【一九九一 極日戦争】 突入
~一九九一年 六月 正化三年 岐阜県飛騨市街地~
極東共和国陸軍 第一〇機械化連隊 突撃小隊
【先頭 山中軍曹】
傍から見れば病院の扉近くの壁に張り付いて、興奮気味に上品とは言えない言葉を叫ぶ私たちはとても特異な存在だと思う。
私の分隊員達は、緊張と興奮で気色ばんだ状態で、まるでおしくら饅頭のように圧迫し合っていた。扉の向こうに副分隊長を含めて四人、私の後ろに三人が一列に並んで密着している。
最初にこの『スタック』というぎゅうぎゅうして歩きにくい隊形をやってみた時は、なんとも言えない違和感があった。だが今、扉の向こうに敵がいるかいないかの状態になってみて、その真価がよくわかった。
本当に怖いときには、お肌を触れ合った方が幾分か楽になる。
ぎゅうぎゅうと四人の体をぶつけながら扉につめよる、私は「いくぞ、こら!」と叫ぶ。「うおっ、うおっ」と叫ぶのは後ろのウド。背が高くガタイがいいため、私の頭上から声が響き降り注ぐ感じがする。これが、私の臆病な心を鼓舞してくれるのだ。
最初は小隊長に言われたとおりに無声で手信号を使って指揮をしていた。訓練ではまるで忍者のように手信号で指示をしテンポよく任務をこなしていった。だが、数時間前にブービートラップがひっかかって、衛生兵に引きずられながら下がる隣の分隊長の、その赤黒い妙にネトネトした顔に無数の鉄の破片が突き刺さっているのを間近で見てしまってから、今のように大声を出すほうに変わってしまった。
意味もなく「でてこいや」と叫び「ミンチにすんぞ」「きざむぞ」と叫びながら、このくそ病院の部屋を一個一個潰していった。
病院。
この春でも肌寒い、山の中に馬鹿みたいに立派な鉄筋の建物だ。
我が共和国が快進撃を続ける中、敵のゲリラ活動拠点になっている場所。散々砲迫で叩いたものの頑丈な鉄筋コンクリートの建物はところどころ残った。
そこで、お上からの「弾は節約せい」とのお達しで、我々が崩れかけた病院の中にいるかもしれない敵を探すことになった。
笑えもしないが、弾よりも我々の節約はしないでいいようだ。
そんな皮肉をいいながら、最初はさすがにあの砲撃の中では、敵もおっ死んでいるだろうとミイラ探しの気分でいっていたが、隣の分隊長がトラップに引っかかり死んでしまってから空気が変わった。
そういうことで、気合を入れながら、あまり上品とは言えない言葉を吐きながら分隊では五番目になる扉に向かっている。
スタックで後ろで私にくっついいているウドの荒い息が聞こえる。
「ぶっ殺せ」
私が荒い息とともに吐き出す。
分隊員は「うっしゃあ!」とかそういう言葉で応える。
窓越しの副分隊長の木村伍長がカクカクと興奮気味に頭を振る。彼がドアノブに触れ少し扉が開くのを確認する。
「鍵かかってねえぞ、コラァ!」
私はうれしそうに叫ぶ。わざわざ入りやすくする敵はいない。
今度も命は助かった。後ろのウドはいつものようにぶつぶつが始まった。背が高いくせにびびりだから困ったものだ。
「いくぞ、おい、いくぞ」
私は手榴弾のピンを引き抜き、頭の上に掲げ周知する。もう五回も繰り返した突入の合図だ。
木村がドアノブをまわし少し扉を開け、その隙間に私は手榴弾を投げ入れた。
数秒後、留め金がカッチっとなるまで扉を閉めてなかったのもあって扉が勢いよく開く。
「木村!あほっ」
私は叫び、目の前に壁のようになっている扉の裏で、したたかに顔を打っているであろう木村伍長に叫びながら笑いかけた。
今回も当たりだ。
敵は別の部屋だ。
直感的にそう思った。
開いた扉から入った刹那。
血の気が引いた。
血管や心臓が半分ぐらいに縮こまる。
「殺せ!」
私は構えた小銃の引き金を引いた。
【二番目 宇川上等兵】
僕は分隊長の山中軍曹と言う人を信用している。
