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本郷さんと白石さん  作者: 馬場未知瑠
7/14

「さようなら、白雪姫」(7)

 本郷は捜査一課にある刑事たちの机が並んでいる部屋の、一等目立つ席で机にいつもの手帳を広げていた。その光景に、部屋へと入ってくる刑事たちが顔を驚きと困惑に染めていく。日常の中の非日常が、こんなにも身近に存在するとは・・・。そんな表情であった。

 現在時刻は午前九時を少し回った所だ。

 本郷が自分の席へ朝から出向いてくることは、大変に珍しい。普段はお決まりのカフェのお決まりの席で、お決まりの飲み物を飲んで、ミステリー小説を読んでいるのが、いつも通りの光景なのだ。つまりこの警察署では、刑事たちがひしめくこの部屋の本郷の席には、誰もいないのがいつも通りの光景ということになる。こういう奔放なところが無ければ、本郷という男は東京の捜査一課に居てもおかしくはないのだが、本人にそうなろうとする意思はまるでなかった。

 ちなみに白石がこの部屋へと現れる時間は、いたって平均的な日本人のそれで、始業の三〇分前である。


「本郷さん、何か解りましたか?」


 さて、この一種異様な光景を作り出した男は、すぐに上司の元へ向った。


「ああ、雪くん」


 本郷はそう言うと、広げていた手帳から視線を上げずにそう口を開いた。別に相手を確認せずとも、署内で自分に声をかけてくる人物は限られているため顔を上げる必要がないのだ。それに、これだけ毎日行動を共にしていて、“相棒”とも言える相手の声を聞き間違える本郷ではない。


「雪くん、さっきの話なんだけど、どう思った?」


 さっきの話、と言うのは、十中八九ここに来る前に柏木さち子に聞いた話のことだろう。それは白石にも解ったのだが、彼が自分に何を聞きたいのかが解らないのである。

仕方なく、白石は本郷に問いかけた。


「どう、とはどういう意味ですか?」


「柏木さち子の供述なんだけど、どうしてあれだけの街灯の少なさで、相手が男性だと解ったのかな」


「ああ、確かにそうですね。でも大槻カホみたいな男性ならまだしも、俺みたいに背格好もそれなりに成人男性らしかったら解るんじゃないですか?」


「ふ~ん・・・もしかしたら、相手が男性だって解っていたのかもしれないね」


「え?どういう意味ですか?」


 白石が首を傾げると、本郷はようやくノートから顔を上げた。白髪が目立つ髪の毛の下、皺の目立つ顔にある彼の瞳が優しく微笑んでいる。その微笑みに、白石は表情を引きつらせた。どうやら、今回の事件もこの奔放な上司にとことん振り回されそうである。


「それを確認しに行くんだ」


 手帳を内ポケットへしまいながら、本郷は椅子から立ち上がった。白石は頭を掻くと、やれやれと言いたげな表情で先を行く上司へ声をかけた。


「今日はどちらへ?」


「あの病院へ行こう」


 本郷はそう言うが早いか、スルスルと人の群れを掻き分けて室外へと出て行ってしまう。白石はその後を追いかけながら、自身のズボンのポケットに手を入れた。左のポケットで、チャリチャリと鍵同士がぶつかる音が聞こえる。

 白石の運転する愛車に乗り込むと、本郷は手帳を開いて、珍しく白石が問いかけるより先に口を開いた。


「柏木さち子によると、大槻カホの部屋から事件当日の犯行時間に、白いコートのようなものを着た人物が目撃されているね」


「隣室の方・・・とかですかね?それなら柏木さち子が知っていても不思議じゃありませんし」


 白石がそう返すと、本郷は首を捻った。


「隣室の人間が、夜中に急ぐ理由は何?」


「そうですねえ。急用とか・・・って隣室の方は、そもそも事件当日は誰もいないんでしたね」


「そうなんだ。それに白いコートを着た人物は、コートを引っ掛けても気にしなかったみたいだ」


「そんなに高いコートじゃなかったから、ですかね?俺だったら高くても安くても気にはしますけど」


「うん、そうだね。ぼくも気にはするかな」


 本郷は、もう満足です、といわんばかりに寛いだ様子で座席に腰掛けなおすと、手帳をしまった。

 ゆったりと白石が考え事をしながら走らせていたにもかかわらず、彼の愛車はものの三〇分も経たずに目的地へと到着していた。守衛に警察手帳を見せ、従業員用の出入り口から入って車を停めると、本郷は素早く車から降りてそのままのスピードで医療関係者用の出入り口へ向う。白石が追いつく頃には、もう彼は目的の人物へのコンタクトに成功したようで、満足そうに建物へと入っていった。


「本郷さん、待ってくださいよ!」


 声を潜めながらも、語尾を強めて白石は問いかけた。


「ああ、ごめん」


 白石の言葉に、本郷は歩みを緩めた。しかし緩めた程度で止まる気配はない。白石は小走りに近付くと、再び口を開いた。


「会いに来たのって、長澤栄徳ですか?」


「そうだよ。ぼくが思いつく“白いコート”が、これだけだったんだ」


 その言葉に、白石はハッとして顔を上げた。確かに、柏木さち子の証言どおりに“白いコートのような物”を着た人物が、そこかしこに立っている。白衣だ。医者が着ているその服は、あれほどまでに暗い場所で見かけたら、確かにコートと見間違えるだろう。

