異世界爆弾魔ママ
「かーちゃん! 早くゴブリンを倒すんだよぉぉぉ!!」
闘技場の中で叫んだのは、一匹のゴリラだった。ゴリラは二本の剛腕を振り回し、纏わりついてくるゴブリンを殴りつける。このゲームで最弱クラスであるゴブリンはたちまち消滅したが、すぐにまた追加される。
「ンマー! 最近のファミコンはすごいねぇ」
「感心してないでかーちゃんも倒してくれ! これはかーちゃんが受注したクエストだから、あんたが倒さないと終わらないんだよ!」
ゴリラの声は切羽詰まっていたが、かーちゃんと呼ばれた少女は目を丸くしているだけだ。歳の頃は10歳弱、輝く金色の髪は長く、まるで妖精のよう。
彼女はフリルが何個も付いた可愛らしい桃色のドレスを身に纏い、銀色に輝く杖の先には、大きなエメラルド色の宝玉が付いている。
どちらもこのゲーム内における最高クラスの装備であり、少女自身もまた、最上級職である古魔術師であった。
――そう、これはとあるオンラインゲームだ。そして、ゴリラの中の人は少年であり、少女は少年の実の母だった。
事の起こりは一時間ほど前である。少年は学校から帰宅すると、着替えもそこそこに自室のパソコンに電源を入れ、ヘッドギアを被った。
科学技術が発達し、今やオンラインゲームは体感型ゲームとして一般に普及するまでに至った。そして、それにのめり込む者が続出した。少年もまたその一人であった。
ヘッドギアの横にあるスイッチをオンにすれば、たちまち自分は異世界の住人となる。そこで彼はごく普通の少年ではなく。世界の危機を何度も救った古の美少女魔術師となるのだ。
「あんた! また帰ってすぐにファミコンをしてるね!」
だが、今日はそうならなかった。ヘッドギアを起動しようとした途端、何者かに無理矢理引っぺがされたのだ。後ろを振り返ると、そこには彼の母が憤怒の形相を浮かべていた。
「かーちゃん! 今日はイベントの最終日なんだよ! 18時までに稼げるだけ稼いでおかないと……」
「いつも変なお面を被ってパソコンの前に座ってばかりで、ご飯だって言ってるのに来ないし!」
母は激怒していた。彼女はゲームを全くやった事がなく、未だにファミコンと呼ぶ世代の人間だった。彼女からしてみれば、息子が得体の知れない物にハマっているのが理解不能だったのだ。
「そんなにマリオが面白いのかい?」
「いや、マリオは面白いけど、これはそうじゃなくて、最近のは本当にすごいんだって!」
少年は今のゲームがいかに発達しているか、まるで別人になれる素晴らしさを母に語ったが、母は渋面を作るだけで全く理解しなかった。そこで、少年はある名案を思いついた。
「じゃあさ、30分でいいから俺と一緒にゲームをやってよ。そしたら俺の言ってる事が分かるよ」
「あたしゃパソコンの電源の入れ方も分からんよ?」
「前準備は俺がやるから、かーちゃんはヘッドギアを被ってるだけでいいんだ」
「こんなもの被って、植物人間になったりしないだろうね?」
「んなわけねーだろ!」
半ば強引に母親を説得すると、少年は予備のヘッドギアを用意し、母親の頭に被せた。
「ええと……一番最初のチュートリアルクエストでいいか」
少年は先にログインし、メインアカウントの古魔術師で、最初のクエストを受けた。その世界でのチュートリアルであり、初級のゴブリンを5匹倒すだけのクエストである。あくまで戦闘はこんな感じですよと分からせるための内容であり、慣れていれば10秒で終わる。
クエストを受けると、少年は一度ログアウトし、サブアカウントを取得する。普通、初心者を指南する場合、メインのアカウントで新規のアカウントを引っ張るものだ。
