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ツアー改めピンチです

 セレナは何百年も昔から王家に遣えていた由緒正しき伯爵家の長女として生まれた。

 優しい両親は、慈しむような愛を惜しみなく注いでくれた。

 それはセレナにとって至福の時間だった。


 しかし有能な父は王宮勤めに忙しく、聡明な母は父の代わりに領地の管理に携わり、多くの時間を割かれる。貴族の宿命だろうか。家族で過ごす時間はそんなに多くはなかった。

 時間を見つけてはセレナに会いに来てくれた両親だったが、さみしい。そう枕を濡らしたのは一度や二度ではなかった。


 代わりに傍に居たのは侍女や家庭教師だった。

 貴族である侍女は仕事だと割りきった冷たい態度で彼女に接し、時には至らぬセレナを馬鹿にした。厳格な家庭教師は甘えなど許してくれない。勉強は嫌いではなかったが、礼儀作法が苦手だった彼女は、所作一つすら気の抜けない毎日の生活に嫌気が差した。

 孤独な日々の中、家庭教師は繰り返す。淑女のような行いを。伯爵家に恥じぬ振る舞いを。気高く聡明な、知の女神メーティスのようにありなさい。

 幼い彼女にとって、家庭教師の言葉は絶対だった。だから彼女は毎日自分に言い聞かせる。父にも母にも恥じぬ、完璧な女性にならなくては、と。



 幼い日の思い出だ。けれどそれは今日まで続く誓いでもある。

 セレナはもう間違えるわけにはいかなかった。無様な姿を誰にも、たとえ自分にすらも見せてはいけない。ならば進むしかないのだと、胸にあるのはその思いだけなのだ。

 ……なのですけれども。


 ぜえはあと荒れる息を整える事も出来ないまま、セレナはようやく巨大な岩石を昇りきった。昇った先から天井はすぐそこにあり、つまりは匍匐しなければ通れない、口を小さくした狭い隙間がそこにあるだけだった。思わず躊躇する。けれど。

 ……前に、進むしか、ありません、のよっ!

 ずりずりと這いつくばって進む自分の姿を、客観視してはいけない、と前だけ見据える彼女である。


 ドロドロに汚れた制服は、水分を吸ってずっしりと重たく不快だし、体温を奪い体を震わせる。道とも言えぬ悪路は少しの距離でもごっそりと体力を奪っていく。何度も過った立ち止まろうという誘惑が、また脳裏を通過する。もう負けても良いだろうか。思わず弱音が顔を出すのは許されるだろうか。

「大丈夫か?こっちから手を引っ張るか?」

 前方から声がした。先から何度も気遣わしげに掛けられるこの声をやはり何度も断ってきたが、とうとうセレナは手を伸ばした。

「よろしくお願いしますわ」

 ぐいっと手を引かれるその力に、安堵の息が漏れる。自力で這うより随分と早く、そして遥かに容易く、難所の一つを越えることができた。


「険しいなんてもんじゃないわね」

 殿を勤める庶民の娘の声がした。見ると疲れた顔をしていたが、彼女は未だ人の手を借りることなく険しい道中を遅れず来ていた。


 悔しい。庶民など、貴族の苦労も知らず、馬鹿みたいに笑う下等な集団であるのに。


「ティナも大丈夫か?次、広い空間に出たら休憩入れるか」

 セリウスに至っては、まったく疲れた様子もなく、息のひとつすら切らせていなかった。先頭に立つ彼は、未知の空間をこんな心許ないランタンの灯ひとつで、後ろを気遣いながら前進するというのに。

