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所望されるモノとは

「あれ、ひよこちゃんじゃないか」

 無事に合流を果たして疲れきった体を投げ出していたティナは、落ちてきた声に目を開けた。

 覗き込んでいたのは上司のもじゃもじゃ…ではなくアストロス管理官である。

「…なんですか、ひよこちゃんって」

「帰ってきたんだね。ひよこちゃんが居ない間全部仕事がこっちに回ってきてたから良かったよ。早速だけどこれの処理よろしく」

「え?」

 何をしていたかを聞かれることもなく、こちらの質問に答えるでもなく、自然な流れで何故か仕事を押し付けられた。見てみると、どうやら外交の経緯を纏める書類である。

「え?ちょっと、こんなの出来るわけないじゃないですか!私今ようやく此処についたばっかりなんですよ!?」

 慌てて去っていく背中を追いかけると、上司は振り返りもせず答えてくる。

「わからないなら聞いてくるといいよ」

「聞いてって、っそれならアストロスさんが教えて下さいよ。ってかご自分でやってください!」

 コンパスの違いでこちらは急ぎ足でも少し遅れる。小走りに追いかけるが、彼の返事は素っ気ない。

「俺は今立て込んでるから無理なんだ。頼りにしていた助手が、予定外にも不在だったからね。」

 ぐっと言葉が詰まって忙しなく動かしていた足をびたりと止めた。

 勝手に単独行動をしてしまった自覚のあるティナは、そう言われるとぐうの音もでない。

 もはや抵抗する術もなく、わかりました、と項垂れた。


 その間にも開いた距離の向こうから、上司の言葉が飛んで来る。

「そうそう。どんな仕事も断らないがうちの専売特許だからね。検討を祈るよ。そういえば、経緯を聞きたいのならこの忙しい中ちょうど暇そうな人が居たね」

 歩みを止めて、こちらを振り返るアストロスは、企み事をするようににんまりと笑っていた。嫌な予感を覚えたティナは、思わず体を後ろに引く。

「え?」

 この外交に参加する知り合いの顔を思い浮かべては、たったの数人しかいないのにろくな人物がいないとげんなりする。どうか知らない人であることを願いながら、唇をギザギザにして、上司の顔を見返した。

