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千夜航路~天つ海翔ける星の宙船~  作者: 藤田 暁己
<其の伍> Doppelgänger――二重身
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(9)

 

伍-(9)


『――この席、いいかな?』


 あれは十三歳。サリュウが一人、研究棟の食堂で昼食のホットケーキを食べていたときだ。三風ではおよそ聞かない、快活な声をかけてきた男がいた。

 だめだという隙を与えず、その男はコーヒーを手に、するりと前の席に座ってしまう。サリュウが席を立とうとすると、男はにこっと笑って引き止めた。


『邪魔をする気はないんだ。気にしないで、食べて食べて』


 サリュウはぱさりとナプキンを広げなおし、男の顔も見ずに尋ねた。


『なんの御用でしょう?』

『あちゃ、やっぱりバレてたか。有名人にさり気なくお近づきになろうと思ったんだけどな』

『全然さり気なくはないですけど』

『はは。失敗だな。――サリュウ・コズミ君だね。ソウイチ・ハナダだ。よろしく』

『どうも』


 一体なんの研究者だと、サリュウは不快な気持ちで握手した。

 握手した手はあたたかく力強く、意志がほとんど視えない。


――彼は……?


 サリュウがそれまでに出会った中にも、読み取りが難しい一般人がごく稀にいた。彼はそのうちの一人だった。

 ぐるりと首をめぐらせて、ソウイチが食堂を見渡す。


『しばらく来ないうちに変わったなあ。なんだか、きれいになったみたいだ』

『改装は二年前です』

『じゃあ、私が出た後だ。私は六年前に三風を追放されてね』


 サリュウは、わずかに口元に緩めた。


――なるほど。今度は懐柔作戦か。


 近頃なにかにつけて反抗する自分に、反逆的な科学者をあてがってなびかせようとする研究者たちの意図をサリュウはみた。


――少し合わせてやるか。


『追放、ですか?』

『そう。上の人と揉めてね』


 ソウイチはコーヒーをブラックのまま飲んで、おどけるように目を見開く。


『船長に上訴したら、六花に飛ばされちゃったのさ。君も気をつけろ。ここは恐いぞ』


 彼に合わせて、サリュウも少し口角を持ち上げる。


『今日は娘の検査という名目で、やっと入れた』

『娘……?』


 予想外のキーワードに、サリュウは思わずホットケーキから顔を上げた。

 短い口髭を生やした丸い黒い眼の男が、にっこりと顔中で微笑む。


『お、やっとまともに君の顔が見れたぞ』


 慌ててサリュウは下を向いた。

 こちらの考えが見透かされそうなほど、澄んだ笑顔だった。

 ソウイチが、強化ガラスの向こうに透けて見える検査室を身振りで示す。


『見えるかい? あそこに横になっているのが上の子。もうひとりは妻が抱いている。血はつながっていないが、仲のいい姉妹でね。本当にかわいい子たちなんだ』


 父親の自慢に、サリュウは居心地悪そうに肩をすくめた。それでも、ちらりと検査室を覗いてしまう。まだ小さい子どもを両腕に抱いた、髪の長いやさしそうな女性。


『下の子が稀人の可能性があってね。友人に鑑定を頼みに来たんだ。やはり六花とこことでは、精度が違うからね』


 だが、サリュウも知っているサイコスキャナーの検査台にいるのは、上の娘のほうである。その視線に気づいて、ソウイチが言い訳した。


『上の子は、下の子のテレパスに最初に気がついてね。念のため影響を調べる検査を、ね』

 またコーヒーを口にして、

『――と、娘には言ってある』

 ぽつりと付け加えた。


 訝しむサリュウの前で、ソウイチはズボンのポケットから脳波測定データの長い用紙を取り出すと、テーブルの端に広げた。

 規則的な、ほぼ等間隔に繰り返される波形に、サリュウは血の気が引くのを感じた。


『きれいな波形だろう。うちの子は見た目もかわいいんだが、なんと脳波まで美しい』


 冗談めいた調子で言い、だが、と語を継ぐ。


『これはきれいすぎる。そうは思わないかい?』


 サリュウは答えなかった。


『私はね――上の娘も稀人ではないかと思っているんだよ。いや、確信している』


 淡々と、変わらぬ調子でソウイチが続ける。


『でも、娘には私の考えを言うつもりはないよ。医者にも黙っていてもらうつもりだ』

『なぜ、ですか……?』

『これはね、娘が精一杯ついた嘘だ。同時に本音でもある。わたしは〝稀人として生きたくない〟という、ね……。君なら、その気持ちが分かるかい?』

