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戦火ノウタ  作者: 崎ちよ
1/5

【一九九一 日極戦争】 5.05

【蛇足】ミリタリー系が苦手な方は地名とか部隊名などをとばして読むと読みやすくなると思います。

 

 ~一九九一年(正化三年) 五月十五日 日極戦争 岐阜県神岡山中~


【帝国陸軍 独立歩兵第九大隊第三中隊長 日之出大尉】



 ● 五月五日


「中隊は戦場へむかう」

 学生達の目は、なんとも言えない緊張感がにじみ出ていた。

 もちろん緊張していないわけがない。

 部隊はそういう雰囲気に包まれていた。

 でも、あの子たちの目は……じりじりとした何かが、そんな何かを感じさせた。

「我々の任務は『予備』」

 私は彼らに作戦の説明を続ける。

「あらゆる不測事態に対応するために投入されるのが予備の任務だ、古来『予備』というものは虎の子……精鋭部隊をもって当てるものである、しかし残念ながら我々の能力や装備は現役に(かな)わない」

 私は拳を胸に当てる。そして、全員の顔をひとりひとり見ていった。

「だが、私はそうは思わない……君達の熱い心……魂は負けていない」

 本心か? そう聞かれれば本心でもあり、そして本心でもない。そう答えるだろう。

 ただ、そうあって欲しいという必死の思いから出た言葉だった。だから、多少芝居じみたものになったんだと思う。

 飾らないからこそ芝居っぽくなる時もあるんだよ。

「その時が来たら、弾が尽きるまで撃て! 弾が尽きたらその熱い魂で敵を突き殺せ!」

「「はい!」」

 私の言葉に反応した九十人の若々しい気炎が立ち上った。そして、それが凄まじい風圧で私にぶつかる。

 私はその圧力に耐えるように一歩前に踏み出した。

 地面を思いっきり踏み込みこみ、それに対して挑みかかるように。

 一方、冷めた一部分の私が興奮している私をなだめるために――ガラにもない――と小声で茶化す。

 らしくない。

 そう、ガラではなかった。

 こんなことは中隊長って立場だからできたんだろう。

 そもそも私は百人近くの命を預かるような器じゃないんだよ。

 君は連隊旗手をやるぐらいだから、優秀どころだろう?

 なら私を見ればわかると思うが。



 この日の記憶はごちゃごちゃしている。

 たった十日しか経っていないというのに。

 家内と娘に宛てた遺書を読み返すこともなく投函箱に投げ入れたことは覚えている。

 東の共和国が国境を越えたと聞いてまずやったのがそれだった。

 なにせ、国境の新潟には私がいた金沢は近い。

 ただ、国境警備は富山の第十四師団の任務であり、私の部隊……そう……新兵や学生教育をやっている独立歩兵第九大隊と、その親玉――北陸混成連隊――は計画上予備。

 つまり後詰だ。

 そんなに慌てることではない。

 それに我々の前方にいる十四師団は最新装備、フル充足の精強師団で有名だった。

 師団の正面は富山と新潟の国境――天然の地形障害に守られている堅い地形――は守りやすいことは知っているだろう?

