聖域の料理屋「リバーシブル」
「いらっしゃいませ! ようこそレストラン・リバーシブルへ!」
私は今日もお客様に笑顔でご挨拶をします。今お店に入ってきたのは可愛らしいエルフのお嬢さんと、まるで岩みたいな屈強なドワーフさんです。
エルフとドワーフはとても仲が悪いのですが、この「聖域」では絶対に喧嘩をしません。
二人は私の声に反応して軽く笑うと、それぞれ離れた席に座りました。
さすがに並んでご飯を食べる事はしないのですが、争わないだけでもすごい事なのです。
あ、私の紹介が遅れてしまいましたね。私の名前はリミル。
獣人と呼ばれる種族で、見た目は人間とあまり変わらないのですけれど、犬のような尻尾と耳があるのが最大の特徴です。
そんな私は今、「ご主人様」と一緒にレストランを経営しています。
私達のお店はそれほど大きくないし、場所も街中ではなくて森の奥にひっそりと佇んでいます。
それでも、連日お客さんが物凄い勢いで押し掛けてくるので、今は予約制にしています。
先ほど来られたエルフさんとドワーフさんの他にも、店の中には沢山の種族がいます。
辺りをちょっと見回してもらえますか?
ほら、あそこにいるスライムさんと合席しているのは、人間の……ええと、名前はちょっと思い出せないのですが、高名な魔物ハンターさんだった気がします。
もちろん、ハンターさんにとってスライムさんは敵です。
彼の仕事は魔物を狩り、素材を集めて生計を立てる事です。
けれど、ここではみんな「お客様」なのです。
彼らだけではありません。ここに集まってくる方々は、相容れない者達ばかりです。
スライム、人間、エルフにドワーフ……それにたまにドラゴンや悪魔もやってきます。
外の世界で彼らは常に何かしら争っていますが、これは仕方ない事です。
だって、彼らはそれぞれ違う考えを持っていて、自分達の種族を守るために戦っているのです。
けれど、このお店で美味しいご飯を食べている時は、みんな目の前に出された食事を黙々と、あるいはこれが美味いとか、いまいち口に合わないとか言いながら食べるのです。
ここでは種族、信条、そういったものは一切関係ありません。
それでもたまに納得いかず暴れたりするお客様もいますが、その場合、私がまず威嚇……じゃなくて注意をします。これで大体何とかなります。
それでも駄目な場合もありますが、大丈夫。
そういう時は、他のお客さんが黙っていないからです。
そうしてちょっと痛い目を見たお客さんは、その場は逃げますけれど、しばらくするとまたやってくるのです。
だって、ここで出される料理を目の前にしたら、誰だって食べたくなってしまうから。
そして、最初は喧嘩をしていた人達も、最後はお友達になるのです。
ある意味、一種の恒例イベントみたいな感じですね。
もちろん、これは別に「ルール」ではありません。いつの間にかこういう空気になっていたのです。
このお店はみんなが心穏やかに過ごすための場所。
このレストランが無くなるというのは、みんなの心の安息地が無くなってしまうという事。
どれだけ凶悪な種族だろうと、安らげる場所は壊したくない物です。
「おーい! リミル! 料理を作るんで手伝ってくれー!」
「はい! 少々お待ちを!」
この場所をみんなの聖域にする――そう決めたのは、今、私を厨房に呼んだ方――私のご主人様でした。
少し、私とご主人様の慣れ染め話をしてもいいでしょうか。
私ことリミルは、今でこそふさふさの尻尾になめらかなお肌のキュートな獣人ちゃんです。
けれど、ほんの少し前は飢えに苦しみ、死にかけていたちっぽけな存在でした。
私は、死の寸前にご主人様とお会いしました。ご主人様が私に触れると、私の体が不思議と少し楽になりました。それから彼は、そっと温かい食べ物を出してくれました。
とても美味しそうな匂いで、ゾースイという食べ物でした。たまたま、「こんびに」で買った袋に入っていたらしく、弱った身体にいいと説明されましたが、当時の私はそんな事を気にしていませんでした。 とにかく、お腹が空いていて仕方がなかったのです。
その温かさは、私の心の奥底まで染み込むようで、私はわんわん泣いてしまいました。
あ、いまのワンワンは犬の鳴き声と掛け合わせたギャグです。面白いでしょう?
