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窮地の先にある窮地

 髪を、腕を、肩を胸を腹を背中を。

 いくつもの手に引っ張っられて、または押し出されては傷が出来る。

 けれどティナは引き剥がされそうになっては必死に相手へと食らいついた。


 誰一人として、この先へ行かせるつもりなどなかった。

 逃げていく子ども達を追いかけようとする男の足を引っ張って、全身を重りにして引き留める。

 邪魔だ!と頭を蹴られて、けれどその手は離さない。何度も何度も足蹴にされながら、全力で足を引っ張れば、バランスを崩した男がひっくり返った。

 けれど次の瞬間には別の方向から蹴りが入る。吹っ飛んで地面を転がると、口の中で砂の不快なじゃりじゃりとした感触が広がった。

 全身が痛い。もう殴られていない場所なんてないんじゃないかと考えて、白くぼやける意識をそれでもなんとか手繰り寄せる。

 男が駆け出したのが見えて、止めなければと体に力を込める。けれど指先がピクリと動いただけだった。


 ダメ、お願い。追いかけて。止めないと。


 起き上がるように自らを叱咤するけれど、なんとか頭を持ち上げるだけでも目の前がグルグルと回った。吐き気が一気に込み上げて、ゴホゴホと咳が出た。

 けれど構っている暇はない。止めないと。男の足を止めさせないと。ティナは必死に考える。


 一体どれだけ足止め出来ただろうか。

 子ども達はどこまで逃げれただろうか。

 男達の足は早い。地の利があるとは言え逃げ切れるかは賭けであった。

 どうか、少しでも時間を稼がないと。

 どうか、少しでも彼らの足枷にならないと。


 思うのに、もう体は動かない。じんわりと喉の奥が熱くなる。



「…待って、お願ぃ」


 絞り出した声は掠れて消えた。

 ぐるぐるぐるぐる頭が煮える。その時


 カラン


 音がした。

 腕輪だ。

 その存在を今の今まで忘れていた。

 どうして忘れていたのかと考えて、けれどどうでもいいとすぐさま回復魔法を自身にかけた。

 男達の目の前で。


 迂闊だとは分かっていた。

 けれど今の最優先は子ども達を守ること。

 保身に走って救えないだなんてお粗末な結果だけは避けたかった。


 ぱあっと目を焼く光が視界を埋め尽くす。

 男達のどよめきが起こり、何事だと体を引くのが見えた。

 全身がぽうっと熱を持ち、痛みがすうっと引いていく。

 動けなかった体は軽くなり、光が収まった頃には、ティナはもう飛び出す準備が出来ていた。

 暗闇に慣れない視線で男達を捉える。

「女!今何をした!?」

「閃光弾か!?」

「こいつを捕まえろ!」

「さっきのやつらも逃がすな!」

 すぐに威勢を良くした男達の声が飛び交う。

 けれど司令塔が居ないのか、動きの統率が取れていない。

 ティナは男達の持つ灯りを頼りに動きを予想して身を翻す。体当たりをして、足を引っかけて、もしくは上に乗りかかる。目の前の男達の手を掻い潜ると、子ども達を追いかけていく男へと走り出す。

 けれど、刹那ティナの髪が引っ張られた。

 ブチブチッとちぎれる音がして、痛みと共に後方へと体が傾く。

「いたっ!」

 思わず声が漏れて、けれど視線だけは遠ざかる男から逸らさない。後ろに引かれて倒れる寸前

 睨み付けていた男が崩れ落ちるのが見えた。


 (―――え?)

