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信頼という名の意趣返し

イザベラはすっかり寝支度を整えた後、冷える空気に一枚羽織りを多くして、日課の帳簿をつけていた。


経営する小料理店の収支を計算して、実際の金額と相違ないかを確認し、それぞれ分類分けをして丁寧に記帳する。それから翌日の仕入れ分の金額を別封筒に取り分けて、支出分として記載する。

最後に明日必要なものを書き出して、そうして漸く本日の業務がすべて終了した。


自宅から少し離れたところにある小さな店舗で、イザベラは小料理店を開いていた。

街で働く男達や昼休憩に抜け出してくる憲兵などが訪れる、割と評判のいい店である。

夜は酒場にもなるため、翌日の仕込みを終える頃には夜も遅い時間となる。ランチ客を対象としているため翌日の開店時間は遅めの設定ではあるが、遅めの朝食を取りに来る客もあり、それより早めの時間から店のカギは開けていた。

イザベラは女手一つで店を切り盛りしているが、お昼時の客足の多さに手が回らない事もある。手が足りない時には常連客がそっと手を貸してくれることもあるが、できればゆっくりと食事を楽しんでもらえる場所を提供していきたい。

そのため総菜をたっぷりと盛り付けた大きな皿をいくつも並べて、そこから客が好みのものを自由にプレートに取り分けるというシステムで最近は店を回している。人気のある唐揚げなどは、揚げても揚げても追いつかないなんて日もあるけれど、なんとか忙しいお昼時をそうやって毎日乗り切るのだ。

休みの日にはティナが手伝いを買って出てくれるのだが、最近はなんだかそれもご無沙汰である。忙しそうに王宮へと帰っていったティナを思い返して、イザベラはクスリと笑みをこぼした。


今日も疲れた。

肩を回して凝りを解す。目まぐるしく走り回っている日中はあっという間に過ぎていくが、こうしてぼんやりする時間ができてしまうと、つい寂しさなんてものが顔を出す。

どうしたもんかとため息をついて、けれどイザベラはそっと笑う。

どうしているかと心配できる、そんなことに安堵して。


ふと夜風が肩を撫で、身震いをしたイザベラはそろそろ窓を閉めようかと腰を浮かせる。

パタンと役目を終えた帳簿を閉じ、俯く事で垂れてきた髪を耳にかけ、掛けていた眼鏡をそっと外して。

肩に掛けていた上着がずれ落ちそうになったのを片手で持ち上げ元に戻すと、視線を上げて、窓へと足を踏み出して、そしてその目を見開いた。


夜風の吹き入るその窓に、月明かりを反射する何かが映る。その何かが、不気味に部屋を覗き込む、不審者の冷たい目だと気が付いて。









障害物も雲もないうっとりするような星空を、けれどその輝きには目もくれず、一直線にティナは急ぐ。助力してくれたクレアのおかげで、走るよりも遥かに速いスピードで家路を辿っていた。

暴風の音で耳は役に立たないが、目だけはしっかりと前を見据えて、それでも早くと気ばかりが急く。

ようやく家が捉えられる距離に入り、ティナはなんとか様子を見ようとその視線を鋭くする。けれどどんなに目を凝らしても、この距離ではまだその外壁すら充分に捉えることは難しかった。そのことに苛立ちにも似た焦燥が抑えきれずに胸に募った。


ティナを支える少年の腕が、前へ前へと身を乗り出そうとするティナの体を落とさないようにとぐっと力を強くした。そうして厳しい目で前方を見据えて

「…遅かったか」

と、小さな呟きを落とした。


抱き寄せられていたティナの耳は、すぐ傍で零されたその呟きを暴風の隙間から拾い上げる。

龍神の五感は人と比べようもないほどに鋭い。そんなことを思い出して、ティナは慌てて聞き返す。

「え!?遅かったってどういうこと!?」

クレアの服にぎゅっと皺と作りながら、精一杯首を伸ばしてティナはその顔を覗き込む。

「先手を打たれた」

 クレアの顔は険しく歪んでいた。不穏が胸を疼かせる。

「先手を打たれたってどういう―――」

 焦燥だけがどんどんと膨れ上がっていく中、乾いた口で問いを重ねようとした瞬間



 パリーンッ!!!



 突然、ガラスが割れるような破壊音が響いた。

 慌てて振り返ると、勢いにその腕から落ちそうになる。再度拘束がぐっと強くなり、目指す自宅が先ほどよりもかなり近くにあるのを視認する。


 道沿いにある窓が割られ、黒装束の男が背中を向けて飛び出してきていた。

 それは木の陰に飛び込んで、すぐに姿を隠してしまう。見えたのは一瞬だった。だから確信は持てない。けれど目の錯覚でなければ、男が誰かを抱き抱えていた気がして、ティナは木の向こうへと必死になって目を凝らす。


 ざあっと風が吹いて木の葉が揺れた。

 揺れる木の葉の隙間から、男の姿がチラチラと見え隠れする。そしてもう一人、やはり捉えられた人がいた。その首に刃物を突き付けられていて、まさに人質になっているようだった。

 二人はゆっくりと後退し、家から少しずつ離れていく。

 その間も男の目はずっと部屋の中を見つめ続けており、何かを話しているのが見えた。

 まるで家の中に人が居て、その人を警戒するように退路を探しているように見える。

  対峙しているのはイザベラだろうかと、居ても立っても居られなくなる。焦らされ、いっそ飛び出しそうになりながら、ティナはじりじりと後退する黒装束の男を固唾を飲んで注視した。