……まあ、それはさておき。それがご主人様との最初の出会いでした。
最初、ご主人様はとても困惑しているようでした。
気が付いたら神様にこの世界に送り込まれたとい説明をされ、当然信じませんでした。
彼自身も半信半疑だったようです。
ですが、彼が私を「治した」事を聞いた時、
私は彼が神に近い存在である事を確信しました。
何故かって? 彼は治癒の魔法を使ったのではなく、私を「戻した」からです。
「ええと……因果に割り込む? みたいな能力があるらしくて、よく分からないんだけど、少しなら時間を巻き戻したりできるって神様から聞いたんだけど」
とおっしゃっていました。当時のご主人様は、それがどれほど凄まじい事か、いまいちよくわかっていないようでした。治すでも壊すでもなく、時間を「巻き戻す」なんて、神様のような力です。
ご主人様は自分自身がダメージを受けても、巻き戻しをする事でほぼ不死身となれるのです。
ただ、他者に対しては、あまり長い時間を戻せないという欠点はありますが。
私は行くあても無かったのでご主人様に同行しました。そして、すぐにその力の恩恵を受ける事になります。
ご主人様の能力はどこへ行っても重宝されました。まあ当然ですね。
そして私たちは、ある大国の「聖戦」に参加をし、大きな武勲を上げました。
私自身も戦闘のセンスはあったようですが、一番大きかったのはご主人様の力です。彼の力を持ってすれば、どれだけ酷いダメージを受けても、触れればたちまち巻き戻る――擬似的な再生をしてしまうのです。
周りの人々は彼を「神の癒し手」と称えましたが、癒しというレベルを超えているのを知っているのは私だけでした。
彼はその力をあまりひけらかしたくないようでした。
なぜなら、その力が危険なものである事に気付き始めていたからです。
そうして、聖戦に勝利した大国は、ご主人様と私に素晴らしい名誉と報酬を与えました。
けれど、ご主人様は浮かない顔をしていました。
聖戦は大国に喜びを与えましたが、同時に敗戦国に不幸をもたらしたからです。
ご主人様は自分が傷ついてもすぐに戻す能力を持っていますが、他者を傷つけるのは大の苦手でした。そして、心の傷は巻き戻しでは治せないものでもありました。
「僕は聖戦で多くの人間を助けたけれど、それと同じくらい相手に被害を与えてしまった」
ご主人様は寂しそうにそう呟きました。そして翌日、国王様から与えられた物を全て返上し、国を去りました。
「リミルは国に残って構わない」と言われましたが、もちろん付いていきました。
だって、ご主人様はとても「弱い」のです。放っておける訳がないじゃないですか。
そして、ご主人様は自分の力で何が出来るのか考えた結果、森の奥で小さな料理屋を開くと言いだしたのです。一体何を言っているのか、最初は分かりませんでした。
「最初にリミルを助けた時の事を思い出したんだ。あの時、僕は打算とかは何も無くて、ただ君を助けたいから力を使ったし、ご飯を分けた。どんな奴でも美味しいご飯を食べたら落ちつくし、多少凶悪な奴が来ても、僕なら殺されないからね」
ご主人様はそう言って笑いました。「正義」を掲げて敵を倒すと、その反対側は「悪」になる。
だからご主人様は争いや主張をせず、ただ、やってきた存在を「お客様」として、お腹を満たすだけの場所を作る事にしたのです。
そうして、私たちは今の小屋に移り住みました。ご主人様の元々居た世界はとても文化が発達しているらしく、見た事も無い不思議な料理を沢山作りました。
私のお勧めはカラアゲと呼ばれる、鳥肉をカラッと揚げた食べ物です。
え? そんなものはどこででも出来るじゃないかって?
