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六-(7)
夜番の時間を前に、サリュウは報告や連絡も兼ねて、早めに本部の席についた。
ミヲに釘を刺されてしまったので、どういうふうにチヒロの訓練を進めていくか考えていると、隊長用の通信パネルに白い頭がちょろりと見える。
「レ……!」
思わず名前を呼びそうになったサリュウを、マウスが後足立ちになり、ちらりとふり向く。
《やあ、サリュウ。ここ、なかなかいい席だね》
まぎれもない弟のテレパスに、サリュウは声もなく額に拳を押し当てた。
《なにをしている、レイン。戻れ》
《退屈なんだよ。サリュウは仕事で忙しくしてるし、どうやったって体は反応しそうにない。目が覚めてもいいことないんだ》
《まだ二日目だぞ。そう簡単にいくものか。それに意識がネズミに乗っているのに、肉体が起きるはずないだろう》
《刺激が必要だって、ユノが言ってた。あそこでどれくらいの刺激がある? こっちのほうがよっぽど刺激的だよ》
《そのテレパスがどれだけ負担になって、おまえの肉体を痛めつけると思うんだ? ユノたちに気付かれる前に、帰るんだ》
《いやだよ。サリュウだって――僕と同じことすると思うけど?》
双子ともいえる兄弟から言われ、サリュウはさすがに反論に詰まった。ため息で叱責を押し殺す。
《邪魔はするなよ。それに、限界前に意識は戻せ。おまえがネズミになるのは見たくない》
《了解》
おどけたようにテレパスを返し、レインはマウスの体で素早くサリュウの肩にのぼった。
目ざとく、補佐席に座るダイナンが見とがめる。
「サリュウ、それ……」
「なんでもない。ダイナン、気にするな」
顔をこわばらせる兄の肩で、レインが囁いた。
《へえ、彼女がダイナン。美人だねぇ。やるじゃん、サリュウ。つき合ってたんだろ?》
「レイン。少し黙らないと、そこから追い出すぞ」
思わず口頭で言い返してしまったサリュウに、全員の注目が集まる。
《ドジだねぇ、サリュウ。僕、AAAだよ?》
《分かっている。しばらく黙れ》
滅多にない冷や汗をかいてサリュウが言い訳を考えていると、入口から思わぬ伏兵が現われた。
「あれ、レイン?」
明るい声でそう呼びかけたのは、いわずと知れたお騒がせ訓練生チヒロ・ハナダである。
――この馬鹿。
一瞬サリュウは、この厄介な二人組をテレポートで追い出し、別室に監禁しようと真剣に考えた。
「おまえ、なんの用だ?」
「なんの用って……時間帯によって本部に入る出動要請も変わるって聞いたので、夜番の見学をさせてもらおうかと、ダイナン宙佐にお願いしたんです」
「なぜ俺を通さない」
「昼間、隊長の姿が見えなくて」
食堂で二人の同期と話しこんだサリュウは、それから研究棟にレインの様子を見に行き、そのまま寝入ってしまったのだ。
「構わないわよね、サリュウ?」
「あ……ああ」
おぼつかなく頷くサリュウの肩で、声もなくレインが笑う。
《見学生が二人、だね?》
《黙れ》
タコ足のリーディングをもつチヒロは、難なくその会話を聞きつけ、にっこり手を叩いた。
「やっぱりレインだ。わ、出てきていいの?」
砕けそうになるサリュウを無視して、肩のマウスに話しかける。ダイナンが妙な顔になった。
「ねえ、それって……ネズミよね?」
「マウスって言ってくださいよ。本当の名前はL277号なんですけど〝レイン〟なんです」
「L277?」
「足輪がついてて。だけど今は実験に使っていなくて、半分研究棟のペットなんだそうです」
チヒロの説明に、その場になんとなく納得したような空気が流れる。
サリュウは片手でマウスの体を掴みあげ、チヒロに差し出した。
「おまえが持っていろ。仕事の邪魔だ」
「はい」
チヒロはメモを脇に手挟み、素直にマウスを両手で受け取る。するりと肩に乗せ、
「レイン、いい子で見学してないと、また研究棟に戻されちゃうよ?」
危急を伝えてくれたチヒロには逆らえないのか、レインはなにも言わず、チィとネズミの鳴き声をたてた。
