咸陽 (1)
食糧の心配は気が滅入る。荊軻の道行きは、徹底してこれに苦しめられた。
例えば賊に襲われて、白刃を突きつけられたとすれば、突然の危機を逃れるために力が湧いて来るだろう。しかし、次第に食糧が減っていくという、漫然と迫ってくる危機は、むしろ抵抗しようとする力をも奪っていく。人家も見えぬ荒れ野を馬車に揺られながら、食糧の残りを気にしていると、さすがの荊軻も気持ちが沈んでくるのだった。
燕国は、中華の北東の端にある。燕より北は、もう蛮夷の国匈奴の版図になる。一方、秦は、中華の西の端に位置する。そして、燕と秦の間には、おおまかにいって趙・韓・魏の三国があった。しかし、今やそのうちの二国、趙と韓は秦に征服されている。燕の領土を出れば、すぐに秦に征服された土地ばかりだった。荊軻一行は、そこを通って、秦の都咸陽まで行かなければならない。
―― いっそ、燕の国境にまで迫っている秦軍に、咸陽までの護衛と食糧を頼んではどうか。
荊軻は、その手も考えてみた。しかし、それでは、進退を秦の将軍に握られてしまう。まさか、内密に葬られるということはあるまいが、秦王の指示を仰ぐ間、陣中に留め置かれるということは、無いとは言えない。そうなれば時間を空費してしまう。その間に、秦王の攻撃命令が来てしまうようなことがあれば、計画そのものが意味を失ってしまう。
結局、荊軻は、出来るだけ秦軍の眼を引かぬように、そっと移動することにした。趙が健在であれば、街道沿いの駅亭を利用できただろう。しかし、秦に征服されて、趙国内の駅伝制度は途絶えがちになっており、機能しているところは、秦軍の支配下にあった。結局、駅亭を利用できない荊軻一行は、食糧調達に苦しむしかなかった。
昔日、燕が強盛であった頃ならば、燕の使者といえば、多くの車馬を美々しく仕立てて、さぞ華やかなものだったのだろう。それに比べて、わずかな供回りと、それで運べるだけの食糧しか持たない荊軻一行は、侘しいものだった。旅費は潤沢にあるのだが、みなの心の裡に、華やいだところは全く無かった。
季節は冬。しかも、行く先々の民草は、みな不安を抱えている。
――戦乱の行方はどうなるのか。
――来年、まともに耕作が出来るのか。収穫はどれほど得られるだろうか。
――新しく来た秦の官吏は、どれだけ税を取っていくのか。
民草の不安は尽きない。当然、食糧を手放したがる者は少なかった。売ろうという者も、いかにも怪しげな風体で、法外な値を付けてくる。それでも、売ってくれる者がいれば、まだ有難かった。荊軻は、仮にも燕国の正使であるから、旅費に困ることはない。どんなに高値を付けられても、買い調えることが出来た。しかし、どれだけ金を持っていても、売ってくれる者がいなければ話にならない。最後には奪うしかないのだが、侠者として、燕国の使者として、それは出来ない。かといって、太子の願いと田光の信頼を託された身には、使命を果たさずに、こんなところで飢え死にすることも許されない。その矛盾が荊軻を苦しめた。
思うように食糧が手に入らない苛立ちは、みなの心の内にも、日に日に募ってくる。それに耐えられなくなって最初に騒ぎを起こすのは、いつも秦舞陽だった。
「何だ、この値段は。お前、我らを舐めておるのか」
秦舞陽は、高値をふっかける商人を怒鳴りつける。しかし、したたかな商人が、そんなことで尻尾を巻くわけもない。秦舞陽は、さらに腹を立て、殴りかかろうとする。そのたびに、荊軻がそれを押しとどめた。そんな時は秦舞陽も、上卿であり正使である荊軻を一応立てる形で引き下がる。しかし、その眼には
――臆病者め!