 採掘夫とは、庶民とは、こんなに力強いものだったのか。


 この場で一番の足手まといは誰であるのか。考えてはいけない気がしてセレナは今度は下り始める細道に意識を集中させた。


 どれだけの距離を進んだだろうか。

 真っ暗闇の空間では時間の感覚も曖昧となる。

 もうずっと発声していなかったのを思い出して、セレナは疲労を自覚する。

 足を上げるのも億劫になって、躓く回数が増えた頃、

「お、広いところに出たぞ」

 前を歩くセリウスの声がした。久しぶりに聞いた、明るい声だった。

「休憩すんぞ。よく頑張ったな。」

 彼は、セレナの頭をポンポンと撫でる。嫌な感じはしなかった。

 その笑顔は、とても自然なものだった。じんわりと染み込む、陽だまりのような優しい目。

 彼はけして悪いことなどしない人だ。少なくともセレナにはそう感じられた。


 彼は、ただの採掘夫なのだろうか。




 休憩に選んだそこは、ぼんやりと灯る幻想的な明かりがあちこちに散りばめられた、不思議な空間であった。

 吸い込まれるように目を奪われていると、魔法石や、他にもいくつかの特殊な石は発光する成分が含まれているのだとセリウスが教えてくれた。


 ……綺麗。

 思わず呟いたのは、誰の声だっただろうか。



「ちょっと、先に奥の様子見て来るわ」

 そんなロマンティックな風景は見慣れていますと言わんばかりに、そう言い残すとセリウスは今までのペースが嘘のような早さで行ってしまった。

 当然、残されたのはセレナと、庶民の娘である。さっきまでの浮き上がった気持ちはあっという間に萎んでしまった。


「ちょっと、勝手に横に座らないで下さる?」

「だって、ここしか座れるところないし。私の事は気にしないで」

「ちょっと、貴方!…本当に図々しい女ですわね」

「うん。ごめん。」


 暖簾に腕押し。まったく張り合いのない会話はそれきり途切れた。

 まだまだ言いたい言葉が喉まで出かけるセレナであったが、不毛な会話をわざわざ自分からする必要もないかと口を噤んだ。

 沈黙は長かったように思う。

 しばらく幻想的な灯りに目を向けていたが、だんまりを決め込む相手にこっそり視線を投げかける。

 果たして彼女は最後に見たときと変わらない姿でそこに居た。…いや。

 ふと気付く。娘の息が、いつまで経っても整わないことに。

(………?)

 けれどそれが疑問符として持ち上がるタイミングで

「ねえ。あなたもしかして足を捻った?」

 知らない間にこちらを見ていた娘が声を上げた。


 気付かれた!?

 泡を食ったセレナは痛む足を隠そうとして、力を込めた拍子に電気が走った。

「……っ!」

 咄嗟に悲鳴を噛み殺したが、これではそうですと肯定したようなものだ。娘は深刻な顔をした。


 ここに来るまでの道中、でこぼこと特に足場の悪い場所があった。そもそもこんなに歩くことのないセレナが、初めて経験する慣れない悪路。疲れきった足を引きずりながらとくれば、足を捻るのなんてもはや必然であった。

 恨めしく視線を落とすと、カモシカのようだと言われるすらりと伸びたその足が、ぷっくり腫れて赤くなっていた。出来るだけ気にしないようにしていたが、思ったよりも深刻な状態かもしれない。溜息を吐いて視線を流すと

 

 ……あら?

 セレナは疑問符を浮かべて凝視する。ぷっくり腫れた足の横に、並ぶようにして見えたのは、その倍はあるんじゃないかと思わせる、更に腫れ上がったもう一本の足だ。

 訝しげにその足を見て、ゆっくりと視線を上げていく。腫れた足を始点にその足の主を確かめるように膝、太腿、腹部、胸部と順番を辿り

 果たして、眉間に皺を寄せた庶民の顔まで辿り着いた。驚愕の事実に脊髄反射で口が開く。

「このわたくしが、しょふがっ!んんんんんんーっ!!」

 庶民とお揃いの怪我をするなんて!!という言葉は、俊敏に横から飛び出してきた庶民の手によって、くぐもって消えていった。


「あ、あ、あ、」

 壊れたおもちゃのように、あ、ばかりを繰り返す庶民の手を投げ捨てるように引き剥がす。

 彼女はそんなことおかまいなしに真っ青な顔をして

「危なかったっ!ほ、崩落の危険があるって貴方ちゃんと理解してる!?」

 小声で怒鳴る、という器用な真似をした。

「当たり前でしょう」

 何を当たり前の事を。

 半眼になって庶民を見ると、庶民も半眼になってこちらを見た。なんですの。


「そんなことより、その足、いつからなの?」

 気を取り直したように、娘は話を進めだした。放っといてほしい話題に知らず機嫌が悪くなる。

「こちらのセリフですわね。どうして足を捻った時にすぐに報告なさらないのかしら。捻挫だと甘くみていたら痛い目に遭いますわよ。」

「…全部ブーメランになるってわかってる?」

「……は?ブーメラン??」

「……………なんでもないわ。」


 庶民は疲れた顔をした。それからキョロキョロと周りを見渡し、最後にセレナの顔を見る。探るような目と目が合った。

(…なんですの?)

 セレナは不快感を隠すことなく、うさんくさい目でそれを見返す。

「…庶民は嫌いでしたっけ?」

 それだけ勿体ぶっておいて、ようやく聞いたのはそんな下らないこと。

「愚問ですわね。」

 ますます苛立ちが募ってくる。一体何が言いたいのかしら。うんざりしてセレナはため息を吐く。

「そうよね。………貴族には、義務があると思わない?」

 困ったように頷いた彼女は、逡巡した後、またよくわからないことを聞いてくる。先に続く言葉が歓迎し難い内容だと予測して、セレナは顔を更に歪める。

「ノブレス・オブリージュ。富める者の義務。貴族は、国民を守る義務がある。そうよね」

 疑問符ではない、断言するような口調だ。

「ずいぶんと厚顔ですわね。助けられることが、当然だとお思い?」

 蔑むと、庶民は首を横に降る。

「ヘーメヴァン伯爵令嬢。由緒正しき伯爵家の貴方に、どうか守って頂きたい約束があるのです。」

 そうしてこちらを見つめる目が、さっきまでとは別物に見えた。


「これから私のする事は、本当は誰にも知られたくない、私にとっては最大級の秘密です。これが知られると、私の身に、私の周りの大切な人に、危険が及ぶ可能性だって考えられます」