 敵は攻めにくい。つまり、我々後詰連隊の出番はまだまだ後になるはずだった。

 そう思っていた。

 しかし本能っていうだろうか……胸騒ぎ、心臓、いやもっと表面の皮膚がぞわぞわっとするような感覚がまとわりついた。

 遺書を投函するということをまずやったのは……そういう感覚のせいだったと思う。

 そんなわけで、嫌なカンが当たってしまったんだよ。

 当たりたくもなかったが。

 北陸混成連隊というのは、四十二、四十三というナンバリングの成人新兵教育の二コ独立歩兵大隊。それから、うちの少年学校の教育をやってる九大隊の三コ単位編成だ。

 君も知っている通り、混成連隊というのは三月に入隊して一ヶ月しか経たないひよっこもひよっこの新兵と、ちょっと武器を触ったことのある高校生が八割を占める連隊だ。

 ああ、君は少年学校の学生を見たことがないのか。

 ひとことで表せば『普通の高校生』だ。

 ほんの少し戦闘行動ができる高校生と思ってもらっていい。

 装備だけは第一線歩兵連隊にひけをとらない装輪歩兵戦闘車(WFV)があるが、砲兵部隊が一コ牽引砲大隊のみ。

 だから火力が貧弱、まともに戦える部隊ではない。

 それでも行けという。

 しょうがない。

 それが任務だ。

 ……あの日は早朝だった。

 君も同じような目にあったと思うが……ああ、そっちは非常呼集の前に砲弾の雨だったな。

 うちは弾は落ちないからそっちに比べば天国のような状況だが……。

 一報を聞いて、すぐに大隊長室に駆け込んだよ。

 東の共和国が攻めてきた以外は何も分からないが、対処計画の発動ということで準備に入った。

 そこで大隊長は通常はまんべんなく配置している学生を、私が中隊長をしている第三中隊に詰め込み、再編成することを決めた。

 女子学生は混成連隊そのものから転属させ、方面軍後方作戦地域の福井まで下げることになった。

 こうして、私の中隊の現役の下士官、兵士はほとんど一、二中隊に配置換えとなり、中隊本部の十人程度が残るのみとなった。

 一生懸命育ててきた手足をもぎ取られ、その代わり貧弱な手足を、ぽいっと渡された。

 その状態で戦場に行ってこいというのは、正直あまりの理不尽さに憤慨しそうになったよ。

 中隊の兵士はほとんどが高校生……少年学校の学生で占められる。

 そんなもので戦え、彼らの命に責任を持てという。

 さすがに躊躇したよ。

 不安にもなった。

 現役兵フルで戦いに行ける他の中隊が心底羨ましかった。

 でもね……これも命令だから仕方がない。

 そう諦めてみると、不思議と気持ちが楽になった。

「日之出大尉、すまんな」 

 あの時、大隊長の目が震えているのを見た。

 この編成にした真意、その理由がひしひしと伝わってきた。

 私はそれに「了解」と腹の底からなんとか声を絞り出して、精一杯の気持ちで答えた。

 躊躇、不安、落ち着き、納得、そして奮起、私の感情も忙しいものだ。

 今思い起こすと、少し滑稽にも感じる。

「子供を死なせるのは忍びない」

 大隊長は震える声で余計なことを言った。

 言うまでもないことだったが、大隊長は言わずにはいれなかたったんだろう。

 心情お察しします……そういうことだよ。

 それからやることは山ほどあった。

 私は中隊に戻り、ばたばたと小隊長を集めて命令を下達した。

 まずは配置換え。

 大隊長の命令通り、中隊本部、小隊長と各先任軍曹を除く中隊所属の兵隊は一、二中隊に振り分ける。

 だれがどこに行くか伝えなくてはならない。

 次に他中隊からの学生の受け入れ。

 私は学生を各出身中隊毎に今の一から三小隊に当てはめることに決めた。

「まずは宮島中尉、君の三小隊に我が三中隊の学生を預ける」

 宮島はただ「了……解」と返事した。

 ゆっくりと確認するような了解だった。そして、一小隊長、二小隊長にそれぞれ一中、二中の学生を配置することを命じた。 

 ざわつく。

 そりゃそうだ。

 いざ戦おうとしたら、まったく違う人間の下で命張れってことだ。

 だから余計な事を言う必要があった。

「これは命令だ、速やかにかかれ」

 場は静まった。

 私は続ける。

「敵は関東正面の矢坂、長野正面の佐久、そして我々富山正面の親知不(おやしらず)を抜いてきた、十四師団主力が黒部で対峙している」

 要衝の親知不があっという間に抜けられていた。

「北陸混成連隊は五月五日一八〇〇(ヒトハチマルマル)、十四師団に配属され富山市に進出、じ後、師団予備として逆襲を準備……よって大隊は富山市に向け前進する」

 一気にしゃべった後、私は息を吸った。

「命令……中隊は大隊の後衛となり富山市に向け前進する……他中隊への配置換え、その準備を速やかにおこなえ」

 それから出発時間、到着予定時刻、配置換え完了時間、次の会議の時間、燃料補給、弾薬の受領時間、場所など、細かい指示をした。

 二十代前半から後半の若い小隊長が「了解」と口を揃えて言った。

 このヒヨっ子達、普段の訓練では危なっかしくて目の離せない若手将校。

 見ているこっちがハラハラするばかりだった。だが、出陣前で何かに目覚めたのか、妙に落ち着いて見えた。

 肝が据わったというのか、混乱しすぎて感情がでなくなったのか。

 ただ単に頼もしくなっただけなんだろう。

 子供を戦わせるんだから、嫌でも身が引き締まる。

 小隊長は子供の隣に置いて戦場に連れていかなくてはならない。

 私以上に身近な存在として、そして私以上に彼らの命に関わる。

「厳しいと思うが時間が優先だ、できることとできないことを良く考えて準備せよ」

 ついつい老婆心のためか……余計なことばかりを付け加えてた。



 その後、私は中隊の学生を広場に集めた。

 そこで女子学生は後方地域の福井へ転属させると伝えた。

 すっと無言のまま空に向かって伸びる手、女子学生の一人が私をじっと見据えていた。

「どうした、(たちばな)

「私も男子といっしょに連れていってください」

 この子の名前は橘桃子だった。

 ……よく覚えていますねって?