だが、彼の母は携帯電話のメールすらろくに打てない人間である。チュートリアルで死ぬ危険性すらあるので、今回はメインの魔法少女のアカウントを使わせ、自分はサブアカウントで補助に回る事にした。
「どうせ捨てアカだし、ゴリラでいいや」
少年は冗談半分でゴリラを選んだ。アバターは人間がベースであるが、エルフや天使、獣などもある。どうせ一回しか使わないので、少年はネタでゴリラを選んだ。
そして、二人は異世界への扉を開いたのだ。
「あらま! ゴリラ!?」
「俺だよかーちゃん。ほら、名前があるだろ?」
ゴリラの頭の上には名前が表示されていた。さすがに本名をそのまま打ち込むのは抵抗があったので、下の名前のみだ。
「はー、最近のファミコンはすごいねぇ。あらま、あたしも随分とまあ可愛らしくなっちゃって」
母の方も、自分の変化に気付いたらしい。
「ちょっとあんた! あたしの目がおかしいよ!? 片方は緑なのに、もう片方は赤だ! 眼科に行かないと!」
「オッドアイだよ」
「え? オットセイ?」
「オッドアイ! 片方ずつ目の色が違うのは仕様なの!」
「なんで目の色が違うんだい。おかしいじゃないか」
「おかしいと言われましても」
そういう設定なんだから仕方ない。とにかく、このままでは話が進まないので、ゴリラは強引に母を闘技場へ移動させる。
「あらまぁ。随分と広い場所に出たね。最近のファミコンは確かにすごいねぇ」
「だからファミコンじゃないんだけど……まあいいや。とにかく、これからゴブリンが出てくるから、そいつらを倒して欲しいんだ」
「なんで?」
「なんでって……いや、だってそういうゲームだから」
「そのゴブリンとかいうのを倒すと、どうなるんだい?」
「経験値とか金が貰える。それでキャラを育てる」
「金!? あんた、こんな所で金稼ぎをしてたのかい! はー、なるほど、最近のアルバイトはゲームを使ってやるんだねぇ」
「いや、ゲーム内での通貨だから」
「え、じゃあ現実では使えないのかい? 商品券とかに交換したりできるの?」
「出来ない」
「じゃあ何でゲーム内で金を集めるの!? バイトをしたほうがいいじゃないか!」
「ああもう、うるさいな! ゲームで敵を倒して育てて、色々出来るようになるのが楽しいの! ほら、来たぜ!」
ゴリラが指差した方向には、闘技場の扉があった。ぎぎ、と重苦しい鉄の扉が開き、中からゴブリンが5匹飛び出してくる。
「随分と不細工なチンパンジーだねぇ」
「ゴブリンだって言ってんでしょ。まあ、チュートリアルクエストだから楽勝だよ」
ゴリラはそう言って笑った。口で説明するより、実際に体験した方が分かる事も多い。ゲーム内で華麗に雑魚を粉砕すれば、母親も考え方が変わるだろう。
ゴブリンはずんずん突っ込んでくると、2体はゴリラに、もう3体はかーちゃんの方へと向かっていった。
「ひいい! チンパンが来た!?」
「だからゴブリンだっつーの! っと、危ねぇ!」
ゴリラはゴブリンの棍棒の一撃をぎりぎりで回避する。いくらチュートリアルクエストとはいえ、今のゴリラは出来たてほやほやのレベル1なのだ。攻撃を食らい続けたらやられてしまう。
「ひええええ! たすけてええええ!」
「反撃しろよ! 痛くないだろ!」
一方、最強の魔術師のかーちゃんは地面で丸くなり、首を引っ込めた亀のように無様な姿を晒していた。ちなみに彼女の装備には特殊効果が付与されており、ゴブリンどころかドラゴンの攻撃でもダメージを食らわない。
「ああ、本当だ。痛くないね。あんまりにもリアルだから、びっくりしちゃったよ」
「な、大丈夫だろ? じゃあ、そいつらを蹴散らしてくれよ」
「蹴散らすって、どうやってだい?」
「そいつら程度ならパンチでも倒せるけど、折角だから魔法を使ってみよう」
