溢れ出る小物感
ほとんどの官吏が食事を終えたころ、ようやくティナは官吏用に手配された質素な宿屋の食堂に入った。
海路に入るとまともな食事が取れなくなるため、本日の夕食は大変に貴重である。
それは誰にとっても同じことで、配給されたパンとリンゴだけでは満足できず、ほとんどの官吏が食堂での晩餐を楽しんでいた。
ティナがメニューに目を通したときには完売した料理も多く、あまり迷うこともなく残っていた漁師汁と白身魚のソテーを注文した。
人のまばらとなった食堂は時間すらもゆっくり流れているようだった。せわしなく過ぎた1日とは比べ物にならないほど落ち着いた空間で、ゆっくりと料理に舌鼓を打つ。しっかりと出汁の取れた暖かいスープはじんわりと体に染み込む旨さだった。
ふいに。
美味しい、とひとり感動するティナの両サイドで、ガタン、と不快に音が立った。
目の端で、三人の男達がティナを囲むような配置で乱暴に椅子を引いて、座るのを確認する。
前述の通り、食堂内はすでにガラガラだ。どう考えてもわざわざこんな近くに座る必要などなく、ティナは眉を寄せて訝しむ。しかも彼らは食事も終えているらしく、手に持った葡萄酒をチビチビと飲んではにやにやと嫌な視線をティナに向けてきた。
なんとなく、良い予感はしない。折角の美味しい食事が台無しだとさっさと箸を進めるティナだが、男達は不躾な視線を逸らそうともしない。
ふいに
「しかし、コイツが今回無理やり同行に加わった官吏か?」
「大したことのなさそうな女だがな」
「今回の外交は特に高官が多く来ている。玉の輿狙いか出世狙いか知らないがよくやったものだな」
「コイツみたいな身分も取り柄もなさそうな新人が、一体どんな手を使って外交に参加できたんだ?」
「顔だけはお綺麗だし、うまい事やったんだろうなあ」
雑談の方向が確かな悪意を持って、ティナの方へと向けられた。
囁くように最小限に抑えられた声で、周囲の誰も気付かない。クスクスと上がる笑い声が不快だった。
鳥肌が立つが、まったくの見当違いの物言いに何を返せばいいのかわからない。途方に暮れるティナである。
「アストロス管理官にはどうやって取り入った?そのお上品な口で、一体どんな色仕掛けを使ったんだ?」
「こんなちんちくりんな小娘相手に、アストロス管理官も酔狂なことだよな」
「つまらない事で、これから始まる楽しい官吏生活を不意にしたくもないだろう。そうだな。管理官にしたように、俺にもお相手願おうか」
「お前、そんな幼児趣味があったのか?…まぁ、この顔ならありかもな」
おばさん呼ばわりの次は幼児呼ばわりである。
なんだか忙しい日だなと他人事のように聞き流しながら、一緒に貶されている上官の話題に、むしろそんなことをしたらそれこそ恐ろしい扱いを受けそうだと感想を持つ。
「聞いてんのか、このアバズレが」
「媚びを売るやり方も知らないなら俺らが手解きしてやろうか?」
「お前ら下位の官吏と違って俺たちには個室を用意されてる。馬鹿な頭でも立場の違いがわかるだろう?来ると良い。つまらない旅路にはちょっとした楽しみがないとな」
「悪いようにはしないぜ?なあ、あんたも良い思いしたいだ
「ごちそうさま」
きっちりと手を合わせて食事を終えると、ティナは男達を無視して席を立つ。
食器を下げるまでを呆然と見送ってから、我に返ったのか男達はバン、と机をたたいて立ち上がった。
「おい、お前無視してんじゃねえぞ」
「お優しく声をかけてもらってる間に素直に頷いてりゃいいものを」
「おい、モーガスト。こいつちょっといたぶってやろうぜ」
「そうだな、お利口な口が利けるようにちょっと教育が必要そうだな」
男達は口々にはやし立てるが、ティナには正直馬鹿にしか見えない。
愛すべき馬鹿ではなくて真性のヤツである。
理不尽な権力者達は果たしてやっぱり賢人だったんだなと再学習を終えたところで、けれど彼らの対応に悩む。どうにも導火線の短そうな男達である。
彼らの言葉通りであれば、彼らは個室を優遇されるだけの高官だ。非常に信じたくはないところであるが。
高官ともなれば、何か有益な情報を持っているかもしれない。楽しくないお誘いを真っ向から受ける気にはなれないが、上手く立ち回れば有益な情報を得られる可能性もゼロではない。なんせこの人たちアホそうだし。
けれど、生憎今夜は先約があった。
断るか。けれどこちらの件にしても、先送りにしてしまえば彼らと船が別れて打つ手がなくなる可能性もある。果たしてどちらを優先するべきだろうか。
正直悩むまでもなかった。
男達の言葉は不快以外の何物でもないし、できれば関わりたくもない。一方子ども達はむしろティナに癒しをくれそうなまでの愛嬌だ。
