「さようなら、白雪姫」(12)
犯人が逮捕されたというニュースは、瞬く間に世間へと拡散されていった。現役医師の逮捕は、痴情のもつれとして連日ワイドショーを賑わせているようである。証拠が不十分で有罪にならないかもしれないと言う情報も付け加えられていたため、連日警察署の前は報道陣でごった返しになっていた。
「はいはい、失礼するよ」
そう言いながら、本郷は報道陣の間をかき分けるようにして、署内へと戻って行った。後を追う白石が報道陣の対応に当たることになったが、人当たりの大変に良い人間だ。間違っても、現在の捜査状況を軽々しく話すような男ではない。報道陣の質問にも、体裁を取り繕った笑顔でスラスラと回答していた。
その間に、本郷は辻井の元を訪れる。
「華くん、今いいかい?」
「おお、珍しい物を見たよ。本郷が署内にいるなんてどういう風の吹き回し?明日は槍が降るかな」
「失礼だな。これの筆跡鑑定をお願いしたいんだ」
本郷は手に持っていた二冊のノートと小さな箱を机に置くと、懐に手を入れていつものノートから証拠品の遺書を取り出した。
「まずはこの遺書が大槻カホの筆跡であるのかどうか、そしてこのノート2冊と見比べてほしいんだ」
「へぇ、このノートは長澤の・・・論文かい?」
辻井の言葉に、ふーん、と小さく本郷は鼻を鳴らした。彼女にもそれが論文だと解ったことに、驚いてのことだ。辻井は、それくらい解るだろう、とでも言いたげな、呆れたような表情で本郷を見返していた。
肝心なところが、この警部殿は抜けているのだ。
「それで、このお菓子の箱の中身は・・・ああ、かわいらしい字だね」
「遺書の字と同じに見えるんだけど、どう思う?」
「さあね。科学の力に聞いてみるよ。また結果が解ったら教える」
そう言うが早いか、辻井は本郷に手渡された一式を持って奥の部屋へと引っ込んでいった。それを見送る事もなく、彼女が立ち上がってすぐに、本郷は自分の仕事机へ戻って行った。
一課の扉を開ければ、それだけで室内がざわめく。それを気に留める様子など微塵もなく、本郷は自分の席へ腰を下ろした。それが当然だというように内ポケットから小説を取り出すと、ページを捲りだした。
「本郷さん。怒られますよ」
いつの間に戻って来たのか、白石は本郷の目の前に立つとそう言った。その姿に本郷は本を閉じると、内ポケットに戻す。
「怒られないよ。ぼく、警部だもん」
「イイ歳した大人が、だもん、とか言わないでくださいよ」
「文句言わないって言うから警部にまではなったんだ。少しくらい大目に見てほしいよ」
どんな理由で警部になったんだよ、とは思ったものの、その言葉は飲み込んで、白石は捜査状況の確認のために口を開いた。
「それで、辻井さんのところには?」
「うん。華くんが今・・・おっと、電話だね」
終わるには早いな、と呟きながら、本郷は警察署の内線電話を取り上げた。
「ああ、華くん?え?―――ああ―――うん。え?ええっ?!───あー、うん、うん、解った。解ったよ。怒鳴らないで―――うん、また届けるよ。ん?うん───それじゃあ・・・はあ」
受話器を置くと、本郷は盛大なため息を一つ吐いた。
「辻井さんからですか?」
「うん。あのノートの筆跡が本当に長澤の物か解らないから、勾留中の長澤から直筆の何かを貰って来い、って。後、もう一度大槻カホの部屋に行かないといけないな。それか、木ノ本瑞樹のところだね」
「あー・・・どっちも行きたくないですね」
白石の言葉に、本郷は頷きながら立ち上がった。向かう先は、長澤が勾留されている留置場だ。
「うん、大槻カホの所ならまだしも、木ノ本瑞樹はね・・・ちょっと、あれはヒステリーが過ぎる」
「俺は大槻カホの所の方が嫌なんですけど」
「本当に雪くんは鼻が敏感だね」
「だから、これが終わったら木ノ本瑞樹の所へ行きましょう」
「はあ・・・気乗りしないな」
本郷はため息を吐きながら、勾留施設へ続く扉を開けた。担当の警察官に案内されて、二人は一つの部屋の前で立ち止まった。
「お久しぶりです」
