虎子はいらないのに虎穴に放り込まれます
それからも私達の一問一答は続いた。
「さっきから気になってたんだけど、今ここって馬車の中よね?疑ってもないんだけど、万が一があってもいけないと思って、いやほんとただの確認なんだけど。…この馬車、もちろんきちんと王都に戻っているのよね?」
「確かに馬車で移動中だが、行先はラウリニス侯爵家だ。ちょうど先程アポが取れたものでね。ティナ嬢たちが集めてくれた情報からある程度の悪事の予想はついたが、証拠が弱くてね。これからそれを探しにいくところだよ。あぁ、途中で寄り道をするからその時休憩も取れる。安心したまえ」
「はっ!?」
「次は私の番だな。ティナ嬢は下女をしていると言っていたが、淑女教育など受けた経験はあるだろうか?」
「へ?そんなのあるわけない…」
「実は今から貴族令嬢に成りすましてもらわなくてはいけなくてね。ヘーメヴァン伯爵令嬢にお願いしようかと思ったんだが、彼女をこんな危険に巻き込むのはご両親に申し訳が立たないし、君を置いていこうとしたらクレアが残ると言い出してね」
「そもそも俺はラウリニス侯爵には露ほどの興味もないしね。行く必要ないじゃん」
「仕方なく、ティナ嬢にご同行願ったわけだ。それにクレアは君なら貴族令嬢の真似事も出来ると言っていてね。」
「は?何、結局私が巻き込まれてるのはチャルチシュヴァラ卿が原因だってこと!?無理だし!貴族令嬢とか出来っこないしましてやそんなよくわからない侯爵家私の方がよっぽど興味ない!!」
「乗りかかって船だと思わないかね?それに君はもはや一般人ではいられない、とても重要な機密を知ってしまったからね。このまま逃げ出せば手配書が街を埋め尽くすだろう。私はお勧めしないが」
「~~~~っ!!!」
「さて、お手並み拝見と行こうか、ご令嬢。まずは挨拶の仕方から見せてくれ」
青ざめる私に「ああ、そういえば。」と付け足すように呟く声。
「私の自己紹介をしていなかったな。聞かなくてもいいのかね?」
にっこり笑う男に全力で私は首を横に振った。
こうしてセリウスの家へと到着した馬車は、湯浴み、簡単な手当て、何年振りかのドレスの着付け、更には簡単なレクチャーを受けさせられるまでそこで停留した。
戦後一度も袖を通したことのないドレスだが、不思議なもので袖を通すだけでタイムスリップしたようにあの頃の記憶を呼び覚ます。幼いころに毎日施された教育は、まるで息づくように私の中にあったのだ。
すっと伸ばした背中に、力を入れずそっと添えるだけの手。
人形のように表情を消した顔は、化粧が施され長い睫が影を落とす。それが余計に人間らしさを消していて、ぞっとするような美しさを醸し出していた。
体幹を体の中心に保つように意識し、まるで頭の上から足の先まで一本の棒が通ったように真っすぐと立つ。触れることすら躊躇する気高さで、けれどけして尊大にはならない暖かさを持つ目が前を見据える。
それはどこからどうみても平民のものではなかった。
「……誰だお前」
思わず突っ込みを入れるセリウスに、けれどティナは一瞥をくれるだけだ。
そうして頭の位置を揺らすことなく、完璧な歩行で馬車へ向かう。
乗り込む際にクレアがエスコートしてくれようと手を出したが、綺麗に無視してパニエを持ち上げると、段差を一段ずつ危なげなく昇った。
所帯なさげに手をプラプラと振るクレアは、それでも面白そうににやにやと笑って私を見送る。
