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本郷さんと白石さん  作者: 馬場未知瑠
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「さようなら、白雪姫」(4)

 地下鉄駅のすぐ目と鼻の先にある署に戻ると、一人の白衣の女性―――辻井(つじい)(なお)()が二人を待っていた。彼女に案内されるままに、二人は科学捜査研究所へ向かう。

 そこは研究所と言うよりは、中学校か高校の理科準備室を、少し広くした程度の部屋であった。入ってすぐ左手に理科室にあるような作業台が少し斜めに置いてあり、そこから少し離れた所に、会社にあるようなグレーの机が置いてあった。どちらも、机上には最新式のデスクトップのパソコンが置かれているが、作業台の方は整理整頓され、パソコンしか乗っていないのに対して、灰色の机にはパソコンを取り囲むように資料などが様々に積み上げられていた。

 左側に置いてある作業台の向かいには、大きな液晶が一つ吊るされている。会社のような机からも、作業台からも見やすい位置にあるが、どちらかと言えば作業台からの方が見やすいだろうか。

部屋は他にも二つあり、奥の部屋では誰かが作業をしているのかパソコンのキーボードを鳴らす音と、そのパソコンの液晶の灯りと、机上の卓上ライトの灯りが微かに見えた。その手前は薬品庫なのだろう。今日は閉じられているが、薬品の臭いがツンと鼻を刺激してきて、白石は人差し指で軽く鼻をこすった。

 棒つきキャンディーを頬張っている辻井は、見た目こそ若くは見えるが、本郷とはほぼ同期だ。つまり、彼女もアラフィフである。白髪を業務規程ギリギリの明るい茶色に染め上げているが、白髪が光って浮いているということもなければ、化粧に覆われた顔に、皺によるヒビが入っている部分も見受けられなかった。彼女は所謂、今流行りの美魔女と言うもののようである。

 おそらくシングルスーツだろうスーツのスラックスに、白いカッターシャツ、その上に真っ白な白衣が羽織られている。スーツのジャケットはロッカーに置かれており、仕事中にそれが羽織られることはまずなかった。白衣の前を開けているが、長い脚を強調させるようにカッターシャツがスラックスに納まり、人より高い位置の腰にはバックルだけがシルバーの黒いベルトが巻かれている。首から下げられているのがネックレスだったなら、さぞお高くとまった───と言うよりも場違いな印象を受けるのだろうが、彼女の首に吊るされているチェーンに繋がっているのは、老眼鏡だ。


「遅かったじゃないか。待ちくたびれたよ」


 そう言う彼女の最寄りのゴミ箱には、十数本の飴の棒が捨てられている。毎日、彼女の部下兼助手がゴミ箱を空にしているということを考えると、本当に彼女が暇を持て余していたことが伺えた。


「それで、検死の結果は?」


「おもしろいものをみつけたよ」


 彼女はそう言うと、検死結果の書かれた紙を本郷に手渡した。白石がその紙を覗き込むと、辻井は再び口を開いた。


「一見すると何もおかしい所が無いのさ。ただ自分で自分を切りつけただけの死体。でも、あたしの目は誤魔化せない」


「ただの自殺ではないとおっしゃるんですか?」


 白石の言葉に辻井は、うーん、と上に伸び上がると、灰色の机に備え付けられたキャスター付きの椅子へ、勢いよく腰掛けた。ガラガラと椅子が後退して、背後の壁にぶつかって止まる。辻井はその行動を気に留める様子も無く、再び口を開いた。


「死因を出血多量によるショック死に見せかけている。本当はこれ、この脳の数値、よく見てよ。ね?これ窒息したときの数値なんだ」


 辻井の言葉通り、そこに記されている凶器や傷口と臓器の裂傷などは、現場で確認したものを決定付けるものに過ぎなかった。それと共に渡されたもう一枚の紙に書いてある体内の酸素量や、血液量などが書かれている紙の内容こそ、本郷と白石が知りたかった情報であった。

 死亡推定時刻は、午前5時頃だ。


「つまり、被害者は一度何らかの方法で窒息させられていると?」


 本郷は小さく、ふむ、と頷いた。

 辻井は笑みを浮かべると舐め終わった飴の棒で、正解、と彼を指した。


「首の骨は折れていないから、腕で一度首を絞めているかもしれないな。白石くん」


 白石が返事をするより早く、辻井は持っていた飴の棒をゴミ箱へ捨てると、彼の後ろへ回り込んだ。身長が一八〇センチメートルを超えている白石ではあるが、辻井も一六〇センチメートル後半の身長だ。おまけにヒールの高いパンプスを履いている。それでもまだ白石には届かないのだが。