 ああ、そうだろう。

 中隊長は彼らが入隊する前に全部名前と顔を覚えるんだ。

 彼らには厳しいことばかり言うし、恐れられてるけどね。

 教官内の合言葉は『すべては学生の為に』なんだよ。

 学生は信じられないと思うが、本当なんだ。

 だから、まずは名前を全て覚える。

 見知らぬ人間への愛情表現としてね。

 覚えていないか?

 少尉も統合士官学校で教官にフルネームを覚えられていなかったか? 少年学校と同じように統合士官学校でも彼らの名前を覚えるらしい。

 その後、橘桃子以外にも「私も」と手を挙げる女子がでたよ。

 声を挙げて「いっしょに戦わせて下さい」「なんで女子だけなんですか」と。

 橘桃子だけでなく、瓜生絵里という子も声を上げた。

 心が揺れた。

 でもな、女の子を戦場に連れて行くのは勘弁して欲しいんだよ。

 私はね、今度ばかりは上の考えに感謝した。

 たぶん、彼らも多かれ少なかれ娘さんとか持っている親だったり、姪っ子がいるただの人間。

 我々と考えることは同じなんだと思う。

 そりゃ、危ないところからは下げたいさ。

 だから私は「これは連隊長命令だ、命令に従え」という答え方をした。

 理由の説明はしない。

 中隊長としては最悪な言い方だったんだろうが、これが一番効く。

 君も連隊長にそう言われてきたんだろう?

 仲間を置いて逃げる……そんな辛さをさせた君の連隊長も似たような気持ちだったかもしれないな。


 ● 五月七日


 君の連隊の話しも聞きたいが……あまりしゃべりたくないんだろう?

 ここに糧食も少しは残っているし、もうすぐ反撃もはじまると思う。

 敵も思っていたよりジリ貧のようだ。

 君はここにいればなんとか生き残れると思う。

 その君がいた松本だが、たった二日で陥落したと聞いて、さすがにびっくりしたよ。

 そりゃ休暇中のド真ん中だったかもしれないが。

 緊張が高まっていたと言っても、関東以外の部隊は三分の一態勢しかとっていなかったもんな、こっちの山間部にくるとは思わなかったからね。

 敵はそこを突いてきた。

 見事に奇襲をくらったってことか。

 私は別に君を責めてはいない。

 敵の勢いは私もこのとおり体で知っている。

 松本から塩尻、岐阜の安房(あぼう)峠までの遅滞行動は大変だっただろう?

 ……ああ、そうか、実際は遅滞行動というよりも後退行動か。

 今更生き残ったことを気にするな。

 連隊長から命令されて、その作戦日誌と連隊旗を命からがらここまで抱いてきたんだろう?

 それも立派な任務だ。

 よくやったって連隊長も思っているさ。

 誰かが生き残らないと、誰かが連隊の最後を伝えないといけないからな。



 本当に七日は耳を疑った。

 敵の主作戦方向は東京に最短距離の関東正面だと思っていたからね。

 まさか甲信越が敵の主作戦正面になるとは思わなかった。

 十四師団は親知不も抑えきれず、黒部川まで押されたと聞いた。

 そのすぐ後に佐久、松本の陥落の一報だ。

 鳥肌が全身に立ったよ。

 今、君の話しも聞いて、敵の企図が東京を包囲することだと考えれば……フォッサマグナを縦断しようとすることは、なるほど……と思うが。

 やられるまでは考えもつかなかった。

 なんせ、山越えの作戦よりも関東平野をまっすぐ突っ込んだほうが効率がいい。わざわざ凸凹で狭いこの山地を行くには相当な覚悟がいる。

 まさかって……君もそう思っていただっただろう?

