1.プロローグ
プロローグなので短めですが、ご容赦ください。
私は黒宮紫苑。年齢25歳、性別は女性。職業はピアニストで、有り難くも日本だけでなく様々な国でピアノを弾かせてもらっている。自分で言うのも何だけど、名前を紹介される時などの枕詞に『世界的に有名なピアニスト』、だなんて言われたりするくらいには、有名人らしい。
ちなみに、私の容姿についてはそこまで悪くはないようだ。おそらくイケメンの部類に入るであろう父親によく似た凛々しい顔立ちと、170cmという日本人女性にしては高い身長。幼少期より鍛錬を続けているせいか引き締まった身体。その弊害か、胸はささやかな上に筋肉質だが、そこはあまり気にしていない。それよりもこんな成りで女性らしい服装が似合う訳もなく、学生時代の制服以外でスカートは穿いたことが無い…とまあ、それらの要素も相まって私は巷で『男装の麗人』と呼ばれている。ピアノを披露する舞台の上での衣装もタキシードとか燕尾服とかだから、まあ妥当な呼び名なのだろう。ちょっと不本意だけど。
いや、訂正しよう。ちょっと、ではなくとても不本意だ。というのも、家族以外には必死に隠しているけれど、私はいわゆる少女趣味…というか、可愛いモノや綺麗なモノが大好きなのだ。甘くて可愛いお菓子も大好きで、趣味は料理や製菓、手芸、お絵描き、恋愛小説を読む、等々…とにかく、可愛い・綺麗な要素があるものが大好きだ。もちろん可愛い服やアクセサリーなどにも憧れがあるけど、自分にはどう足掻いても似合わないので、8歳年下の妹―――童顔で可愛らしい母親によく似た妹を手ずから着飾らせることで満足している。幸い、妹も姉である私を慕ってくれているので、働いて稼いだお金で心置きなく貢がせてもらっている。
贈り物をするたびに花開くような笑みを浮かべて感謝感激してくれるので、少女漫画の王子様にでもなったような気分に浸っているのは、家族にも内緒だ。
「お姉ちゃん、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま真弓。お迎えありがとうね」
イギリスで開かれたリサイタルを無事終えて日本に帰国した私は、空港のゲートを出た所で最愛の妹である真弓に出迎えられた。喜色を隠さずに駆け寄ってくる彼女は今年で17歳になったのだが、先日迎えた誕生日の際、私は国外にいて、プレゼントは贈ったけれども一緒に祝ってやれなかった。
約2ヶ月ぶりに会った妹は相変わらず可愛らしくて、つい頬を弛ませつつ抱きしめてしまった。なお真弓の身長は154cmくらいだったはずなので、彼女の華奢な身体はすっぽりと私の腕の中に収まってしまう。と、視界に入った真弓の後頭部辺りに付けられていた髪飾り――この間、彼女の誕生日プレゼントとして私が贈ったものだ――を見て、さらに嬉しくなって抱きしめる腕の力を少し強めてしまった。
「ちょちょ、ちょっとお姉ちゃんっ、どうしたの急にっ?」
「んー、真弓が可愛くてつい、ね。…この髪飾り、さっそく使ってくれたんだね」
似合ってるよ、可愛い。そう言いながら真弓の頬を片手で撫でたら、彼女は頬どころか耳まで真っ赤に染め上げて口をパクパク動かしていたけれど…やがてふか~いため息をつくと、私から身を離しつつ「もう、お姉ちゃんったら」、と唇を尖らせて言った。
「こんな往来で妹を口説かないでよね!まったく…私がお姉ちゃんのファンの人に刺されたらどうしてくれるのよ」
「口説いたつもりはないんだけど…それに、刺されるのなら私の方じゃない?こんなに可愛い妹を独り占めしているんだもの。夜道には気をつけないとねぇ」
「…はぁ。どうして毎回伝わらないのかしら…」
「うん?」
「なんでもない。ほら、外でお父さん達も待ってるから、さっさと行こう!」
そう言って歩き出した真弓の背中を追って、私も歩き出す。すぐに彼女の隣に並んで、和やかに話しながら空港の出口を目指して歩いた。
やがて、妹に連れられていくつかある出入口の内のひとつを通り抜けて、前方の少し離れた所に迎えに来てくれていた両親の姿を視認した時―――どん、と背中に強い衝撃を受けた。
次いで、背中の真ん中辺りに熱を感じた、と思った時には…身体から力が抜けて、がくりと地面に膝をついていた。つんざくような悲鳴が、地面に倒れ伏した私の耳に届く。
「お、お姉ちゃん!しっかりしてっ、お姉ちゃん!!」
真弓の必死な声に、力の入らない身体で何とかそちらに顔を向けると、真っ青を通り越して真っ白な顔で私に呼びかける妹と、駆け寄ってきた両親のこれまた真っ白な顔が視界に入った。
そして、視界の隅では…複数の警備員に取り押さえられた、20代前半くらいの女性が髪を振り乱して暴れていた。その近くに落ちていた血塗れの包丁を見て、私は状況を理解した。
あ、私刺されたんだな、って。そして、きっと私は助からないのだろう、とも。
「ま、ゆみ、父、さん、母、さん…」
「紫苑っ、喋ってはダメだ!血が、出てしまうから…っ!!」
「そうよ、すぐ、すぐにお医者さんが来るから!!」
「お願い、きいて…わ、たしは、たぶんもう、だめ、だから…」
「「「っ!!」」」
私の言葉に、三人が息を呑むのが分かった。その隙に、言っておきたいことを言葉にする。
「こんな、おわかれ、で、ごめん、ね…いままで、あり、がと…」
そこまで言ったあと、急速に身体が冷えて、力が抜けていくのを感じた。目も開けていられなくなって、瞼を閉じる。意識が遠のく中で、必死に私を呼ぶ家族の声だけが、耳に残った。
―――その日。私こと黒宮紫苑は、わりと呆気なく25年の生涯を閉じた。
*
ふと、意識が浮上する。ゆっくりと瞼を開けると、辺り一面、真っ白な場所に私は立っていた。いや、地面の感覚が無いから浮いていた、が正しいのだろうか?