 庶民ごときが、随分と大きな事を言う。けれどその真摯な目に言葉が出ない。

 いつもなら取るに足りない事だと切って捨てているはずなのに、セレナは彼女の言葉から耳を逸らせない。

「貴方を伯爵家の者として、尊敬します。その名に恥じる行動は絶対にされない方だと、信じます。」

 急な信頼だ。一体なんだというのか。

 ついていけないセレナを置いて、彼女はきょろりと周囲を見渡した。

 秘密だと言ったところを見ると、他に人が居ないのか確かめたのだろう。いくら鉱石が発光しているとはいえ、視界の悪いここは人を隠しきることなどできない。その事に焦燥を感じる自分に驚いた。庶民の秘密など、どうでもいいと思うのに。


 彼女はセレナの腫れ上がった足にそっと手を添えた。途端、ピリッと電気が走るような痛みが脳を刺す。

「あなた、何を

 非難しようとする言葉をセレナは最後まで紡げなかった。

 患部はじんわりと熱をもち、そして暗闇に慣れた目では耐えられないほどの光が灯ったからだ。

「っ!?」

 思わず、息を飲む。こぼれ落ちそうな程目を見開いて、何が起こったのかを必死で飲み込もうとする。

 けれど努力は報われることなく、結局熱も光も消失するまでセレナは目を皿のようにすることしか出来なかった。そして。

「えっ!?」

 そこにあったのは、セレナの足だ。先ほどから変わることなくそこにーー否。

 足はカモシカのようにすらりとしていた。赤くも、腫れることもなく、いつも見ていた綺麗な姿でそこにあった。

 意味がわからない。触って、擦って、握ってみても痛みも違和感すらもない。健康体であるとしか思えない。今度は恐る恐る動かしてみたが、やはり痛みなど欠片もない。

 汗が、一筋流れた。

「あなた、これは一体

 恐怖とも驚愕とも取れる焦燥が胸を襲い、心臓が早鐘を打つ。そして


 ぱあっー


 セレナの視界を二度目の光が遮った。訳が分からないまま、見ると先ほどまででかでかと腫れていた娘の足も元に戻っていた。





 まさか、ありえないと否定する。

 今見たのは、魔法ではなかったか。

 魔法は、古代天帝より授けられた高貴なる力だ。その血を違えた者には扱うことなど出来はしない。そして、その血を分けることが出来るのは


 王の血縁以外にありえない。


 ドクドクドクドク。

 心臓の音が煩いくらい頭に響く。

 落ち着け。自分に言い聞かせて、否定要素を模索する。


 彼女は魔法具を持っていたか?いや、そもそも回復効果のある魔法具など聞いたこともない。

 それに、彼女は魔法具なんて、持って居なかったはずだ。

 回復したのは幻覚?けれど痛み一つない。捻挫したのは確かだった。先ほどまで頭を痛めていたその痛みを忘れることなんて出来ない。けれど今は痛み一つ感じない。

 彼女は魔法を使ったのだろうか。魔法を使える人間など、王族の血縁者以外ありえない。 

 

 それはつまり。


 恐怖の張り付いた顔で、セレナは彼女の顔を見た。先ほどの光のせいで極端に下がった視力では、うまく彼女を捉えることが出来なかった。見えぬ顔が、余計に不安を駆り立てた。

 目の前にいるのは、誰だ。


「足の調子はどう?」

 声は、疲れたように掠れていた。

「………。」

「痛みは引いたかしら?」

「………。」

「…何か言いなさいよ」

「………。」

 そうは言われても頭が処理をしなくなったのだ。口もカラカラに乾いたまま、固まったように動かない。

「はぁ。まあ、いいわ。とにかく、これは極秘でお願いね。あなたがどう思ったのかはわからないけど、私は平民だし、たまたまこんなものを持っていたというだけだから」

 そうして見せるのは左腕。その手首には不自然に巻かれた布が。それがどうしたというのだろう。思考能力の落ちた頭ではそんなことすらわからない。

 しゅるりと外された布の下から、カラン、と音を立て腕輪が出てきた。

「…魔法具?」

 なのだろうか。けれど豪奢なその腕輪には魔法石を嵌め込む箇所がない。

 よく見れば、平民が持てるとは思えない細かな細工や散りばめられた宝石がその腕輪を装飾していた。



 彼女は一体、何者なのか。

 答えの出ない問いをセレナは何度も繰り返す。



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