その詳細が聞きたい」
「申し訳ございません。恐れながら、震えて隅に隠れていただけで何も覚えていないのです。夜闇に隠され船の全貌を確かめる事も叶わず、多くの船員がバタバタと走り回っていたのを覚えてはおりますが、その人数も把握しきれておりません」
少女の声は凛としていた。
妙に耳馴染みの良い高音で、動揺も緊張も感じられない、感情の乗らない平坦な声だった。
その声量は、今は必要最小限に絞られており、耳を澄まさなければ少し聞き取り難いほどだ。
アナシフィアは、注意深く少女を観察する。その言葉の真偽を見極めようと目を細めて睨めつけた。
「そなたが不審船を見つけた経緯は?」
「私は共に行動した者に、付き従っただけでございます。その者が、どのような情報を得てそこへと向かったのか、無知な私には到底考えも及びません」
「ならば、なぜそなたはその者に付き従った?」
「それが命令だったからでございます」
「どのような命令だ?」
「付き従うようにと」
「そなたは今、隅で隠れていたと言ったな。そのような役に立たぬ者をわざわざ連れていく必要がどこにある?」
「わかりません。囮役にかもしれませんし、盾役かもしれません」
「事は、国に関わる大きく繊細な問題だ。そなたの証言がいかに重要であるかを理解しておるか?」
「もちろんでございます。しかし先ほど申し上げた通り、私は何も知り得ません。大変凝縮ではありますが、私では役不足かと存じます」
何を問いかけてもその返答は愛想の1つも感じないそっけのないものだった。
天上人ともいえるアナシフィアを前にして、平民ごときが堂々と期待に沿わない発言ばかりを繰り返すその様に違和感を覚える。今まで見てきた民の反応は、もっと慌てたり、紅潮したり、目を泳がせたりどもったりとどうにも緊張が過ぎるようなものだった。少女のこの冷静さはなんだというのか。
少女は淡々と、何一つ情報を知り得ないと言った。けれどそれが腑に落ちない。
もしも少女の言うとおり、囮か盾として連れ出されていたのなら、その役目も全うさせずに嵐の中わざわざ連れ帰ってくるとは思えない。
連れ歩けば、むやみやたらとリスクを跳ね上げるだけだし、命のやり取りをするほどの緊迫した場面での足手まといなど、自分の首を絞め上げる。
確かに放置していけば少女は殺されるかもしれないが、もとより盾なら問題ない。
運良く間者にでもなれれば大きな戦力へと成長して万々歳である。内部の筒抜けな組織ほど攻略の難易度は低くなる。
その者が大切でもない限り連れ帰る利点は少なく、けれど大切だとしたらそもそもの前提が矛盾する。
どう話を突っ込むかと思案していれば、ふいにドアがノックされた。
すぐに控えていた侍女が対応し、アナシフィアに耳打ちする。伝えられる客人の名に思わずドキリと心臓が跳ねた。
アナシフィアには想い人がいた。
その方の国の危機だと聞かされれば、その身の丈1つで国を飛び出してしまうほどの大切なヒトが。
無我夢中でアポも取らずに訪問してしまい相手国を慌てさせてはしまったが、嫌な顔1つせず彼はアナシフィアを迎え入れてくれた。何かがあっては危険だと、守るように付き従ってくれた帰路は夢のような時間であったが、帰国してからは多忙なのか、アナシフィアの元へ訪問なされてはいない。夜這いの1つでもと期待して、毎晩万全の状態で待ち構えてはフラれ続けている、つれなくて愛しい人。
その彼が漸く尋ねてきてくれたのだとすれば、途端にどうしても一目だけでも会いたいと心が叫ぶ。
けれど先客が居た。目の前の少女は伏したまま表情が伺えなかった。
詰問中ではあるが正直捗ってはおらず、しかもこれから捗るようにも思えない。
確かに急いでどうにかしたい案件ではあるが、一刻を争う程の緊急性はないかと思うと、彼を優先したい気持ちがムクムクと湧いてくる。
