足りなかった覚悟
「ねえ、何してんの?」
放たれる声は、いつもの飄々としたものではなかった。
呆然と見つめ返すことしかできないティナを追い詰めるような鋭い声。
見下ろしてくる金色は、溢れる感情を押さえもせずにティナの目を鋭く貫く。まるで火傷しそうな熱情に、困惑してティナの瞳は揺れた。
「一体どんな危険なことしてたの?」
一言一言がはっきりと放たれる。地の底を這うようなその声が、憤激に音を震わせていた。
こんな声、知らない。
まるで別人のようなその声に、ティナは食い入るように彼を見る。
「何をしたら、そんな枯渇するまで魔力を消耗させる事態になるの?」
暴風は、未だティナを中心に四方八方へ吹き乱れていた。暴れ狂う風の音はいっそ耳を塞ぎたくなるほどだというのに、彼の言葉だけは何故かはっきりと耳に残る。
「どうしてそれを…」
今まで一度も見せたことのない激しく燃え上がるような熱情に、ティナはただ困惑する。
「俺に隠し事出来るとか思わないでよね。その腕輪。魔法使う度に俺の魔力で底上げしてんの。もちろん俺の方で調整は出来るけどね。ティナが魔法を使えば全部俺に伝わるってこと。知ってた?」
知るわけがない。
早口に捲し立てられる内容に、ティナは驚愕して目を見開く。
「なんでそんなことするのかわかる?精霊の魔力を使うより、効率的で高エネルギーでティナの負担が少なくなるからだよ。ティナの使う魔素だって最小限になるし、ほとんど疲労もしなかったでしよ?」
言われてみればその通りだ。カラクリはわからなかったが、ぐっと体が熱を持つとそれ以外の違和感なく魔法が使えた。てっきりティナの魔素は使っていないと思っていたが、あの時確かに疲労困憊状態となった。あれが魔素を使いきったものだと言われれば、その通りだと納得する。確かに内蔵を持っていかれるような、独特の倦怠感がねっとりと体にまとわりついていた。
「じゃあ、なんで俺がそこまで手を出すと思う?ティナの負担を減らすメリットって何?」
わからない。それこそ、彼がティナに構う理由も手間ばかりがかかる腕輪を作った理由も、逃げ出さないように囲っておく理由もわからない。
何度も聞いた、彼の気に入りだと言われる言葉。実感もなければ、疑ってすらいるが、その言葉通りだとすれば彼は殊更ティナに干渉しているということになる。
けれどその理由はわからない。
「ねえ、なんで、俺が怒ってるかはわかってる?」
まるで命すらもその手中にあるような、剣呑な笑みを浮かぶて彼は問う。
正解以外は許されない問いだと自然と口が重くなる。
問いかけた張本人はそんなティナの様子をしばらく睨めるように眺めていたが、やがて口を開く。
振り返ってみる?と聞く声は、先程より幾分か軽い。逆鱗の位置もわからなければご機嫌スイッチもよく分からない相手に、ティナはじっと口を結んで耳を傾けた。
外交部が予定通りの日程を終え、無事に目的地に到着したこと。
ティナが、極力使いたくないはずの魔法を使用したことが不思議で、その居場所を確認したこと。
予想外の位置情報に、ティナの単独行動を知ったこと。
そしてその位置が、夜であるにも関わらず海の向こうへと移動し始めたこと。
ひとつひとつの説明を聞きながら、雲行きの怪しい話題に汗が伝う。
けれど口を挟む勇気もなく、ティナはその成り行きを見守ることしかできなかった。
早馬が報告に訪れていたのを捕まえて、根掘り葉掘りを聞き出すと、どうやらティナとセリウスが共に行方不明になっていると報告を受ける。最高指揮官にあたる彼は、気にしなくていいと笑って返事をしていたそうだが、未だ発見には至っていない。
何をしてるのかと呆れたが、そこまではよかった。危険度は確かに跳ね上がってはいたが、多分セリウスも共にいる。飛び出すにはまだ理由が弱かった。
問題は、その翌朝の出来事だ。信じられないくらいの魔法の大技の連発に、搾り取られる膨大な魔力。
「あんな大技、疲れたでしょ?最後には腕1つ持ち上げられなかったんじゃない?」
その通りだ。自身の体を支えることすら精一杯で、今にも体を投げ出しそうになった。おかげであの時の記憶は曖昧で、何をしたのかは自分でもよく思い出せない。
そんな、大きな魔法を使っただろうか?