という、あからさまな侮蔑と敵意が見て取れた。太子が、正使に荊軻を選んだのが面白くないという気持ちがあるのだろう。しかし、秦の支配地で民と揉め事を起こせば、どんな不測の事態に陥るやもしれぬ。
――なぜ、それが解らないのか。
荊軻は、秦舞陽への苛立ちにも耐えなければならなかった。
秦の関塞が見えてきたとき、荊軻はほっとしていた。ここからが秦の本領であり、むしろ、どのような困難が降りかかるか知れたものではない。それでも、真綿で首を絞めるような、緩慢な飢えの恐怖と、荒布で感情をこすり上げるような秦舞陽の言動に耐える日々が終わるなら、どんな変化でも歓迎したい気分だった。
荊軻は、馬車に旗を立てさせた。無地無紋の真っ赤な大旗が強風に翻る。礼の定めでは、それは、諸侯が天子に対して派遣した使者が立てる旗だった。しかし、諸侯を治めるべき周の天子は、最早いない。とうの昔に秦に滅ぼされている。そして、今、荊軻は、表向きには秦への臣従を請う使者として送り出されている。それ故、この旗を立てる事は、当然といえば当然であり、諂いといえば諂いである。
冬枯れの荒野にはためく一流の真っ赤な大旗は、塞に詰める兵士の目にも、はっきりと映っているだろう。
―― さあ、秦は、これにどう答える。
門の上で、兵士が動くのが遠目に見える。
荊軻は、待った。
荊軻の一行が、変わらぬ速さで進むうちに、やがて門が開き、数人出てくるのが豆粒のように見えた。その様子からすると、いきなり攻撃してくることはなさそうだ。まずは、一安心だった。
通常の手順なら、使者は、関塞で暫らく待ち、その間に関塞の役人である関人が、王へ使者の到来を告げる。王は、使者に入境の許可を伝える士を送り、士は使者を案内して王都へ向かうことになる。
だが荊軻一行は、秦の実効支配を無視する形で、趙の領域を越えてきたのである。事は、そんなにすんなり進まないだろうと、荊軻は考えていた。ところが、案に相違して、迎えの士は、あっさりと派遣されてきた。関塞で待たされたのは、本当に咸陽までの往復に必要な日数だけだった。そのうえ、迎えの士は、
「王都咸陽へ、ご案内仕ります」
と丁寧な口上を述べるのみ。趙の土地を無断で通過したことには、一言も触れなかった。
―― 願いの筋と、手土産の内容を、先に関人に伝えておいたのが良かったのかもしれんな。
荊軻は、ひとまず胸をなでおろした。そうして、荊軻は、いよいよ、秦の本領へ足を踏み入れた。
関塞の内と外は、別世界だった。秦の役人が付き添っているのだから、駅亭に宿泊でき、食糧の心配をすることもない。おかげで、秦舞陽の不快な言動も、ぐっと減った。しかし、それだけではない。何よりも、民の表情が違う。趙では、民は一様に不安な顔をし、目は猜疑で定まっていなかった。ところが、秦の民は明るい。街道を行きかう商人にも、通り過ぎる畑で働く農民にも、不安の影を見ることはなかった。
――意外だ。
荊軻はそう思った。燕や趙では、秦王政といえば暴君で通っている。
「暴君の野望に引きずられている国」
荊軻も、自然と秦をそのように考えていた。
しかし、暴君に虐げられた民が、これほど明るいだろうか。商鞅という宰相が百年ほど前に行った改革以来、秦の民は法律で厳しく縛り付けられているという。噂によれば、数年前から、全ての男子の年齢を登録させ、成年男子を兵として徴収しているらしい。その間の衣食は自前で調達しなければならず、民の生活に重くのしかかっているという話も聞いていた。
ところが、そういう施政に対して、民の間で怨嗟が渦巻くという感じがない。むしろ、案内役の士など、会話の折節に秦王への信頼を語りさえする。それは、立場上のものではなく、本心であるようだった。
荊軻にとって、これはかなり意外なことであった。と同時に、荊軻の心の中に、漠とした不安を生じさせた。そして、その不安は、咸陽へ向う間に次第に大きくなっていった。
秦の都、咸陽は、渭水という河の南北両岸に広がっている。西の辺境に興った秦は、周王の冊封を受けてより五百年、周の華やかな文化を求めて、東へ東へと遷都を繰り返してきた。ここ咸陽は、およそ百二十年ほど前、まだ秦の君主が王号ではなく公の称号を用いていた頃、六代前の孝公によって都と定められた。
宮殿の造営は、はじめ、渭水の北岸のみでおこなわれた。それと同時に孝公は、法家の学を修めた商鞅を宰相に起用し、改革を断行した。この改革をきっかけに、秦は飛躍的に力を伸ばし、六国併合への道を歩みはじめたのだ。その後の歴代君主は、国力が増すにあわせて咸陽を拡張してきた。今では、渭水の両岸にまたがり、ますます広がり続けている。