「でもね。かーちゃんあんまり暴力はよくないと思うよ? そりゃ、お金は大事かもしれないけどさ、だからって無益な殺生はよくないよ」
「だから、そういうゲームなの!」
「このチンパンも懐いてるみたいだし。こういうゲームが殺人を助長するのかねぇ」
「いや、そいつらかーちゃんの事殺そうとしてるんだけど」
最強の魔術師かーちゃんからすれば0ダメージでじゃれついているように見えるかもしれないが、ゴブリンは斧をやたらめったらかーちゃんに振り下ろしている。無論、ゴリラにも。
「てか、マジで早く倒して! 俺が死ぬ!」
いくらチュートリアルクエストとはいえ、長引けばレベル1のゴリラの体力は尽きてしまう。ゴリラはとりあえず目の前に湧いてきた奴は叩き潰していたが、毎回微妙にダメージを受ける。
しかも、クエスト受注者であるかーちゃんが5体倒さない限り、無限湧きする仕様なのだ。
「かーちゃんも魔法が使えたらいいなとか思う事あるだろ? そういうのがこの世界じゃ出来るんだ」
「魔法かぁ。ドアを開けるとどこでも移動出来たりする奴かい?」
「それはどっちかって言うと科学な気がするけど……まあいいや、ファイアーボールを撃ってくれ。古魔術師の魔法は範囲攻撃だから、一発でケリが付く」
「ファイアー……何?」
「ファイアーボール! 目の前にウィンドウが表示されてるだろ。それの赤いアイコンをクリックすればいい」
「は? ウィンド? 大根?」
「アイコン!」
「専門用語ばっかでよく分からんよ」
美少女魔術師と化したかーちゃんはやれやれといった感じで肩を竦めた。気が付いたらクエスト開始から30分も経過しており、闘技場の周りにはギャラリーが出来ていた。
もちろん、このゲームにはパーティ専用チャットなどもあるのだが、かーちゃんにその辺を説明しても理解出来ないと思い、ゴリラは全体チャットで話していた。
つまり、今までの奇妙なやりとりは近くにいるプレイヤー全員に聞こえており、皆、何事か思い集まってきたのだった。そして、見に来てみたら、初心者チュートリアル闘技場でゴリラと魔法少女がなにやらわちゃわちゃしていたので、面白がって皆見ているようだった。
「ああもう! このままじゃ晒し物だ! いいから、目の前にある枠に触れて、赤いアイコンを触るんだ! そうすれば火が出るから!」
「あんた、こんな場所で火なんか使ったら危ないじゃないか! ちょっと前にも大きな火事がニュースになってたし、あんたが赤ん坊の頃、座布団をストーブにかけて遊んでた事があって、あたしゃあの時は大変だったよ」
「そんな昔話はどうでもいいから! 死ぬ! マジで死ぬ!」
長年プレイしているので立ちまわりで何とかしているが、ゴリラの体力は限界に近付いていた。別に死んでもペナルティがある訳ではないが、衆人環視の中で一番簡単なクエストで死んだゴリラがいたら、掲示板で間違いなくネタにされる。ついでに、自分のメインキャラクターの画像も晒されるだろう。
「分かったよ。母ちゃん、今からハリーポッターになるから。それでいいんだろ」
「ハリーポッターでもサリーちゃんでもいいから、ファイアーボールを頼むぅうぅぅぅ!!」
ゴリラが叫ぶ! もう彼の体力はゲージの赤い部分に突入している。このままで死んでしまう。
「ええと……赤いの、赤いの……あった、これか」
一方、魔術師かーちゃんはもっさりとした動きで空中に手を伸ばすと、息子の言うとおり赤いアイコンに手を伸ばす。
「あ! ちょっと待った! 赤いアイコンなんだけど、炎のマークが書いてある奴で……!」
「もう触っちゃったよ」
かーちゃんがそう言った瞬間、大爆発が巻き起こる!