 やっぱり、まんまと共和国の奇襲にはまってしまったんだろうな。

 そういうことも知らず、松本が落ちたというだけで、とりあえず、本当にとりあえずという感じで、師団から北陸混成連隊は『侵攻する敵を安房峠以東に阻止』って命令を受けた。

 我々は慌てて国道四十一号沿いに富山から南下し、山の中に入り安房峠に向かった。

 連隊内の運用は、うちの九大隊は予備で神岡に集結、連隊主力で亜房峠から松本に繋ぐ山間部で数線防御やろうって(はら)だったんだ。

 だけど君も知っての通り、神岡までいったところで安房峠まで敵に奪取されたという。

 結局師団はまたまた命令を出して『神岡から高山の線で阻止』に変えた。

 それで四十二大隊はここよりちょっと東の奥飛騨で国道四七一号を、四十三大隊は高山の西で国道一五七号を押さえるように、陣地防御すると連隊長は決心した。

 え、ああ。

 そりゃ連隊も子供は戦わせたくない。

 うちの九大隊の任務は変らず、予備でそのままここに居残りだ。

 安堵したね。

 今思うと、馬鹿かトンマだけど、これで戦も終わりだなと思ったんだよ。

 敵は本気じゃないって。

 本当に私は馬鹿だった。

 良い情報ばかりを信じる。

 信じたくなる。

 敵の狙いは長野一帯の占領だけが目的だって思い込んだ。

 我々はここに居座って、反撃のための九州や近畿の部隊がやってくるのを待っとけばいいってね。

 言い訳にしかならんが、私はあの「連れて行って」といった橘が、男子学生と手を握って見詰め合ってるのを見たんだ。

 あれはたぶん佐古って男子学生だったと思う。

 中隊長として部内恋愛は禁止と厳命していた手前だが、見て見ぬふりをした。

 若い子達にとってはそんなの無理だよな。

 佐古は真面目で優秀な学生だ、教官の言いつけは率先して守るタイプの子なんだ。 

 だがやっぱり、女子と男子がいれば恋だってする。

 私はなんとかもう一度二人を合わせてやりたいと心から思ったんだよ。だから、いい方を信じてしまった。

 いい方を信じなければならないと思った。

 常に事態が最悪になることを考えて処置を万全にせよ……って士官学校で叩き込まれていたのにね。

 念じても縁をかついでもだめなときはだめなんだ。

 笑うしかないぐらいに、今はそれが身に沁みている。


 ● 五月九日


 もうだいぶ日が沈んできた。

 ……準備もできたし、後は暗くなるのを待つだけだ。

 あの奥飛騨っていう温泉街に行ったことはあるか?

 ……いや、こっちに来るときに通ったとかではなくて、温泉に泊まりに行ったことがあるかと聞いている。

 三年前、(あきら)が……ああ、うちの娘の名前だ。

 その娘がまだ幼稚園の年中さんの時、親子三人で行ったよ。

 世の中が正化になったというのに、あの温泉街はまだ射的とかよくわからない見世物小屋とか、まあ昭和の匂いがぷんぷんする様なところだったが……夜空がきれいで、いつ星が降って来てもおかしくない、そんな感覚を味わえるような所だったよ。