「えーっと・・・しゃがめばいいですか?」


「うん、頼むよ」


 辻井の言葉に白石が少し膝を追って屈むようにしゃがめば、彼女が背後から彼に腕を回した。一瞬ドキリとした白石だが、この胸の高鳴りはけっして、女性上司に後ろから抱きしめられたからではない。いや、健全たる男子としては胸が高鳴って然るべきなのだが、問題は腕を回された場所にある。

 彼女が腕を回した場所は、ちょうど彼の首だった。


「こうね、上腕と前腕の間に被害者の首を挟むんだ。そうすると圧迫されて一時的に呼吸が出来なくなって、ブラックアウトさせることが出来るんだ。犯人が男だったらそれも可能だろう。何せ被害者は男性にしては華奢だ」


「なるほど・・・」


 白石が呟くようにそう言うと、本郷は


「ああ、そうなの」


 と小さく口の中で呟いて部屋を出て行ってしまった。白石は慌てて辻井の腕から逃れると、勢いよく頭を下げて同じような速さで本郷の後を追いかけていった。


「本郷さん!もしかして、何かわかりました?」


「今回の事件、もしかしたら酷く猟奇的なんじゃないかな。(はな)くんの言葉が正しければ、一度首を絞められてからあの傷をつけられたことになるね」


 華くん―――とは、もちろん辻井のことで、彼はこうして仲が良い相手に彼独自のセンスであだ名をつけていくのだ。“読書”のこともそうだが、これも悪癖と言えば悪癖なのかもしれない。


「えっ?だって大槻カホの傷は、どう見ても自分でつけた傷なんですよね?」


 白石は、本郷の言っている言葉をまるで理解できないのか、目を白黒させている。首を捻りながら、辻井に渡された検視結果の報告書を見つめている。裂傷についての記述は、自分で刺した時に出来る傷であることを証明するものでしかなかった。


「自分でつけた傷のように偽装することは可能だよ、雪くん。傷の付き方を熟知している人間なら楽に行えると思うんだ」


 本郷の言葉に、白石は背中を冷たい物が滑り落ちていくのを感じた。もし本郷の言葉が事実だとすれば、犯人は大槻カホを絞め殺すだけではあきたらず、自殺だと見せかけるような傷をわざわざつけたということになる。


「本郷さん、それって・・・」


 呟く声が上ずったのが自分でも解って、白石は唇を噤むと生唾を飲み込んだ。どうか肯定しないでくれ、と言う瞳で、彼は本郷を見つめた。

 その瞳に、それは出来ない、と悲しそうに眉を下げて、本郷は口を開いた。


「木ノ本瑞樹さんが言っていた医療関係の彼のところへ、行ってみようじゃないか」


 ただもう時間も時間だから明日にしようじゃないか、とのんびり悠長なことを言う本郷に、白石は小さくため息を吐いた。白石とて事件を解決したくないわけではないのだ。例えどんなに理不尽な理由だとしても、例えどんなに自分が苦手な事件だとしても、それを解決するのが刑事の務めなのだ。


「警察だ、って言えば病院は入れてくれますよ?」


「雪くんは夜の病院って平気なの?なら行こう」


 本郷はそう言うと、軽快な足取りで駐車場へ向っていった。その後を追いかけながら、白石が感嘆の声を上げた。


「へえー。俺は平気ですよ。本郷さん、もしかして怖いんですか?」


 久しぶりに上司の弱みを発見して、少しばかりニヤニヤとした表情で白石は語りかけた。先ほどまで、犯人の動機に表情を強張らせていた優しい青年は、そこにはいない。


「怖くはないよ?ただ、なんだか薄気味悪くて、僕は嫌いなんだ」


 貴方の読んでいる本の内容の方がよほど薄気味悪いですよ、とは思ったが、口に出すのはため息だけにした。代わりに車の鍵を開ければ、待っていましたとばかりに乗り込んで、本郷は助手席で上着の内ポケットから手帳を取り出していた。


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