ムスカリに捧ぐ
亡国の王女ーーーそれが私だ。
自分の国が滅びたのは、ほんの何十年前のことである。王族はそのほとんどが、反乱軍によって処刑された。
王女という血の濃い私が生きているのは、ほかならないこの容姿のためだ。姉と同じ髪と目を持つ、この。
私が自分に双子の姉がいると知ったのは、王都が陥とされ、王城にもいよいよ反乱軍の進入あらんという時だった。
明日にも奪われるかもしれぬ命だと、眠れずに寝台に座っていた。
私とて一国の王女だ。命を失う覚悟は背負っていたつもりだったが、あれほどの怨嗟を身に受けるとは思ってもいなかった。身体が震え、寝ようにも寝つけなかったのだ。
ちょうど赤の星が中天に差し掛かかった時であった。かさりという静かな音と共に、赤い髪が現れた。
「…………アイシャ」
「…ユグナ様。お久しぶりでございます」
赤い髪に鳶色の瞳を持った少女はアイシャといった。
アイシャは王国騎士の娘であったが、父である騎士は功績を認められ、後継者のいない領地を継ぐ形で伯爵位を賜っていた。その伯爵が不慮の事故で死んだと聞いたのは、その娘が行方を眩ましたのは、果たしていつだっただろう。
城で会うアイシャは、いつも当たり障りのない程度の微笑を浮かべた目立たぬ存在であった。
しかし今、彼女の鳶色の目は生気に爛爛と輝き、圧倒的な何かを纏っている。その何かが先日王城の真下まで迫ってきた民衆の怨恨と非常に似通っていることに気付く。
「ユグナ様」
静まり返った空気の中で、私は悲鳴をあげることも、衛兵を呼ぶこともできなかった。キンとした空気に喉を締め付けられているかのようであった。
「な、なに………」
呼びかけになんとか出るのは蚊の鳴くような声。
「ユグナ様、お逃げください」
彼女は怨恨の混じった目で、そう言った。
「なぜ、殺さないの……なぜお前が私を逃がすの……」
アイシャは反乱軍の総指揮者。私は滅びゆく王国の王女。敵対する彼女の言っている意味が分からなかった。
震える私に、アイシャは目を細めて笑った。それは嘲笑のようでもあり、愛おしい人に向ける笑みのようでもあった。
「貴女は、あまりにも似すぎているのです」
「……それは、どういう意味」
「ユグナ様は私がお仕えした、生涯ただひとりの主、ミグナ様に似ておられるのです。当たり前ですよね、一つを分かち合った双子なのですから」
「私が忌むべき双子だとおっしゃるの?なんて馬鹿馬鹿し……」
私はその言葉を続けることができなかった。彼女の鳶色の目の中に、私とは違う私を見たからだ。私は私であり、そして私ではなかった。目の中の私は何の表情もなくこちらを見ている。
「貴女が信じようが信じまいが、貴女は双子だった。そして貴女の姉であるミグナ様は私の、たった一人の主だったのです」
「ミグナ……」
それは光という意味を持つ私の名前と対になる言葉。つまりは闇を意味する。
「主を殺した国を滅ぼすことは私の使命でしょう」
アイシャはその目に仄暗い、しかし煮え滾る憎しみを込めて私を見る。
「……しかし、あなたを殺すことはできない。殺されるのをただ見ていることも。ミグナ様は貴女の幸せを望んでおられた。……それに、貴女はあまりにもミグナ様に似過ぎている」
「そ、そんなの知らないわ……」
声が震えた。
彼女の目の中には、まだ私の知らない女がいて、視線を合わせることもできずに揺らぐ。
「明日、反乱軍は城を陥します。6つ目の鐘が進軍の合図です。貴女はその混乱に乗じて、北塔の裏側に。クチナシの木がある塔です。間違いなきよう」
最後の言葉と同時に、アイシャの赤い髪が翻り、闇の中に溶けた。
しんと静まり返った部屋の中は、先ほどの出来事が夢だったかのように思わせる。
「ミグナ………」
ぽつりと呟いてみたその音はひどく無機質な響きがした。
⌘
翌日、6つ目の鐘と同時に反乱軍はやってきた。城内での戦いが苛烈を極める中、北塔の裏で蹲る私を誰かが抱きかかえた。その誰かに意識を落とされるその直前、私は父と慕っていた男のおぞましい叫びを聞く。
『あの呪いの女を!!!ミグナを!!!もっと早く殺しておけばっ!!!!!!滅びをもたらす双子め!!!』
ああ、なんということだろう。
私は確かに忌むべき双子であったのだった。
⌘
再び目を覚ました時、そこは森の中だった。凪いだ湖が光を浴びてキラキラと光っている。
「生きて、いるのね……」
周りを見回して、自分が木の側に寝かされていると知る。さらに遠くに目をやると、湖のほとりに屈強な男がいた。
その手には赤い髪の女……おそらくアイシャが抱かれていた。ただ彼女の四肢は遠目にも力なく落ち、命の灯がもうすでに燃え尽きていることを悟った。
ちいさく光るのは男の涙か。
一言二言何かを囁き、青白い頬に口付けを落とす。
そのまま、男はゆっくりとアイシャの体を湖へと落としていく。
甲冑の重さで彼女のからだは確実に沈んでゆく。時折甲冑が太陽の光を反射して輝いた。
いつしかその光もなくなり、彼女の身体が完全に闇に包まれたことを知る。
「起きていたのか」
「ええ………」
知らずのうちに近くに寄っていたらしい。男は私を見下ろした。
「アイシャは、死んでしまったのね……」
「……アイシャ様はご自害なさった。優しい世界へ行くのだと。私は、間に合わなかった………」
絶望に染まる声。
おそらく、私のせいなのだろう。私を助けろと命を受け、戦況が落ち着くまで潜んでいたこの男は、アイシャの死に間に合わなかったのだ。
私は何を言っていいのか分からず、結局口を噤んだ。
「これこら3つ先のテレバシュレインに連れて行く。アイシャ様の最後のご命令だ、必ずあんたを無事に送り届けよう」
男はそう言ったきり黙り込む。
森の長閑な静けさが、ただひたすらに恐ろしかった。
⌘
「イェンヌや、ばあやのお話をしてあげよう」
皺の目立つ手で孫を呼び寄せると、5歳になったばかりのひ孫はぴょんぴょん跳ねて跳んで来た。
「なあに、ユーグばあちゃん!おはなしをしてくれるの??」
「ああイェンヌ。こないだの続きだよ。ばあやと赤い女騎士様のお話さ」
「わあ!やったあ!!」
ぱあっと頬を染めたひ孫はベッドの横にある椅子にいそいそと座る。
「さて、どこまで話したかねぇ」
「ばあやがお姫様で、赤い騎士様と出会ったところだよ!」
「そうだった、そうだった。ばあやと出会った赤い騎士様は、その頃はまだほんの少女だったのさ……」
窓から刺す夕日が温かく部屋の中を照らす。
その老婆がかつて亡国の王女だったことを知るものはもはや誰もいない。
彼女の話す昔話を、誰もが老婆のたわいもない作り話だと思っている。
村一番の話し上手で有名だった老婆部屋の窓辺には、青々としたムスカリの花がいつも活けてあったという。
終
キスツス: 失意・失望