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着々と埋められる外堀

 後宮とは、いわば王の花嫁候補の巣窟である。

 すでに王妃が殿下を無事出産され何年も経つが、未だ王は後宮を訪れ他の令嬢とも逢瀬を重ねていた。

 そこに住まう誰もが、王の寵愛を求め、己を磨き、飾り立て、愛しい人の来訪を待つ。

 肩を並べる女は全てが蹴落とすべき敵であり、権威による後宮独自のヒエラルキーと、それをも覆す王と過ごす濃厚な時間の長さこそがすべてといえる。

 空いた側室の席を虎視眈々と狙う女豹の群れが手を変え品を変え、己の美を高め続けていた。


 けれど彼女たちのターゲットは、何も王だけとは限らない。

 何故ならいずれその爵位を継承する、王子もその対象であるのだから。


 本来、王の為の後宮で他者との関係は不貞とみなされ刑に処される。

 けれどヴィルシュタット王国では、後宮は王妃や側室を省き、王位と共に継承される対象となるのだ。

 もちろん王位を継ぐその王子が、改めたいとすればそのようにされ、好みの令嬢が居れば残されることもある。つまり王子のお眼鏡にかなえば、そこに第二の王妃の道が開けているかもしれないのだ。


 本戦では敗色の濃厚な令嬢たちは、先手必勝とばかりに水面下で第二ラウンドの鐘をすでに鳴らしている。

 つまり自分のしてしまったことは、



 どう贔屓目に見ても、最低最悪の選択肢に他ならない訳である。





「ミクトラントリ第一王子殿下。」

 移動中なんとかフリーズの溶けたティナが、慌てて手を引く相手の名前を呼ぶと、ハルは眉根を寄せて顔をしかめた。

「私は、肩書きを持ち出すのが嫌いでね。公式の場ならともかく、今は私をよく理解する身内の者しかいない。堅苦しい呼び方はやめてくれないか」

 よりにもよってなんと恐ろしい事をいうのか。しかもこんな、どこで誰が聞いてるかもわからない宮殿の一角で。思わず青ざめる私に

「もうここは一般の立ち入りを許していない私のプライベートエリアに入っている。心配しなくていい」

 と心配しかないことを言ってきた。そんなとこに一般人を連れてくるな。

「帰ります。手を離して下さい」

「大人しく着いてきたまえ。その服では風邪を引く」

「ミクトラントぶっ」

 もう一度名前を呼ぼうとすると、人差し指で唇を押さえられた。静かに、とジェスチャーするように。

「…それでは、なんとお呼びすれば?」

 憮然とした表情で仕方なくそう尋ねる。

「さっきも言っただろう。ハルと、そう愛称で呼んで欲しい」

 けれどやっぱり聞き流せない返答に、今度はティナが顔をしかめる。

「私は貴殿を、そのように気安くお名前でお呼びしてしまった事など一度もなかったように存じますが、記憶違いでございましょうか?いつも愛称でお呼びさせていただいているなどと、大嘘も良いとこ」

「その話し方も止めてくれ。今日からそう呼んでくれたらそれはただの真実になる」

「それを詐欺ペテンというのです。どうかご容赦を。…殿下」

 なんと呼べばいいのか結局着地点のわからないまま呼び掛けると、彼は立ち止まって綺麗な笑顔をティナに向けた。

「ティナ嬢は本当に強情だね。うむ、それではこうしよう」

 そうして言うが早いかその笑顔をうっとりするような艶のあるものに変えると、繋いでいた手をぐっと引いて、ティナを腕へと閉じ込める。

「へっ?」

 訳がわからず目を白黒させるティナの顎を、すらりと長い指がそっと持ち上げる。自然と上向く視線の先に、ハルの透けるような碧眼が映った。そして微笑むように、すっと細められるその目を呆然と見ていると、少し掠れた低音が耳をくすぐった。

