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前世でいうところの社畜

 ティナは冷たい水で、今日も手を赤くしながら洗濯物を洗っていた。

 ここ数日はこればかりで、それというのも上女中がイザコザを起こされてはたまらないと、出来るだけティナが王宮内に入らないよう配慮した結果だ。洗濯は嫌いではないがこうも続くと嫌気がさす。じわじわと痛みを訴えるその手はあかぎれがそこかしこに出来ていた。

「毎日これはさすがに飽きたわね」

 隣に並んでいた同じく洗濯ばかりのリディがうんざりとぼやいた。ティナの指導係を任命されている彼女は残念なことに道連れだ。ごめんね。ティナは心の中で謝った。



 拍子抜けするほど、あれから平和すぎる日常が続いていた。

 イザベラは一度王宮へと避難してもらったものの、店が心配だからと早々に街へと帰っていった。

 ティナも一緒について行きたかったが、ティナにはティナの仕事がある。しっかりと護衛を付けてくれるということで、とりあえずは納得して送り出した。

 投げ込まれた煙玉と、拘束されているにも関わらず逃げた黒装束の男から、共犯者が助け出したものと思われるが、その失態を悔しがることもなくクレアは涼しい顔をしていた。副隊長は真っ青になっていたが。残されたその他の男達は翌日馬車で牢へと運ばれていったが、下っ端と思われる彼らはほとんど有益な情報を持っておらず、得られた情報もティナの元まで来ることはなかった。

 翌日からいつも通りの日常へと戻って、朝から下女業務、夜は試験勉強というスケジュールは今も続いていた。けれどひとつ変わったことがあった。


 ハルが、ぱったり姿を見せなくなったのである。


 クレアのパターンもあったので(焦らして焦らしてジャジャジャジャンとかいうやつ)警戒は解いていないが、本当に一切の音沙汰がなくなった。

 向こうが来ないとなればこちらから接触する術など何もなく、ティナはまったくハルに会わない。

 会えないなら会えないで喜ぶべき事なのだが、なんだか釈然としない。

 強制されなくなった試験勉強も、クレアに協力するという名目で結局続けている訳だが、果たしてこれも彼の掌の上なのだろうか。

 まったく動きの読めない相手に考えることこそが無駄だと思うのに、ティナは気付けば彼の事ばかりを考えてしまっていた。



 更にそれから十日後。ティナは無事官職試験を受け、更にその五日後には合格通知を受け取った。

 下女の仲間達は皆喜んでくれて、リディは少し寂しそうにむくれていた。

 ありがとうと抱きしめ合って、下女襲撃事件については捜査続行を約束し合った。


 こうして官吏となった私は、新しい配属先へと足を運ぶ。

 総務省事務部。

 新しく出来た部署で、まだ稼働し始めて一年程度だと説明を受けたその部屋のドアをティナはゆっくり押し開けた。


 総務省事務部は、基本的には全ての部署のサポート、雑務を主な仕事とする。

 配属された官吏は何人か居ると聞いたが、あちこちの部署にそれぞれが依頼を受けては出張して行ってしまうため、ほとんど顔も合わせないそうだ。

 業務内容的に下位の者ばかりが配属されているかと思いきや、けっこうな重鎮もいらっしゃるそうでティナは首を傾げるばかりだ。変わり者の押し込み部署だと噂されていることなど露とも知らず、ティナはそこへと足を踏み入れる。