 今は見る影も無くなっているんだろうけど。

 本当に残念だ。



 あの日は今とは逆で、夜も明ける前だった。

 やられた、と思った。

 寝袋から飛び出て中隊の集結地にしていた工場を出た。

 私は無我夢中で「小隊ごとに分散! 建物から出ろ!」と叫び続けたと思う。

 四十二大隊のいる奥飛騨方向から雨のように落ちる砲弾音が聞こえたんだ。

 我々が居る場所がばれていると直感だった。

 誰かに見られているという寒気もした。案の定、数分後に工場に砲弾が降り始めた。

 完全な私の油断だ。

 もっと分散すればよかったのだろう。

 弾着の状況を見てたところ、やはり斥候が入って観測していたとしか思えない。

 それぐらい正確な砲迫射撃だった。

 私は先任曹長(センニン)に負傷者収容の統制を任せ、砲弾の破片が降り注ぐ中、装甲小型バギーを自分で運転して大隊の仮指揮所にたどり着いた。

 二時間以上降り続いた砲弾が止んだ後は、無線機が嵐の様に騒ぎ立てていた。

 そんな中、ドタバタと他の中隊長も駆けつけてきた。

 不思議なことだが、困ったら指揮官を頼るというのは本当だ。

 全員で大隊長の顔を見た。

 髭をそる暇もなく、無精ひげが目立ち、たった二日で痩せこけてしまった顔を。

 大隊長は伝令の用意した紙コップのコーヒーに口をつける。

「まあ飲め」

 私たちは伝令が配るコーヒーを飲んだ。

 無線機からは絶叫交じりの報告が入っている。大隊長が少し震える手でペン先を地図中の奥飛騨に置いた。

「連隊長からの命令は『予定通り、奥飛騨正面への逆襲準備』とのことだ」

 そう呟くと、やつれつつも精悍な顔つきの大隊長が私たちを見渡した。 

「命令」

「「命令」」

 我々は復唱する。

「大隊は奥飛騨陣地へ敵が侵入することを予期し、逆襲を準備する」

 無線機ごしに奥飛騨にいる四十二大隊からの通報を聞いていると、すでに敵の突撃を受けている陣地があるようだ。

 怒鳴り声に近いそれは緊張感を増していっている。

 大隊長は無線機の声を無視するように淡々と、それから各中隊に逆襲の経路、突入要領を示した。

 わたしの三中隊は最後尾を前進するよう命じられていた。

「計画上、今日から反撃が始まる予定だがまだ始まらん……まあ中々予定通りとはいかんが、明日、明後日には反撃が始まるはずだ、反撃の足がかりを失わないためにも、ここは死守する」

 大隊長は「はず」とい言葉が妙に響いた。

 今日の砲撃で私たちも含めなんとなくわかったんだと思う。

 違う。

 と……。

 仮指揮所を出るとき、一、二中隊長から「日之出さん、あの子たちのことは頼みます」と手を握られて言われた。

 私はまだ「いきます」には早いよと笑いながら言った。

 一中隊長は「子供を死なせたら胸くそが悪くて死んでも死ね切れない、なんとしてもあの子達をお願いします」と言ってくしゃくしゃな笑顔を見せた。

 不思議と笑顔になるんだな、こういうときは。

 君を送り出した連隊長とか幕僚たちもそうじゃなかったか?

 不思議と。

 ん? 大尉も笑顔だって?

 ……ああ、そうか、笑顔なのか。

 そうか……。

 はは。

 それから私は中隊に急いで帰った。

 早朝の砲弾で二人がやられていた。

 学生達は、半分寝ぼけたままの者もいたし、中には寝袋を被ったまま建物の外に出た者もいたようだ。

 彼らは本能的に溝やコンクリートの壁を使って退避したため、奇跡的に死者はいなかった。

 負傷した二人はなかなか集まらない仲間を探しに建物に戻った者だった。

 猪突猛進な小山……小山岩男という学生と、もう一人は田浦鉄平。

 応急処置で血は止まったが、とても戦闘に復帰できるような状況ではなかった。

 動けば傷口が開く状態。

 私はすぐに師団段列に後送を決定して指示をだした。

 小山は残せ残せと叫び暴れて、せっかく閉じていた傷口を開きながら文字通り血だらけになっている。

 逆に田浦は出血でショック症状を起こし大人しくなっていた。

 私は神岡に準備している連隊段列がこれからすぐに一杯になる可能性があることを理由に、この二人を師団段列まで下げることができた。

 師団以上の段列なら野戦病院があるのだ。

 上手くいけば定期便で金沢まで後送できる。

 なんにしても、まずは二人の学生をこれからの戦で死なせずに済んだ。

 馬鹿な考えかもしれないが、最初の砲撃でもっと負傷してくれればよかったと思ったよ。

 怪我しても、上手くいけば、治るかもしれない。

 ……死んだら、何をやっても生き返ることはない。

 ……なあ、どっちがましか、君ならわかるだろう?


 ● 五月十三日


 今日はやけに暗くなるのが早い気がするんだが。

 ……ちょっと水筒とってもらっていいかい?

 すまんね、右手がやられて……もう指に力が入らんから、こう手伝ってもらわんと、水を飲むこともできん。

 まったく情けない。

 笑ってくれていいんだ。

 日が陰るだけで、だいぶ涼しくなるもんだ。

 君は……少尉はまだ若いから堪えないと思うが私のように三十も後半になるとなかなかきついもんなんだよ。

 血を出しすぎたのかもしれん……。



 十三日の昼過ぎだったと思う。

 なんだか記憶が曖昧なんだ。

 大隊長に集められて「逆襲発動準備」と命じられた。

 私が了解と答えようとしたのを遮るように大隊長は「三中隊は、連隊段列の警備」そして「必要により、段列の輸送支援」と命じてきた。

 三中隊も乗っているWFVは、トラックに比べ物にならないぐらいに荷物は載らない。

 それに対して「必要により、段列の輸送支援」なのだ。

 師団段列は富山市だ。

 輸送を名目に富山市に戻れる。

 私は情けない顔をしていたんだと思う。

 大隊長はぐっと私の肩に腕をかけ拳で私のこめかみをグリグリと圧迫した。

「馬鹿野郎、俺を誰だと思っているんだ、奥飛騨の敵に喰われたところぐらいさっさと取り返してくる……あっちの大隊長も俺よりもじじいだが、あれはあれで熱血だから健在だろうよ」

