003 それぞれの戦場
ブラストル大陸、とある海岸。
崖の上に2人の人物が立つ。
1人は、赤みがかった少し長めの黒髮を後ろに一つで束ねた、40歳代くらいの男。
髭がちょろちょろと伸びている。
その歳の人ならばあまり見せないような、無邪気な笑みが浮かんでいた。
黒い長いローブを纏い、光る魔法の指輪をいくつも嵌めたている。
いかにも魔術師という出で立ちだった
名は、ジャック。
賢者を除けば、ブラストル大陸全体を見ても1、2を争う魔術師である。
彼には、異色の経歴がある。
かつてある事件がきっかけで地上に降りてきた天使に教えを請い、天界に行った。
そして、天使になる資格を得た。
人が天使になるというのは、それなりにリスクが伴う。
そもそも、人が天使になるには、かなりの魔力量を持っていなければならない。
半天使である1枚の翼を得られる者すらほとんどいない。
そして、人が天使になるということは、その資格を与えた天使に従属するということになる。
永遠にその天使の下で働くことになる。
だが彼は、類稀なる魔力量を持ち、評議会最強の天使の下で修行した結果、評議員クラスの6枚の翼を手に入れるまでになった。
師である天使、ガブリエルは、自由が好きで派閥を持たず、部下も欲しがらない珍しい天使であった。
気まぐれで拾ったジャックには、必要な時が来ない限りは自由を与えていた。
結果、彼は、地上にいる天使という珍しい存在となった。
そんな彼の隣にいる人物は、黒いとんがり帽子に、黒いローブといういかにもな魔女だった。
見た目は、20代前半くらいの黒く長い髪も持つ、妖艶な美女である。
名は、アナスタシア。
ガブリエルの助手であるが、彼より遥かに歳上である。
時を操る賢者であり、肉体の老化を止めている。
本当の歳は、ほとんどの者が知らない。
年齢を聞くと、普段は静かで落ち着いた雰囲気のある彼女が恐ろしいほどの殺気を放つ。
2人が海を眺めていると、遥か遠くから巨大な竜がこっちに向かってくるのか見える。
「よっしゃ、ちゃんと見ててくれよ、アナ」
「了解しました。あなたが瀕死になっても目を離さず見ています」
「えっ、いや、助けろよ。何しに来たのお前。まあそんな事にはならねえけどな。」
「私もご武運をお祈りしております。ではあの辺にいますので、頑張ってください」
そう言って離れた小さな山を指す。
「ああ、早く離れな」
アナスタシアが小さな山の方へ向かって行くのを確認して、こっちに向かってくる竜を眺める。
その竜は、海外にいるこの世の最強の一角である竜帝の配下。
100匹ほどいる竜王の内の1匹。
暗黒の竜王。
漆黒の表皮を持ち、禍々しい黒い気配を放っている。
この戦いは、ジャックが海外に行くための試金石である。
もともとジャックは、前々から海外に行きたがっていた。
1人で行くより海外に詳しいリュウと共に行った方が、遥かに効率のいい旅ができる。
リュウが連れて行くのに出した条件は、リュウの役に立てる強さだ。
しかし、リュウやクラウディオでは強すぎるので、ちょうどいい相手が必要だった。
他の賢者ならちょうどいい強さを持っているが、数少ない人類の守り手を危険に晒すわけにはいかない。
仕方なくリュウは、海外にいる配下に連絡し、ちょうどいい存在を送ってもらった。
気軽に頼んだが、その配下が暗黒の竜王を送ってくる際には、かなりの混乱が起きた。
竜帝は竜王達を従えてはいるが、竜帝は自由気ままだ。
竜王達のことなど基本的に意に介さない。
なので仮に暗黒の竜王を滅ぼしても、おそらくは問題はないだろう。
竜王ならちょうどいい強さだ。
竜王を倒せるなら強さなら、連れて行っても役にたつだろう。
評議員クラスの天使であるジャックならば、同格と言えるだろう。
しかし、実績は欲しかった。
そんな訳で、この戦いが実現した。
リュウが危なくないように、監視も兼ねて付いていくつもりだった。
しかし、同じタイミングで海外からの襲撃が来たのでそちらに行ってしまった。
代わりにアナスタシアが付いてきた。
時を操る彼女ならば、竜王からもジャックを助け出し、逃げ帰って来られるだろう。
条件は整った。
強大な力を持った2つの存在ぶつかる。
時を同じくして、リード軍事学校ではレオンが授業を始めようとしていた。
彼は無気力な性格だったが、自分の教え子達には愛着を持っている。
たがら授業は真面目にやっていた。
今回の社会の授業の為にも、最新の世界地図を学校の予算で購入してもらい、必死に使い方を覚えた。
「それでは、社会の授業を始めます」
子供達がどんな反応をしてくれるかわくわくしながら授業を始める。
だが、授業が始まってすぐに、なぜか教室の前の扉が開く。
そこにいたのは、長剣を両手に持った男だった。
長い黒髪で、修道士のような服を着ている。
それを見た瞬間に、レオンの元暗殺者としての勘がその男を敵だと直感させる。
即座に、仕込み刀を取り出す。
白く輝く美しいレイピアだ。
長剣の男が躊躇無くレオンに斬りかかる。
レオンよりも身体能力よりも早い動きだった。
防御に徹しても、所々に傷が付いていく。
しかし、レオンは落ち着いていた。