天秤にかけるなら、どちらに傾くかなど比べる前から決まっていた。
「えっと、ごめんなさい。失礼致しました。」
とにかく厄介ごとにしては自分にも上官にも迷惑がかかる。下手に出てなんとかやり過ごそうとティナは男達に向き直った。
「ああ!?…あ、ああ?なんだ、怖くなったのか?急にしおらしくなったな」
ティナが声を出した途端、条件反射で威嚇してきた男は、すぐに戸惑ったように声を萎める。
「最初からそうやって従順にしてればいいんだよ」
他の男もニヤニヤと気持ちの悪い笑顔になる。思わず鳥肌が立って、両腕を擦りたくなるティナである。
「お誘いありがとうございます。けれど今夜はどうしても外せない予定がありますので、無礼をどうぞお許しください。それではこれで失礼致します」
そして丁寧な姿勢でペコリ、と一礼をすると、ティナはそそくさと食堂を後にする。
流れるような仕草でさっさと遠ざかっていくティナの姿にぽかん、と目を丸くしていた男達は、けれどすぐに「おい!」と声を荒げて追いかけてきた。
ティナは慌てて食堂を出ると、薄暗い廊下を体裁も気にせず走り出す。
階段が差し迫ったところで突然腕を引っ張られ、抗う術もなくティナの体は壁に打ち付けられた。
ぐっと声が漏れる間にも、勢いよく伸びる腕が進路を塞ぐのが目に映る。
バンッと大きな音がして、いわゆるドン状態で囲まれそうになるが、咄嗟にしゃがんでその手を掻い潜る
と、前方へと転びそうになりながらすんでのところで手を着いて持ち直す。体を起こしながらも全速力での逃亡を再開するとその後ろを当然のように男達が追いかけてきた。
「何するんですか!ちゃんと丁重に断ったじゃないですか!」
「断れる立場だと思ってんのかてめえ!ふざけやがって!覚悟しやがれ!!」
「いやですよ!ちゃんと事前にアポ取ってくれたら誠心誠意心を込めてお相手するんで今日のところは帰って下さい!」
「お前に選択権なんかねえって言ってんだろうが!いいから待ちやがれ!」
廊下を走り抜けていく私とその後に続く男達を何人もの人たちが呆気に取られて見送っていく。
こんなに目撃者が出てるんだからいい加減諦めて欲しいと切に願いながら、角を曲がったその瞬間。
「え?」
「どわ!?」
今度は出合頭に大きな人と衝突した。
全速力の勢いのまま私が目の前の相手にぶつかると、不意を突かれた相手も勢いのまま後方へと倒れこむ。二つの悲鳴と衝撃音が廊下に響き渡った。
「は?」「おわっ」「ええ!?」
その後ろから全力で追いかけてきていた男達も巻き込まれて転びかけたが、何をどうしたのかなんとかティナの上に落ちてくることはなく、上手く二人を飛び越えていた。
「どわっ」
けれどやっぱり耐えきれなかったのか、結局バランスを崩したらしい男達の転倒する音がその先で聞こえて、そうして鬼ごっこは終了した。
「いたたた」
ぶつかった相手がクッションになってくれたおかげで、衝撃が軽減されたティナはそれでもぶつけた鼻を押さえて起き上がる。ティナの下敷きになって倒れていた相手も似たような動作で頭を押さえながら起き上がった。そうして顔を見合わせ途端、互いにきょとんと固まった。
その目の前の相手こそが、セリウスであったからだ。
「え?セリウス??なんでこんなとこにいるの?」
「ティナこそなんでそんなお転婆になってんだよ。そんなキャラだったか?」
いや、そんなキャラだった気もするな、などという聞き捨てならない呟きに被さるように
「お前、やっと追いつめたぞ!」
「いいかげん観念しやが…れ?」
男達の怒鳴り声が降ってきた。
真っ赤になって見下ろす男達が、なんだ?と振り替えるセリウスの顔を見て、固まったまま青くなる。
リトマス試験紙さながらの鮮やかさで色を変える男達は、その体を小刻みに、声すらも震えさせて目の前の相手の名前を確かめるように声を絞り出す。
「…アムルピオス外交官?」
呼ばれてちっとも嬉しそうにしないセリウスは、顰めた顔で男達を見返す。
「ああ?なんだこいつら。ティナ知り合いか?」
「うーん。なんていうか。知り合いといえばついさっきそうなったかもしれないけど名前も知らない今会ったばかりの人達」
「なんじゃそりゃ。そういうのは知り合いって言わねえんじゃねえか?んで、お前らは何の用だ?」
「いえ、自分たちは特に!これで失礼します!」
「は?」
言うが早いか先を競うようにして男達は走り去る。
押しのけ合いをしながらもあっという間に姿を消した男達に、なんだったんだ?と首を捻るセリウスと、ほっと息を吐くティナであった。




