小さく震える指導係と早すぎる復活
「あれ?ネルマじゃねえか。まだ帰ってなかったのか?」
事情聴取のために官職用の棟へと移ってきたネルマは、馴染みの騎士に声をかけられた。
交渉省に限らず騎士団出身の官吏はそれなりに居て、その関係で顔見知りも多い。例に漏れず騎士団で三年勤務していたネルマは、かつての同僚に疲れた顔で苦笑した。
「使用人の棟で、襲撃があったんだ。俺と、本当はもう一人一緒に襲われたんだけど震えて動けなくなってるから俺だけその説明に来た」
「襲撃!?なんだそりゃ穏やかじゃねえな。大丈夫だったんか?」
「まぁ、すぐに引いていったし。けど、追いかけたけど逃げられた。深追いしなかったのもあるけど」
「そうかよ、あー…。ってことは警戒態勢に入るんじゃねえか?やめてくれよ、また激務になっちまう」
「おう。身を粉にして働け騎士サマよ」
「うっせー」
久しぶりに会った仲間の顔に幾分か気分の上昇したネルマは、拳をぶつけ合って挨拶するとじゃあなとそこを後にした。
震えるリディに温かい紅茶を渡し、横に寄り添って手を握ると、彼女はぽつぽつと先程の出来事について話してくれた。
いくらか落ち着いてきた顔色にホッとしながらも、侵入者のことに頭を巡らせる。
目的のわからない危険人物は、またいつ王宮に現れるかも知れない上に、大切な人を襲った憎い相手だ。
捨て置くことなど出来そうもないと、ティナは眼力を強くする。
また来るのを待つよりは少しでも相手を追いかけたいと、先の少ない情報から考えられることはないかと聞いた話を何度も反芻して、その裏側にあるものは何かと思考を巡らせた。
黒装束の人物は、背の高さやその動きから男性ではないかと思われた。言葉を発したのはたったの一言だったが、異国の言葉ではなかったことからヴィルシュタット国民の可能性がある。国内でも地方によってイントネーションに違いがあり、それも判明すればかなり絞り混むことが出来るのだが、いかんせんたった3音の言葉だけでは難しく、そもそも言葉など知識さえあればどうとでもなると言ってしまえば、この仮定はもはや成立すらしない。
どうにも情報量が少な過ぎた。
黒装束の男、と仮定したとして、男の身のこなしは一朝一夕で習得できるようなものではなかった。
騎士を勤めていたネルマだからこそ渡り合えたものの、その手腕は素人とは思えない。特にリディの方にいた男に関しては、飛びかかってくるネルマの拳をトン、と手の甲を当てるだけで軌道をずらし、そのまま胸蔵を掴むとネルマの勢いもろとも見事な背負い投げを決めたのだとか。逆上して動きが単純になったとはいえ、敵ながら見事だと言わざるを得ない洗練された動きだったとネルマは悔しそうにしていた。
撤退の鮮やかさにおいても手練れそのもので、プロの犯行と言って遜色なかった。
人が来ることに勘づいた彼らは、同じタイミングで天井から投げ入れられたロープを掴み、よじ登ると言うよりは、引っ張りあげられるように天板の隙間へと身を滑り込ませた。外されていた天板はすぐに元の位置へと戻されて、注意深く聞かなければ聞き逃しそうな小さな足音が、素早く静寂に溶け込むように消えていった。ロープを投げ入れるのは簡単だが、引っ張りあげるには果たしてひとりの力で可能なのだろうか。足音は小さく人数の把握までは出来なかったが、とにかく犯行は3人以上で行われたと考えていいだろう。
真っ青になって恐怖に震えるリディを慰めていたネルマは、駆け戻ってきた勢いのままリディを抱き締めるティナの姿を確認するとすぐその後を追いかけた。しかし、すでに彼らの姿を捉えることは出来ず、僅かな足音で逃げた方角を探るのが精一杯であった。
引き際の良さと素早さと身のこなし。どれもが訓練もなしに習得出来るとは思えなかった。
プロの暗殺者、となれば気軽に誰もが雇える相手ではないと思う。それなりに裏に精通している、もしくはそうした知り合いなんかが居ない限りは難しく、かなりの金銭のやり取りが存在しているはずである。つまり、それらが可能な人物でなければ成立しない。
その点から考えれば、黒幕は貴族か、暗殺者本人かといったところか。
そしてその男達が残したたったひとつの言葉を取り上げれば、特定の誰かを探しているようだった。その目的ははっきりしないが、男達の様子をみれば、最悪暗殺の2文字が頭を掠める。
そもそもいくら使用人用の棟とはいえ、城門の内側に位置する宮殿内への侵入を許すなど国の威厳にも関わる大きな失態であり、それを成し遂げたとなると並大抵の相手だとは思えない。
さらに言えば、関連性の証明は出来ないが、もし最近の不可解な出来事が彼らの仕業であったとしたら、侵入された回数は一度や二度では済まなくなる。
いくら治安の良い国とはいえ、その治安の維持には絶対的な武力の存在が必要不可欠だという国の考え方もあり、だからこそそんなスカスカな警備をしているわけがなかった。
裏社会の秩序など詳しくは知らないが、どの世界でも実力のある者ほどより高額の報酬が必要となったり、ツテがなければ依頼すら繋ぐことができなかったりする。
つまり今回の出来事は、それだけ大きな何かが関わっている可能性が考えられた。
けれど、それほどに大事にしてまで攻める先が下女の控え室だという事情だけがぽっかり浮き上がるくらいに違和感を感じさせる。官僚の棟でもなく、王妃などの高位な方々の住まう後宮でもなく、王族やその側近の行き交う本殿でもない、だだの何のメリットもなさそうな城内で最下層に位置する下働きの行き交う棟であることが。
城内の見取り図を把握していないだけだろうか。けれどこんな、熟練した裏社会の人間がそんなお粗末なことをするだろうか。
目的の見えない動きはただそれだけで気味が悪い。ティナは陰鬱に胸のあたりが重くなるのをどうにも止めることができなかった。
「………せない」
ふと、小さなリディの声を耳が拾った。
見ると先程まで震えていたリディは、肩をより大きく揺らしながら小さな手をぐっと爪が食い込むほどに握りしめている。
「こんな、訳もわからず黙って震えているなんて私らしいと言えるかしら?」
その声は誰に向けられたものでもない、自身に問いかけるような類いのものに聞こえた。
「ねえ、ティナ」
否、すぐにその矛先が、自身に向けられているものだと気付いた。
ティナはびくりと肩を震わせる。嫌な予感しかしない。
「私の武器って何かしら?」
その声はいつものハツラツとしたものではなく、地を這うようなドスの効いたものである。
「えっと、うん?…武器?」
困惑してどう返事をしたらいいのかよくわからない。
「そう。武器」
間髪入れずに返される言葉。返事など本当は求めていないのかもしれないとティナは思った。炎を纏う据わりきったその目はティナのことなど写していなかったのだから。
「私の情報網を甘くみないことね!絶対にあいつらの正体を突き止めてやるんだから!」
握っていた手を更にきつく結びながら、熱く宣言するリディを見て、これ巻き込まれるやつだ、ともうそろそろ仲良くなってきた諦めにも似た感情とけれど確かな安堵を胸に、ティナは小さく息を吐いた。
ブクマ、感想、評価、誤字報告ありがとうございます。
誤字の多さに猛省しました。気を付けてるつもりでしたが全然でした。
以後気を付けます。ありがとうございました。




