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荒れ狂う空と海と仲間と敵と

走る心臓と止まる息。

手足の先が氷のように冷えていた。

まるでメデューサに睨まれたように動けず、ただ覗き込まれるその目を見つめる。

薄墨色の眼光が鋭くナイフのように突き刺さった。引き上げられた唇は歪な笑みを描いていて、逆光に縁どられた輪郭は微動だにせず視界を塞ぐ。

「………ぁ」

発狂してしまいそうな恐怖が腹の底からせり上がってきて、ティナは動くことも出来ずにただ目をまっさらにしてそれを見上げていた。


刹那、その視界の端を何かが掠めた。

それを理解する前に、眼前を埋め尽くしていた影がすっと一歩分だけ横にずれた。

唐突に開けた視界に、光が反射するのが見えて目を細める。身を隠していた木箱にドスッと衝撃が走り、それが太陽光を跳ね返したナイフだと気づく。

 ダンッ!!

 その数瞬前に、木箱に再度大きな衝撃が走る。

 男が身をずらしたそこに飛び蹴りが放たれたのだと理解するより先に、彼は屈んで視界から消えていた。代わりに見えたのは飛び蹴りを放ったセリウスの足で、けれどそれが、瞬きの隙間に今度は上方へと吹っ飛んだ。

 屈んだ男が真上にある足に掌底を打ち付けて、足を突き飛ばしたのだと頭の処理が追い付かないまま、セリウスがその勢いを利用してくるくると宙がえりをして着地するのを見届ける。屈んだ男がゆらり、と立ち上がるのが同時に見えて、そうして数瞬が終了した。


 おおよそ何が起きたのかを理解できなかったティナだが、セリウスが来たことだけは理解する。

 対峙した二人は自然体だが、どちらもピリピリと緊張感を持っていて、次のタイミングを計っているように見えた。


 セリウスは誰にも見つかっていない。出てくる必要などなかったことは考えるまでもなく、助けに来てくれたのかと思うと、足手まといになった自分に唇を噛んだ。

 これ以上足枷になるのはごめんだと、とにかく男から離れなければと考えて、木箱から出ようと足をかけるタイミングで男がティナの腕を掴む。…前に、ナイフが放たれ、今度はティナの腕を掠めて壁へと突き刺さった。

腕にピリッと痛みが走って、血が流れる。それを認めてようやくナイフが掠めたことを理解すると遅れて全身の血の気が引いた。

 青ざめた顔で視線を上げる。ティナごと殺す気かと彼を視界に捉えるが、その視線は絡まない。まっすぐに男へと向けられたセリウスの視線が、ぞっとするほど冷たくすっと細められていたのが見えた。


「誰だ、てめえ」

 男が、ようやく声を上げた。

 けれどセリウスは返事をしなかった。余計な情報など相手にくれてやる気は微塵もないとばかりに無慈悲にナイフが放たれる。男が半身ずらすだけでそれを避けるとナイフはまたティナの真横を掠めていく。

「………っ!」

 あまりの仕打ちにもしかして狙われてるのは私なのかと疑い始めながらも、恐怖で動けなくなる体を叱咤して、ティナは木箱を倒す勢いで飛び出した。

 木箱ごとダンッと大きな音を立てながら転がって、刺さっていたナイフが弾け飛ぶ。構わずドアへと駆け出すとその背中を男の手が掴もうとして、数瞬先をナイフが掠める。ティナのブラウスを引き裂く形でナイフは壁へと突き刺さった。

 男が手を引っ込める隙にティナは前方へと駆け出した。

 背中に殺気が突き刺さり、死の恐怖に体が震える。

「待ちやがれ!」

 男の声がした。

「ティナ、離れるな!」

 セリウスの声がした。

 けれど恐慌状態のティナは判断力が底を這っていた。止まることが、死に繋がるような恐怖にがむしゃらにただ足を動かす。

 ドアから飛び出そうとして、けれどその目の前をナイフが掠めた。

 慌てて身を低くするが、勢いは殺せず足を絡ませて前方へと転がった。

 ティナがドアから飛び出した、その上に船員の一撃が放たれる。

「何!?」

 船員の拳は虚しく宙を切り、隙だらけの足にティナがぶつかってバランスを崩す。転倒する船員の足を押し退ける形で転がるティナは、勢いのまま立ち上がった。また前方へと駆け出して、後方でドスッと鈍い音と船員の悲鳴を聞いた。


 その、眼前に。

 数えきれない程の船員が待ち構えていた。

「………ッ!」

 そこでとうとう足を止めた。


「動くなよ」

「何者だてめえ」

 船員達は殺気を隠そうともせず、ジリジリとティナを追い詰める。逃げ場を探すティナは、周囲を注意深く見ながら、距離をこれ以上詰めさせてはいけないと後退する。すぐに先ほど転倒した船員へと辿り着き、転びそうになるのを慌てて踏ん張る。逃げ場がなくなったことに焦燥が募る。

 船員達は身を低くして今にも飛びかからんと


「手を出すな。それは俺のだと言ったはずだ」


 部屋の中から男の声が乱入した。それだけで船員達が怯む。ティナも例外なく心臓が跳ねたが、声のしないセリウスは無事だろうかと、途端に部屋の中の様子が気になり始めた。

 けれど怯んだ船員達も、ティナに注意を向けたまま引く様子はなく身動きが取れない。あまりの人数に逃げ出すのだって不可能だ。


ダンッ!

緊張して周囲を睨め付けていたティナだが、ふいに後方―部屋の方から銃声が聞こえた。

ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!