 五十過ぎの大隊長が奥飛騨で奮戦しているはずの四十五歳の四十二大隊長をじじい呼ばわりするのは変だと思った。

 普段から自分の若々しさをアピールする人だった。

 あの日以来一気に老け込んだその顔が言うものだから……それがとても面白く感じて私は笑った。

「日之出、俺は行くが、学生を頼む」

 あの中隊長達と同じ、くしゃくしゃな笑顔の大隊長だった。



 何度でも言うが、私は馬鹿だった。

 神岡の連隊の段列から富山の師団段列の輸送に行った車両が戻ってこないことを聞いていたが、聞き流していた。

 敵の電子攻撃で無線も役に立たず、中隊と連隊の段列は事実上孤立化していた。

 唯一の救いはなぜだか敵の航空攻撃が一切なかったことだ。

 ……制空権は帝国がとっているとか、もうすぐ反撃が来るって言っている根拠がこれだ。

 ただ、無線は通じない。

 奥飛騨や高山の方は砲弾の音が鳴り止まない。

 いったい、何がどうなっているか分からなかった。

 私は馬鹿な選択をした。

 大隊の逆襲は成功したのかもしれない。もう少しここで待とうと。

 今思えば高山……いや飛騨まで下がればよかったんだと思う。

 混成連隊の本部は後方の飛騨まで下がっていて、神岡の連隊段列は事実上はスカスカになっていたからだ。

 ただ、それは越権行為だ。

 たかだか中隊長がどうこうできる話ではなく、たとえ未来を知っていたとしても、後退はできなかったと思う。


 ● 五月十四日


 今日は雲りなのか? えらく真っ暗だな。

 月齢も高いはずだから、月明りもあると思うんだが……。

 それとも月の出が遅いのかもしれないな。

 もうすぐ夜襲の出発時間か……。

 ……いいか、君は、少尉は自分の任務を遂行するんだ。

 何度も言うが、生き残ってそれを持っていくことが優先だ。

 ところで、君は奥さんとかはいるか?

 ……そうか、東京に彼女がいるのか、なるほどな……君の連隊長が生き残れと言ったのもわかる。

 君の周りの者はほとんどが長野が郷土だろう。

 そりゃ、そこで死ぬ理由があるんだよ。

 でもね、君は生まれも違うところだろう? そこまで義理立てする必要も無い。

 東京の彼女を泣かせちゃいけない。

 そんな顔をするな。

 今は泣いてもしょうがない。

 決して君は長野の人々を見捨ててはいない。

 そりゃ、避難もする暇もなく、あっちは酷い事になっていると思う。

 君の連隊は全滅したんだろう?

 十分なんだよ。

 君個人の任務じゃないんだ。

 そこを背負うのは連隊長の仕事だ。

 だからその時、別の仕事をもらったんだろう?

 絶対に早まるな。

 ここから飛び出すな。

 じっとしておけ。

 そのうち、九州、中国、四国、近畿の師団が反撃してここを取り戻す。

 間違いない。

 ここに爆撃が一切無いのが証拠だ。

 我々は制空権がある。

 反撃ができるはずなんだ。

 それが始まれば君は生き残れる。



 まさか、十四師団が神通川まで下がっているとは思わなかった。

 富山が落ちるとは思わなかった。

 十四日の昼に国道四十一号を富山方向から南下する敵がいると聞いた。

 あの時は文字通り血の気が引いた。

 膝がカクカク震えたよ。

 教範に『包囲は心理的影響が大きい』とあるが、身をもってその気持ちを体験した。

 味方しかいないと安心している方向から敵が来たら、ショックで貧血を起こすぐらい衝撃を受ける。

 一秒も無駄にできない状態だったはずなのに。

 なかなか次に何をするべきか判断ができなかった。

 私はまず、自分の判断力の無さを責めていた。

 一報の後すぐだ。

 国道四十一号の一番北側にいた一小隊が敵と交戦を開始した。

 私は震える唇をなんとか動かして、残りの小隊長を呼び寄せた。「中隊長と中隊本部は現在地を死守する、他は飛騨へ後退」と命じ、先任者の三小隊長に指揮を引き継いだ。

 三小隊長の宮島中尉はこの命令に対して渋るだろうと思っていたが、すんなり引き受けた。

 WFVのエンジンがうなりを上げていく中、あの橘桃子と見詰め合っていた佐古が数人の学生とともに私の前にすがり付いてきた。

「敵が来ているのになぜ逃げないといけないんですか!」

「自分達は一発も撃っていないんですよ!」

 佐古が一段と声を張り上げた。

「学生……学生って! なんでいっしょに扱ってくれないんですか! そんなに自分達が足でまといなんですかっ! 大隊長も中隊長も、教官も、学生を守るためって……それで、死んでいって、なんで自分達がここに居るのか、なんでここで安全な場所ばかりにいかされるのか! ……足手まといなのが……情けなくて、情けなくて……」

