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千夜航路~天つ海翔ける星の宙船~  作者: 藤田 暁己
<其の八> Misdirection――誤誘導
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(1)


八-(1)


 一心から来た客も帰って夜番の交代の時間になり、サリュウが本部へ向かうと、入口でスポーツバックをもったミヲが待ち構えていた。目顔で示され、人気のない通路の角まで着いて行けば、予想通り直球の質問が放たれる。


「さっきの騒ぎはなに?」


 掻い摘んで語られる事情に、彼女の瞳がわずかに緩んだ。


「それで一心に暗号通信を入れてたのね」

「なんだと思っていたんだ?」


 その問いに答えず、柄にもなくミヲは腕を組んだままうつむく。


「三日も一心に行ってたでしょ。マサズミと会った?」


 そのことか、とサリュウはため息を吐いた。


「ああ」

「彼、本気のように視えた?」

「おまえのことは本気だぞ。割合昔から」


 話を逸らそうとするサリュウをブルーの瞳が睨む。


「あんたは昔からごまかすのが下手。やっぱりあいつ、本気で辞める気なのね」

「どうっして知った?」

「それにはいくつか経緯があるわ。ひとつ、ダイナンの父親は警察長官。二つ、マサズミは長官のお気に入り。三つ、どこかの馬鹿が長官を八部本部の見学に連れてきて、めでたく親子の縁が復活して文通が始まった」


 持って回った説明に、サリュウは苦い顔で額に手を当てた。

 内輪の話だけで終わっているようなら、何とか話をなかったことにできたかもしれないが、長官が知っているということは、警察庁の中枢で周知されてしまったということだ。まさにマサズミ・ニビの首は皮一枚だ。


「ミヲ、あいつならやれるよ。大丈夫だ」

「どうかしら。自分の首を絞めなきゃいいけど」


 辛口は変わらないが、その眼差しは昏かった。どう励まそうか口ごもるサリュウに、ミヲはかえって微笑を浮かべる。


「あたしなら平気よ。気にしないで」

「ミヲ」

「ただ、事件の資料を個人的に見てもいいかしら? 一応隊長の許可はもらっておかないと」

「ああ。俺も情報を集めてみるよ」


 ありがと、と呟いて、ミヲがトレーニングルームへ去る。入れ違いに、ダイナンが本部から飛び出してきた。


「サリュウ、ロウ警視から通信よ」

「分かった」


 厭な予感に捕らわれたサリュウは、足早に本部へ戻り、隊長席のマイクを取りあげた。


「どうした?」

『一応君にも報せておこうかと思ってね。シン・カレノが死んだ』



 サリュウは、すぐさま一心の警察庁に足を運んだ。被疑者が死亡した以上、口を出すことに意味はないように思われたが、ロウ警視から聞いたカレノの死の状況に引っかかるものを感じたのだ。