いえいえ、確かに揚げ物くらいはどこでも出来ますけど、うちの味にかなう場所はありませんよ。
「なあリミルちゃん、マスターはあんなうまい飯をどうやって作ってるんだ? ちょっと俺にもレシピを教えてくれねぇかな?」
私が厨房に向かおうとすると、後ろの方から声を掛けられました。鋭い刃のような歯がずらりと並んだリザードマンさんです。彼らはとても獰猛で、人間や獣人を襲う事もありますが、ここにいるときはとても穏やかです。
「駄目ですよ。企業秘密ですから。それに、マスターは料理が上手じゃないですからね」
「またまた、冗談を言うんじゃねぇよ。マスターが料理上手じゃないなら、俺はなんだ? ただのトカゲか?」
そう言ってリザードマンさんはゲラゲラ笑い、厚切りステーキを20人前注文しました。オーダーがまた増えてしまいましたが、特に問題はありません。
「マスター、注文を取ってきましたよ。ええと……オムライスが10人前、唐揚げ山盛りが30人前に、カツドンが40人前、あと追加でステーキが20人前ですね」
「そうか。今日は意外と量が少ないな」
一応、ご主人様が元居た世界の量をベースにしているらしいのですが、皆さん大食漢なのでよく食べます。今日はちょっと少ないくらいです。
「じゃあ早速調理に入ろう。この量だと3分くらいかな」
「了解です! ぱぱっとやりましょう!」
ご主人様と私は、小屋の奥にある部屋に入りました。
お客さんには「厨房」と言ってありますが、この部屋には何もありません。
置いてあるのはたくさんのお皿くらいです。
このレストランは周りからは「聖域」と呼ばれているようですが、厨房はもう神の住む領域に達していて、私とご主人様以外は決して入れないようになっていました。
いわばこの小部屋は「神域」なのです。
私はいつも通り、テーブルの上にありったけのお皿を並べます。全部で100枚くらいでしょうか。
さて、では調理開始です。
「ウッ!」
突然、ご主人様の体がびくりと震えました。次の瞬間――。
「オエー!」
ご主人様の口からモリモリと粘土のような物体がこぼれ出ます。
私はそれをお皿で受け止める係です。
「オエー!」
「はい!」
「オエー!」
「はい!」
「オエー!」
これを注文分だけ繰り返します。ちょっとショッキングというか、中々大変ですが、最近は色々な意味で慣れたので大丈夫です。
「さてと、大体こんなもんかな」
「あ、始まりましたよ!」
ご主人様がひとしきり「調理」を終えると、お皿の上の粘土達が、まるで軟体生物のようにぐねぐねと形を変えていきます。なんというおぞましい光景でしょう。
でも、しばらくすると粘土達の形が徐々に鮮明になっていきます。
そうして3分ほど経つと、お皿の上には綺麗に盛り付けられたアツアツの料理達が並んでいます。
どれも出来たて、とても美味しそうです。
「よし、完成だ! 早速お客さんの所に運ぼう」
「はい! みんな首を長くして待ってますからね!」
もうお気づきかもしれませんが、私が言った「ご主人様は料理が上手じゃない」というのは、そのまんまの意味です。ご主人様は料理をしない料理人なのです。
「巻き戻し」の能力を使う事で、ご主人様は過去に食べて来た料理をリバースする事が出来るのです。とはいえ、初見だと色々と衝撃的なので、企業秘密という事にしているのです。
あ、もちろんご主人様が口を付ける前まで時間を遡っているので、衛生面では全く問題ありませんよ?
さすがにいっぺんには運びきれないので、私とご主人様で何往復もします。
私達が厨房から出てくると、お客様達はまるでサーカスが始まった子供みたいに大はしゃぎです。
今日も「リバーシブル」は大賑わいで営業を終了しました。明日もきっと大盛況でしょう。
「でも、よくこんな事を思いつきましたね。私、ご主人様が料理が出来ないのに料理屋をやるって聞いた時、どうするんだろうって思いましたよ」
夜が更け、お客さん達がみんな帰った後、私はご主人様がお店を始めた頃の事を思い出しました。
本当、あの時は一体何を言い出すんだこの人はと思ったものです。
「僕は料理が出来ないけど、何とかして美味しいものをみんなに分け与えたいと思ってね。最初はこっちの世界の食べ物を巻き戻ししようとしたんだけど、こっちの料理より、やっぱり僕の世界の方が食べ物が美味しくてさ」
「ですねぇ。私もこのお店の味を知ったら、他の料理が食べられなくなりましたもん」
「うん。だけど、どうやったらこっちの食材で上手く再現できるか悩んでたんだ。で、よく考えたら、僕は自分自身に対してならかなり時間を巻き戻せるから、僕の血肉をベースに巻き戻せば、料理のレベルまで戻せるんじゃないかと思ってね」
つまり、うちの料理のレシピはこうなります。
本当は内緒なんですけど、これを読んでいるあなただけに、こっそりと教えちゃいますね。
・まず料理前に食事をたらふく食べる。食べる物は体に吸収できるものなら何でもいい。
・食べたものが消化され、体に吸収されるのを待つ。
・ここで一気に「巻き戻し」を使い、一度体に取り込まれた細胞を再分解して日本のレストラン時代まで戻します。
という事ですね。
皆さんも、もしこの能力が使えるならやってみてはいかがでしょうか。
多分無理だと思いますけど。
「さて、じゃあ今日の売り上げで街まで何か食べに行こう。今のうちに沢山食べておかないと、明日のお客さんに食事が出せないからな!」
「はい! 明日も頑張りましょうね」
皆さんも森のレストラン「リバーシブル」を見かけたら、是非立ち寄って下さいね。私とご主人様で、最高のおもてなしをさせていただきます。ご予約はお早めに!