 彼は怒鳴りながら泣いていた。

 その彼が、無理矢理私から引き剥がされる。

 宮島中尉が彼の顔面を殴った。

 よろけるところを蹴り倒す。

 ――馬鹿野郎。

 宮島は声にならない声で唸った。

 地面の泥が涙のせいで顔にひどく汚く張り付いた佐古は、倒れて転がったまま泣いていた。

「邪魔だ、飛騨に行け」

 他に上手い言い方があったかも知れないが、私は他に言葉がでなかった。

 一小隊と交戦したのは敵の先遣部隊のようだった。

 すでに、囲まれる形になっていたが中隊本部のWFVで突撃し、敵を後退させ、囲みを解き一小隊を救出することができた。

 一コ分隊が東の鉱山の方に向かったため行方不明になっていたが、構わず後退命令を出した。



 学生達が山道に消えていく中、応急的に作った陣地に私以下十名の現役組が、息を潜めて富山から南下して来る敵を待った。

「中隊長、なんだか晴れ晴れとした顔をしてますな」

 先任曹長が同じく晴れ晴れとした顔で私を見る。

 ああ、そうなんだと思った。

 大隊長も他の中隊長もだから笑顔だったんだと。

 自分のやるべきことをやった後の笑顔。

 ……変だろう? だったら、子供を戦場に最初から連れてくるなと思うだろう。

 はは、そうか君も思わないのか。

 そうだな、松本の連隊の惨状を思えば、そういうことも起こりうると思うよな。

 生き残ったら病院に行ったほうがいい。

 君もけっこう狂っている。

 私も最初から連れてこなければいいだろうと思ったし、どうして大隊長に意見具申しなかったか今でも自問自答する。

 それをするたびに、やっぱり連れてくるしかなかったんだと納得する。

 不思議なんだ。

 理由がないのに納得するんだ。

 やっぱり、ここに連れてくるしかなかったってね。

 任務なんだ。

 任務は果たさないといけないんだ。

 飛騨に後退させるのも任務だ。

 わかるだろう? ここに連れてこなければ、飛騨に後退させる任務はなかったんだ。

 学生も現役と同じく、有事では戦場で敵を殺すことが任務なんだからね。

 馬鹿みたいに真っ赤になった夕日が照らす戦場。

 殺し合いをしている場所とは思えない美しさ。

 そのせいかもしれない。

 私はやけに晴れ晴れした気分で、のこのこと迫ってくる敵と殺し合いを続けた。

 結局、その日の夕方の戦闘で中隊本部のWFVは三両とも大破した。

 その内一両が敵戦車の徹甲弾の直撃を受けたため乗員の三人が消し飛んでしまった。



 私は夜、残りの七人を連れて山に隠れ、少しでも学生達への追撃を遅らせようと斬り込みをやった。

 敵はまるで亀の甲羅の中に篭る様な……爆撃や砲弾を恐れているのか、ひどい緊張感に襲われていた。

 その隙をついて露営する一角に斬りこむ。

 そして、敵にできる限り近づいた後、一斉に射撃をして、暗闇の中の敵を正確に一人一人撃ち殺した。

 その直後、喚声をあげ、私を先頭に密集している人の合間に突っ込んだ。

 味方は銃剣で次々と刺す。

 私も一人を蹴り倒し、そして軍刀を突き立てた。

 私が撤収の合図に使っている警笛で、短音を連続して鳴らした時だった。

 照明弾。

 林の木々の陰が動く中、刺した相手に動いていく光が当たる。

 刀を引き抜こうと、刺した相手を踏みつけて踏ん張った時に相手を直視した。

 すると目が合った。

 当たり前だが、息があると思った。

 若い。

 そう、私たちが逃がした学生と同じ。

 橘桃子と同じぐらいの女の子だった。

 私が冷静になり周りを見渡すと、十六、七歳の子供たちの顔が照明弾の光に照らされていた。

 怯え、恐怖、怒り。

 かまってられなかった。

 私はそこから離れるために、小銃を至近距離で構えたひとりを拳銃で撃ち倒した。

 いや、もうひとりぐらいはやったのかもしれない。

 必死に林の中を駆けている途中、少し後ろの方で手榴弾が破裂し、その破片にやられ、今のこの情けない姿になってしまった。

 先任曹長も死んだし、部下もたった三人になってしまった。

 ……なあ、おかしいだろう?