 ロウ警視によると、六花の爆破事件の被疑者であるカレノは、あの後サリュウの勧めに従って一心で高名な精神科医により退行催眠がかけられた。

 そこでカレノが何を喋ったかはロウ警視も通信では口にしなかったが、とりあえず歌は止んだらしい。その後突然、


『付き添っていた警官の銃を奪って自殺したんだ。連絡が遅れてすまないが、こちらも混乱中でね』


 疲れた顔色で、ロウ警視はそう告げた。カレノが自殺したのは二十時五十分。エイジ・ハシタに暗号通信を入れた直後である。

 今はすでに深夜にさしかかる時刻だが、まだ催眠を試みた精神科医が警察庁にいると聞いて、サリュウは四たび警察庁に舞い戻り、事件の対策本部を覗いた。

 警官の黒服の中で浮く灰色の軍服姿を目ざとく見つけ、ジョアン・ロウが手を挙げて呼び止める。


「コズミ宙佐」

「ロウ警視。精神科医に会えるか?」

「尋問中だよ。といっても、彼のしたことはすべて録画されている。容疑も何もないんだが……」


 ロウ警視は困りきった顔で、やわらかな茶色の髪を手でかき回した。


「目の前で被疑者が自殺したからな。ハジの親父たちは、なんとか口実を作って彼をここへ閉じ込めたがってる。裁判沙汰にならなきゃいいが」

「診察の録画は見られるか? 会う前に状況を知っておきたい」

「こっちだ」


 ロウ警視が顎をしゃくった。夜も更け、きれいに揃えられていた口髭もまばらに伸びている。

 モニター室に案内されたサリュウは、虚ろな目で画面と顔を付き合わせる警官たちに軽く会釈して、モニターの前に立った。

 録画された映像は長いものではなかった。応対した精神科医はムネオ・ハネズ医師。三風で数年間働いていたこともある、評判の高い医師である。

 でっぷりと肥ったハネズ医師は貫禄のある風貌だったが、患者を前にすると赤ん坊のようにえくぼの浮かぶ顔で微笑し、やわらかい声音で話しかけた。


『私はムネオ・ハネズといいます。あなたの名前を教えてもらえますか?』


 にこやかに、あくまで患者の目線に下りようとする医師の姿勢に、サリュウは少なからず感心をした。精神科医はどちらかというと患者とは距離をおき、見下した態度で診断を下す者が多いように思っていたからである。

 それでもハネズ医師は、優しい笑みを浮かべつつ、丸い眼鏡の向こうの黒い眼で冷静にカレノを観察しているようだった。

 医師が語りかけるうち、カレノの口から流れる歌が途切れがちになり、呟きとなって消える。

 ハネズ医師は、彼にとっては小さすぎるパイプ椅子に腰かけて、カレノの診察をおこなった。


『あなたが六花市庁舎の植え込みあたりにいたという人がいます。本当ですか?』


 ぼさぼさの男の頭が微かに揺れる。頷いたのだ。


『カレノさん、あなたはその植え込みで何をしていたのでしょう? 何かを見つけたのですか?』

 頭の動きが止まる。

『何かを置いたのですか?』

 再び頭が振れる。

『それはとても大切なものでしたね。あなたはそれを植え込みに置くことを、とても大事なことだと思っていた……そうですね?』


 カレノの首肯に同調するように、ハネズ医師は大きく頭を前後させた。


『では、カレノさん。あなたはそれをどこから持ってきたのですか?』

 カレノの頭の動きが止まる。

『口に出すのが難しいようなら、はいかいいえで私に教えてください』


 ハネズ医師は小さなパイプ椅子から軽く身を乗り出し、開いた指先を胸の前で合わせた。


『私はあなたと話がしたいのです。いいですか? はいかいいえで答えてください』

『……はい』


 かさついたカレノの声が、小さく響く。カレノが歌以外で言葉を発したのは、これが初めてだった。


『カレノさん。あなたは植え込みに置いた大事なものを誰かから渡されたんじゃありませんか?』

『いいえ』

『では、誰かから取りに行くようにお願いされた?』

『はい』


 ハネズ医師は少し考えるように黙った。


『あなたにお願いをした人は、あなたにとってとても重要な人ですか?』

『はい』

『その人から直接会ってお願いをされたのですか?』

『いいえ』

『では通信で?』

『はい』

『カレノさん。あなたのしたことをその人は喜んでくれていると思いますか?』


 ふっと、カレノの顔が動いた。サリュウはぞくりとした。


――笑っている。


 虚ろな顔にいびつな笑みを浮かべ、カレノが首肯する。


『はい』

『では、あなたがその大事なものを植え込みに置く前に戻ってみましょう』


 ハネズ医師は、身を乗り出した姿勢のまま、カレノに言った。


『私が掛け声をかけると、あなたは過去に帰ります。あなたはとても安全で穏やかな気持ちで、私に見たことを話してくれます』


 サリュウは、はっとした。ハネズ医師は言葉だけで彼を催眠にかけているのだ。


『いいですか。1、2、3というとあなたは過去に戻り、私の掛け声でまた戻ってきます――1、2、3』


 すうっとカレノの頭が前に沈んだ。医師は淡々と質問を重ね、カレノの意識を過去に連れ出していく。

 ハネズ医師がカレノから聞き出したことは、当然ながらサリュウの視た記憶と差異はない。問題はその後、シン・カレノが六花市駅のロッカーから爆弾を取り出す前の状況である。