そんなクレアにうんざりするが、おくびにも出さず馬車に乗り込めば、驚いたようにクレアを見つめるハルの顔だけが残った。
「さて。それでは作戦会議といこうか」
馬車が侯爵家へと走り出してすぐ、ハルは畳まれた紙を大きく広げた。
「これが、侯爵家の見取り図だ。見終わったら燃やすから、今頭に叩き込んでおいてくれ。まず私達は客間に案内されるだろう。そこでラウリニス侯爵夫人が相手をしてくれるはずだ。今夜は侯爵は用事で外へ出て帰らない。私は以前夫人とお茶を共にしたことがあってね。その茶葉が気に入ったからぜひ見せてほしいとお願いすると、ぜひこの日にと招待状を頂いたのだよ。ああ、このことは内密にと先方のご希望だ。」
覚えておいてくれ、とハルは飄々と告げる。
侯爵の居ない、しかも夜に誘うだなんて。とても良識ある行動とは思えない。
それに乗る方も乗る方だと呆れて彼を見るが、子は親に似るというし、セリウスの上司だという彼も目的のためならば手段を択ばない部類なんだろうと、結局何も言わずに口を噤んだ。
いくら良識がなかったとしても、侯爵夫人ともなれば当然質の高い教育を受けているはずだし、貴族にとって淑女教育はとても重んじられる掟のようなものだ。
一体どんな手を使えばこんなお誘いを引き出せると言うのか。
狸は自分の美貌すら自覚して利用しているんじゃないだろうかと、思わず距離を開けたくなる私である。
「けれどさすがに男だけで訪問するわけにもいくまい。令嬢を連れていくと伝えると夫人は不満そうにしていたが、私も立場上あまり軽はずみなことが出来なくてね。令嬢に茶葉を任せればいい。その横で夫人とお茶が飲めるのが楽しみだと伝えれば、ようやく納得してくれた。」
「つまり私はダシにされたってことですね。」
「頭のいい女性を嫌う貴族は多いが、私は有能な人材こそを探している。ティナ嬢は実に優秀なようだ」
「私は口の上手い男とは一切付き合いたくありませんがね」
「ははは。これは手厳しい」
ハルは感情の乗らない声で笑った。
「私は夫人と茶葉について話し込むことになるだろう。セリウスは2階の主寝室と執務室を探ってみてくれ。ティナ嬢は適当に商人と話した後、一階の書斎を。
私と会うことを秘密にしたい夫人は、使用人も最低限にしているはずだ。けれどより彼女が信頼を寄せる先鋭だけが残されている可能性が高い。充分気を付けて任務に当たってくれ。」
本当に話し込むのは茶葉の事なのだろうか、なんて下世話な質問は口にせず私はしぶしぶコクリと頷いた。
とにかくはやく終わらせて帰りたい。その一心で乗り切ろう。
「了解」
案内人をしていた時では想像もつかない強い眼差しで、セリウスも短く返事をした。
改めて見取り図を見れば、客間から書斎まではそれほど離れていないようだった。その間にトイレまである。これはトイレだと誤魔化して退室して、ささっと調べて戻るのが一番だ、と簡単に計画を立てる。
「あれ?チャルチシュヴァラ卿は何するの?」
ふと思い立って聞くと、驚愕に見開かれた二対の目に凝視された。
「…え?」
訳が分からず私はそれを呆然と見返す。
「…クレアが何かしてくれると思っているのかい?」
「チャルチシュヴァラ卿にそんな恐れ多いことよく言えたな。口にするだけでも不敬だぞ」
「…え?」
彼が人のために動くなんて天変地異の前触れだとでも言わんばかりの反応に私はただ困惑を繰り返す。
彼に頼みごとをするのは不敬だと言った?