ほっとするサリュウに、皮肉なテレパスが届く。
《ひとつ貸しです》
メモを持って片隅に立つ訓練生の黒い瞳が、悪戯そうに輝いている。
サリュウは、ミヲのくれた忠告が少々遅かったのではないかと思い、軽い自己嫌悪に陥った。
*
夜番を終え、サリュウは目顔で、レインを持ったチヒロについてくるよう促した。すでに朝番に引継ぎを終え、他の夜番メンバーは各々食堂や自室へ向かっている。
マウスを連れて食堂に行くわけにもいかず、二人と一匹は人の多い朝のラウンジを避け、通路の小さなテーブルスペースに腰を下ろした。
「朝飯を持ってくるが、おまえは何にする?」
「あ、わたしが行きます」
「おまえ、俺にここでネズミの番をしろという気か」
険悪に言うサリュウに、
《ネズミって言い方はひどくない?》
弟らしく、言われたら言い返すレインのテレパスが響く。
チヒロは、さすがに仕事を終えて疲れている様子の隊長をいじめる気にはなれずに、おとなしく注文を頼んだ。
「じゃあ、ホットサンドとコーヒーをお願いします」
「よくそれだけで身が保つな」
「あんまり食べると寝ちゃいそうで。……レインはなに食べる?」
すでにチヒロがアポートでこっそり持ってきたペレットをかじっていたマウスが、考えるように頭を上げる。
《ピーナッツがいいかなぁ》
《食べ過ぎじゃないか?》
《マウスの体はエネルギー消費が早いんだよ。ヒマワリの種とかでもいいけど》
《ピーナッツにしておく》
断定的に決め、サリュウが食堂へ去る。
チヒロはマウス姿のレインと顔を見合わせて笑うと、見学のメモを広げた。外の環境がめずらしいのかレインはテーブルに上がり、もっともらしく辺りを嗅ぎまわっている。
その席に、紺色の帽子をかぶった灰色の軍服の男が近づいた。肩のラインは青。通信局だ。
「すいません。君、八部の人?」
「そうですけど?」
「よかった。これ、八部宛ての手紙。渡しておくね」
通信局の男は、斜めがけの鞄からとり出した手紙の束をチヒロに手渡した。
「ありがとうございます」
「こっちこそラッキーだよ。本部って入りづらくてさ」
一般人の本音に、チヒロは愛想良く、そうですねと頷いた。
去りかけ、男の目がテーブルの上の生き物で留まる。
「これって本物?」
「ええ。実験に使ってないマウスなんです。事情があって今預かってて」
チヒロは、当たり障りのない嘘をついた。
三風だけでなく他都市でも、動物の飼育は、特別な飼育施設の以外では厳しく制限されている。規定では数種の魚類と昆虫、爬虫類が認められているが、多くの人は3Dかロボペットで代用していた。
「へえ、かわいいなあ」
通信兵が笑顔で白いマウスを覗き込む。その声に、ざわざわと周囲の目も集まった。見知らぬ男につくづく眺められ、レインが居心地悪そうにする。
そこへ、両手にトレイを掲げた長身の男が戻ってきた。
「隊長」
笑顔で立ち上がるチヒロとは対照的に、表情を凍りつかせた通信兵がそそくさとその場を離れる。
集まっていた目も180度方向転換するその様子に、チヒロは驚きつつも、ホットサンドの載ったトレイを受けとった。
「すみません。助かります」
「何事だ?」
ローストしたターキーとポテト添えをテーブルに置いた男が、向かいの席に腰掛ける。
チヒロは汚れないように、手紙を片隅に避けた。
「八部のみんなに手紙です。あとで仕分けしないと」
「ほとんどおまえ宛だぞ」
透視にも長けているらしいテレパシストが、一瞥して教える。
あまり透視をすることのないチヒロは、へえと呟いて手紙の束を取った。束を止めていたバンドを外して、封書を繰る。
「あ、ほんとだ」
「なぜこういうときにタコ足を利用しない」
「私的な文書ですよ?」
「中身を見るわけじゃない。宛名を見るだけだ」
「透視って頭の中ごちゃごちゃになりそうで……」
レインのテレパスが軽やかに笑う。
《チヒロ、これだけテレパスが使えるのに透視が苦手なの?》
「だって、あんまりしたことないんだもん」
「基礎中の基礎だぞ」
ターキーを運びつつ、サリュウが口を挟んだ。