 サリュウの意識を跳ね返したその場面に差しかかると、カレノは苦しそうに唸った。何かから逃げようとするかのように、わずかに頭を左右に振る。

 ハネズ医師は質問を止め、傍らで見守っていた警官を手招いて囁いた。

 その声までは聞き取れないが、続けるかどうか尋ねているようである。警官は、ガラス越しに見ているロウ警視やハジ警視正と言葉を交わし、医師に身振りで続行を命じた。

 ハネズ医師は丸顔をやや顰めたが、変わらぬ穏やかな調子でカレノに言った。


『では、もう少し前に戻りましょう。――カレノさん、あなたが六花に来たときのことを話してください。あなたは四辻から六花に移りました。今どこにいますか?』

『……駅にいる。女房が死んで事故を起こして、どこでもいいから四辻を離れたくて』


 なるほど、とサリュウは思った。ロックされている部分の記憶を飛ばして、もっと過去から戻り、どの段階でマインドコントロールされたかを探ろうというのだ。

 ハネズ医師は、肘掛けについた右手を額に当て、その丸々した指を時折口元に当てながら、徐々にカレノの話を現代に近づけていった。

 催眠をかけられたカレノが語るぶつ切りの過去から浮かび上がったのは、妻も職も友人も失い、孤独で世をすねた男の姿だった。彼が大事に思う人物はなかなか現われない。


『今のあなたの楽しみはなんでしょう?』

『酒……クスリはいいものが手に入らない』

『クスリをくれる人は、あなたに親切にしてくれますか?』

『いいや。誰も俺みたいな男に優しくはしてくれない。みんなゴミみたいな目つきで見る。でも……彼は違う』

『彼? それは誰ですか?』


 ハネズ医師が、わずかに身を起こした。


『彼は特別だ。とっても俺に優しいんだ』

『彼とはどこで会いましたか?』

『道を歩いていたら、ばったり出会ったんだ。……ああ、彼だ。ちっとも変わってない』

『彼と最初に会ったのは、どこですか?』


 うう、とカレノが唸った。先程よりも激しく頭を振り、食いしばる歯の隙間から言葉を搾り出す。


『……四辻』

『彼は職場の人ですか?』


 カレノが噛んだ歯を軋ませ、呻き声をあげた。ハネズ医師は続けて、


『大丈夫、あなたは答えられます。言うのが苦しければ、はいの時は頭を縦に、いいえの時は横に振ってください。彼は同じ職場の人ですか?』


 身悶えながら、カレノが首を縦に振る。


『技術者ですか?』

 いいえ。

『上司ですか?』

 いいえ。

『では――医者、ですか?』


 カレノの頭が止まり、わずかに縦に動く。ハネズ医師は頷いて、


『では、お医者さんだという彼は、どんな人ですか?』

『彼は……かれ、は……』


 言いかけ、カレノの体ががたがたっと震えた。痙攣しているようだ。震えながらのけぞったカレノの口から、こぽこぽと泡が噴き出る。


『あなたは目覚めます――1、2、3!』


 医師が告げると同時に、カレノの痙攣が止み、ぐったりと椅子にもたれかかる。見張り役の警官が慌てて近寄った。ハネズ医師は医者らしくカレノの瞼を開け、首の脈を確かめる。


『大丈夫、気を失ったわけではありません。少し休ませれば問題ないでしょう』


 医師の言うとおりカレノはすぐに顔を上げ、やや目をしばたかせると、また元の無表情な顔つきに戻っていた。


『さっきの話は……』

『催眠をかけられている状態では、自分が何をしたかも覚えていません。時間をあけて、また改めて試みましょう。かなり強力なマインドコントロールのようですが、回数を重ねれば解けるでしょう』


 ハネズ医師はそう言うと、警官に椅子から立たされるカレノの肩を、ぽんと叩いた。


『あなたもよく頑張りましたね。またお話しましょう』


 その瞬間。

 サリュウは、カレノの頭の中で何かが鳴り響いた気がした。それは時限爆弾のスイッチだったのかもしれない。

 警官も医師も、離れていた警視たちもあっと思う間もなく、カレノは隣の警官のホルスターから拳銃を引き抜いて、迷うことなく自分の頭を撃ち抜いた。



ハネズ(朱華色):郁李(にわうめ)のような薄い紅色

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