 アストロスはにっこり笑う。

「そんな警戒しなくても、お忍び訪問中のあの人だよ。先ほども退屈だとぼやいておられた。ひよこちゃん、ぜひお相手してさしあげてきて」

「一番アカンやつです無理ですいやです自力で情報収集してきます!」

 速攻で拒否するティナだが上司は意にも返さず笑ったままだ。

「どうしてさ。ひよこちゃんは情報収集が出来るし、あの人は暇を潰せるし、一石二鳥じゃないか」

「さっきまで一緒だったその人の友人が現地入りしましたので、退屈については問題ないと思います」

「うん?ゆうじん?友達という意味で相違ないかい?…あの人にそんな人いたのか。ひよこちゃんと一緒に居なくなっていた彼の事かい?」

「セリウスですか?違います。あんな、悪魔に強襲されていた私を置きざりにしてさっさと帰ってった薄情者とは違います」

「悪魔?」

「かの人の友人です」

「…あぁ、そういうこと」

 上司は軽く返事をして、納得したように頷くとそれ以上の追及はしなかった。


 ティナは少し拍子抜けしながら、けれど得心したようなその様子に背筋がゾッと冷たくなった。

 彼が、クレアの存在を知っていて。ティナの傍に出不精の彼が突拍子もなく現れる事を疑問にすら思わないのだとしたら。

 それはティナの置かれている状況を知っている相手だと、証明するかのようなものではないか。

 ティナは警戒して上司を注視する。彼の笑顔は何の感情も読み取れなかった。


「…知ってます?」

「何をだい?」

「…いえ。なんでもありません」

「そうかい?」


 疑心暗鬼に陥りそうだ。知りたいけれど、突っ込まれたくない。上司の命令に背く事は難しい。

 アストロスは底の見えない笑顔で笑う。

 ティナは会話をそこで終わらせた。



「それじゃあ、よろしく頼んだよ。」

「え、ちょっと、私ハルのところになんて行きませんからね!」

 慌てて断ると彼は目を見開いてティナを見る。

 それにティナこそ驚いて

「…ほんと、アレも何考えてるんだか」

 すぐに逸らされた視線を追いかけるが、歩みを再開したアストロスは角を曲がってすぐに見えなくなる。

「あの人はあちこちブラブラしてるから、捕まえるのは無理だろうけど逃げ切るのも無理だよ。抵抗するだけ無駄だけど、僕としてはその書類さえ終われば文句はない。後はまかせるよ。じゃあ、またね」

 最後に声だけが聞こえてきて、アストロスは今度こそティナの前から姿を消した。







 不吉な予言から逃げるように、コソコソと歩き回っていたティナは、ようやく見つけた官吏達にあてがわれていた大広間へと足を踏み入れた。

 先日絡んできた3人組が居たら嫌だな、と恐る恐るドアを開けると、中には誰もおらずにしんとしていた。

 ハルは暇をもて余しているようだったが、外交官達はそれなりに忙しくしているらしい。そういえば上司も忙しそうだったと思い至って、これではノルマがちっとも進まないんじゃないかと肩を落とす。

どこに向かえば良いだろうかと思考を巡らせてみるものの、ようやく此処へと到着したばかりのティナには建物の見取り図すら頭に入ってはいない。

 そこらをしらみ潰しに歩き回るしかなさそうだと悲嘆しながら踵を返す。

 振り返った瞬間に、顔からばふりとぶつかった。


 生暖かく少し硬い感触。ぶ、と声が漏れて一体何だと見上げようとすると、ぎゅっと体を拘束された。

 途端ぬくもりに包まれ、すっと甘い香りが鼻を抜ける。

 全身がびくりと粟立ち、慌てて両腕で突っぱねる。体を後ろに反らせると、抵抗もなくするりと拘束は弱まった。代わりにそっと降ろされた手が、丁寧にティナの頭を撫でた。

 見上げると優しい笑みを浮かべる眉目秀麗な顔が見えた。


「おかえり。」

 声を掛けられて、胸中で反射的に帰る場所でもなんでもないと否定する。むしろ逃げようとしていたその相手が、ティナを抱きしめ見下ろしていた。

「なんでここに…」

「クレアがティナの到着を教えてくれてね。セリウスの報告も聞いた。大変だったようだね」

 事も無げにそう言うが、逃げ回っていたはずなのに捕まるのがあまりに早過ぎる。この腕輪のGPSが有効なのはもしかしてクレアだけではないんじゃなかろうかと訝しみながら、じっとり見返すとハルは穏やかに笑うだけだった。

 いつものような胡散臭い笑顔ではないのが不思議で、困惑にティナの眉尻が下がる。

 なんとなく勢いを失くして、逸らした視線に殺風景な部屋が見えた。


「…セリウスのおかげでなんとなかったわ。確かにセリウスは大変だったけど、私は何も出来なかった。そういうハルこそ、お姫様のお相手はしなくても大丈夫なの?」

 腕一本分しかない距離に息が詰まる。なんとか距離を開けようとして未だに優しく拘束を続けるハルの手を押し返す。

「おや、私が此処に居ることも、何のためにこの外交に参加したのかも知っているようだね。」

 けれど今度はびくともせずに、表情筋の一つすら動かすことなくいなされる。頭を撫でていたその手が、そっとティナの髪を一房だけ持ち上げた。

「私がティナ嬢に同行願ったことも聞いたかね?叔父上も口が軽くていけないね」

 ティナは目を見開いてハルを見つめる。言葉の意味がわからなくて、上司の言葉を振り返る。確かたまたま暇な、ティナに声をかけたと言っていたはずだ。

「…ハルが、私を指名したということ?」

 聞くとハルは目を瞬かせた。それから妖艶に笑うと

「それは聞いていなかったかい?そうだよ。詰まらない外交には楽しみを作らないといけないだろう?」

 そっとティナの髪に唇を落とす。いつもと違うその様子に思わず心臓が跳ねたが、冷静になれと言い聞かせる。彼が狸なのは知っているはずだ。

「私を玩具かなんかと間違えてない?ハルの気まぐれで振り回されて、こっちは身が持たないわ。誰かさんがセッティングして下さった官吏への道が開けたおかげで、有り余る仕事がまだまだ残っていたのよ?」