 理解できずに目を見開く。

「ぐっ!」

 混乱のまま倒れ込み、倒れた体を男がぐっと踏みつけてきた。

 転がって凌ごうとするが、踏みつける足の強さに身動き一つが難しい。両手で足を掴んで、歯を食いしばって痛みに絶える、刹那。

「ぐわあっ!」

 悲鳴と共にその重みが消えた。

 どすん、と遠くで音がして、間を置かずに男達のいくつもの悲鳴が不協和音を奏で始めた。

 訳も分からないまま、終わらない悲鳴と衝撃音ばかりを聞く。そして唐突に静寂が訪れる。

 一体何が起きたのか、わからないまま


 腕を引かれた。

 ぐい、と力強く。けれど強引ではない優しさで引かれた腕に導かれるまま、体を起こした。

 見上げると見知った顔。

「大丈夫か?」

 整えきらない乱れた呼吸で、気遣わしげに落とされた声。

 セリウスが、助けに来てくれたのだと時間をかけて理解する。

「……子ども達は?」

 理解した瞬間に問いかける。

 守らなければと、今すぐに追いかけなければと、あの子たちはと胸が騒ぐ。

「大丈夫だ」

 けれどセリウスは落ち着いた声で頷く。

 動揺に揺れるティナの目を力強く見返して、それが真実であると伝えてくる。

「大丈夫だ。逃がした。追ってくるやつらは皆沈めた。数が少なくて拍子抜けしたぜ。ティナが、抑えててくれたんだな」

 声が、妙に暖かかった。安心と充足感と痛みと恐怖と心許なさと。胸を締め付けたのはどの感情かわからない。

 ただ、ぽろりと涙が溢れた。

 震える手でぎゅっとセリウスの服を掴む。

「……良かった」

 震える声が、ただ安堵に満ちていた。




「さて。どうするか」

 ティナが落ち着いた頃合いで、セリウスが声を上げた。

 このまま退散するか、戻って船を調べるか、男達に問い詰めるか。

「あの人達は生きてるの?」

 ピクリとも動かない様子にそう尋ねると、セリウスは首を振って否定する。


 殺したということか。

 任務遂行のためなら酷く冷酷な人種だと、告げた穏やかな男の顔がふと浮かんだ。

 こんな息をするように簡単に。


 それはとても恐ろしい事だと思うのに、見下ろす瞳をなぜかティナは恐れなかった。

 セリウスという人を少しでも知ったからだろうか。その矛先が、自分に向くことはこれからもずっとあり得ることだというのに。


「下手なことをされても困るからな。…ティナも、困るんじゃねえか?」


 何を聞かれたのかわからなかった。

 思わずセリウスの顔を凝視する。セリウスは、事の他真剣な顔でティナを見下ろしていた。

「え?」

 思わず、声が漏れた。けれどこの先の言葉は、聞いてはいけないような気がする。ティナが遮ろうと口を開くが、それより先にセリウスの声が大気を揺らす。

「今、使ったろ、」


 魔法


 そっと紡がれる言葉に、さあっとティナの血の気が引いた。


 見られていた?セリウスに。魔法を使うところを?

 男達は光に目が眩んで気付いていないようだった。

 セリウスはどうして魔法だと気付いた?どうする?どう誤魔化せばいい?


 言葉に詰まった時点で、それは肯定と等しい。

 ティナはもう、選択肢を間違えていたのだ。

 一挙手一投足を見逃さないように、セリウスは鋭く目を細めてティナを見つめる。

 何を言ってるのだと笑い飛ばさなければと思うのに、虚を突かれたティナの顔は緊張に固くなっていた。


「ち、違うの。これ、この腕輪で」

「それが魔法具じゃねぇことは知ってる」

 ぎこちなく笑うティナを許さないと言うように、ピシャリとセリウスは断絶する。

「そもそも、その腕輪を見た時からおかしいと思ってたんだ」

 そして逃げ道を失くすように追い詰める。

「その腕輪の効果は、魔力を増強させるもんだから」


 魔力のない人間にはそもそも無用の産物だ。

 その腕輪にどれだけの手間がかけられてるか知ってるか?

 その腕輪を作るのに、どれだけの時間をかけて、どれだけの労力を使って、どれだけの魔力を込めたのか。

 それだけ価値のあるものをどうしてチャルチシュヴァラ卿がティナに贈ったのか。

 魔法も使えない人間に贈っていいようなものじゃねえ。ただの飾りにしては手が込みすぎている。ただのお守りにしては余る機能が多すぎる。

 たとえチャルチシュヴァラ卿が酔狂な性格だとしても、あまりにそれは矛盾していた。


 その腕輪の作成に携わったものは誰だって疑問に思うはずだ。

 どうしてティナに、それを贈る必要があったのか。

 ティナは一体、何者なのか。


 狂気に満ちたその腕輪は、確かに不吉を運んできていたのだ。

 隙一つ見当たらない、完全なる完成品のようなその腕輪にぶわりと畏怖の念が湧き上がる。先とは違う震えが止まらない。


 腕輪の作成に携わった誰もが。……誰が?

 誰がティナの存在を脅かす?

 ハルは?アストロスさんは?あの追いかけてきた高官たちは?

 一体誰から逃げればいいのか。一体どこへと逃げればいいのか。


「ティナが王族って事は、その腕輪が証明してる。だけど、それじゃあチャルチシュヴァラ卿の執着ぶりに説明がつかねえ。どうやってあの自己主義を動かした?何にも興味を示さない人の執着をどうやって得ることが出来た?ティナの価値はお前が思っている以上に高騰してんだ。もしかしたらあの、チャルチシュヴァラ卿すらも味方に出来るかも知れねえんだから。」

 セリウスが知らない人に見えた。

 淡々と言葉を紡ぐ、彼の声が。


「気を付けろよ。貪欲で狡猾なハイエナどもが、舌なめずりして狙ってる。まぁ、その元凶はその様子を高見の見物してるんだろうがな。自分のモノだと首輪うでわをつけて、傷一つ負わせたらどうなるかわかってるかと牽制しながら、それを餌にして猛獣の中へ放り込んでる。守りたいんだか、いたぶりたいんだかわからない。…あの人の行動は考えるだけ無駄だ。なあ、ティナ。どうする?」


 どうする、とは。何を聞かれているのかわからない。

 呆然とセリウスを見上げるティナに、セリウスは似合わない、陰険な笑みを浮かべてみせる。


「事情を話して保護を受けるか、このまま自力で逃げるのか」


 逃げ道はどこだ。

 自力で逃げだすためのカギはどこだ。

 途方に暮れそうな果て無い疑問をティナはただ繰り返した。




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