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歩く理不尽と素直な後輩

 セリウスには苦手な人間がいる。

 私利私欲に金を貪る支配者。保身に隠蔽を繰り返す重鎮。権力を笠に着る無能な二世。傀儡と化した志なき弱者。

 どれもこれもが蔑む対象で、けれど何故か国の中核に近付けば近付くほどそれらは増加した。

 出世と共に増える煩わしさに辟易としていたが、けれど彼は生きるのに不器用な人間ではなかった。

 彼らを前にしても露骨に態度を悪くもしなければ、ヘラリと笑って悪意をかわす術も持っている。


 しかし、そういった人種には通用する処世術が、まったく役に立たない時があった。

 うさんくさい、食えない上司と関わる時。

 あとは、今のように


 何を考えてるのかまったくわからない生意気で腹黒なチビが、基本接点のない自分に関わろうとしている時である。







 一枚の書類に目を落として、まだ幼さの残るあどけない顔をした男が目の前に鎮座していた。

 青銀色の髪が、さらりと落ちてその顔を隠す隙間から愉快そうに光を反射させる瞳が覗いていた。けれどそれとは対照的に、俯かせる顔には暗い影が射している。

「やあ。おはよう」

 呆気にとられるまま立ち尽くすセリウスには一瞥もくれないまま、平坦な声が淡々と放たれた。



 朝出勤したら自分の机に、普段は近付きもしない(むしろこちらから遠ざかりたい)相手が座っていた。

 不遜な態度で足を組み、尻の下には昨日残業して仕上げた、ミミズが這ったような残念な文字が羅列された書類が皺を作って挟まっていた。


「…おはようございます」

 とりあえず挨拶を返してみる。

 けれどクレアは書類をペラリと捲っただけで、特に反応は返さなかった。そして沈黙。


 一体何でこの人ここにいるんだ、と心中で思わず突っ込むが、この人の行動の真意など知れた試しなどない。考えるだけ無駄である。

 しばらく様子をみようかとも思ったが、昨日間に合わず残った仕事を処理するためにいつもよりかなり早めの出勤を余儀なくされた身としては早々に業務を開始したい。

 仕方なく、机から降りてもらおうと口を開いたタイミングで

「昨日の話、聞いてなかったなと思ってね」

 書類に落としていたはずの視線がセリウスへと向けられていた。見上げる形で合わされた目は、底冷えのする鋭さでセリウスを刺した。


 ぎゃあ!と思わず声にならない悲鳴をあげる。

「ティナがお世話になったでしょ?俺も一応あれの保護者だからさ。何があったかキチンと知っておかなきゃと思って」

 ニタリ、と笑う顔はその美形を台無しにするような気味の悪いものだった。チビのくせにむやみやたらと迫力が凄い。回れ右したくなる体をどうにか叱咤して、セリウスはそこに踏みとどまった。


「ええと…何があったかと言いますと、そんな大したこともなかったといいますか…」

 しどろもどろに答えるセリウスは目を泳がせながら逃げ道を探す。

「後でティナにも確認する予定だから、ちゃんと嘘偽りなく答えといた方が身のためだよ」

「魔法石の秘密事項に抵触する事柄が伝わってしまった為に口封じの必要があると判断して行動しました!」

「…は?」

 セリウスが無駄な抵抗を一瞬で諦めて簡潔に報告すると、地を這うような声がした。

 けれど、声が発したのはたったの一音だけだ。聞き間違えかもしれない。

 背中を伝う恐怖を希望的推測で払拭しようとしつつ、チラリとクレアを伺うと、彼は塵でも見ているかのような侮蔑の眼差しで見返していた。


 思わず再び悲鳴が出そうになったが、さすがに非合法諜報員を生業としている身としてそんな情けない事はできないと、セリウスはぐっと腹に力をいれて、歯を食いしばる。

「口封じってどうやってやるの?」

 けれど相手は攻撃の手を緩めない。

「喉を潰す?死ぬ程の恐怖を与えて逆らえないようにする?ドラッグなんかで廃人にしてしまう方法もあるよね。それとも単純に殺すとかかな?」

 まさにこれから自分がそれをされるんじゃないだろうかと思う程の殺気をビシビシと感じながら、セリウスは生唾を飲む。

「いや、じょ、冗談だったんすよ。本当は殺す気なんてこれっぽっちもなかったんすけど。ティナがどう取ったかはわかんなーー」

 ベキッと鈍い音がして机の一部がへっこんだ。突然の異音に肩が粟立ち動揺した心臓が早鐘を打つ。

 クレアは先程の姿勢から少しも動いていない。原因不明の怪現象に危機感が膨れ上がり、流れる汗の量が一気に増えるが、どれだけ注意深く観察してもクレアの発生させた小さく圧縮された風がその机を凹ませたのだと知ることは出来なかった。

