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絶望に沈む暗闇を照らすもの

 聞いた、と言ったら口封じをされる気がした。

 けれど、聞いてないと言ったらもっと惨酷な末路を辿る気がした。


 残忍さを隠そうともしない目に恐怖が沸き立つ。

 目を逸らした途端絶命しそうな恐怖に、瞬きも忘れて彼を凝視した。


 口から零れるのは、まるで平和な話題で、声だ。

 なのに温度を伴わない。そのギャップがただただ恐ろしい。


 答えを強要する、声。

 活路を探して口を開けば、抵抗は許さないと喉元に鋭利な殺気が突き刺さった。


 あまりの恐怖に頭が回らない。

 有効な選択肢を見つけられないまま、とうとう最終勧告がなされた。


 息も詰まるほどの距離から朗らかな笑顔でこちらを見ている男は、私の知ってるセリウスという名の採掘夫だ。

 けれど目だけが、それを裏切る。

 同一人物とは思えない、光を通さない冷徹な目。

 知らない男だと思った。

 背筋がぞっと凍った。


 首筋の薄皮を裂いたダガーが早くしろ、と急かすようにカチャリと音をたてた。

 冷静になれと言い聞かす。

 押し倒して逃げるか。ダガーを持つ手に噛みつくか。頭突きを食らわせ隙を作るか。

 どの選択も成功する気がしないけれど、むざむざ殺されたくもなかった。


「…あなたの、目的はなんなの?」

 だからせいぜい、皮肉な顔を作ってやる。

 どうせ答えなんて聞かなくても知っているのだろう。


 凍るような目付きで見ていたセリウスは、その目を歪ませるようにして、にやりと笑った。

 彼らしくない、歪な笑みだ。


 汗が流れた。けれど、笑顔は崩さない。

 残酷なまでに凍てついた、鋭利な刃物のような目を細めさせると、彼は迷いなくダガーを持つ手に力を入れて---


「覚悟なさい!!!」


 首元に走る痛みを知覚する前にセレナの声が響いた。同時に、指を交互に絡ませて固く結んだ拳を最上部から、セリウスの頭に向かって振り下ろすセレナが見えた。

 目の前のセリウスではなく、セレナが。


「がっ!?」

 その意味を理解する前に、私の鳩尾に拳が振り下ろされた。


 セリウスが涼しい顔ですっと横に跳んだことで、目標を失ったセレナの拳は、勢いを殺すことなくその前に居た私の鳩尾を強打したのだ。

 後ろが壁だったので衝撃が逃げる場所もなく、全ての力を伝えたそれに、私は息が止まる。


 あら?と間の抜けた声がしたが、酸欠とあまりの痛みに眩暈がして、そのままぐらりとうずくまる私はそれどころでろではない。真っ白な思考のまま、はっはっ、と短い呼吸を何度も繰り返した。