『分かる……と思います』


 思わずサリュウは、そう答えていた。


『私は、娘には自分の口から言って欲しいんだ。それまでは、娘の嘘に全力でつき合おうと思うんだよ』


 ソウイチは、ふっとサリュウから顔を背けた。かすかに眼に光るものがある。


『私は情けない親だ。娘が必死で隠しているのに、こんなことしかできないんだよ』

『――それで、あなたは一体僕になにをおっしゃりたいんですか』


 挑む口調で、サリュウは言った。親子の愛など見せつけられて、非常に不愉快な気分だった。

 ソウイチは椅子の背に寄りかかると、頬づえをついた手を額に当てて、やや遠目にサリュウを見た。


『君は、出生時から非常に強い稀人としての力を見せていたのに、この春突然力を失ったんだってね』

『幼少時どんなに優れていても突如として力を失う。それが稀人の特徴です』

『ある晴れた朝突然に……か。だけど君は、去年まで導師たちが全員束になっても敵わなかったそうじゃないか』

『そんなこと僕に聞かれても分かりません。検査をしたければ、どうぞご自由に』


 決めていた答えを言い、サリュウは冷めてしまった紅茶を飲んだ。

 ソウイチは体勢をそのままに、目の前の少年を眺める。


『シンバシ博士に見せてもらったが、君の検査結果は、娘のと非常によく似ている』

『僕も嘘をついていると?』

『違うかね?』


 畳みかけるように問いが返る。ソウイチが体を起こし、サリュウの方に向けて娘のデータを広げ直した。


『今、娘は六才だ』

 ふわり、とその上にもう一枚シートを広げる。

『これが三才の時』

 さらにもう一枚広げ、

『これが一才の時……これが0才だ』


 サリュウは息を呑んだ。

 そのどれも波形がぴったりと重なってしまいそうなほど、同じ形をしていた。


『こんなに、いつもいつも同じ脳波が取れることはない。これは気付かなかった親の恥であり怠慢であり……娘の意地なんだよ。覚悟だ』

『かくご……』

『サリュウ君。君は日頃、死ぬことは恐くないと言っているそうだね?』


 無言で頷くサリュウに、ソウイチは重ねて問いかけた。


『なるほど、君は死ぬ覚悟はできている。では――生きる覚悟は、できているのかね?』


 ソウイチはわずかに身を乗り出し、膝の先についた手を組んで、目の前の少年を覗き込んだ。


『まだ十三才の君には、酷な問いかもしれない。だが、六才の娘でさえ覚悟をしているんだ。稀人ではないという嘘を貫き通すという、覚悟をね。君は、そこまでの覚悟があるのか?』

『……』


 ひょっとしたら、そのときサリュウは泣いたかもしれない。いや、見知らぬ他人に涙を見せるなどという屈辱に耐えられず、ぐっと歯を食いしばって我慢したのかもしれない。

 それでも、心はほろほろと大声をあげて泣いていた。

 やっと、自分を一人の人間として見てくれる人に出会えた気がした。


『今は答えなくてもいい。それは、今からの君の生き方が示すだろうからね。ただ、嘘をつくということは、少なからず君の周りにいる人を傷つける行為になるということは、覚えていて欲しい』

『……言うん、ですか。このこと』

『いや。君に覚悟があるのなら、私も全力でつき合うよ。娘の嘘と同じように……ね』


――そうだったのか……。


 シンバシ博士がいなくなった後、すべてのデータを読み終えたサリュウは、深く息をついて額に手を当てた。

 なぜ今まで忘れていたのか。

 いや、忘れていたというより、忘れようと記憶を閉じ込めてしまっていたのかもしれない。

 大人は敵だと信じていた彼の気持ちを、唯一揺り動かしたひとだったから。

 そしてその後、彼と同じ大人は一人として現われず、二度と会うことのなかったそのひとの面影は、幻となってしまいこまれてしまった。


――あれがチヒロの父親か。


 思い出した今、そのときのことが鮮明に甦る。

 あたたかな手。おおらかな笑顔。力強い声。そして、検査室にいた小さな影。


―― 一歩間違えば顔を合わせていたのか……不思議な感じだな。


 あたたかな日中の陽射しにこもる、豊かなコーヒーの香り。

 好きになるきっかけはこれだったのかと思いつつ、サリュウは残りのコーヒーを口に運んだ。

 目の前に置かれたもうひとつのコーヒーカップに眼をやり、小さく呟く。


「もう一度……お会いしたかった。あなたに」


 ハナダ博士。


 その博士の名残を感じさせる資料を封筒にしまい、サリュウは一人、ゆっくりとコーヒーを飲んだ。



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