もう五回目の突入になるが、毎回先頭をきって扉から突入しているからだ。
小銃を下手に構える分隊長の肩に寄りかかるように僕は機関銃を構えた。
「私が撃たれたら、勢いを殺すことなく押し出せ。後ろが痞えないように私をどかせ。そして、すぐに撃つんだ。だが、連射はだめだ、しっかり狙え。狙って慌てず急いで撃ち殺せ」
今日の任務が与えられてから、戦闘予行をしているときに何度も分隊長に言われた。
僕は言いつけを守り、この扉に向かう前は、四回とも分隊長にくっついて扉の向こうに駆け込み、そして分隊長をぶっとばした。
何もないのに勢いあまってぶっとばすもんだから、ここまでに四回も分隊長に怒鳴られた。「だから、ウドはアホのウドなんだよ」と。
僕の取り柄は一九〇㎝の体と、人よりは恵まれている力だ。
残念だが、射撃は苦手。いつも緊張してガクガク震えるためか、上手く当たらず、射撃訓練のたびに分隊長や小隊長にどやされた。勉強もできないから、軍隊に八年もいるのに伍長昇格試験にも受からない。おかげで、今は副分隊長をやっている後輩の木村に階級は抜かれている。
あだ名はウドだ。まあ、この戦争がなければ、今頃引越し屋に勤めているところだったが、それも止められてなんでかこんあクソみたいな病院の中にいる。
分隊長が「いくぞ」と叫ぶ声が、そのごつごつした背中越しに聞こえたのが合図。
そんな僕でも。いつも分隊長に言われる、口癖のように、たぶん褒め言葉であるそれをかけられる。
「お前は本当に機関銃がよく似合う」
「機関銃が小銃みたいだ」
と。
僕は今機関銃を持っている。
みんなが重い重いと嫌がる機関銃を片手でぶんぶん振り回せることが僕の自慢だった。
「私が撃たれたらまずは邪魔な私をぶっとばして、敵を狙え、いいか機関銃だからって、腰だめで撃ってもだめだ、しっかり狙うんだ。敵をぶっ殺したら、他にもいるかもしれないから、すぐに左右にばらまけ、こっちは狙わんでいいからな」
何度もその言葉を繰り返す。
僕は馬鹿だから、何度も繰り返す。何度も口に出す。たぶんぶつぶつ言っているのかもしれない。
扉に入った瞬間、分隊長をぶっとばした。
反射的に。
分隊長の後頭部がヘルメットの下にわずかに見えるそれから液体が吹いた。
だから、僕は押しのけて、なにかを叫んで引き金を引いた。
敵。
立ったまま正面構えで、腰を落とし、ぎりぎりと音がするぐらいに右手の握りを肩に引き付け、力んではいけない左手もぐぐっと握り締め機関銃を固定する。
敵はわからない。
でも、引き金を引いた。
【三番目 茶屋二等兵】
ウドさんは汗臭い。
すでに防弾チョッキはなんともいえない腐臭を放つ。
俺はそれをがまんして、この薄暗い病院の廊下の壁を這うように進んだ。
五回目。
そろそろ敵がいるかもしれない。
どうして、扉越しのチームに入れなかったのか。
どうして、最初に突入するチームに入ったのか。
よくわからないが、俺はそっちに入った。
分隊長が「いくぞ、おい」と叫ぶので突入の時間だ。次こそもうだめかもしれない。どう考えても、待ち伏せしている敵の部屋に突っ込むのは自殺行為だと思う。おかしいだろと。
待ち伏せの敵を殺せればいい。
扉のこちら側はとにかく相手に圧迫して、盾となって、うまくいければ三番目、四番目の者が敵を撃ち殺せばいい。できないなら、扉向こうの後続組の射線に邪魔にならないように倒れて死ねばいい。
ウドさんは、俺みたいな二十歳と違って二十六歳にもなるのに、まったくもって大人には見えない言動、行動をする。バカで俺らみたいな下の者には偉そうにして、理不尽な要求と意味不明な反省作業をさせられ、どちらかと言えば嫌いだ。だがこういうときは頼もしい。死も恐れない突入っぷりを四回見せられている。それに、普通なら三人目までは死にそうだが、この二番目の馬鹿でかい体の後ろにいれば死ぬ気がしない。