 ボロボロ生理的な涙が零れ、口からは涎が垂れる。それらを強引に拭うと、まだ痛む鳩尾を手で庇いながら、歯を食いしばって顔を上げた。


 果たして見えたのは真っ青に染まった、セレナの顔だ。


 頼むよ。

 絶望的な気分で胸に去来する様々な感情を言葉にすることも出来ず、私は理不尽な激痛に喘いだ。








「ははははっ」

 いつまでも続きそうな沈黙を最初に破ったのは、あっけにとられていたセリウスの笑い声だった。

 可笑しくてためらないと笑い声を上げて、その雰囲気を柔らかいものへと変えていた。

 次に反応したのはセレナだ。未だ青ざめたままの顔をぎぎぎっとぎこちなく動かして、笑い声を上げるセリウスを見る。そして呆然とした後、


 はっとして、未だ呼吸の整わない私の手を掴み、後方へと走りだした。

 最後まで反応出来ない私は、意識も吹っ飛びそうな中、急な外力に足をもつれさせながら、なんとか引かれるがまま走り出した。


 広く空いた空間を縦断するように奥へと駆ける。

 走る反動で浮いた上衣の裾に、ナイフが鋭い音をあげて刺さった。

 それはそのまま巻き上げるように布を引き裂き、勢いを殺すことなく遠くの壁へと突き刺さる。

 振り替える暇もない私は、ドスッドスッとナイフが壁に突き刺さる音だけを聞いていた。


「は、ははっ、だめだっ、可笑しくて、手元が狂うっ、」

 相手はどうやら力も入らない状態らしい。

 大変お間抜けな状況だが、好都合なので良しとしよう。

 なんとなく釈然としないまま、私は幾分か痛みが引き出した体を叱咤して足を急がせた。


 突き当たりまで行くと、出っ張りに隠れるようにして細道が伸びているのに気付いた。

 傍にはひしゃげたランタンまである。どうやらセリウスはこの道からここへ来たらしい。つまり、この細道へ逃げても元の場所へと戻るだけではないだろうか。

 思うが、引き返す選択しなどあり得ない。


 ランタンへと手を伸ばした瞬間、そこにナイフが突き刺さった。あと数センチ、という近さに身がすくむ。

 思わず手を引っ込めると、先まで手を伸ばしていた場所へもナイフが刺さる。

「あー、笑った笑った。ティナ、腹大丈夫か?」

 軽快な声でセリウスが言う。嘘みたいにそこだけが暢気で、けれどまたナイフがどこかに突き刺さる。

 もはや何も考えられずに直感のまま私は後方へと跳んだ。繋がれた腕がぐっとセレナも引き寄せる。

「ちょっと、どこへ行きますの!?」

 突然腕を引かれてバランスを崩したセレナは、転げそうになりながら先程まで上半身のあった場所にナイフが飛んだのを見た。息を飲む音が聞こえた。

「なぁ、そんな逃げんなよ。話をしようぜ」

 後方へ飛んだ私も大きくバランスを崩したが、寸でのところで持ちこたえる。ぐっと足に力を入れて、踵と太ももがくっついた状態から勢いよく膝を伸ばすと、今度は前方へと飛び込み前転の要領で身を投げる。

 後ろをまたナイフが飛んだ。止まれば的になる、と脅迫じみた警笛がなる。


 会話をする気がないのはどっちだ。思わず悪態をつきながら、無我夢中で細道へ飛び込んだ。明かりのないそこは真っ暗闇が広がっていたが、身を隠すにはむしろ好都合と言えた。

 予測のできない動きにいちいち悲鳴や文句を唱えていたセレナも、やがて共に闇へと潜る。その背中にナイフが迫ったのを最後に、攻撃は止まった。







 数歩もしないうちに、辺りは闇に閉ざされた。


 けれど後ろに待つのは死の恐怖だ。足は止められることなく前を目指した。

 少しでも危険から遠ざけようと、セレナに前を譲ると、繋いだ手を頼りに急ぎ足で歩を進める。

 しかし数十メートルもしないうちに、セレナは突然鈍い音をたてて悲鳴と共に急停止した。

 そしてそれを疑問に思った瞬間に、私も鈍い音をたて急停止することになる。

 思い切り壁にぶつかったのだと、理解するのに時間がかかった。


「…曲がり角のようですわね」

 壁を調べているとセレナの鼻声が聞こえた。くぐもった声に、高い鼻が壁にぶつかり、手で押さえているのかもしれないと想像する。

 対する私は、セレナのクッションのおかげで衝撃が緩和され、割と無事である。

 別に盾にしようとして前へ行かせたわけではないと、無罪を主張したい私である。


「違う。これ、行き止まりじゃない?」

 壁に両手を沿わせて出口を探すが、何処にも空洞は見当たらなかった。唯一あるのは来た道だけだ。

 これ以上奥には進めそうもなかった。

 「ええ?行き止まりですって?」

 げんなりとぼやくセレナの声は見えない彼女の心情をよく表していた。先導はセレナだ。文句を言う先もなく、続く言葉は飲み込まれた。


 後退すれば、それだけセリウスとの距離が近くなる。ましてや無防備に壁にぶつかった後ではむやみに暗闇を移動するのも戸惑いが勝る。

 短く相談した私たちは岩の隙間に身を潜ませ、様子を伺うことにした。









 どれくらいそうしていただろうか。

 輪郭をも見失う闇の中、息を潜めて留まるのも狂気の沙汰だと言えた。

 セリウスに来てほしくない気持ちと早くどうにかなりたい気持ちが相対する。


 暗闇は苦手だ。だって、聞こえない声が聞こえる気がするのだ。

 闇の中、そこに影がないのをどうやって証明すればいい?