「何だ、これは……」
朝の澄んだ空気の中、遠くから見てさえわかる咸陽の巨大さに、荊軻は驚いて呟いた。その日の朝、荊軻一行は、ようやく咸陽を遠くに望めるところまでやってきていた。
その威容は、近づくにしたがって、ますます明らかになってくる。今、咸陽の近郊まで来て、小休止を取りつつ、荊軻は改めて咸陽を眺めていた。
秦の都、咸陽の中心たる咸陽宮。あれが、そうなのだろうと思わせる壮麗な宮殿が、高台の上に建ち、周りにはかなりの広範囲にわたって、あまたの宮殿や楼観が立ち並んでいる。さらにその南側には、民が暮らす街が広がっているようだった。遠くから眺める建物の雰囲気は、荊軻が知るどの国の都とも、明らかに違っている。千年の昔から、周王の支配の下に栄えてきた中原の国々と、辺境から興った秦とでは、やはり全てにおいて、物のあり方が違うようだった。
荊軻が、咸陽の姿に息を飲んで見つめているところへ、案内役の士が近付いてきた。士と上卿では、身分が違うため、これまで荊軻と親しく話すことは少なかった。それが、咸陽を目の前にして自分から近付いてきたのだ。
―― 一体、何用なのか。
警戒する気持ちが自然に起きる。案内役は、再拝稽首して告げてきた。
「燕の御使者に謹んで申し上げます。本来であれば、ここで大夫が出迎えに参るところなれど、客殿まで私が御案内せよとの命を受けておりますれば、何卒ご了承くだされませ」
「……承知致しました」
荊軻は、しばし間を置いて静かに答えた。
本来の礼の定めならば、士の案内で都の近郊へ到着した使者は、士より身分の高い大夫の出迎えを受けて都に入り、客殿に案内される。客殿では、さらに上位の卿が使者をもてなす。そのように決められている。それにも関わらず、身分の低い士に全てを任せると言うのならば、燕の使者は、屈辱的な扱いを受けていると言わなければならない。周囲の者、特に秦舞陽などが色めきたつのを、荊軻は目で押さえた。
―― まともな扱いを受けるとは思っていなかったが、こう来たか。しかし、ここでごねても始まらぬ。会ってもらわねば困るのはこちらだ。とにかく、先ずは咸陽に入ることだ。
そう考えて、荊軻は案内役に答えた。
「こちらに異存はございません。どうぞ、御役目をお果たし下さい」
従者たちの不満気なささやき声や視線は、完全に無視した。特に秦舞陽は、視界にも入れなかった。案内役の前で、万一言い争いにでもなれば、見せなくとも良い弱みを見せることになるのだから。
こうした一幕があってから、一行は再び咸陽を目指して進みはじめた。
見えていながら、なかなか近づいてこない巨大な咸陽に、ようやくたどり着いた時、日は中天を少し過ぎていた。街中に入ると、秦の異質さは、ますます強く感じられた。道を行きかう人々の身なりや髪形には、趙や楚の影響も見られるが、それらのどの国とも違う。秦独特の風俗が培われていた。
―― それにしても、この人出の多さと活気は何なんだ。
荊軻は、内心舌を巻く思いだった。人々の話し声、足音、荷馬車の行きかう音。様々な音が、一つのうなりとなって、周囲から押し寄せてくる。
―― 斉の都の臨淄さえも凌いでいるのではないだろうか。
荊軻は、そう思った。臨淄は、往時、最も栄えた都であり、道では車はぶつかりあうこともしばしば。あまりの人の多さに、通行人がいっせいに袂を上げれば幕になり、汗を払えば雨になるとまで言われた程だった。しかし、この咸陽の繁栄振りは、その臨淄さえも超えるのではないかと、荊軻には思われた。口にこそ出さなかったが、心底驚いていた。秦舞陽も驚いているらしい。短気な性格に似合わず、邪魔になる通行人を怒鳴りつけるのも忘れて、きょろきょろと周囲を見回している。
街に入ってから、荊軻の一行は、真っ直ぐ客殿へ向っている。その道すがら、荊軻は、注意深く街の様子や道行く人々の表情を窺った。
―― 何という活気だ。とても法律で縛られ、戦役に苦しむ民には見えぬ。薊城も燕の都ではあるが、咸陽の活気には及ぶべくもないな。今思えば、どれほど人が多く居ようが、薊城の奥底には、陰の気が重くこもっていたようだ。薊城に居たころは、それがわからなかったが、こうして咸陽と比べてみると、はっきりわかる。秦という国の力は、これ程のものだったのか。
関塞を過ぎて以来、心の裡に育っていた漠とした不安感が、はっきりした疑問として目の前に立ち現われてきた。
―― 俺は、この国を止められるのだろうか。
その思いが、重くのしかかっていた。