「あ、起きたんだね。おはよ~」
突然、どこからともなく女性の声が聞こえてきて、驚いてしまう。というか今の声、ちょっとゆるーい感じだったな。そんなことを考えていたら、目の前に黄金色の光が集まってきて…その光が収まった時、そこにはとても綺麗な女性が立っていた。
緩く波打つ白色の髪、鮮やかな紅い瞳。透けるような白い肌に、まるで人形のように整った美しい相貌。真っ白なローブのような服を纏っていて、長い裾のせいで足元は見えない。
というか…この奇妙な場所に、この美女は…もしかして。
「…えっと、もしかして此処って死後の世界?そして貴女は…神、さま?」
「あったり~。流石は"日本人"、理解が早くて助かるよ。とりあえずこっち来て、座って話そう」
そう彼女…神様が言うや否や、彼女の隣に円型のテーブルと2つの椅子が現れた。アンティークっぽい上品な木製のテーブルの上には、白磁器っぽいティーポットとティーカップが2つ、角砂糖とミルクがそれぞれ入ったガラス製の小さなポット2つが載っている。
2つの椅子の内のひとつを勧められて、とりあえずそれに座る。すると、ティーポットがひとりでに浮かび上がって、神様と私の前にあったティーカップに紅茶を注いだ。目を覚ましてから既に色々と驚き過ぎていて感覚が麻痺しているのか、そんな超常現象を目にしてもわりと平静でいられた。
どうぞ、と促されて紅茶を啜ると、向かいの席で神様も優雅な仕草でティーカップに口を付ける。それからティーカップを置くと、彼女はテーブルに両肘をついて手を組み、その上に顎を乗せて思案げな表情で口を開いた。
「さて、どこから話そうかな…君は、此処に来る前のことは覚えている?」
「はい。おそらくですけど、空港を出た所で背後から刺されて、死んだ…のですよね」
「そうだよ。ああ、言っておくけど、君が刺されたのは恨み妬みとかじゃないからね?君を刺殺した女性は君の熱狂的…というか狂信的なファンの内のひとりで、君を殺して自分だけのものにする!っていうのが動機だから」
「えぇ…なんか理解し難い動機ですね…あとすみません、ひとつお聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「なんだい?」
「私の家族は、無事でしょうか?」
私の問いかけに、神様は「ふむ、まあ怪我なんかは無いけれど」、と言い置いてから、少し考えるそぶりを見せた。
それから、少し言い辛そうに口を開く。
「…君が、あんな死に方をしたからね。君の両親と妹はもちろん、親戚や友人、あと君のファンの皆なんかも、とても深い悲しみの中にいるようだ。君の葬儀から1ヶ月経ったけれど、未だ彼らが立ち直る様子はないよ」
「そう、ですか…なんか、申し訳ないですね…」
「なに言ってるんだい?君は被害者であり、落ち度は全くないよ?というかだからこそ、こうしてお話する席を設けているのだし」
神様はそう言って、どこからともなくひとつの巻物を取り出すと、私の目の前に広げてみせた。そうしながら、説明を始める。
「これが、君の次の転生先の情報だよ。地球ではなく、『セプティマ』と呼ばれている異世界だ」
おっと、まさかの異世界転生だった。学生時代に友人から借りた異世界転生モノの小説の内容をちらっと思い出しつつ、神様の説明を聞く。
「この世界は、言うなれば"剣と魔法の王道ファンタジー世界"ってところかな?世界にはマナと呼ばれる生命力のようなものが満ちていて、これによって全ての生命や物質が成り立っている。マナを操ることで魔法を使うこともできるよ。
…まあ、この辺の話は転生したあとでゆっくり学んでいけば良いから、ひとまずここまでね。で、ここからが君の転生先の身体の話になるんだけど」
そう言って神様が指さしたのは、巻物の中でも何やら色々と数値が書き込まれた箇所だった。
その表題は、『転生後のステータス』、となっている。なるほど。
「これが、私のステータスなんですね?というか、ステータス画面とか見れたりするんですか?」
「ほんと話が早いね。そう、それが君の初期ステータスだ。ステータス画面については、セプティマに渡ったあとなら≪ステータスオープン≫って唱えることで確認できるよ。あ、この唱えるっていうのは、君の場合は声に出さずに内心で唱えるだけでも発動するからね。…ま、とりあえず初期ステータスを確認してみてよ」
「はい」
促されて、自身のステータスを読み込んでいく。と、さっそく最初の数行で引っ掛かってしまった。
『転生後のステータス』
名前:シスネ・ディア・クロメンティール
性別:男性
種族:魔族
年齢:3歳
立場:クロメンティール公爵子息
…は?