目的の場所へ辿り着いた二人は、あまりにも穏やかな表情で座っている長澤に驚いた。いくら自分が罪を犯したことを認めたとは言え、その表情は達観しすぎているのではないだろうか。これから先、自分にどんな罪状が告げられても、甘んじて受け入れると言いたげな表情である。
本郷はこの狭い留置場内でも彼がきちんとスーツを身に纏っていることに、さらに唖然としていた。医師であることへのプライドが、彼を今この場で冷静にさせているのだろうか。そうだとしたら彼との心理戦はあまりにも自分には分が悪い。そう思って、本郷は生唾を飲み込んだ。冷静沈着な相手を激高させられるのは、本郷ではない。
「長澤」
本郷がなんと問いかけようかと思っていると、白石は躊躇なく檻の向こうの名を呼んでいた。
「お前が犯人であることを証明するために、お前の直筆の何かが必要なんだが。何かないか?」
犯人に対して甘いところなど微塵も見せない。いつも以上に事務的な、機械的な対応が口から滑り出していく。それが白石なのだ。彼にとって法に抵触する者は、例えかつての恩師や親兄弟であれ、全て平等に悪なのである。
「直筆・・・ですか。あっ、手帳とかでも大丈夫ですか?」
「構わないですよ。今ここにありますか?」
逆に犯人とは言え、一人の人間として接してしまうのが本郷である。強面な顔からは想像もできない程に柔らかな笑顔を浮かべている。
「ええ。確か・・・」
長澤はそう言って立ち上がると、スーツのジャケットの内ポケットから一冊の細長いノートを取り出した。乱雑に扱われているわけではないのだろうが、あれからずっと着ているせいか、スーツは少し皺が目立っていた。
「どうぞ」
本郷が受け取ってページを捲ると、それはすぐに彼の手帳であると解った。月のページと、週のページがあるそこには、連日びっちりと予定が書かれていた。週間の所は日記にでもなっているのか、毎日びっしりと文字で埋まっていた。
「これで、犯人にしてもらえますか?」
「さあ、どうだろうな」
白石はそう言うと、スタスタと歩いて行った。その後ろを、本郷が長澤のノートのページを捲りながら着いていく。駐車場まで辿り着くと、二人は車に乗り込んだ。乗り込んですぐに、白石はハンドルにもたれ掛かるようにしてため息を吐いた。その姿に、本郷は貰ったノートをダッシュボードに入れながら、喉の奥で笑った。
「雪くんは本当に、犯人に厳しいね」
「すみません・・・」
「掴みかかるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたよ」
「あー・・・何か昔の自分を見ているみたいで、イライラするんですよ。すみません」
そう言いながら車を発進させた白石は、少しはにかんだように笑って見せた。その顔に、そうだろうね、と本郷は頷いた。白石の運転する車は、木ノ本瑞樹の家へと道路を進んでいく。
「今日は木ノ本瑞樹が部屋に入れてくれるといいね」
「そこはもう、無理矢理にでも入りましょう!」
語気を強めて白石が言うと、あー、と本郷は短く呟いて渋い顔をした。
「それやっちゃうと、ぼくが監督不行き届きで怒られるんだ」
「知っていますよ。でも、そのための警部なんじゃないんですか?」
しれっ、とそう言って、白石はウィンカーを出すとハンドルを切った。遠心力で左右に揺れながら、本郷は頬を掻いた。
「警部っていう肩書は、別に万能の魔法じゃないからね」
「あれ?違うんですか?」
「違うよ」
「そうなんですか?てっきり何でも許してもらえるポジションだと思っていましたよ」
二ヤーッ、と口元に笑みを浮かべる白石に、本郷は彼に見える側だけ頬を膨らませた。
「雪くんもなってみればわかるよ。こんなの詐欺だ」
為りたくても為れない人間からしてみたら、発狂寸前の発言だろう。白石は口の中で、すみません、と呟いた。
木ノ本のマンションに辿り着いた二人は、車を駐車場に止めるとマンションのエントランスへ向かった。今度もまた、オートロックを解除するために出入り口のインタフォンを押す。