「へえ?」

「…………いや、あの………」

「ティナは両手の爪はポロポロで、後は全身打ち身とかアザだらけだった。落ちたって言ってたし、その時についたんだろうね。」

「あ、そうみたいっすね。俺ちょうど報告に行ってて離れてたタイミングで落ちたみたいで…」

「けど、イレギュラーな傷があったの知ってる?」

「……へ?」

 思わず笑顔のまま固まってしまうセリウスである。

「頬と、首に切り傷。腕の銃創はあの男たちがつけたものだとして、どうして刃物で裂いたような鋭利な傷がついたんだと思う?」

「………え、ええと」

なんでそんな細かいところまで見てるんだ、と浮かぶ悪態をけれども音にすることなど出来るはずもない。

「何度も同じ事を繰り返すのは好きじゃないんだけどね。もう一回だけ言うよ?」

 クレアは底冷えのする笑みをそっと消す。

「ちゃんと、嘘偽りなく答えといた方が身のためだよ」


 セリウスは昨日徹夜になろうとも、己の持てる最高速度で速やかに書類を提出して、全力で回避行動を取らなかった自分を悔いた。

 ベコッと大きな音を立てて、今度は床がめり込んだ。


 セリウスの長い一日はまだ始まったばかりである。








「ええ!?その腕どうしたんですかアムルピオス外交官!!」

 突然声をかけられて振り返ると、そこに居たのは部下のネルマだった。

 ネルマは目をまんまるにしてセリウスの右腕を見ている。何に驚いたのかと視線を追えば、巻いていた包帯に血がじんわりと滲んでいる。

 まだ完全に止血できてないのか、と溜め息を付けばこの傷が出来た過程が嫌でも頭をよぎる。


「あぁ、なんでもねぇよ。ちょっとな」

 誰とは言わないが、オブラートを何重にも包んで伝えたにも関わらず、その事実がさぞ気にくわなかったご様子の腹黒が、冷酷な笑顔で手元が狂ったとうそぶいてかまいたちをぶっ放したのだ。付け加えるならば、実は傷はこのひとつだけではない。

 これだから常識外れのチビには関わりたくねえんだと陰鬱にぼやくセリウスだが、事情の知らないネルマは不思議そうに首を捻るばかりだった。


「今回はお早いお帰りでしたね」

 始業時間も過ぎて、セリウスとネルマは肩を並べて仕事を開始する。デスクが見えなくなるくらいの書類の山を一枚一枚処理しながら、ふとネルマが心なしか嬉しそうなのに気付いた。

 仕事が大好きで仕方がないタイプではないから、もしかしたらセリウスの帰還を喜んでくれているのかもしれない。そう思うと地を這っていたテンションが少し浮上した。素直な部下は単純に可愛い。あんな捻くれた上司ばかりを相手した後となればなおさらである。

「ちょっとイレギュラーな乱入があってな。バタバタはしたが、おかげで早く済んだんだ。」

「そうなんですね。俺は視察なんて大役まだ任されたこともないので、早くアムルピオス外交官のように一人前になりたいです。」

「いや、俺なんてまだまだだって。…なぁ、前から言ってっけど、その呼び方長ったらしくて面倒だろ?セリウスでいいぞ」

「は!?いや、いやいやいや!俺なんかがアムルピオス外交官を名前呼びするなんておこがましいですよ!勘弁して下さい」

「うーん、堅っ苦しいんだよな。じゃあなんかあだ名とか」

「あだ名って…ふざけないで下さい!余計に恐れ多くなってるじゃないですか!」

「ははっ。そうかよ。じゃあ、年上ってことで先輩でいいだろ。」

「へ?アムルピオス先輩ですか?」

「いや、それ変わんなくねえか?普通にただの先輩でいいだろ」

「ええ?」

「だってセリウス先輩は無理なんだろ?」

「うーん。まぁ、そうですね。」


 下らない軽口を叩きながら、それでも手は淀みなく仕事をする。ひとつの束が終わったところで紐で纏めて机の端に投げた。すぐに次の書類に取り掛かろうと目を向けると、これは他部署に回す必要がありそうだった。思わず顔をしかめながら、斜めに読み進める。


「ならこうしようや。今からこの書類を捌く間にネルマが今抱えてる書類を終わらせたらアムルピオス外交官のまま。俺が先に書類の処理を終えたら先輩ってことで」

「へ?いや、自分書類処理はまだまだ不慣れでですね」

「ネルマ、お前配属されてどんだけ経ったと思ってんだ。いくら視察や接待が多いからって手慣れてない訳ないだろ。俺のは他部署の印が必要な書類だし、十分ハンデになるんじゃねえか」

「え?どこの部署ですか?」

「徴税省」

「すぐそこじゃないですか」

「だけどいったん席を外さなきゃいけねえ分時間がかかるだろ」

「そりゃそうですけど」

「そいじゃ、よーいどん」

「ええ!?」


こうして戦いの火蓋は切られたのだった。






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