その男の長剣を下がりながら右手のレイピアで受けつつ、左手から周りに光の魔法である輝く玉を7個ほど発動させる。
それを見て長剣の男は戸惑う。
レオンの周囲に浮く輝く玉が、速度の速い光の魔法の矢となって、長剣の男に容赦なく突き刺さる。
「ぐあっ!」
急所を避ける事には成功したが、手足や肩を削られ、体制を崩す。
レオンは手に持つレイピアで、得意技である必殺の突きを繰り出す。
魔術式ライフルよりも速い、高速の突きが近距離で放たれる。
レイピアが正確に長剣の男の心臓を貫く。
「ごほっ!」
それでは終わらず、魔法を通すことのできるレイピアから光の魔法を発動させる。
その男の体が光に包まれ、上半身が消し去る。
下半身だけが崩れ落ちる。
「ふぅーー」
10秒にも満たない攻防だったが、レオンは軽く呼吸が乱れる。
タイミングを間違えれば、こちらが死んでいたギリギリの戦いだった。
それでも、接近戦をする相手はレオンの得意な相手だった。
接近戦をしつつ、近距離で魔法を叩き込むのは、レオンが暗殺者時代に何度もやった仕事だ。
しかし、これで終わりではないだろう。
この学校に侵入するなど不可能に近い。
それを可能にするほどの事態が起こっているのに、この男が1人でここに殺しに来るだけなどありえない。
実際、他の場所からも混乱が聞こえる。
目の前の子供達を見て、どうしようかと思う。
皆、顔面蒼白で泣いている者もいる。
優れた鼻にアンモニア臭も漂ってくる。
彼らを安心させるために、一緒に逃げたいとも思うがそんな訳にはいかない。
初等部にいるにしては、場違いな強さを持つ自分自身ですら危ない相手だった。
それが何人も入り込んだのだ。
対抗できる教師は、この超巨大な学校の初等部に10人もいない。
そのうちの一人である自分が、逃げる訳にはいかない。
急いで教室の後ろの脱出口を開く。
「みんな。こっちに来てくれ」
向かって来る者もいるが、足取りはおぼつかない。
少しかわいそうだとは思うが、乱暴だが脱出口に放り込んでいく。
急いで入れるように、たとえ乱暴に投げ込まれても大丈夫なようになっている。
途中で比較的落ち着いていたコウくんの背中を叩きながら、優しく力強く声をかける。
「頼んだぜ」
普段と違う口調で、頼りにしている人物を脱出口をに送り出す。
口調が違ったのは深い意味はなく、単に少し驚かせて、コウくんの落ち着き取り戻そうとしただけだ。
全員を入れたら、すぐに脱出口を閉めた。
周りの教室から、恐ろしい程の悲鳴と炎の燃え上がる音が聞こえる。
やることの順番を間違えたかもしれないが、後悔している暇はない。
急いで教室を出た。
リード軍事学校、中等部の3年24組の教室に1つの死体が転がる。
黒いジャケットを着た、筋肉隆々の男だった。
「リアムくんって、強いんだね…」
1人の女子が震えながら言う。
「別に大したことないよ。それよりもみんなは早く逃げないと」
凶々しい装飾を施した、大剣を持った少年が答える。
少し長い黒髪で、整ってはいるが中学生らしい幼い顔は、人を1人殺した直後とは思えないほど、優しく穏やかな表情をしていた。
「うん。でも先生が死んじゃったよ」
「大丈夫。僕もカードキーを持っている。もう言っちゃうけど、僕は所持する権限を持っているんだ」
中学部の生徒の中には、初等部と違い、他の生徒には非公開だがカードキーを持てる者がいる。
あらゆる面から見て実力のある者が、ひっそりと選ばれる。
初等部にも、児童会の中で、利用されるぐらいならすぐ死ねるという揺るがぬ信念とそれなりの物理的な力を持つ、ごく一部の児童が所持を許可されている。
初等部で、一般の児童の中で持っているのは、その類稀なる知性と実行力で国家元首と個人的な繋がりを手に入れていた、シエラくらいだ。
リアムはある事情もあり、目立ちたくない性格なので、普段は非公開なので当たり前だが、こんな緊急時でさえカードキーを所持している事を明かしたくなかった。
しかし、それなりの強さを持っていた担任の教師が死に、他のカードキー所持者もこの場には居なそうなので、自分が動いた。
そもそも実力者を分けるようにしているので、同じクラスに実力のある死んだ担任教師と自分がいるのが珍しいくらいだ。
グダグダ考えてないで、早く動けばよかったと少し反省する。
教師の方は、こいつは戦える奴なので仕方ないが、同じクラスの子供が3人死んでしまったのは少々かわいそうだ。
周りの音を聞くと、予想以上にやばい事態のようなので急いで動く。
リアムは、普段は大人しくしているが、実際はその性格、能力共に怪物と言えるものを持っている。
この教師を殺せるような人物が、何人も入ってきているなら、自分が動くべきだろう。
カードキーで脱出口を開け、クラスの子達を呼ぶ。
「ほら、急いで」
「う、うん」
中学3年生ともなれば、こんな事態でも皆、動ける。
と言うより、ここは軍事学校だ。
玉石混交ではあるだろうが、この歳で流石に動けない者がいるようでは困る。
「ちゃんと閉めてね」
それだけ言うと、急いで教室を出る。
久しぶりに強者を殺せるかと思うと、普段は隠している狂暴さが顔に浮かぶのを止められなかった。