一難去らずにまた一難
王宮には様々な人種の者が務めており、それらはすべて、身分も業務も待遇も異なる。
中でも下女は低い身分にあり、仕事量が多く、待遇も悪かった。
王宮という狭い空間で、腹を探り合い、多忙な業務に追われ、理不尽な権力に屈辱的な扱いを受ける者たちにとって、より下位に位置する彼女達はストレス発散の対象であり、嫌がらせや差別を受けることも日常的にあった。それに悲観する者は王宮を去り、残った強者は気にも留めない。
ティナには仕事を捨てられない大きな理由があったが、性格的な理由でも後者に該当し、前世の記憶のおかげか価値観の変わった今では、元王女のプライドなど取るに足りないものであり、むしろ第一王子の婚約者となり冷遇される未来を思えば、小さな嫌がらせなどほんの些事であるといえた。
つまり何が言いたいかといえば、ティナは下女であり続けることに何の不満もなかったのである。
「今回の視察にあたり、下女という身分では所属を変えることすら難しいのだよ」
けれど目の前の男は辛抱強く再度説明を繰り返した。色素の薄い金髪に緑色寄りの碧眼を持つその男は、その美貌すら利用する、強かで周囲を翻弄する食わせ者である。ティナは用心深く彼を見た。
「変えなくていい。行かないから」
「どこかの貴族に養子入りするとか嫁入りするとか功績を上げろだとか、ややこしい事をいう訳ではない。もっと簡単に身分を上げる方法がある」
「お気遣いなく。今の生活が守れたならそれで充分に私は幸せなわけだし」
「…本当に視察に同行する気かね。これ以上の抵抗は首を絞めるだけだと賢明なティナ嬢ならわかっているだろう」
ため息交じりにそんなことを言われるとぐうの音も出ないティナである。けれど意固地だと言われようと抵抗をやめる気にはならなかった。回避する選択肢ってたったのひとつもないんですかね。
「私は権力をひけらかして人を従わすのが嫌いでね。それが私自身の力とは思わないからだ。だが、裏を返せば権力行使でどうとでも出来ることは否定しない。私としては非常に不本意ではあるが、そういった手段もあることを念頭に置いて考えてほしい」
それをただの脅しという。
そして遠回しに権力をちらつかせるのも遠慮して欲しい。自身の頭の中で、ひらがな表記から漢字変換はけしてされない不穏な三文字がちらつくのを必死でかき消すティナである。
とは言うものの、呼びだされた部屋といい、ドアの向こうに控える騎士の数といい、そろそろ逃避できない現実が彼の身分を証明していた。
どうしてこんなことになってしまったのか。
慎重にこっそり目立たずに生きてきたはずの身としては納得できない現状にティナは溜息を深くした。
差し出された紙にもう一度目を通す。
そこには官職採用試験の見出しで、受験資格や受験日、規定などが記されていた。
「私、官吏になるつもりなんてこれっぽっちもないんだけど」
「ほう。それは何故?」
「下女が良いからよ。今の環境で今の割り当てのまま今まで通りにこの仕事に従事したいから。」
にべもなく断るが、ふとそういえばと疑問が浮かぶ。
「っていうか、今更なんだけど私王宮の下女をしているっていつ言ったのかしら?」
対する相手はにっこり笑ったまま悪びれもせずにこんなことを言うのだ。
「ふむ。ティナ嬢からは聞いたことがないね。」
どきっぱりと告げる相手に思わず半眼となるティナである。
そもそも、冷静になってよく考えてみれば、辻褄が合わない事が出てくるのだ。
名前以外の個人情報を何一つ出していなかったのに、ハルは”下女であるティナ嬢”が、クレアとどこで知り合うことができたのか?と聞いた。そして、帰路に着いた馬車は何の疑いもなく王宮へと戻ってきた。
彼は、すでにティナのことを知っていたのだ。けれど、どうして。
クレアが気まぐれに話したのか、それとも何らかの思惑があって本人が調べたのか。
高貴な身分である彼が、一体どんな事情があればしがない下女の情報を欲しがるというのか。ティナにはわからなかった。
けれど、これを馬鹿正直に問うことが果たして正解かは判断できずにいた。
藪を突いて飛び出すものは最悪毒すら持ちうる生き物なのだ。
もごもごと口ごもり話の方向を決めかねていると、沈黙したティナの心情を見透かすようにハルは笑う。
「官吏ともなれば、今と比べて与えられる権利も環境も違ってくる。仕事内容はがらりと変わるが、自由時間は増えるだろう。与えられる部屋だって立派になるし、給金だって上がる。悪い話ではないと思うがね。受験料は確かに安いものではないが、こちらからお願いしている身としては、負担するのはやぶさかではない。ティナ嬢はただ、試験を受けるだけでいいのだよ。簡単なことだろう」