 本郷が目的の人物の診察室をノックすると、扉が内側から静かに開かれた。


「突然申し訳ない。よろしいですか?」


 大槻カホの恋人だったその医者は、診察室に足を踏み入れた本郷と白石に、温和な医師らしい笑顔を見せた。それは二人が初めて彼と出会った時と、まったく同じ笑顔だった。

 長澤は笑顔を崩すことなく、二人に目の前の椅子へ座るよう促して口を開いた。


「ええ。・・・と言っても、診察を待っている患者さんが多く居ますので、長くはお話できませんが」


「そうですか。解りました。では、さっそく本題に入ります」


 本郷はそう言うと、いつものノートを開いた。


「実は大槻カホのアパートの住人が、事件当日に白いコートを着た男を目撃しているんですが、心当たりは?」


「白いコートを着た男・・・ですか?」


「ええ。あのアパートは朝方でも薄暗く感じるほど街灯が少ない。常夜灯しかない夜ならなお更です。それなのに、アパートの住人の方は“白いコートのような物を着た男が居る”と言ったのです。どうしてコートは“のようなもの”とあいまいに言っていたのに、色と、相手が男性であるという事は判別できたんでしょう?」


 本郷の言葉に、長澤の顔から血の気が引いていくのが解った。けれど、それでも周囲からはいつもの彼と大差なく見えただろう。彼の目の前に座っているのが刑事でなければ、その微妙な表情の違いには気が付かなかったはずだ。


「どうしました?長澤さん、何か?」


 本郷の問いに、長澤は口元に笑みを浮かべるようにして一息ついた。


「・・・弱ったなー。たぶん、周辺の人が見た白いコートっていうのは、わたしの白衣のことかもしれません」


「犯行当日あの時刻に、あの場所に行っていたと認めるのか?」


 白石の問いに、長澤はまるでそんなことあるわけないといった表情で口を開いた。


「ああ、いえ、違うんですよ。そうじゃなくて、カホの部屋に白衣を着たままで行ったことが何度かあるものですから」


 この季節の外の風は冷たいですからね、と付け加えて、長澤は近くに置いてあったペットボトルの水を口に含む。その指先には1つの動揺も見られない。

 白石は本郷の方をチラリと見て、彼の合図を待ってから問いかけた。


「それだけで、白いコートが白衣だと断定させるのか?考え方が大雑把じゃないですか?」


「もしかしたら、と思っただけです。それに、えーっと、目撃者の方はその人物が男性だと思ったとか」


「ええ、確かにその通りです」


 頷いたのは本郷だった。


「一つの仮説が生まれませんか?私があのアパートに頻繁に通っていたから、目撃者の方はコートの色は白で、それを着ているのは男性だと思った、と。・・・どうでしょう?」


「中々の名推理だと思いますよ。しかし、貴方がコートの代わりにどうして白衣を?もっと、以前お会いした時のスーツに似合いのコートは持っているはずでしょう」


「ああ、そのことですか」


 長澤は再びペットボトルの水で口内を潤してから、唇を開いた。


「簡単ですよ。私、車通勤なんです。ここの職員用出入り口は、出てすぐの所に車を停められるので、上着を着る機会がないんです。せめてマフラーを巻く程度で。だから、時々上着の代わりにしてしまって・・・この前も、不注意でひっかけたんです」


 その言葉に白石は、我が耳を疑った。本郷の顔を見ると、彼もまさか自分から言うとは、とでも言いたげな顔をしていた。本郷がノートにペンを走らせる手は止まってはいないようだったので、白石は慎重に言葉を選んで紡ぎ出した。


「その白衣は、どこに?」


「えっ、もしかして私、疑われています?参ったなあ・・・」


 そう言うつもりじゃなかったんだけど、と口の中でモゴモゴと呟きつつ、長澤はペットボトルの水を口につけた。どう見ても、動揺している素振りは見当たらない。


「ああ、いえ。もしよかったらお貸し願えないか、と思ったんですよ。いや実は、犯人が翻したその白いコートのような物が、階段の柵に引っかかって破れたそうなんです」


「へぇ・・・もしそれが本当のコートだったら勿体ないですね。ですが、それとわたしの白衣とどう関係が?」


「もしよかったら、壊れた箇所を見せていただけないかと思いまして」


「あー・・・まだあったかな。いえ、壊れたのですぐに産廃として出してしまっていて・・・」


「そうですか。それでは、失礼します」


 そう言って本郷は立ち上がった。もう帰るつもりなのだろうかと思っていたが、手にはまだ件のノートが握られているところを見ると、どうやらそうではないらしい。そこで白石は、さも今思い出したかのように口を開いた。


「ああ、聞きそびれていましたよ、長澤さん。大槻さんが殺害された日、貴方はどこにいましたか?」


「その日は病院にいました。もちろん、ここの」


 長澤の返答に、白石は本郷とアイコンタクトを取ると、再び口を開いた。


「夜も、ですか?」


「ええ、夜も居ましたよ。勤務表は病院側に言えば見せてもらえるかと思いますので」


「そうですか。ありがとうございます」


「いいえ、こちらこそお役に立てずにすみません」


 白石は営業スマイルを口元に浮かべると、本郷を振り返った。彼は手に持っていたノートを定位置へ戻すと、部屋の外へ出ていった。男二人が、それもいい年齢した男二人が診察室から出てきたことに、診察を待つ患者たちが驚きの表情を浮かべていたことは、言うまでも無いであろう。


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