「まあ、おまえに基礎を求めた俺が間違いだが」
「どういう意味ですか、それ」
手紙を仕分けしながら、チヒロが唇を尖らせる。
「おまえに基礎を教え損ねた。統制と開放で時間を取りすぎたからな」
《サリュウが教えてるんだ。へえ、めずらしい》
《おまえ、見てたんじゃないのか?》
《記憶がおぼろげでさ。切れ切れなんだ。パッチワークみたいにつなげなきゃ、だよ》
「レイン、こんなに長くいて大丈夫? 仕事中毒の隊長につき合ってると、睡眠三時間とかになっちゃうよ?」
気遣わしそうに言うチヒロに、マウスの口から塩なしのピーナッツの欠片がこぼれ落ちた。
《三時間? それおかしいよ、サリュウ。僕より早死にするかもよ?》
「でしょ? レイン、そろそろ戻ってもいいよ。マウスはわたしが返しておくから」
後足立ったマウスが、人間じみた仕草で首を傾げる。
《ん、もうちょっといる。やばくなったら任せるよ》
「そうして」
レインのテレパスになぜかすべて口頭で答え、チヒロはサリュウに二通の手紙を渡した。
「はい、隊長の分」
「ああ」
サリュウは興味なさそうに、受け取った手紙をズボンのポケットに突っ込んだ。
一方チヒロは、にこにこと自分宛の手紙を眺め、
「わあ、もう返事が来たんだ。すごーい」
湯気が引いていくホットサンドを置き去りに、手紙を開けはじめる。
すでに皿のターキーのほとんどを腹へおさめた男の声が、冷たく落ちた。
「おまえ、俺が料理人だったらぶん殴るぞ」
「どうしてですか?」
「温かいものは温かいうちに食すのが、作った相手に対する礼儀だ」
「ここのって、冷えても美味しいんですよ?」
微妙に論点のずれた反論にレインは笑ったが、サリュウの目つきは変わらない。
仕方なくチヒロは手紙を封筒に戻し、ホットサンドを手に取った。
「じゃあ、隊長。今日の訓練は透視ですか?」
「基礎全般、だな」
はい、とおとなしくチヒロは頷き、おそるおそる切り出した。
「あの、今の手紙なんですけど……」
「大学のことなら構わんぞ。学業のスキルをあげることは軍人にも必要だ」
「……中身視たんですか?」
「普通宛名で分かるだろうが」
ぱくぱくとポテトを口に運びつつ、サリュウが冷静に指摘する。
ホットサンドを持ったまま、チヒロが不思議そうな顔をした。
「反対されるかと思ってました。〝おまえに訓練と両立できるわけがない〟とか言って」
「できないのか?」
「で、できるように努力するつもりですけど」
「ならば、確実に努力をするんだな。無事卒業できれば訓練も1年で済むし、一気に宙尉に昇格だ」
「え――?」
「なんだ、知らないのか。高等教育しか受けていない者はまったくの素人扱いだが、規定の四年制大学を卒業した者は、士官学校を出た者と同等の扱いとなる」
《チヒロは大学生なの?》
「仕事と並行して通信制度で授業を取ってて……単位が取れれば学位はくれるそうなので、できれば今年中に卒業したいとは思ってたんですけど」
マウスが丸い眼をさらに見開いた。
《わお。チヒロ、十八じゃなかった?》
「そうですけど?」
[まほら]では、初等教育から高等教育まで個人ベースで組まれたカリキュラムをこなすことが推奨される。つまり留年も飛び級も思いのままだが、十八で大学卒業とは、あまり例のあることではない。
「高卒で研究員に雇われたのも納得だな。単位は継続しそうか?」
「はい、なんとか」
ちまちまとホットサンドを食べつつ、チヒロがぺこんと頭を下げた。
「ありがとうございます。許可頂いて」
「その代わり、単位を落としたら地獄行きだぞ」
「分かってます。――ついでに、もうひとつご相談が」
「なんだ」
「今の手紙の中に、見学したいって人からの返事もきてまして」
「誰だ」
「最近知り合った人です。その人が、仕事の都合があるので、深夜勤があるなら是非その時間にお願いしたいってことなんですけど、いいですか?」
「ああ、構わんぞ」
夜番なら自分の眼も届くはず、とサリュウは頷いた。
「それで、一緒に他に二人ほど連れて来たいってことなんですけど」
