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八-(2)
長らく警察庁で事情を聞かれているムネオ・ハネズ医師の機嫌は、当然ながらあまりよくなかった。せっかく協力を申し出たものを、犯人よがしの扱いをされれば誰でも機嫌が悪くなるというものだ。
録画では温厚そうに見えた丸顔を顰め、医師は、またも現われたロウ警視を厳しい口調で迎えた。
「一体私はいつになったら帰してもらえるんだね?」
「長くお引き止め立てして申し訳ありません、ドクター。もう少しご協力願えますか」
「もう知っていることは全部喋っただろう。何度も同じことを……」
「すみません。実は、あなたの意見を聞きたいと特別に申し出た方がいらっしゃいまして……お呼びしても構いませんか?」
「ああ。何でもいいから早くしてくれ」
投げやりに答えるハネズ医師は、数時間前からいる取調室ともいえる個室に新たに現われた男を見、わずかに眼を見開いた。
若い軍人――紫のラインに金のバッジ。
「これは……八部の面談を受けるとは、よほど私に信用がないらしい」
「確かに私は八部の隊長ですが、残念ながらあなたを〝読む〟ためにここへ来たわけではありません、ハネズ医師」
若さに合わぬ落ち着いた物腰で、八部隊長サリュウ・コズミは医師の前の椅子に腰かけた。
「あなたという人物を読むことに興味はありますが、そんなことをしたら即刻M法違反で私は失制者です。ご心配なく」
「では、なぜここへ?」
「あなたがカレノと会った最後の人物だからです。ご存じかもしれませんが、彼を最初に見つけたのは、我々です」
「ほう」
「事故の可能性を知りながら未然に防げなかったことは悔やまれますが――カレノが何者かにマインドコントロールされていたことも知っています。真犯人を捕え、艇内の安全を図ることに、我々も警察同様ただならぬ関心を寄せています」
稀人の男は肘掛けについた両手を軽く組み、その手の上から何ともつかぬ視線をくれる。
「先程あなたがカレノに催眠をかけるところを拝見しました。非常に興味深かった」
「稀人にそう言われるとは、少々恐縮だね」
おどけた口調で医師は言い、肩をすくめた。
「どのあたりが興味深いと?」
「失礼だが、あなたはあまり人に安心感を与える風貌ではありません。ご自分でもよくご存知のはずだ。だが、それをうまく生かして親しみをみせることで、逆に相手の信頼感を得る。うまいやり方です」
「ありがとう」
「それにあの間の取り方といい質問の加減といい、私でも思わず答えてしまいそうです」
「だが、君はあまり人に心を許すようには見えないね。――その手。そうやって組んでいるのは、自分を護る意志が強く表われているということだ」
「初対面で稀人を精神分析しようとした医師はいません。あなたもなかなか度胸がある」
サリュウは厭味でもなくそう言い、少し語を切った。
「催眠を仕向けるやり方も素晴らしかった。私は最初ロウ警視から話を聞いたとき、あなたが真犯人かとも思いました。ですが、違う」
「稀人が言うんじゃ確かだな」
ハネズ医師は茶化すように、傍に立つロウ警視に薄い眉を上げてみせる。
「読まなくとも分かることです。真犯人なら、あんなタイミングで自殺を仕向ける暗号を言ったりはしません」
「君は〝言葉〟が引き金だと思うのかね?」
医師が真顔に戻った。
「はい。肩を叩くということは日常の中で多くはないにしても、よくあることです。よく似た符丁である〝肩がぶつかる〟ということで、爆弾を仕掛ける前にカレノが自殺する危険もある。最後にあなたが洩らした〝よく頑張った〟――これが、カレノの自殺の引き金となったキーワードです」
「〝よく頑張った〟か。そう耳にすることはないかもしれないが、珍しい言葉でもないだろう。キーワードとしては弱すぎないかね」
「私も犯人でないので詳しくは分かりませんが、カレノに向けられて言われたということが重要なのでしょう。彼は非常に孤独で、人から認められるようなタイプではなかった。その彼に〝よく頑張った〟と声をかけて褒める相手は――」
「暗示をかけた犯人、というわけだね」
「そうです」
「なるほど。ところで君は、私に質問があるんじゃなかったのかな?」
「はい。私がお聞きしたかったのは、これだけのマインドコントロールをおこなえる人物を、先生ならご存知ではないかということです」
「私が犯人を知っていると?」
医師の丸い頬に冷笑がよぎった。
