追憶
私が生まれたのは至って普通の家庭だった。
父さんと母さん、あと姉さんが一人。
姉さんを通じてもう一人、姉と呼べる存在ができた。
3人いつも一緒だった。毎日が幸せだった。
でも、幸せなんてのはそんなに長くは続かない。
姉さんたちは優秀な人だった。勉強も運動も、いつもクラスで一番だった。おまけに皆から愛されてた。
私は違った。何をやっても姉さんたちに届かなかった。周りからの期待の視線が痛かった。あの優秀なユキの弟だという視線が。
それでも私は努力した。姉さんと肩を並べられる人間になろうと必死だった。
でも、生まれもっての個体差は埋まらない。
どれだけ努力しても、自分の全てを捨てても、姉さんに届かない。
成績を見せる度に両親からは失望された。でも、両親を嫌いにはなれなかった。私を生んでくれた人だから。私を育ててくれた人だから。期待に応えられない自分が悪いと言い聞かせて、寝る間も惜しんで勉強した。皆が外で楽しそうに遊んでる時も、ずっと教科書とにらめっこ。
そんな生活を続けているうちに、周りは私を避けるようになった。四六時中勉強しかしない変な奴だと言われ始めた。
先生は姉の担任をしたことがあったため、私を見る目は両親と同じくらい冷たかった。
全部自分が悪いんだ。期待に応えられない自分が……
耐えられなくなって姉さんに当たったこともあった。それでも姉さんは私を慰めてくれた。姉さんだけが、私を愛してくれた。
そんな生活は日を重ねるに連れて悪化する。
11歳を過ぎた頃から、私の身体に変化が生じ始める。
その変化は、私が姉さんの「弟」だというそれまでの事実を覆した。
私は、性同一性障害だった。
今までずっと男として育てられてきた私の身体は、少しずつ女になっていく。周りはそんな私を異端児として虐げた。
それでも私は耐えた。姉さんがいてくれればそれでいい。
ユキ姉さんとフウカ姉さんがいてくれれば、そう思っていた。
だが、その思いはあっさりと砕かれた。
異端児として虐げられ続けて3年。
私は、いつも通り周りからの暴力に耐えていた。
通り掛かる人もいつも通り見て見ぬ振り。だがいじめっこの一人が、その中の二人に声を掛けた。
ユキ姉さんとフウカ姉さんだ。
いじめられているところを二人に見られたのは初めてだった。私へのいじめに姉さんが巻き込まれた。
あれ以来、姉さんたちの顔は見ていない。
あれ以来、ミツキの顔は見ていない。
「女のくせに」
痛い
「気持ち悪いんだよ」
苦しい
「消えろ」
つらい
助けて……お願い、助けて姉さん……
「ねぇ、ユキちゃんとフウカちゃんもそう思うでしょ?」
助けて、助けて姉さん……!
「う、うん……そうだ、ね……」
……そっか。
姉さんたちも、ぼくのこと嫌いだったんだ。
「違う……」
どうして言ってくれなかったの?
どうしてぼくに優しくしたの?
そんな事しなければ、姉さんに甘えたりしなかったのに。
大好きな姉さんに迷惑なんかかけなかったのに。
姉さんは優しいから、断れなかったの?
「違う」
そうなんだよね?
「違う!」
ぼくが姉さんのことをもっと考えていれば、姉さんにたくさん迷惑かけずに済んだんだ。
ごめんなさい、姉さん。
「違うの!」
もう二度と、迷惑はかけないから。
「いや……!」
もう二度と、近づいたりなんかしないから。
「止めて……」
もう二度と、大好きだなんて言わないから。
「待って……ミツキ……」
「ユキ……?大丈夫?」
私の肩にそっと手を置くフウカ。
うなされていたのだろうか。
「フウカ……私……」
「あのときのこと?」
「うん……」
午前2時。周りは真っ暗だ。
今住んでいる大学の寮は長期休暇の間閉められてしまう。私の実家は遠いため、休みの間はフウカの家で寝泊まりさせてもらっている。
もうすぐ成人式。今年はミツキが成人する年。でも、そのミツキはここにはいない。そういえば、ミツキの誕生日ももうすぐだったな。お祝いしなきゃ。
ミツキ……誕生日のプレゼント、今年も手作りになっちゃうけど、許してね。
「……ユキ」
「うん?」
「無理、してない?」
なによ突然。
「一人で抱え込んでない?最近は会話も減ってるし……」
「そんなことないよ」
「ユキ、私を頼って。一人で抱え込まないで。私たち、家族でしょ?」
「でも、私は……」
私をじっと見つめるフウカ。言い逃れは出来なさそうだ。
「……じゃあ、少しだけ甘えていい?」
「えぇ、もちろん」
フウカは私を抱き寄せる。懐かしい匂いに包まれて、涙が浮かんでくる。
「うぅ……ひっく、ミツキぃ……」
会いたいよ。抱きしめたいよ。ごめんねって謝りたいよ。
大好きって言われたいよ。
大好きって言いたいよ。
傍にいたいよ。
カーテンの隙間から光が射し込む。
いつの間にか寝ていたようだ。
フウカは私を抱いたまますぅすぅと眠っている。
「ぅん……あ、ユキ。おはよう」
「おはよう、フウカ」
おはよう、ミツキ。いつか貴方に、私の声でそう言いたいな。