「一体何十人分の尽きかけの命を救ったのかな?前に戦争で国民を救おうとしたことあったでしょ?ティナがしたのはあれくらい無茶なことなんだ。それも今回は腕輪での介入でしょ?ダイレクトよりも効率が悪いから余計な魔素もかかるしね。わかる?自分がどれだけ無謀だったか。わかってしてたのなら真性のバカだけどね。あ、そうか。確かバカだったよね知ってたよ」
繰り返すバカにデジャブを覚えないでもなかったが、それどころではない。ティナはゆっくり意味を咀嚼する。
そんな、無茶苦茶なことをしていた?腕輪を使って?
…彼の魔力を、奪い取って?
思い至ると同時にティナは、はっと息を飲む。
「ごめんなさい!まさか私がクレアの魔力をたくさん使ってしまったの?ごめんなさい、謝って済むことじゃないかも知れないけど、そんなこと知らなくて―――っ!?」
口をついて出たのは謝罪の言葉だ。けれどその瞬間、持ち直していたはずの空気がまるで重量を増したように緊張感に張り積めた。
ピリッと肌に電気が走るような感覚に思わずしかめる顔の、真横で。
衝撃波のような高圧の風がゴリッと鈍い音を立てて荒野の硬い地面を抉った。
「っ!?!」
答えを間違えましたでしょうか!?
さあっと血の気が引くティナである。
「そんなこと、心底どうでもいいんだけど」
緊張感の張り詰める空気に、怒気を纏った禍々しい声が振動する。
「確かにティナに根こそぎ魔力を搾り取られてしばらく動けなかったのは事実だけど、俺が怒ってんのはそんなつまんないことじゃない」
沸き上がる恐怖心にティナは再び声を失くす。気温までもが下がったように全身が悪寒に震え出す。
「あのね、ティナ。魔力ってどうやって捻出するか知ってる?人が持てる魔素なんてとても微弱なものでしょ?精霊に力を分けてもらって魔法を使うにしろ、差し出す魔素が必ず必要になる。ティナはそのやっかいなやり取りなく俺の魔力でフォローしてる訳だけど、俺が拒めば使えない。そうした時はどうなる?」
聞かれても単純な答えしか見つからない。自身の魔素を使うより他ないだろうと、思うが答えていいのか躊躇する。
けれどそんなティナを見て、彼は口角を持ち上げる。
「そう。ティナの魔素を魔力に変えて使えばいい。それで、その魔素がなくなったら?魔法は使えなくなるのかな?」
そうだろう。魔素もなしに魔法を使うことは出来ない。人に出来ることなんて、それほど大したものじゃないのだから。
「いや、魔素を使わずに精霊にも俺にも依存せずに魔法を使う方法がひとつだけあるんだよ」
彼の言葉は止まらない。だけどそんなの、ティナは聞いたこともない。
段々と言葉を咀嚼できなくなりながら、それでも必死に耳を澄ませる。唇の動き一つを逃さないように一心不乱に彼を見つめる。
「命を削るんだ。その生命力を魔力に変えることが出来るんだよ。わかる?寿命を削って、命を削って、人も大きな魔法を扱うことが出来るんだ」
一言一言はっきりと、言い聞かせるように彼は言う。魔法を行使しすぎることで、人が死ぬのだと、恐ろしい言葉をはっきりと。
「わかる?俺が、動けなくなっても絶対に魔力の供給を止められなかったその理由が」
俺が、怒ってる、その理由が。
動揺して答えることが出来なかった。
だって今の言い方だとおかしい。
まるで、彼が自らを省みもせずにティナの命を守ったみたいだ。
まるで、ティナごときのちっぽけな命が彼の怒る理由であるみたいだ。
「…どうして?」
彼を信じようと思った。彼の中に、善意の感情があることを信じようと思った。
愛のカタチを知らないカミサマに、それこそが愛なのだと届けばいいと思った。
ほっこりと胸を暖めるものがあればいいと。
だって、思わないではないか。
こんなに激しい熱情をましてや自分に向けるだなんて。
潤いが増して、ゆらゆらと揺れて多くの光を跳ね返すその瞳を見下ろしながら、漸くいくらか機嫌を向上させたクレアは、逸らさなかった視線を初めて外して下へと移す。
細くて、色素の薄い華奢な首。陶器のような肌質で、今は戸惑いに喉は小さく震えていた。
その、首筋に、噛みつくようなキスを落とす。
「………へ?」
色気も何もない声をあげるティナに、その執着を見せつけるようにして。
クレアは昂然と笑みを浮かべる。
「その浅はかな頭で、よく考えてみなよねお姫様」
そっと手を添えると疼くようなそこが、じんわりと熱を帯びていた。