「今後公以外の場で敬語や私の意に沿わない呼称を使ったら、ペナルティをつけることにしよう。なに、痛いことはしない。愛を囁くだけだ」

 けれど紡がれる言葉の内容は決して甘いものではなかった。少なくとも、ティナにとっては。

 あまりの衝撃に一気に青ざめるティナに

「今は赤くなるところだよ。本当にティナ嬢は面白い」

 ハルは愉快な笑みを向けるだけだ。

 自分が何を弱点としているのか。もしかしたらこの人は私より熟知しているのかもしれない。

 絶望に染まるティナが、これまでの抵抗が嘘のように白旗を上げるのは早かった。







 そうしてどこかの一室へと誘導される。ハルはいつもの調子のうさんくさい笑顔で人払いをした後、侍女だけは着替えを持ってくるようにと呼び止めていた。その隙にティナはさっさと部屋の隅へと避難して、ハルとの距離を最大限に開けた。一人残った専属侍女は、そんなティナのことなど気にも止めずに紅茶の用意を始めていた。



「…ねぇ。どうしてよりにもよってあそこであんなことを言ってしまったの?」

 蹲りシクシクと涙を流していたティナは、消え入るような声でそう聞いた。後宮は公の場ではないだろうか。

 優雅に紅茶を嗜んでいたハルは、そんな彼女に影一つない笑顔を向ける。

「私は私の思ったことをそのまま口にしただけだ。ティナ嬢に殿下などと呼ばれるのはなんともむず痒くてね。それより紅茶を飲まないか?せっかくビアンカが入れてくれたのに、冷めてしまう」

 狸がまともな口を利くと思った私が間違っていた。

 あそこで私を陥れることこそが目的だったんだろうか。官職試験を断ったからか、嫌われたものである。

「なんて酷い仕打ち…。次後宮へ一歩でも足を踏み入れたら、生きて出て来れない気がする…」

 精神的に極限に居たティナは、あの時の令嬢達の表情を思い出せもしないが、それは恐ろしいものだっただに違いない。想像したくもないが、これまで飛んできた水差しやお皿など床を汚していただけのそれが、今度は殺傷力の高い鋭利な刃物なんかに変貌を遂げ、直接自分に向かって飛んでくるのではないだろうか。もちろん比喩ではない、実態のあるそれで。

 青ざめた顔を更に白くするティナだが、それを聞いたハルは「心配なら私が彼女たちに話をしておこうか?」などとふざけたことを言い出してきたので、ティナこそ本気で殺意が湧いた。お前女の嫉妬舐めんなよ!


「やんごとない狸が憎い。お願いだから私の事は忘れて。必要なら頭を叩き割るから。お願い」

 それこそ極刑なことを言いながら、涙に濡れる目で金槌を探すティナの髪を一房掬い上げると

「本当につれないね。私達は密室で身を寄せ合った仲だというのに」

 ハルはまた甘い声を出す。

 どんなに甘いマスクで甘い言葉を吐こうと完全に敵認定した相手にはときめきも何もないティナは、契約違反だと白けた視線で彼を見る。

 ハルはペナルティ以外でしないとは一言も言っていないよという顔で、意にも返さずにこりと笑う。

「…馬車で拉致されただけよね。二人きりでもないし、何ならその後ラウリニス侯爵夫人とのイチャコラを見せつけられただけだし」

「熱い視線を交わしただろう。」

「いえ全く。身に覚えがなさすぎて困惑しかない」

「今から愛を語ろうか?」

「官職試験を受けろっていう愛ならお腹いっぱいだけど」

「よくわかったね。さすがティナ嬢は聡明だ。ちょうど下女の仕事も楽しくなくなってきただろう」

「それが狙いかお前!!」


 さっさと手の内を晒してきた相手が憎い。

 とはいえ今から後宮の掃除に帰る勇気はなかった。さっきからギロリと向けられる侍女の鋭い視線に更に居心地を悪くしたティナは、濡れた服の着替えが到着した後さっさとお化け騒ぎの現場へ戻ることにした。