「残念ながら、私の知人にテロリストはいないよ」
「なにも先生がテロリストと知り合いだと言っているわけではありません。あなたを除いて、強力なマインドコントロールが可能な精神科医を教えていただけませんか」
ハネズ医師は頬に冷たい微笑を貼りつけたまま、わずかに椅子に身を預け、丸い腹の上で指先を合わせる。
「なかなか答えにくい質問だ」
「それは承知していますが、是非先生にご協力いただきたいのです」
「カレノは〝四辻の医者だ〟と言っていた。その線からは探らないのかね?」
「それは警察の仕事です。それにマインドコントロールをして用心する犯人が、カレノが捕まり、その周辺が調べられることを考慮せずにいたでしょうか」
「ふむ」
「カレノが嘘をついていないことは映像を〝視れば〟分かります。ただ、本人が事実だと認識していることが真実とは限りません。これは先生がよくご存知かとは思いますが」
「コズミ隊長。ひとつ君が勘違いしていることは、催眠を操れる者が精神科医だと決めつけているところだ。心理療法士やある種のカウンセラーなども可能だよ。それに、かつてはむしろマジシャンの類いがよくしていた。ショウ催眠といってね」
「知識としては知っています。ただ、これはあくまでも私の視た印象ですが――」
サリュウはためらうように一息入れ、語をつなげた。
「犯人は、あなたとどこかで繋がっている気がするのです。カレノのあなたに対するあの打ち解け方――あれはおそらく、あなたと犯人に通じるものを感じたからではないかと」
「ほう」
「医者に限らず専門家というものは、その人独自の経験則にのっとったやり方があります。しかもそれは、師から弟子へと伝授されることが多い。[まほら]も日本国である以上、医師は研修制度を受けることが義務付けられています。……ハネズ医師、あなたは短い期間三風でインターン制度のある病院に従事されていましたね?」
「私のやり方を犯人が真似したと?」
「真似というより、影響を受けたと言ったほうが正しいのかもしれません。あなたは高名な精神科医で、催眠療法には定評がある。マインドコントロールを試みたいと考えた場合、あなたのやり方を見習うことは技術を磨く近道と言えるでしょう。
ハネズ医師。あなたの教えた生徒や周囲の同僚たちに、マインドコントロールに長けた人物はいませんでしたか?」
「みな優秀な精神科医だよ。犯罪とは縁がない」
「飛び抜けて優秀ということではありません。マインドコントロールにただならぬ興味をもち、あなたによく質問などして勉強熱心だった人物――彼は非常に目立たない、おとなしい風貌の持ち主で、同僚からもいいようにあしらわれていたはずです。おそらくあまり裕福な生まれではないのでしょう。六花を標的に選んだことから権威や名声などには弱く、そのくせ下と見られるものに対しては強気に出る――そういうタイプです」
「君は精神分析医になれそうだな、コズミ隊長」
「ありがとうございます」
「ふむ……心当たりはある」
温厚な丸顔に笑みを象り、ハネズ医師は傍らのロウ警視をちらりと見上げた。
「これに答えたら、私は帰らせてもらえるかね?」
「もちろんです、ドクター」
「では、紙とペンを貸してくれたまえ」
ロウ警視が戸惑い顔で、胸ポケットを叩いた。かつて警官の必需品といわれたメモ帳とボールペンは、とっくの昔にPPCに入れ替わっている。
「PPCじゃだめでしょうか?」
「君、私は今から同業者を告発することになるかもしれないんだ。外部へもれる可能性のあるデータには入力できんよ」
PPCは[まほら]のホストコンピュータに直結が可能な媒体だ。
ハネズ医師は用心深くそう言うと、肩をすくめてみせた。
「稀人の前じゃ、言おうが書こうが変わらんのだろうがね」
「恐れ入ります」
「君の脳に侵入できない相手であることを祈るよ」
冗談か分からぬ口調で言い、ハネズ医師はロウ警視が部下に持ってこさせた用紙にペンを走らせた。その紙を二つに折って、サリュウに差し出す。
「私に?」
「尋ねたのは君だよ。それに今、警察は少々信用が置けなくてね。息子のガールフレンドも姿を眩まして三ヶ月が経つが、いまだ行方知れずのままだ。正直、八部に任せたらどうかという気もしないでもない。まあ、それは冗談にしても、ともかくそれは君に預ける。好きなようにしてくれ」
ハネズ医師はにっこり笑ってそう告げると、警官に伴われ、ようやく警察庁を後にした。
癖のあるオヤジが好きです。