「計三人か?」
「はい。だめでしょうか」
こちらを窺うように上目遣いで見る訓練生に、サリュウは傍らの封筒に眼をやった。
はっとチヒロが手で押さえる。サリュウが有無を言わせぬ口調で命じた。
「一心からだな。見せろ」
しぶしぶチヒロが封筒を手渡す。手に取った瞬間、サリュウの形相がみるみる変わった。
「お・ま・え・は――」
「馬鹿者って言いたいんでしょ。覚悟してます」
サリュウは手紙を持ったまま、訓練生をどう罵倒しようか思案するように、束の間逡巡した。ため息を吐き、
「おまえは宇宙の果てまで届く、大馬鹿者だ」
低く言い捨てて、封筒ごとテーブルに投げる。ちょろ、とマウスが走り寄った。
《あー……この日、僕来ないほうがいいみたいだね?》
《確実に、な》
不機嫌極まりない様子の兄に、弟のテレパスが笑った。
《すごいねえ。サリュウ、絶対にチヒロに勝てそうにないね》
《うるさいぞ、レイン》
《でも、こうやって返事が来てるってことは、サリュウは見学自体は許可したってことでしょう?》
《相手を知る前だ。知っていたら許可はせん》
「なぜ許可しないんですか?」
真剣な顔でチヒロが問う。まだ半分残っているサンドイッチを皿に置いて、
「隊長が快く思ってない人なのは知っています。でも、他の人と同等の権利があるはずです」
「影響が大きすぎる」
「そんな人にこちらの理解を得られたら、大きいと思いませんか」
引く様子のないチヒロに、サリュウは薄く笑った。
「めずらしいな。プライベートと仕事を分けるのは難しいと言ったのはおまえだぞ。人は感情の生き物だと言ったのも」
「ええ、憶えています」
「では、なぜこんな真似をする」
サリュウの拳が、テーブルの上の封書を叩いた。振動に驚いて、マウスがチヒロの皿の下に潜る。
「夜番を見学したいという申し出には、わたしも驚いています。でも、このまま避けていても状況はよくなると思えないんです。向こうが拒否するからこちらも受け入れない。そんな態度でなにが生まれます?」
「おまえの楽天的な脳みそには、事態の悪化という文字は欠片も浮かばなかったのか」
チヒロは答えず、もう一度手紙をサリュウに向けて差し出した。
「透視で視るだけでなく、きちんと最初から読んで下さい。わたしはこのあいだのお礼と、八部本部は仕事の邪魔をしない限り見学が可能だと書いて送っただけです。返事が来るとも、もちろん本当に見学したいと言われるとも予想してませんでした」
封筒から中身を取り出し、
「便箋はロゴの入った公文書用ですが、封筒は違います。これは私的な文書であると、こちら側に気を遣ってくれているということです」
手紙を広げてみせる。
「内容はタイプで書かれていますが、サインは直筆。返事の早さから考えて、相手がこちらの申し出に好感を持ってくださっていることは確かです」
「興味はあるだろうがな、いろんな意味で」
皮肉に言いながらも、サリュウは改めて手紙を手に取った。
簡潔で無駄を省いた文面に比べ、普通は印鑑で済ませるところへ大きな崩し字のサインが書かれている。かすかなインクの染みは、躊躇した痕なのだろうか。
「お断りの手紙を書きましょうか?」
「馬鹿言え。あいつの前でむざむざ背中を見せる気はない。売られた喧嘩なら買ってやるさ」
「では、お待ちしていると返事をしていいですね?」
否定はできず、さりとて肯定をすることもできないサリュウの手から、チヒロは得意げに手紙を取り返す。レインが愉快そうに笑った。
《この勝負、完全にチヒロの勝ちだね》
《もう帰れ》
《言われなくても帰るよ。――じゃ、チヒロ。あとはよろしく》
レインが、すうっとマウスから意識を切り離した。
人間に意識を乗っ取られて疲れたのか、マウスがその場で丸くなって寝はじめる。
「手提げ用のケージがいりそうですね」
チヒロが呟く。
秘密は軽くなったはずなのに、なんだか余計にいろんなものを抱え込んでしまった気がして、サリュウはわずかに天井を向いて、嘆息をついた。
見学者の予想はだいたい分かりますよね。次回はいよいよ八部見学。