彼と会える機会が次にいつになるかと思えば、殊更特に、強くなる。
「………通せ」
結局欲望に負けてしまった。
彼との打ち合わせも必要だと自身に言い訳をしながらも弾む心は誤魔化せないままに命じると、侍女がすっとドアを開けた。
勿体ぶるようにゆっくりと優雅な歩調で、かの想い人が姿を現す。そのお姿は、まるで神が降光したかのようにアナシフィアには輝いて見えた。
「やあ、アナ。急な訪問ですまないね。少し時間が取れたものだから、顔が見たくなってね」
優しい笑みを浮かべながら、その碧眼を細めて男は低音を甘く響かせる。
隣で控えていた少女が肩を撥ねさせたことになど気付かず、うっとりと男を招き入れる。
「かまわぬ。そなたであればいつでも歓迎すると言っておったはずじゃ」
満面の笑みで迎えると、男もそっと微笑みを深くする。
洗礼された所作でアナシフィアの髪を一房掬うと、そっと唇を落とした。
あまりに絵になるその光景に、頬がかあっと熱くなる。はしたなくも喉がなって、アナシフィアは羞恥に慌てた。
「ありがとう。慣れない長旅の疲労は取れたかね?心労もあるだろう。無理はしないで、寛いでいたまえ」
「疲れなどそなたの顔を見ればすぐに吹き飛ぶ。わらわの横に腰掛けると良い。もっと傍でそなたを堪能させて欲しい」
椅子の後ろから覗き込んでいた来訪者に席を促すと、ありがとうと耳元に囁き声を落としてすぐ傍に詰めていた顔が遠くなる。それにホッとするやら寂しいやらと胸を疼かせていると、彼の逸らされることのなかった碧眼が、ふと一点を捉えて動きを止めた。
甘く蕩けさせていたそれをきょとん、とあどけないものに変える。
「…おや?先客かね?」
その表情に胸がきゅんと締め付けられた。
あまり見たことのないそれに、眼福だと心を踊らせながら、すっかり忘れ去ってしまっていた少女の事を思い出す。
「ああ、少し聞きたいことがあっての。でももうよい。そなた、退室して良いぞ」
少女は目を落としてしまうほどに大きくしては、返事もせずに不躾な視線で愛しい彼を凝視していた。
愛し人が視線に汚されてしまうような気がして、アナシフィアの機嫌が急降下する。
「下品な視線を向けるでないわ。もうそなたに用はない。さっさと下がれと言っておる」
鋭い口調で非難すると、ハッとしたように少女が慌てて礼をした。憮然とドアへと向かおうとする背中を見送ていると、くすり、と耳をくすぐるような吐息が聞こえた。
「すまないね。君の方が先約であったようだが、譲ってもらってかまわないだろうか?」
吐息の方向へと視線を向けると端正な顔が見える。その笑顔が、妙に柔らかく見えてアナシフィアは頬を赤く染めた。低い美声に思わずうっとりと惚けそうになるが、その内容がつまらなくて男の頬へと手を添えた。
「ハロルド殿下が気にするようなことではない。貴殿は私だけを見ていれば良いのだ」
拗ねた声になってしまったが、ハロルド殿下はそんなアナシフィアが可愛いというようにその目を綻ばせる。
「どうか、私の敬愛する姫君の機嫌が悪くなる前に、辞去してはくれないだろうか。一度むくれてしまったら、直すのがとても大変でね」
「そのような言い方。失礼ではないか」
「そうかね?私は可愛い、と言ったのだよ」
アナシフィアは全身の血が沸騰するように真っ赤になる。まるで初心な自身の反応に何をしてるのかと自責しながらも嬉しくてにやけたくなる口許を覆う。
「君、早くしたまえ」
愛しい人が二人きりを望んでいると思うとそれだけでも全身が溶けてしまいそうだった。
「し、失礼いたしました」
少女が慌てて出ていく音を聞きながら、アナシフィアはただ一心にハロルド殿下を見つめていた。