一発目を皮切りに何度も繰り返し銃声が響く。

「…ッ!ねえ!無事なの!?」

思わず名前を呼びそうになって必死でそれを止める。

焦燥するまま返事を待つが、待っていたのは沈黙だ。

少しでも気を抜けば部屋へと飛び込もうとする足を意識して踏ん張って堪える。

飛び出せば目の前の船員がティナを狙って、もしくはセリウスを狙って飛び込んでくるだろうし、ティナが部屋へと駆け込んだところで銃弾とナイフに出迎えられるだけだ。足手まといか最悪無駄死にするだけだととにかく必死に言い聞かせる。どうか、どうかセリウスの無事を祈り、ぐっと唇を噛んで堪える。鉄の味が口腔内に広がった。


「ここからは通さない」

ティナに今出来る事は、彼らを足止めすることだ。足元に転がる男から素早くナイフと抜き取ると、その隙に飛びかかってきた男が手を振り上げる。その拳が突き下ろされるより前に振り返り様に懐へとナイフを突き出すと、ザシュッと生々しい感覚が手に伝った。

「…このっ!」

「きゃあ!」

けれどその刹那、男の蹴りがティナの肩へと放たれる。

勢いのままぶっ飛んで、部屋の中へと転がった。

痛みに意識が飛びそうになりながら、それでも必死に頭を上げる。

「手を出すなと言っただろう!」

銃声と、男の声とどちらが先だっただろうか。

ティナが頭を上げた時には、先の船員が銃弾に吹っ飛ばされて宙を舞っていた。ズザッと床に落ちる音がして、それを見守る他の船員が、血相を変えて睨み付けるより先に、ティナの横をナイフが掠めた。

ナイフは外の船員の一人を的確に捉えて、血飛沫と悲鳴が飛んだ。

「てめえ!」

船員がそれを理解するなり口々に罵声を飛ばして部屋へと飛び込んでくる。けれどティナの前へと迫る寸前で銃声と共に船員が倒れた。

「いい加減にしろ。俺をこれ以上怒らせんな」

地を這うような声が、殺意が飛んで来る。それだけで立ち上がる気力すら根こそぎ奪うような、凍り付く冷気を纏う声にティナは微動だにすら出来なくなる。

船員達も怒気に当てられて動けないのか、誰一人として声も聞こえなければ飛び込んでも来ない。

唐突に静寂が場を支配した。


「てめえもいい加減くたばりやがれ」

けれど後方ではまだ命のやり取りが繰り広げられているらしかった。振り向いて確かめることもできず、銃声に心が凍り付く。やめて、セリウスを殺さないで、逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて!

声すら出せずに心中が咆哮するように悲鳴を上げる。

気付けば耳を塞いで俯いていた顔に不快な雫がボロボロと零れて視界を歪める。泣いてる場合ではない。わかっているのに体が呪縛のように動かない。

カアンッ!と甲高い音が室内に響いた。

カラカラカラカラと乾いた音が続いて、カツン、とティナの足にぶつかって止まった。歪む視界で必死にそれを見つめると、銃が飛んで来たのだとわかった。

ゆっくりとそれを眺めて、重鈍とした動作で拾い上げる。ズシリと重い。これが、人の命を奪う凶器だと理解する。

ティナは、なんとか立ち上がるとそれを部屋の中へと構える。銃口は震えてろくに的を絞れないが、牽制にはなるだろうか。

いつの間にか模様を変えていた雲が、太陽を覆って部屋は薄暗く陰っていた。ゴロゴロと地響きの様な轟音がすぐ傍で聞こえるようだった。

けれどそれらを意識から完全に締め出して、ティナは男へと焦点を向ける。

男はセリウスのナイフを避けて壁際へと追い詰められていた。けれど余裕のある顔で新たな拳銃を片手に銃声を響かせる。

震えるまま、その頭を狙う。

カチャ、と冷たい音を立てて、セーフティが外される。


銃弾を避けるために飛び退いたセリウスは、外した視界に映った銃を掲げるティナの姿に目を見開く。

止めろ!と、手を伸ばして走り寄るセリウスが、ティナへとたどり着く前にパァン、と銃声が響い

ドオオオオーーン!!!!

同時、稲光と共に轟音が海へと落ちた。


船は大きく傾いて、うねる波に翻弄される。

そこにいた誰もがバランスを崩して、あるいは転がって、あるいは海へと投げ出された。

ティナも、混乱するままに木箱にぶつかり、衝撃に銃が転がった。

いくつも並んだずた袋や木箱が荒波に揉まれて右往左往しぶつかり、転がる。魔法石が散乱し、確かな硬度が凶器と化す。混乱する船上で、セリウスはティナを抱き上げ部屋を飛び出す。途端、叩きつけるような雨に打たれる中を走り抜け、船尾へと向かった。


「どこに行く気なの!?」

「さあな。ティナは空とか飛べないのか?」

「クレアじゃあるまいし!無理よ!」

「じゃあ、飛び込むしかねえな」

「はあ!?この荒波の中を?自殺行為だわ」

「ティナ、俺と心中する気は?」

「これっぽっちもないわ!」

「はは…だよな。俺もだ。」

どうせだったら絶世の美女とご一緒したいしな、と呟いてセリウスは船尾へと飛び降りた。

ティナの悲鳴が木霊する中、雨で濡れた床は滑りやすく、予想の付かない波の動きに船は傾きを大きくする。大波が船上まで飲み込まんばかりに襲いかかる中、セリウスは危なげなく着地した。


「じゃあ頑張って生き残ってくれよ」

船尾に取り付けられていた小舟のロープをナイフを投げつけ切り離すと、次の大波に拐われるままティナの悲鳴も飲み込んで、小舟ごと大海へと飛び出した。



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