最初に突入するというバカバカしさと恐怖と、前でびっちり体を寄せ合う盾にしやすい人間がいるという安心感で、よくわからない気分だ。
妙に体が震える。
「うっしゃぁ!うっしゃぁら!」
俺は気合を込めるためにひたすら叫んだ。
自分の心臓が破裂しそうなぐらいになっているが、息の荒いウドさんと、後ろにいる野田一等兵の心臓の音を聞いていると落ち着いてきた。
扉の向こうで扉越しのせいか、くすんだ爆発音がして扉が開く、そして鉄がコンクリートに当たるパラパラという音が、今度はリアルに聞こえた。たった、扉一枚で音の聞こえがこうも違うのかと、どうでもいいことを考える。
ふっと前のウドさんとの体の圧迫が抜ける。
これが突入の合図だ。
ウドさんが扉の方向に動いた。
俺はウドさんとの圧迫を逃さないようにべったりくっついてその向こうになだれ込むように入っていく。もちろん後ろの野田さんはずんずんと俺を押してくる。
狭い部屋の中で破裂音がして耳が馬鹿になった。
撃ち合いだ。
撃ったかも撃たれているのかもわからない。
突入して壁だったウドさんが後ろに倒れてくるのをすり抜けるようにして、小銃を構えたままいろんなものが顔にかかる。
僕はその瞬間、いつもと違った感覚に襲われた。
まるで、天井からものを見ているような、そういう変な感覚だ。
分隊長がひざから崩れ落ちるように倒れ、それを押しのけんがら機関銃を放ちながら頭を破裂させるウドさん、そしてウドさんの顔だったものを被りながらすりぬける俺。
右斜め下の立てかけたベット裏に見える人影。
引き金をあほみたいに引いて、立て掛けられたベットに撃ち込んだ。
震える指で何度も引き金を引くが弾がでない。
くそ、なんで出ない。
くそ。
くそ。
俺は「弾ー」か「でねー」か何かを叫んだと思う。
その後だった、ベットの横から鉄のころっとしたものが転がって来たのは。
「手榴弾!」
支援チームの副分隊長の木村伍長の声だ。俺は、何も考えずに野球のヘッドスライディングのそれで鉄の塊の上に被さった。
【扉の向こう側 帝国陸軍 独立歩兵第九大隊第三中隊第三小隊長 宮島中尉】
とうとう一人になってしまった。
東の共和国が国境を越えて、うちの混成連隊が総崩れになって、それでもずっと逃げて逃げて。
日之出中隊長に「守れ」と言われた学生達を守ることもできず、散り散りになって、この廃病院に引きこもって。食料は点滴のやつを飲んでしのいだが、そろそろ限界だった。
何度もこの町から脱出しようとしたが、包囲が厳しく失敗し続けた。
あげくが、ここに隠れることだった。
何度も砲撃を受けたが、病院はなかなか丈夫で、地下にこもれば怪我することもなかった。
そんな折に奴らがやってきた。
こっちも、いつまでも隠れるのは我慢できなくなったから、数箇所罠をしかけて、数人は殺したはずだ。
……だから、こうして俺を殺しに来るわけだが。
床や天井のコンクリートを剥ぎ、応急的に掩体を作ったが、どれくらい弾を止めるか眉唾だ。
もう、すぐそこまで来ているのがわかる。
きっと、数週間前の俺ならこの緊張感で頭が狂っていたかもしれない。
ざっと殺せて五、六人か。
少しでも奴らを減らせば、あいつら――学生――が逃げれる確立も高くなるだろう。
くそ共和国の偽善者共に殺されるのは癪だが、もう、こうなればしょうがない。一人でも多くぶっ殺してやろう。
興奮した声が扉越しに聞こえる。
「もう少し、静かにして奇襲的にやった方が、賢いと思うんだが」
独り言を言ってみたが、自分の強がりに恥ずかしくなって舌打ちをする。ああやって原始人がマンモスを狩るように、掛け声をかけながら追い詰められる方が、心理的にまいってしまいそうだ。
金属と床のタイルが跳ね返る音。
俺は耳を塞ぎ、一応口を開く。