 クレアは男達に気付かれないように、風向きとその強さを変えていた。

 その為移動速度は段違いに落ちていた。勿体ぶるようにゆっくりと、けれど少しずつ確実に見える角度が大きくなって、やがては男の上空まで到着する。完全にその全身を捉えられる位置にきて、そしてすぐにティナは気付く。


 男が人質にしているその人こそが、イザベラだということに。


 瞬間、クレアの胸を力の限り押し返していた。

「は?」

 弾かれるように飛び出して、自然落下するままに二人へと急降下するティナの後ろから、クレアの乾いた声が遅れて聞こえた。


「イザベラお母様ー!!」

 大切で大切でどうにかなってしまいそうな愛おしい存在をその目に捉えた瞬間、ティナは最短速度でそこへ行くことしか考えられなかった。

 力の限りでその名を呼び、悪しき敵を退けるためにその身を投じる。

 時間にして極僅かの間である。時速で言えば百数十キロにも及ぶ速度で二人の間に飛び込んだティナの体が激突する瞬間


 ごおっ!!


 今度は目の前で爆発が起きたような激しい暴風が巻き上がった。

 ティナはぐうっとその風圧に呻き声をあげたのを最後に息も出来なくなる。

 天も地もわからないままにぐるぐると宙へと逆戻りして、けれど咄嗟に伸ばした手が、共に飛ばされたイザベラの腕を掴んでいた。繋いだ先から腕が千切れてしまいそうな凄まじい風圧に引っ張られ、吹き飛ばされそうになるイザベラをけれど絶対に放さない。

 ティナは必死にイザベラの体を引き寄せようとして、けれど次の豪風に、つないでいた手を弾かれる。

 あ、と思った時にはイザベラは遠くへと飛んで―――否、そのタイミングで暴風が突如消失した。

 球体を形取る風の壁に、ぶつかるようにしてその空間へ落ちる。

 風の防壁がティナとイザベラの周りを覆っていた。

 その外では暴風は未だその猛威を振るっていて、二人の周りだけが凪のように静かだった。


 それは、見たことのある光景だった。

 けれどそんなことに構っていられないティナは、目の前のイザベラを掻き抱くようにして抱き寄せる。

「お母様大丈夫!?怪我はしてない!?」

 イザベラは驚いてどう反応をしていいのかわからないように目を見開いていたが、ティナの声に肩を揺らせて、それからぎゅっと抱き返してくれた。

「…大丈夫。ちょっとびっくりしただけさ」

 いつもの優しい声に言い知れない程の安堵が込み上げて、揺れる視界がイザベラの顔を捉えた時、唐突に風壁が消えて二人はそのまま地面に落ちた。

 感動の再会はなんともお粗末に唐突に終わった。


 べちゃっと打ち付けた顔を押さえながら、なんとか体を起こしていると、その横にクレアが降りてくる。

「ありが…」

 その彼にお礼を言おうとしたティナは、ゴツン、と頭を殴られた。

 再びべちゃっと顔から地面に崩れ落ちたティナは、けれどすぐにがばっと顔を上げると

「何す――!!」

「こっの馬鹿!!!」

 非難しようとした声に被さるように罵られた。

 クレアは激情を隠そうともしないでティナを睨めつけ

「ほんと馬鹿!考えなしの馬鹿!後先考えられない馬鹿!感情のままに行動するしか能のない直情型馬鹿!!あんな高さから落ちたらどうなるかもわかんない馬鹿なの!?どうにかなると過信してるとしたら馬鹿以外の何物でもないからね馬鹿!まさか自分が超人だとでも思ったのかな?ああ馬鹿だほんと馬鹿信じられないほどにホント馬鹿!!!」

 馬鹿がゲシュタルト崩壊しそうなくらいに浴びせられて、ティナは目をパチパチと瞬かせる。

「わかってる!?俺が手を出さなかったら確実に意味なく無駄死にしてたんだってこと!どれだけ自分が馬鹿な事したかせめてちゃんと自覚しなよ馬鹿!!」

 クレアのこんな取り乱した姿なんて見たことがない。

 ティナはなんだか可笑しくなってきた。

「何笑ってんの?気持ち悪いだけだからやめてよね馬鹿。ティナはもう少し――」

「信じてたから」

 そしてクレアの顔を見つめる。憎しみしかなかったはずの顔が、今はなんだか愛しいものに見えるから不思議だ。

「は?」

 クレアは言葉を切られたことに苛立つように目を細める。

「クレアが、どうにかしてくれるって信じてたから。私はもう、クレアを信じることに決めたから。」

 にっこりと笑ってみせると、クレアは心底嫌そうな顔をした。

「…うまいこと言って、利用できると思わないでよね」

 そして口から出るのは可愛くない言葉なのだ。けれどなんだかそれすらも可愛い。

「利用なんてしないわ。私はクレアの味方だし、クレアも私の味方なだけ。私はクレアを助けるし、クレアも私を助けてくれる」

「ちょっと図々しいんじゃない?悪いけど、こんな気まぐれもうないからね」

「いいよ、それで。助けてほしいからを信じるわけじゃないし。今日は本当にありがとう。クレア、大好き」

 言えば言うほどクレアは嫌な顔をする。それが楽しくてティナはクスクス笑ってしまう。


 正直クレアのことなんて全然何も知らないけれど、信じるだなんて実は自殺行為じゃないかと思うけれど。

 けれど傘を差してあげたいと思ってしまった。イザベラのように、誰かを救える人になりたいと

 神様を救うだなんておこがましい感情を、ティナはクレアに抱いてしまった。



龍神の名前。噛む→笑われる→なんやねんこの早口言葉みたいな名前!→クレア呼びになる

っていうネタを大事に暖めてたのに勝手にクレア呼びになってしまった不思議。

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