「はい。あっ・・・今、開けます」
二人を画面越しに確認した木ノ本がそう言うが早いか、音声はブツリと切れて自動ドアが開いた。
「今回はずいぶん素直に入れましたね」
「そうだね。なんでだろう」
エレベーターの到着を待ちながら、二人は首を捻っていた。もちろんエレベーターに乗り込んだところでその疑問が解消されるわけもなく、今回はどう言って部屋に入れてもらおうかと考えている間に、目的の部屋の前まで辿り着いていた。
再び玄関先でチャイムを鳴らせば、先日とは打って変わって、申し訳なさそうに部屋の主は顔を覗かせた。
「お待たせしてすみません」
先日のヒステリックな物言いをしていた彼女は何処へやら、初めて二人の刑事と会った時のような彼女がそこに立っていた。前髪こそふんわりとしてはいないが、両胸の前に垂れている髪は前回同様の巻き毛だ。服は上下セットで、ピンク色を基調としたパーカーとショートパンツ。流石にそれでは寒いのか、ショートパンツの下には灰色のレギンスが履かれており、パーカーの下にもTシャツが着られている。
家の中に招かれた本郷と白石は、その室内にある違和感を覚えた。白石が本郷に視線を送ると、彼も同様に白石へ視線を送っていた。リビングへ通されて、二人はその違和感を確信に変えた。
部屋数こそ多いものの、その部屋の小物や家具家電は、大槻カホの部屋とそっくりだった。流石に部屋数の関係で配置こそまったく一緒と言うわけではないが、カーテンの色や柄も、カーペットの大きさや色も、机や衣装ケースの色やサイズも、全てが同じ物に見えた。家電製品は大きさや色だけでなく、きっとメーカーや型番まで同じなのだろう。食器棚に入っているマグカップにも、見覚えがあった。
素人目に見ても、それは異常なほどの既視感だった。
「あの、ご用件は・・・?」
おどおどとした様子で、木ノ本瑞樹は二人の男を見上げた。いくら昼間とは言え、いくら警察関係者とは言え、男二人を家にあげるというのは女性の一人暮らしには抵抗がある。それだけでなく、元々彼女はどこか人を避けているような雰囲気を醸し出していた。初めて二人の刑事と会った時も、どこか落ち着かない様子だったのを、白石は思い出していた。
「ああ、すみません。少し捜査に必要でして、木ノ本さんの直筆のノートか何かありませんか?」
本郷の問いかけに、木ノ本は怪訝な表情を見せた。
「わたしの、ですか?・・・どうして?」
「大槻カホさんの筆跡と対比するためです。ご協力いただけますか?」
嘘は言っていないのだが、どうしてそうも清々しいまでに胡散臭い笑顔で言葉が出てくるのか、と本郷は絶句していた。確信に触れることは何一つ告げていないが、一歩間違えば確実に怪しまれる内容である。
「カホの、ため・・・」
「はい。ノートと言うか、手帳でも構わないんですが」
「ノートですか?えっと・・・あったかな・・・ちょっと見てきます」
そう言って別な部屋へ移動しようとする木ノ本の背中に、今度は本郷が声をかけた。
「日記とかでも良いですよ」
「え、あっ、それはちょっと・・・手帳、持ってきます」
「ええ」
本郷が頷けば、木ノ本は足早に自室として使っているのだろう部屋へ消えていった。
家主のいなくなった部屋を見回す。ダイニングに置かれているダイニングテーブルも何処かで見覚えがあったが、そこまでは思い出せないでいた。その机上に小さなガラスの花瓶が乗せてあった。可愛らしい黄色の花が活けられている。白石でもその花が何なのかは解った。それは一輪挿しにするにはもったいない程の、薔薇の花だった。
本郷は仰ぐように白石を見上げた。その視線に、スッ、と小さく目礼するように白石が頷いた。
「お待たせしました。これです」
「ああ、ありがとう―――あっ、すみません」
木ノ本から、白石が手帳を受け取ろうとした時だ。カシャン、と小さく乾いた音をたてて、机に乗っていたガラスの花瓶が倒れた。どうやら、彼のスーツが花瓶を掠め取ってしまったようだ。幸い花瓶が割れることはなく、倒れた花をつたって床へ水が零れ落ちている程度だ。
