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嫌悪と優しさ

ザザー、ザザー、と規則的に耳を刺激する音に、ふと意識が覚醒した。

見えるのは青空だ。海水まみれの衣服が肌に張り付く感覚が妙に不快で気持ち悪い。

音と共に波が押し寄せる度、海水に浸かる下半身を太陽光がじりじりと焼いた。

どうにか海水から逃げようとして身を捩ると、柔らかい何かが覆い被さるようにして、ティナの横にくっついていることに気が付いた。

そういえば胸にもずっしり重い何かが乗っかっているなとぼんやり思って、身動きが取れないまま視線だけで窺い見る。

見えたのは人の体だった。


誰?

顔を見ようとするものの、相手の胸にすっぽりと埋まっている状態では顔を見上げることすら難しい。楔のように胸にのしかかっているそれを持ち上げると、たくましい腕が視界に映った。

(……重)

腕の一本が驚くほど重い。

どうやら守られるように抱かれていたらしい。

なんとか横たわる肢体へと腕を返すと、ティナはダルくずっしりと重い自身の体を力任せになんとか引き起こした。

砂まみれの髪からボタボタと雫が垂れて、水を含んだ重たい衣服が、蔓延る倦怠感を助長するように絡み付く。

重鈍とした動作でようやく隣を見下ろすと、血の気の失せた白い顔が生気もなく横たわっていた。


「―――ッ!?セリウス!!」

顔を見た瞬間に船での出来事を思い出し、途端に心臓が騒ぎだす。大急ぎで彼の胸元に耳を押し当てると、ひんやりとした体から、ドクドクと確かな心音が聞こえてきた。

生きている。

ティナは安堵に息を吐いた。


それから全身を確認する。

最初に目についたのは真っ赤に染まった脇腹だ。引っ剥がすようにブラウスのボタンをばずすと止血していない抉られた射創が強靭な肉体に穴を開けていた。

「ッ!!!」

思わず息を飲む。

傷口が変に汚かった。まるで銃弾をナイフで抉り出したような…、想像するなりゾッと背中が泡立った。

麻酔もなく弾を抉り出すだなんて正気の沙汰とは思えない。

直視していられない傷に喉から込み上げる何かに、思わず口許を手で覆う。見開いた目を必死に動かすとはだけさせた上半身にはそれ以外にもいくつか擦過射傷があった。赤く腫れ上がり、熱を持つものもある。


沸き立つ感情がなんであるかはわからなかった。

腹の底が妬け付くように重くなり、喉の奥につんざくような痛みが突き刺さる。目頭に熱が集まり、鼻の奥がつんとした。


これが自分が招いた結果だと、胸に去来するのは激しい嫌悪だった。


セリウスは、何かの命令で動いていると言っていた。

それが、ティナに関わることだと、どこかで言ってはいなかったか。言葉を遮って聞かないフリをしたところで、彼がティナの傍を離れようともせず、時に助けてくれたのを見ていたというのに。

セリウスが助けてくれるのだと、心のどこかで知ってはいなかったか。それを無意識にでも甘受して、すがってはいなかったか。


彼は、命令だと言った。

好意で、彼の意思でそうした訳ではないということだ。

抗えない、自分の都合を何一つ持ち込めない彼に、ティナは、自分は、何をした?


それは強制ではないと言えるのか。

間接的とはいえ、ティナは彼の行動を強要したのではなかったか。

あんなに、何よりも嫌だと思っていた抗えない命令を、ティナは、セリウスに、下していたのではなかったか。


ティナの愚かな我儘に、割りを食ったのはセリウスだ。

自分の尻すら拭けない独り善がりのとんでもない愚か者なんかを助けるために、彼はこんなに傷だらけにならなければならなかったのだ。


「セ…リウ、ス」

名を呼ぶ。けれど反応は何もなかった。

「セリウ、ス。…セリウス、セリウス!」

痛む喉を引き裂くように震わせる。ありったけの治癒魔法を何度も何度も彼にかける。それが無駄な行動であろうともティナは止めることなど出来なかった。

一心不乱に魔法を放ち、名前を呼び、開かない瞼を祈るように凝視する。ボロボロと零れ落ちる涙が視界を邪魔するのも無視して、彼の目覚めだけを狂うように切望する。


どうか、誰でもいいから彼を助けて。愚かな私からは何を奪ってもいいから。運命でも神様でもいい。どうか、どうか彼を助けて。いつも呆れたように、憐れむように、親しむように笑いかけてくれた、優しい彼を、どうか、救って。お願い。お願いだから、彼を 早く