 子供を殺されないように子供を殺す。

 おかしいよな。

 なんで敵も連れてきたんだろうな。

 敵も予備の予備を突っ込むぐらいにジリ貧なんだろう。

 ……誰も、子供を戦場に連れ出したい大人なんているはずがないのに。

 きっと。


 ●五月一五日 夜――現在――


 ……よし、そろそろ、もう行くか。

 よっこらしょ……。

 どうも、おっさんぽいな。


 偵察した中川に聞いたところ、どうも一小隊からはぐれた分隊が囲まれているらしいんだ。

 なんとか助け出したい。

 だから夜襲をしかけようとしている。


 ああ、すまんが、わき腹のを、もう少しきつく縛ってもらっていいか?

 血が止まらんからな。

 もう、痛みもないから思いっきりやってくれ。


 あと、手に、刀、紐で、巻きつけてくれ。

 ……ありがとう。

 ……ああ。

 ああ、そうか。

 もう……。


 なあ、くどいようだが、少尉、お前は絶対に生き残れ。

 ……生きてもらわんと、俺らは、みんな、消えてしまうんでね。


 ん?

 言霊とも言うし、最後まで自分勝手に願い事を言ってもいいだろう?

 ダメ中隊長ついでに恥も外聞もどうでもいいしな。

 娘の晶は、間違っても、俺みたいな、軍人になることは、ないと思う、算数が好きだから、そうだな、学校の先生とか、いや高望みで、学者さんとかに、なったら、いい。

 そして、恋をして、失恋してもいい、その時は、私が、もっといい男は他にいるって、慰めたいな。

 あと、友達だな。

 本当に心を許せる友達が、できたら、いい。

 妻は、体が弱いが、芯は強いから、大丈夫、だろう。

 愛してる。

 愛しているよ。

 本当に、ありがとう。

 晶が、男を連れてきたら、ぶん殴ろうと思って、いたんだが。

 無理か。

 情けない男だったら、容赦、しない。

 せめて、私よりも、腕っぷしが、強いやつじゃないと、認めない、そう言って、追い払うのが、おやじの、務めだ。

 ところで、少尉。

 君の、彼女さんの、親とは。

 そうか、まだか。

 しっかり、やってくれ。

 晶。

 お前の、相手は、私が、見極め、たかった。

 もちろん、軍人、以外で……な。

 はは。

 晶に、家内と、同じ、思いを、させたく……ない。

 からな。 


 ……。

 中川軍曹。

 おっと。

 すまん……。

 はは。

 体が動かん。


 ……。

 おい。

 中川。

 俺は今、立っているのか?

 ……そうか。

 そりゃ、暗いわけだ。

 見えん。

 もういかん……かな?。


 ……。

 はは。

 悪いな、やっぱり、刀の紐、外して、くれ。

 宮島中尉から、逃げのびた……連絡? あったか?

 先任曹長(せんにん)

 あ、そうだった……。

 もう、先に逝って、たな。

 すまん。

 ……。


 ……。

 少尉、腰の、拳銃を。

 いいから、よこせ。

 中川、たま、これ、たま、はいってんか?

 たま、くれ、返してくれ。

 いいな。

 すべては学生ため……だ。

 いいか。

 学生と、生き残れ。

 中川、頼む。

 子供を。

 頼む。

 少尉、お前も、逃げろ。

 生き残れ。

 軍旗。

 託されたんだから。

 私は……。

 ……。


 ……。

 すまん、いってくれ。

 はは。

 ちからが、はいらん。

 中川……。

 ……。


 ……。

 しょうい、ゆび、うごかん、ひっかけて、くれ。

 はは、ひくのも、たいへんだ。

 なかがわ。

 めいわく……かけ、た。

 あ……が……とう。


 ……さきに。

 ……。

お読みいただきありがとうございました。

拙作の「陸軍少年学校物語(Pixiv))「缶コーヒーからはじめよう。」「39歳バツイチ子持ちだが、まわりの女に煽られる。」の二十年前のお話。


缶コーヒー……に出てくる、晶のお父さんや、中隊長の佐古少佐、先任曹長の中川曹長など二十年前の姿になります。

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