 手のない、足のない、頭のない影が、そこに居ないと誰が断言できるのか。


 気付けば息が乱れていた。

 水滴の音以外が消えたその空間で、異物のように私の呼吸音が響く。

 これでは簡単に見つかってしまうと思うのに、抑えようとすればするほど呼吸は狂ったように激しくなる。

 なのに息苦しさは増す一方なのだ。涙すら滲んで、いっそ叫びだしそうになる。


「大丈夫?」


 発狂しそうな私を留めたのは、囁くように響いたセレナの声だった。

 そっと背中に手が当てられ、引きつるような呼吸を労わるように擦られる。

 たったそれだけのことで、呼吸が楽になった気がした。

「しっかりなさい。セリウスはまだ来ていませんわ。もしかしたら、わたくし達は気付きませんでしたけれど、どこかで分かれ道があったのかもしれませんわね。」

 紡がれる声が、先まで黒一色だった空間を色づける。

「そうでないと、セリウスがわたくし達の居た場所まで来れた理由がつきませんものね。この道はセリウスが知らない道なのかも知れませんわ。大丈夫。もう少し様子を見たら、一度戻ってみるのも良いかもしれませんわね」

 いつもの彼女からは考えられないほどの小さな囁き声だ。けれど沈黙を許さないように紡がれ続けるそれは、まるで道導みちしるべのようにそこにある。

「ティナがこんな臆病者だとは思いませんでしたわ。まったく情けのない。わたくしのようにもっと毅然と構えていなさい。…そうね。わたくしの信念ともいえる偉大なる女の子のお話をしてあげましょうかしら」

 セレナの話は止まらない。労わるように背に沿わされた手が、離されることもなかった。

「女の子、ですのよ。おかしいでしょう?まだ幼い少女ですのよ。」

 声は穏やかで、優しいものだ。鼓動がそれだけで緩くなる。彼女はこの暗闇が怖くないのだろうか。

「貴族の中では、あるお話がとても流行っておりましたのよ。六年前に我が国、ヴィルシュタットは戦争をしたのをご存じ?最端の街で他国の侵略があったでしょう?すぐに退けましたけれども。国内ではあの紛争があったのが最後でしたけれど、実際はその後一年にも渡って戦争は続いていたのですわ。庶民にも情報は回っていたかしら?」

 覚えがあるも何もない。母国カンターバラが大敗した戦だとすぐにわかった。

「その、終戦の時ですわ。ヴィルシュタットが勝利を収めるその時に、不思議な出来事が起きましたの。誰もが目を疑ったのだと聞きますわ。…空から、光が降ってきたと。」

 悪夢の光景が今でも目に浮かぶ。忘れた日など一日だってなかった。

「光を降らせたのは相手国、カンターバラの幼い姫君だったそうですわ。光を纏うその姿は、まるで神の遣いのようだと謳われましたわ。姫君は命を賭して光を降らせた。その奇跡の光は、戦争の不浄を清めたのだと言いますわ。失くした四肢を還し、抉れた傷を癒し、死した者にすら安らぎを与えたと。」


 誇張が酷い話だと、最初に思ったのはそんなことだ。吟遊詩人が針小棒大に謳い伝えたのだろうか。

「私にこの話をして下さいましたのは、実際にその場にいた騎士の方ですわ。その方は、荒んだ心まで洗われたようだと言っておりました。…自国の危機に、命すら厭わず、誰をも救った姫君。気高くて、尊いと思いませんこと?わたくしは、そんな人になりたいと、幼心にも思ったものですわ。それまでは大嫌いだったお勉強も頑張るようになったのは、その時からですのよ。」

 暗闇に遮断される視覚は、それでも穏やかに微笑むセレナの顔を捉えているような気がした。

「辛いことや、悲しいことがあった時には、わたくし、その姫君のことを思い出しますの。それだけで驚くくらい前向きになれたりしますのよ。…だからティナにも教えて差し上げますわ。その少女の名前は」


クリスティーナ=ラクシュマナフ。

懐かしい響きだと、思った。


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