「治れっ、治れっ、なおれっ、なおって…」

しゃくり上げて震えて上手く言葉が紡げない。

視界は涙に埋もれて傷が治ったのかも確認出来なかった。

さすがに魔法を使いすぎたのか、疲労で自身すら支えきれず、両腕をついて上半身を支えるのがやっとだった。彼を見つめ続けるのも叶わずにぐったりと頭が下を向いた。

ざらざらの髪が重力に垂れ下がり、外界を遮断するように視界を塞ぐ。泣き声のような短い呼吸を繰り返して、胃は痙攣するようにひきつった。

絶望に心が苦しい。息が上手く出来なくて肺も喉も頭も痛い。けれど痛みを置き去りにして、狂ったように同じことしか考えられない。


セリウスを、彼を、命令で巻き込まれた理不尽なティナの被害者を、愛すべき彼を、奇跡でもなんでもいい。どうか彼を 救って 助けて 癒して 戻して



思考がぐしゃぐしゃで、呼吸ひとつも思い通りにならない。震えて涙にぐしょぐしょに濡れるその頬を。


ふいに、暖かな何かが触れた。





暗闇の中に光が差し込んだようだった。

目を見開く。あんなに持ち上がらなかった顔が簡単に上を向いた。

頬に触れるそれは、まるでティナを労るように包み込む。

「ティナ、どした?」

掠れた声が、耳に届いた。

ゆっくりと瞬きをして、目に溜まった涙がぼとぼとと零れると視界がすっとクリアになる。

頬を包む、その手がひどく暖かい。


「泣いてんのか?どっか、痛むのか?」

何よりも欲しかった、彼の優しい笑顔が見えた。

瞼を開いて、その奥の薄紫の瞳がそっとティナを見つめていた。

「~~~~っ!!!」

ただそれだけでまた涙が溢れ出す。

何も言葉に出来ないままで、ただ必死に両腕に顔を押し付ける。

「大丈夫か?」

セリウスの声が聞こえて、その声に底知れない安堵が溢れるように胸を満たす。


「ごめ、なさ…ひっ、ごめん、なさっ、…ひっく、…さい、ごめっ、なさいっ」

口をついて出てくるのは謝罪の言葉だ。繰り返し繰り返し伝えようとするのに、しゃくりあげる度に言葉が止まる。喉の奥が、先程とは比べ物にならない程の激しい痛みに震えて、セリウスの冷えたブラウスを暖かい水が濡らしていく。

そんなティナの頭をそっとセリウスの手が撫でる。

「なんでティナが謝ってるんだ?ティナは何もしてないだろ?」

そしてそんな優しい言葉を紡ぐのだ。


そんなわけがない。

思うのに、言いたいことがたくさんあるというのに、言葉は何一つも形にならずに、ティナは首を横に振って否定する。

「ちがっ、……わた、…が、」

なんとか声に出せたところでろくに意味もなさずに消えていく。不甲斐ない自分に苛立ちが募り、頭を撫でる彼の手に、そんな資格はないのにと自分を嫌悪する。


「ティナ、泣くなよ。お前に泣かれるとどうしていいかわかんねえだろ」

声はどこまでも暖かい。

痛くはないだろうか。苦しくはないだろうか。

そういえば傷はきちんと治ったのだろうか。

彼を取り巻く負の要素をどうか全て引き受けたいと願いながら、彼の望みを叶えるべく、ティナは必死に涙を止める術を探した。

優しい手が、ずっと頭を撫でていた。



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