 一方下女控え室では、リディの身を切り裂くような容赦のない話題に疲れきったネルマがぐったりと項垂れていた。

「いい加減、この腐れ縁切れないかな…」

「私ほどネルマのことを理解している女性なんていないわよ?お互い気心も知れてるし、気を遣うこともないし、美人だし。相性最高だと思わない?」

「ああ、うん。もうなんでもよくなってきた。仕事ぶっ続けで日勤した方が楽だったわ。マジで」

「そんな事言ってるから彼女に振られるのよ」

「お前はほんっと塩塗るなぁ!」

 あまりに仲良く話している二人に、部屋に入るのを戸惑いながら、ティナはちっとも進んでない(むしろ水溜まりすらできている )仕事をなんとか手伝ってもらわなければと教育係のリディに声をかけるべくタイミングを見計らっていた。

 喧嘩ップルですかご馳走さま、と二人の関係を推測する馬に蹴られたくないティナは、入りづらい部屋の扉を少しだけ開けて顔だけを覗かせて様子を伺っている。

 けれどいつまでも訪れそうにないタイミングに、これはもう勢いよくドアを開けて話をぶった切った方がいいかもしれない、とドアノブを持つ手に力を入れた。その時


 ガタガタガタッ


 突然、大きな音をたてて、椅子ごと二人がひっくり返った。


 驚いたティナはドアノブを握った体制のまま、動きを止める。

 その小さな隙間から、むぐっ、とくぐもった悲鳴が聞こえ、リディが驚愕に見開く目で何かを凝視しているのが見えた。それから、その口を誰かの手が塞いでいるのに気付く。

「らあっ!」

 リディが、急に現れた黒装束の者に口を塞がれながら、椅子ごと倒されたのだと頭が理解した時には、ネルマの叩きつけるような発声と、遅れてドスン!という重い物が落ちたような音が響いた。

 リディから視線をはずすと、ネルマが見下ろす先に、同じように黒装束を着込んだ者が座り込んでいるのが見えた。横には先程までネルマが座っていた椅子が転がっていて、リディと同じように奇襲をかけられたのかと混乱した頭で推測する。

 座り込んだ黒装束の者は、チッと舌打ちするとバク転の要領で後退し、着地と同時に床を蹴ってネルマの方へと飛び出してきた。その手に光るものを認めて、思わずティナは息を飲む。対峙するネルマは冷静にもナイフから目を離すことなく、机においてあった花瓶を払うように黒装束へと投げつけた。突き出されんとするナイフごと、花瓶は見事命中し、がしゃんっと音をたてて割れたのを認識する刹那の間にも、軌道がずらされるままそのナイフは振り下ろされた。けれどそこに先ほどまでいたネルマの姿がない。否、身を屈めることで背を低くしたネルマは、振り下ろされるナイフよりも下方から、相手の懐に飛び込んでいた。肘を突き出したまま体当たりをして相手を押し飛ばす。肘が黒装束の腹を押し上げた時、

「違う」

 リディを押さえてる方の黒装束が声をあげた。

 ぐっと呻き声をあげて後方へと飛んでいく相手を追うべく、前のめりになったネルマは、けれど飛び出さずに声の方へと視線を投げた。そして目を見開く。

 リディはうつ伏せに倒れ混み、その上に乗る黒装束がその両手を拘束していた。髪を引っ張られることで頭が仰け反り、露わになる顔を覗き込んだ黒装束が、先の声を出したようだった。


「お、まえっ!!」

 その姿を視認したネルマが怒声を吐くと同時に重心の位置を変え飛び出した。がしゃん、と音が鳴ったその時

 

「なにがあった!?」

「どうした!?」


 ティナの後方から複数の声がした。

 騒ぎを聞き付けた憲兵が確かめに来てくれたのかもしれない。

 はっと我に返ったティナは、声の方へと無我夢中で走り出し、角で彼らとぶつかりながらも下女控え室だと憲兵を誘導した。




 果たして憲兵がかけつけた時には、黒装束の二人の姿はどこにもなかった。



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