「それはすまないことをしたね。無事に帰ったらお詫びをしよう。」

 意識的に仏頂面を作ってみせると、それすら愛でるようにハルの目は穏やかに細められた。勝てない相手だと認めるのも悔しくて、ティナはどんなお詫びを請求しようかと頭を巡らせた。


 「ところで、実はティナ嬢にお願いがあって探していたんだ」

 ふと、ハルが声を出す。聞かずともこれが本題だろう。いつもは直接言葉にしなくても彼は掌で人を転がす。わざわざお願いという言葉を用いてきた相手にティナは警戒を強める。

「お願いなら私もあるわ。此処に来てからの経緯を纏めなくちゃいけないの。皆忙しそうだしハルが教えてくれないかしら?」

 それはどれだけ暇を持て余していようとも目上も目上の彼に頼むような事ではない。上司の言葉こそがおかしい。けれどそれを指摘する者は誰一人としてここにはいない。結局言いつけ通りにお願いしてみると、ハルは「貸しなさい」とティナの手からすっと書類を抜き取った。

 近くの机へ腰を下ろして、書類に簡単に目を通す。備え付けのペンを取ると、さらさらと書類を埋めてしまった。流れるように完成された書類をはい、とティナへと差し出すと、ティナが慌ててそれを受けとる。

 まだインクも乾いていないその書類は、完璧な形で仕上がっていた。


「さて。これで私の願いを聞いてもらえるということだね」

 呆気に取られて書類を確認していると、いつもの飄々とした声が聞き捨てならない言葉を放つ。

 ティナはぎょっとして顔を上げた。

「え?いや、そんなつもりは」

「好意とはなんだと思うかね?」

「…はい?」

 慌てて否定するのを唐突な質問に遮られ、ティナは怪訝な顔で首を傾げる。

「そのまま考えれば、好ましいと思うことだね。私は案外人が好きでね。どんなキツネでもその腹が透けて見えるのが妙に人間らしくて嫌いではない」

 何が言いたいのか掴めずに困惑してハルを見る。彼はいつものうさんくさい笑みを浮かべていた。

「私に向けられる好意もそれが利用できると思えば煩わしくもと好ましい。逆を言えば悪意も同じだ。人を動かすのに感情はとても役に立つ」

 なんだか雲行きが怪しい。これ以上この話は続けさせてはいけないんじゃないかと嫌な予感がむくむくと沸き立つが、ティナの乾いた口は仕事をしてくれない。

「さて、ティナ嬢はどちらの感情を私に向けてくれているんだろうね?ここのところ忙しくてね。長くご無沙汰していたから、もしかしたら私の事などすっかり忘れてしまっていただろうか?」

 彼はいつものような顔で、やはりまったくの別人のようだった。この話をする真意は一体なんだというのだろう?こんな、冷たい視点でものを見て、ティナすらその対象だとわざわざ口外するメリットは?

「私はこう見えて一途でね。自分の中で決めたなら、必ずそうなるように努力している。…けれどティナ嬢には嫌われてしまうかもしれないね」

 それは嫌われたいと言うことだろうか。それとも

「私からのお願いは極めてシンプルで、けれどとても難しいことだ」

 ハルの目にはたくさんの感情が乗っているようで、けれど何一つ読み取れない。


「どうか、今のこの私を知っておいて欲しい。これが嘘偽りのない私なのだと、その純粋なる眼で信じていて欲しい」


 計算高く、狡猾な彼の願いの、その真意は一体どこにあるのか。ティナは必死に頭を働かせ続けた。




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