「うわあああああああ!!」
「ぐわああああ!!!」
「ギャアアアアアアアアア!!」
「アバーーーッ!」
それは、灼熱の嵐だった。天を貫く巨大な炎の柱は、闘技場の範囲を優に超え、ゴブリンはもちろん、観客たちまで全員が灰塵に帰した。闘技場が破壊される事は無いが、後には、ゴリラと魔術師かーちゃんだけが残された。
「な、何が起こったんだい!?」
「それ……課金アイテムなんだよ。大爆炎って言うんだけど……」
「はー」
かーちゃんは目をぱちぱちと瞬かせたが、ゴリラは沈鬱な口調で説明をした。
『大爆炎』は、仲間以外の全ての敵に対する火炎系の範囲攻撃だ。課金アイテムである分効果は強力で、文字通り大爆発を巻き起こす。対人戦での戦況をひっくり返したり、狩りの時に囲まれた時などに使うものだ。
無論、チュートリアルで使う物ではない。周りに居たプレイヤーも、まさか初心者闘技場で爆風で吹き飛ばされるとは思ってなかっただろう。
「これが……魔法!」
「いや、それ魔法じゃなくてアイテムだから」
ゴリラが突っ込むが、魔術師かーちゃんの耳には届いていないようだった。どうも、今の大爆発がお気に召したらしい。誰一人居なくなった闘技場で、目をキラキラと輝かせている。
『チュートリアルが終わりました。おめでとうございます! あなたは冒険者としての第一歩を踏み出したのです!』
全く空気を読まない電子音声が、ゴブリンを殲滅した事を二人に伝えた。
「あんた! やったよ! あたしも冒険者になったってさ!」
「ああ、うん。よかったね」
こんな事ならゴリラで死んだ方がましだったと思いつつ、息子は死んだ魚のような目で美少女かーちゃんを見た。
それからかーちゃんは闘技場を飛び出そうとしたが、今日はもう十分遊んだから、また明日にしようと止めたのは、息子の方だった。
そして、二人は現実の世界へと戻ってきた。
「はぁー、確かに最近のゲームはすごいねぇ。母さん、年甲斐もなくワクワクしちゃったよ」
「うん、まあ……それならいいんだ」
「確かに、あたしはちょっと頭が固かったみたいね。でも、ちゃんと学校行って勉強しないと駄目よ?」
「分かってるよ」
かーちゃんは笑顔でそう言い残し、部屋を後にした。
一応、当初の目論見通り、母親にゲームの素晴らしさを分からせるという目標は達成したのだが、少年の心は、何故かざわついた。
そして、その心のざわつきは後日、的中した。
ゲーム掲示板などに『闘技場大炎上wwwwww』などと書かれることはまあ予想していたが、あの日以来、かーちゃんは息子が学校に行っている隙にゲームにログインしていたらしい。息子のメインアカウントで。
かーちゃんは機械オンチなので課金方法は分からない。なので、あそこまでの大爆発は起こせないのだが、息子が育てていた古魔術師はかなりのスペックである。
それを利用し、かーちゃんは魔法少女になってそこら中を爆破しまくった。ゲームのルールやマナー、プレイングなどの常識が皆無なので、街中でも平気で大魔法をぶっ放し、露店やチャットを楽しんでいるプレイヤーを吹き飛ばした。
繊細な戦いが要求されるフィールドから、始めたばかりの冒険者が集まる平和な野原でも、所構わず灼熱の嵐をまき散らした。
しかも、本人はインターネットなど全く見ないので気にもせず、日中の暇な時にログインし、魔力が尽きるまでテレポートし、範囲魔法を魔法を撃ちまくり、無くなるとログアウトした。
どうやら、日ごろのストレスを文字通り爆発させているようで、とても上機嫌である。
上機嫌であるが、ネットの掲示板では「爆弾魔」「歩く核地雷」などと噂されており、少年本人がログインしても、「うわー! 爆弾魔だ! 逃げろ!」などと噂され、誰一人近付いて来なくなった。
こうして、少年はゲームをやる事が楽しくなくなり。自然と足が遠のいていった。一方、かーちゃんはゲームに対し理解を示すようになり、今日も楽しく破壊活動をしているようだった。
ゲームから離れられない少年と、ゲームを理解しない母親、二つの歯車は、こうして噛み合ったのでしたとさ。めでたしめでたし。