花瓶が倒れたことに驚いたのか、木ノ本は小さな悲鳴をあげて両手で口元を覆っていた。
「すいません。何かタオルを貰えますか」
本郷の言葉で我に返ると、彼女は踵を返して部屋を出て行った。すぐにタオルを持って戻ってくるとそれを本郷に押し付けるように渡して、自身は奪い取るように花瓶を手に取っている。
「・・・良かった」
ひとしきり花瓶の確認をして、心底安心した声で木ノ本はそう言った。花瓶には欠けも傷も見当たらない。
「すみません。大事な物を・・・」
「いいえ。こちらこそ・・・あっ、タオル、足りますか?」
「ええ。大丈夫ですが、出来ればもう一枚お願いします」
「・・・はい」
本郷の言葉に、木ノ本はそう言うと、花瓶を抱いたまま部屋を出て行った。もう一枚タオルを持ってくると、再び本郷に手渡す。床とテーブルを拭き終えると、本郷は申し訳なさそうにそのタオルを彼女へ返した。
「ご迷惑をおかけしてすいませんでした」
「いいえ。・・・あの、犯人は、どうなりましたか?」
「後、もう少しで有罪になりますよ」
本郷がそう返すと、嬉しいとも悲しいともとれる表情で、彼女は微笑んだ。
部屋を出た二人は、エレベーターに乗って駐車場へ向かった。車に乗り込むと、本郷は彼女の手帳を開きながら口を開いた。
「雪くん、どうだった?」
「おんなじ匂いでしたよ。木ノ本瑞樹の部屋の匂いとタオルの匂い、それから長澤栄徳の部屋で嗅いだ柔軟剤の匂いは、全部おんなじ柔軟剤です」
エンジンのかかった車は、わき目も振らずに署へと戻っていく。道を行きかう車の台数が、マンションに向かう時よりも増えていた。どうやらちょうど帰宅ラッシュの時間のようである。
「そう。それにしても、割らなくてよかったね」
「花瓶ですか?」
「うん」
「そうですね。でも・・・あれ、そんなに大事な物なんですかね」
「彼女があそこまで動揺するっていう事は、そう言う事なんじゃないかな」
ふ~ん、と小さく呟いて、白石は首を傾げた。そう言うものなのか、と思いながら、白石は渋滞で進まない車の列を見つめている。
「それよりも、あの部屋、大槻カホの部屋とそっくりだった。いくら親友と言えど、そこまでするものなの?」
彼女の手帳を閉じると内ポケットからいつものノートを取り出して、思い出すように本郷はそこに先ほどの出来事をメモしていく。もちろん、今話している内容のはずだが、チラリと覗き見た白石にはそのノートの内容はさっぱりだった。何がどのことを示した暗号なのか、皆目見当がつかない。
「ああ、俺も思いました。でも女同士ってよく、お揃い~とか言っていません?ほら、何でしたっけ?一時期、双子コーデとか流行ったじゃないですか」
「ああ、流行っていたね。それの延長かな?」
「さあ・・・俺、女子の気持ちってさっぱりわかんないんですよ」
「そうだろうね」
さらり、と返ってきた言葉に、白石が驚きと困惑に眉間に皺を寄せて本郷を振り返った。まさかこの人が女心を解るとでも言いたいのだろうか。そう思って彼を見返せば、進んでいるよ、と言いたげに本郷は前を指差した。
白石は車を進めながら、思い出したように短く声を発した。
「あー・・・そうでした。本郷さんは妻帯者でしたね」
「元、だけどね」
「あれ?そうでしたっけ?なあんだ、じゃあ俺に女心が云々とか言えないじゃないですか」
顎を高く上げて、白石は上からチラリと本郷を見下ろした。
「失礼だなあ、雪くんは」
「すみません。で、振られたんですか?」
「違うよ。ぼくから別れて貰ったんだ。警部の妻って何かと危ないんだよ」
その言葉に、白石は小さく口笛を吹いた。
「へぇ~、かっこいいですね」
「まあ籍は抜いていないから、元っていうのもおかしいんだけどね」
柔和な瞳が、車の外を見つめている。本郷の言葉から、別居中なだけか、と悟った白石はその横顔を見ながら渋滞の列を進んで行った。夕焼けを見つめているせいか、その瞳が潤んでいるように見えて、白石は視線を前に戻した。