ますます訳が分からない。
人にこんっな労働を強いておいて、自分は働かない選択肢があるだけでもおかしい。
「いや、ちょっと待って。じゃあチャルチシュヴァラ卿は何のために行くのよ!おいてくればよかったじゃない!私ごと!!!」
最後重要なので二重線引いといてください。
「まぁその通りだ。正直戦力としてはまったくあてにならない。けれどクレアはたまにとんでもないことをしでかしたりするトラブルメーカーでもあってね。私としてはその自由奔放さを気に入ってつい行動を共にしてしまうのだよ。」
そして繰り出されるのはこんなめちゃくちゃな理由なのだ。
ハルの好奇心を満たすために私がこんな酷い目を強いられているのだとしたら、貴族と庶民は絶対に相容れない存在なんだと絶望するよりほかない。
どうやったらヒエラルキーの頂上に行けるのだろう。私は理不尽な権力者を徹底的に排除したいと切に思う。
「帰らせてください」
「ああ、王の側近には暗殺者も居てね。彼の仕事ぶりは本当に優秀なんだ。今度ティナ嬢にも紹介しよう」
「…………許して」
めそめそと両手で顔を覆って泣いたらセリウスだけが同情してくれた。
もしかしたら私達は同じような境遇なのかもしれないな、と思った。
それからしばらくして馬車が停まった。どうやら件の侯爵家に到着したようだ。
ここからは完全に貴族の仮面を被らなければいけない、と私は気合を入れ直した。
エスコートはハルがしてくれるようで、先に降りた彼から差し出された手にそっと手を添えて、タラップを降りた。
「レディ、それでは行こうか」
ハルも先ほどまでの気軽さを潜めさせ、紳士な振る舞いで先導してくれる。
なるほど。彼は確かに高貴なお方らしい、と私は今更ながらに納得した。
「どちらさまでしょうか?」
門番をしていた使用人に呼び止められ、ハルが訪問に来た旨を説明すると、ラウリニス侯爵夫人が話を通してくれていたようで、すぐに門は開かれた。
庭でしばらく待つように言われて、ぼんやりと池を眺めていたら声がかけられる。
出迎えてくれたのはこの屋敷の執事で、簡単な挨拶をした後客間へと案内され、少し待つようにと告げて彼は下がった。
待つ間、黙っているとつい口から毒が飛び出てきそうなので、私はどうでもいい話題で空気をかえた。
「広いお屋敷ね。迷子になりそうで心配だわ。」
「王宮に比べればどうということもないが」
それに応ええくれたのはハルだ。
少なくとも王宮に入ったことはある人物らしい、とまた増える余計な知識を頭から押し出す。
これ以上情報を増やしてほしくない私である。
「比べる物がおかしいでしょ。上に立つものは庶民の感覚をちゃんと知るべきだと思うわ」
「ティナだってでっかいとこ住んでふがっ」
「あらチャルチシュヴァラ卿。そんなにお腹が空いてらしたの?出して頂いたお菓子で口をお慰めになって」
要らないことを口走ろうとしたクレアにお菓子を詰めて口を塞ぐと、それを見ていたセリウスが冷や汗をかいて青い顔になった。
「…すげぇなティナ。俺今初めてお前の事見直したわ」
「それはそれで今までどう思っていたのか問い詰めたいところだけど」
「仮にもその人、王の側近だからな。あんま不敬ばっか働くと死ぬぞ?」
「王の側近!!!…………またいらない情報が増えたわ。どいつもこいつも口がなくなればいいのに!」
危険なフラグが留まることを知らない。
はやく庶民による庶民のための下女の控室へ帰りたいと私は自身の境遇を嘆いた。
「さて、俺早速二階行ってくるわ。適当に誤魔化しといてくれよ」
「はぁ!?なんて誤魔化すのよ!?!ちょっとこっちにメンドクサイ問題置いて勝手に行かないで!」
「じゃあなー」
不審がられないように小声で精一杯怒鳴る私を放置して、セリウスは少しだけドアを開けるとその隙間に体を滑り込ませて消えていった。
「いやちょっと待って!」
思わず伸ばされた手は虚しく空を切るだけだった。
顔を青くしてしばらく呆然とそちらを見ていた私だが、諦めたように振り返る。
そして気付く。私とハルしかその場にいないという事実に。
ハルはあまり気にした風もなく、涼しい顔でそこにいる。
クレアの姿までどこかに消えた。
いやもちろん居なくて全然いいんだけど、むしろありがたいんだけど、
どんどん仕事押し付けて残業を余儀なくされたあげく、さっさと定時で帰っていく課長を見ているようなどす黒い感情が湧き出てきた。
私は顔が釣りそうになりながら、鉄仮面でなんとかそれを押さえつけた。