「私は、今の仲間と今の仕事内容が良いの。大体、そんな試験受けたところで受かるわけがないし」
「おや?どうして?」
「どうしてって…。私平民よ?そんな教養あるわけないじゃない」
「それはおかしい。下女用の採用試験ではこちらの思惑以上に完璧な回答ばかりしていたじゃないか」
そう言って彼はぺらりと一枚の紙をちらつかせる。まさかそれ、と青ざめるのはティナである。
「ちょ、それ、一体どうしてハルが持ってるのよ!?」
「国に提出した書類を何故私が持っていないと思うのかね。さて、試験についての対策も練っておこうか」
「お断りよ!私は善良な一般市民なのにどうして皆してややこしい国のいざこざに巻き込もうとするの!」
「もうすでに大波に巻き込まれたようなものじゃないか。諦めも肝心だよ」
「断固拒否します!」
話は永遠に平行線だ。相手が身分を持ち出した瞬間終わる平行線ではあるが。
彼は困ったように溜め息を吐く。
「試験までまだ期間もある。王族権限でギリギリまで受験資格の取得を伸ばすことも可能だ。私は賢明なティナ嬢のことを信頼しているよ」
少し頭を冷やして再考してくれ、とハルは私に退室を許す。不穏な単語がまた出なかったか、とげんなり思考を打ち消しながら、不毛な話し合いに疲れてさっさと退室しようとするティナの耳に
「まぁ、そのうち頭を下げてでも受験したくなるようになる」
不穏な捨て台詞が届くが、過ぎる嫌な予感を振り払うように、ティナはそのドアを大急ぎで閉めた。
昼休憩となりリディと一緒に食堂へ入ると、もうお昼時を過ぎたためか、いつもは声すら聞き取り難くなる程喧噪で溢れかえっている食堂は、いくらか落ち着きを取り戻し始めていた。
「あれ?ローゼ達も今お昼?」
それでもまだ人は多い。トレーを持って席を探していると、先に座っていた下女仲間の三人を見つけた。横を譲ってもらい共に食卓を囲むと三人は話を再開させる。
「最近多いのよね。なんだか不気味でしょう?」
「お化けってこと?でも昼間とかにもあるんでしょ?」
ティナとリディは顔を見合わせる。
「一体なんの話?」
「お化けなんて噂は聞かないけど…」
聞くと下女仲間の一人であるローゼが、最近おかしなことがあるのだと困ったように眉を下げる。どうおかしいのか尋ねれば、些細な事ばかりなんだけれど、と溜め息をひとつ零す。
順を追って聞けば、ローゼ達は口々に話し始めた。
朝出勤したら、昨日置いていたはずの衣類がごっそりなくなっていた。慌てて探すと、何故か汚れた状態で部屋の外で見つかった。
裁縫道具を取りに少し退室していた間に椅子の位置が変わっていた。それ一回だけなら勘違いかと思うが、似たような事が何回かあり、酷い時には引き出しが全部開いてるなんてこともあった。けれど何かがなくなったわけでもなく、物取りの線は薄い。
物が壊れていることがある。それは、花瓶であったり、休憩用のマグカップであったり。
人的被害はなく、上に相談するには躊躇うようなことばかりで、犯人がいるにしては動機がどうにもわからない。下女である彼女たちにとって嫌がらせは日常茶飯事であったが、それでもこんなことはここ最近までは一切なかった。傍で見張っていないと犯行に及べないような短時間の間に起きることも何度かあり、人的な嫌がらせなのすら判断しきれない、等々。
「怖いっちゃ怖いんだけど、風とか勘違いとか思い込みとか、他に原因があるって言われたらそうかもってなるくらいのことばっかりなのよね」
「だけど、ここ3日前くらいから急に起き出したことだし、変だと思うよ」
「でも、目撃者もバラバラで、誰かが狙われたとかってわけでもないし」
「ってなると、やっぱりあれじゃない?怪異ってやつ?」
「なんなんだろうねー?」
下女の仕事に復帰してから、担当が後宮の掃除ばかりでここ何日かはこちらの宮殿にはほとんど出入りしていなかったティナとリディにとって寝耳に水の話である。
「ええ!?真相究明しなきゃじゃない!」
ウキウキとそんな声が聞こえる。
ちらりと、好奇心旺盛なリディが俄然やる気になって握り拳を作っているのを横目で見ながら、これ巻き込まれる流れだと、今までの経験が耳打ちする。
やっかいごとばかりが群を成してやってくる。溢れる溜め息をご飯と一緒に飲み込むティナだった。