 難ありとされる曲者ぞろいのやっかいな部署へそうしてティナは配属されたのだった。



「キミが今日から配属されたティナくんかい?平民なのにすごいなあ。まあ好きなデスクにかけて」

 爆発したんじゃないか、というような強すぎる癖毛に丸眼鏡をかけた男は、黒い液体の入ったカップを片手に腰も上げずに片手をあげて挨拶をした。

 フランクだな、とそれを見ながら入口で立ち尽くしていたティナは、気後れしながらもよろしくお願いします、と頭を下げた。

 好きなデスクと言われたが、どれが空いてるデスクかわからない。困惑して丸眼鏡を見返すが、彼はずずっとカップを傾けると、そんなティナを逆に顰めた顔で見返した。

「座らないのか?立ってるのが好きならそれでもいいけど」

「いや、そういうわけではないですけど…」

 なんとなく、どこが空いてる席なのかと聞いてもこの人が把握してなさそうな気がして、荷物が少なく丸眼鏡に近い席を選んだティナは、ちょこんと浅くそこに座った。

「言われたことには迅速に対応するように心がけてね。さて、ここの説明だけど」

 仕事内容の話だとすっと背筋を伸ばすティナに対して、丸眼鏡はだらけて背中を丸めている。

 声もだらけた喋り方で、第一印象でこの人仕事できなそうだな、と失礼にも感想をもった。

「依頼があったら仕事をして、なかったら自由。以上」

 最短時間で業務内容の説明が終了した。まるでさっぱりわからないまま。

 言い切ると丸眼鏡はまたゆっくりとカップを傾ける。ずずっと再度音がして、ティナはただそれを見届けた。


「何か質問とかある?」

 どうしていいかわからないティナを置き去りに丸眼鏡はまとめに取り掛かる。何を質問していいのかすらわからないまま、慌てる気持ちだけが湧き上がる。何故かはわからないが、この丸眼鏡は今を逃せば本当に何も教えてくれない気がするのだ。

「あ、あの、依頼ってどうやって受けるんですか?」

 とにかく仕事の始めようがないと、まったく明らかにされなかった概要について質問する。

 そんなことも知らないのか、と丸眼鏡は顔を顰めたが、知らないに決まってるだろ、と声を大にして言いたいティナである。

「依頼は伝書か、直接呼ばれるか、遣いが来るか、その時々で違う。来たら全部断らずに受けて。どうしても無理ならその時に俺に相談して」

「わかりました。えっと、あの、…丸眼鏡さんはいつもどこでいるんですか?」

 なんと呼べばいいのかわからず、結果間抜けな選択をしてしまったティナに丸眼鏡は少し目を大きくする。

「ああ、自己紹介してなかったね。俺はレーノス=アストロス。キミの上官にあたる。さっき説明したように基本的にこの部署はあちこちに呼ばれてうろうろしているから、仕事を依頼しに来た官吏も、この部署の人間を捕まえることの方が手間になるんじゃないかな。俺ももちろん例外じゃない。」

 それはつまり、どこにいるかわからないということで相違ないだろうか。

 一体どうやって相談すればいいのか。前世で絶対とされた報連相の存続の危機にティナはただただ途方に暮れる。

「何か、呼び出す方法とかないんですか?」

「ないね」

「…ですよね」

 もうおうちに帰りたい。

 出勤して一刻もしないうちに後悔が顔を出すティナであった。



 結局ほとんど説明はないまま、アストロスは時間だと言って出て行ってしまった。

 なんだかとんでもない部署に配属された気がして、それともこれが普通なのだろうかと考える。

 だとしたらこれからも絶望的だなと先に不安を抱きながら、そもそもここに来た目的を思い出す。


 どこに誰がいるかわからないということは…サボってもバレないんじゃないだろうか。

 これは仕事もそっちのけで潜伏捜査に没頭できそうだと、はっとする。

 これは早速行動だ!と椅子から立ち上がったタイミングで

「あのー。お手伝い願いますー」

 間延びした声が入口から放たれた。






 果たして初仕事を始めたティナは頭を抱えたい衝動に駆られていた。

 休憩時間は増える、とハルは言っていなかっただろうか。

 恨みがましくそんなことを考えながら、目の前に積まれた書類の山を睨めつける。


 先ほど声をかけてきたのは徴税省の者だった。

 積み上げられた書類は全て各領土から収められた税を羅列したものだそうで、これを纏めるのが今のティナの仕事だ。

 電卓のない世界に早々と匙を投げそうになりながら、計算ミスが大きな問題になるためひとつひとつ丁寧に確認しては纏めていく。慣れない作業は時間ばかりを浪費して、気付けば太陽はだいぶ西へと傾いてきている。ご飯すら食べに行けないままにお腹が抗議し音を鳴らした。ディーノが恋しくなるティナである。

 捌いた端から、渡し漏れがあったと書類を束で持ってくる。こんなことをしている場合ではないと思うのに、山は一向にその背を低くしてくれない。せめて一度に持ってきてほしい。「追加分ですー」とまた笑顔で書類を持ってくる徴税官をティナは無言で見返した。


「あ、お仕事の依頼いいかな?」

 新しく、別の声まで聞こえてきた。

 なんだこの部署。ティナはこの部屋に誰も留まろうとしないその本当の理由をなんだか悟ったような気がした。



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