すっかり日も沈んでから署に戻ると、すぐに二人は科捜研へ向かった。
「遅かったじゃないか」
「渋滞にはまって・・・はい、こっちが長澤栄徳の手帳で、こっちが木ノ本瑞樹の手帳です」
「ああ、ありがとう。助かった」
白石が差し出した二冊の手帳を受け取ると、辻井は舐めていた飴を嚙み砕いて棒だけをゴミ箱へ入れた。相変わらず、ゴミ箱には大量の飴の棒が入っている。本郷と言い、辻井と言い、この同年代二人はそのうち糖尿病にでもなるんじゃないか、と内心白石は冷や冷やしていた。もちろん、言ったところで改善する二人ではないことも、重々承知しているからこそ彼は何も言わないのだ。
「どうして急に、木ノ本瑞樹の筆跡が必要になったんですか?」
「この箱にさ、二人分のメッセージカードが入っていたんだよ」
辻井はお菓子の空き箱だっただろう箱から取り出された二枚のメッセージカードを持ってくると、二人の眼前に並べた。一見すると違いは見受けられない。
「一緒、ですね」
「そう思うだろ?でもさ、ちょっとこれ見てくれよ」
そう言って辻井は、今度はパソコンの画面を表示した。
「あー・・・近藤!まだいる?」
「はい、いますよ。ああ、映像ですか?ちょっと待ってください」
既に帰る準備を終えていたのか、近藤は白衣を脱いでいた。ノルディック柄のセーターの下に着られているネルシャツはいつもと色違いで、ズボンはだぼだぼのジーンズだ。その格好で、重そうな登山用のリュックを抱えている。いったい彼はこれからどこへ行くというのだ。
カバンを床に置くと、ズドン、と机ひとつを挟んでいるのに、こちらにまで衝撃が響いてきた。
「メッセージカードでいいですか?」
「ああ、頼むよ」
辻井からキーボードを明け渡されると、ガチャガチャと捜査していく。画面に、今机上に置かれているカードがそれぞれ左右に一枚ずつ表示された。二つのカードの内、「お」の字がそれぞれ拡大されている。それが重ね合わされると、微妙に二つの字が異なっているのが解った。
「ほらね。こっちのカードは「お」の字を書く時、最初の直線が下に湾曲するんだ。最後の点も、少し下に湾曲している。クセ字なんだろう。それに比べて、こっちのカードの「お」の字はまるで教科書のお手本のようにきっちりと線が引かれている」
「ああ、本当ですね」
それは言われてようやく気付く程度の、ほんの少しの差異だ。二つの文字をこうして機械処理で重ねなければ、パッと見はほぼ同じ物であった。
「女性が書いたものかどうかは解らないし、あの医者と被害者の親友が知り合いかどうかも知らないけど、どうせ本郷は怪しいと思っているんだろ」
「そうだね。二人の関係が真っ白だとは思えない」
「俺もそうは思いますけど・・・」
「若いね、白石は。第一発見者はまず疑わないとダメなんだろ?」
そりゃあ二人に比べたら若造ですけど、と思いながら白石は頭を掻いた。
「あっ、辻井さん。もしかして今日って残業ですか?」
「いや、いいよ。帰ろう。帰って休むのも仕事だ。そうだろう?本郷」
「そうだね、華くんの言う通りだ」
「本郷さんは休みすぎです」
白石がため息交じりにそう言えば、ははは、と笑いが起こった。
「そう言うわけだから、また連絡するよ。それまでに、二人の関係を洗い出していてくれ」
「はい、それじゃあよろしくお願いします」
白石が深々と頭を下げれば、ヒラヒラと手を振りながら辻井は資料を持って奥の部屋へ引っ込んでいった。本郷と白石が部屋を出ると、その後を近藤が着いてきた。白石より身長は低いものの、一七〇センチメートルはあるだろう。歳は、白石より5つ以上は若かった。
「あっ、じゃあこれで。お疲れ様でした!!」
右に曲がると出入り口へ、左に曲がると捜査一課へ向かう曲がり角で、三人は別れた。律儀に頭を垂れる───わけではなく、ぶんぶんと手を振って近藤は帰って行った。白石と本郷は顔を見合わせると、噴き出すようにして笑った。
捜査一課の自分たちのデスクへ戻ると、荷物を持ってそれぞれに署を後にしていった。