「えっと…私、男性に転生するんですか?しかも魔族って?」
「大丈夫、魔族は総じて美男美女揃いで、男女の性差なんて有って無いようなものだから。というのも他の種族にはない特徴として、魔族は外見やステータス上の性差はあれど、みんな両性具有だからね」
「はい!?」
いま何て言ったこの神様?ていうか問題はそこじゃない気がするんだけど…まあ、この様子じゃ言っても仕方なさそうだな…。
色々と物申したいところだけど、とりあえずステータスの続きを見てみることにした。
――――――――――
『転生後のステータス』
名前:シスネ・ディア・クロメンティール
性別:男性
種族:魔族
年齢:3歳
立場:クロメンティール公爵子息
<基本>
HP:1500/1500
MP:20000/20000
<称号>
祝福されし者、世界の寵愛を受ける者、転生者
<武術スキル>
剣術:Lv1、刀術:Lv1、槍術:Lv1、弓術:Lv1、体術:Lv1、投擲術:Lv1
<魔法スキル>
火属性魔法:Lv1、水属性魔法:Lv1、風属性魔法:Lv1、土属性魔法:Lv1、光属性魔法:Lv1、闇属性魔法:Lv1、無属性魔法:Lv1、付与魔法:Lv10、錬成魔法:Lv10
<技能スキル>
鑑定:Lv10、隠蔽:Lv10、アイテムボックス:Lv10、魅了:Lv10、ピアノ:Lv10、歌唱:Lv8、作曲:Lv10、芸術:Lv8、料理:Lv10、裁縫:Lv10、家事:Lv10
<加護>
創造神システィアの加護:Lv∞
※なお、スキルレベルの区分は次の通り…Lv3→一人前、Lv5→達人級、Lv7→仙人級、Lv10→MAX
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「えぇっと…これ、いわゆるチートってやつですかね?」
私が半ば呆然と呟くと、神様は「そうだよ」、と頷いてみせた。その表情は実に楽しげ、というか満足げだった。
でも、神様はすぐにその表情を消して…えらく真剣な表情をみせると、おもむろに口を開いた。
「実を言うと私はね、ずっと君のことを見守っていたんだ。そして君の魂の高潔さにとても惹かれた。本当は可愛いモノや綺麗なモノが大好きなのに、客観的に自身を見て自分を着飾るのを早々にすっぱり諦めたこととか。周囲の期待に応えるべく振る舞って、『男装の麗人』、だなんて呼ばれていたこととか。
それでも、周りに対して感謝はしても決して恨んだりしなかったところとか。
…本当は、セプティマでは可愛らしい女性に転生させたかったのだけど、生憎と女性の魂の空きが無くてね。だからせめて見目が麗しい魔族の男性に転生させることにしたんだよ」
ごめんね、なんて謝られて、私は黙って首を横に振った。胸がいっぱいで、目頭が熱い。少しでも口を開いたら、涙が流れてしまいそうだった。
このひとは、私のことを寸分違わず理解してくれているのだと、そう思ったら…とうとう、涙腺が決壊した。
「あり、がとう、ございます…かみさま…っ」
「ふふ、礼を言うのは此方の方だよ。君、此処に来て異世界に転生することを伝えても、ひと言だって『嫌だ』って言わなかっただろう?たった25年しか生きられなかったのに、『生き返らせてくれ』、とも言わなかった。
次の生でも、窮屈な思いはするかもしれないけれど…私も出来る限りサポートするから、少しでも楽しく、自由に生きてほしい。
…私からは以上だけど、聞いておきたいこととかはあるかい?」
「いえ…っあり、ません…」
ぼろぼろと涙を零しながら答えると、神様はその場に立ち上がって私の頭を優しく撫でてくれた。そのまま、ぎゅっと抱きしめられる。
「ではまたね、紫苑。―――君の道行きに、幸あらんことを」
「はい…いってきます…っ」
「いってらっしゃい」
そのやり取りを最後に、視界も、意識も、全て真っ白な光に塗りつぶされた。