強烈な破裂音、耳元を手榴弾の破片がかまいたちのように荒れ狂いながら通過した。壁から跳ね返った破片が腕に刺さるが気にしない。
「外じゃーたいした音じゃねえのによ」
罵りながら体を敵の正面に向けるように小銃を構え、扉から飛び込んでくる先頭を打ち抜く。いつもより反動をしっかりと受けることができ、間を置くことなく、その後ろの者の顔面を撃ち抜いた。その体が大きいため万が一もあると思い、衝動的にあと三発ほど顔面に撃ち込んだ。
――共和国のやつらは薬やってるから顔を打て。
教わった通りに、冷静に。
三人目。
右斜め横から見える小柄な男。顔面を狙うが、銃を少し下方に向けたときに肩がずれ撃った時はスカしてしまった。横に倒れこむように伏せ、転がるように立て掛けたベットとその後ろに瓦礫を積み上げて作ったバリケードの後ろに隠れる。
「たった、二人で終わりじゃねーんだよ」
俺はぶつぶついいながら、手榴弾を投げた。「くそったれ」「ぼけが」なんて言っているのかもしれない。
やや鈍い破裂音がしたと同時にバリケードの横に委託するように膝撃ちの姿勢で射撃をして、呆然と突っ立ている男を撃ち殺す。
敵ながら瞬間的に讃えてしまったが、さっきの手榴弾は三人目の男が抱え込んで被害を少なくしたようだ。ただ、彼には悪いがせっかく助けた後ろの男も殺してしまった。
もったいない。
四人目。
あと三人は殺したい。
「投げるぞ!」
「投げた!」
扉の向こうから声。
あ……。
鉄の塊が三、四個、扉の向こうから飛んできた。それが掩体のこちら側に入ってくる。
俺はびっくりするぐらいに落ち着いて、一つ一つをゴミを払うかのように蹴り飛ばした。
三人、いや四人。
たったそれだけ。
少しは……あいつらも、子供たちは逃げやすくなっただろうか。
まあ、こんなもんだろう。
すんません、中隊長。
【極東共和国 衛生兵 本郷伍長】
「それで、どれを救護すればいいんですか」
私がそれを言うと、伍長の階級を付けた男が、泣きながら私の襟をつかみ、壁に叩きつけた。
「どれとはなんだ!この人たちを助けるんだよ、それを『どれ』とはなんだ!」
これだから第一線の男は面倒臭い。そう思っていた時に無意識に左腕の赤十字の腕章を撫でていることに気づく。
助かる命なら必死に助けるが、死んだ人間だったものを救えとはどういうことだ。
扉から入って最初の前のめりの男は太ももから大量出血して、すでに真っ白だし、次のものは防弾チョッキは腹がずたずたになっている。機関銃を抱えて倒れているのは顔が無くなっているし、一番前の軍曹の階級章が辛うじてわかるそれは後頭部からいろんなものが出ていた。
唯一、この人と言えるのは、一番後ろで倒れている男ぐらいで、あとはモノだった。
私は、一応脈を測るようにしてヒトにするようなことをして、生死を確かめるふりをする。
そして、毎度、それこそ一応という言葉が似合うしぐさで頭を振る。
最後にベットの裏、コンクリートの瓦礫を積んだ後ろにいる所々に鉄の破片が食い込んで、ささくれた枝のようになった帝国の軍服に近づく。
私は唾を吐いた。
表情は静かな笑顔。
帝国軍人お決まりの、天皇陛下万歳で死んだような顔をしていたからだ。
胸糞悪いあの顔だ。
赤黒くなった名札を見ると『宮島』と書いていた。
くそったれ。
私はその体に蹴りを入れる。
すると、手に握っている何かが見えた。
私は硬直したその手を足で踏みにじって、その何かを指からもぎ取る。床に転がったそれを手に取り開いた。
血に汚れてはいたが、その写真に写っている人物の判別はついた。
「くそ、女かよ」
その写真を床に叩きつける。
くそったれ。この宮島のせいで、無駄に壁に押し付けられるし、汚れるし、ひどい一日だ。
ああ、早く陰鬱なこの病院の外に出て、新鮮な空気を吸いたい。
はやくこんなアホみたいな戦争は終わらせて、北海道の牧場暮らしに戻りたい。
くそったれ。