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壱-(4)
自室に戻ったサリュウは、制服の上着のボタンを外し、疲れた体をベッドに投げ出した。
部屋は二等宙佐という立場上個室だが、自衛宙軍規定の素っ気ない合金貼りで、性格上さらに無駄というものがない。心安らぐ空間とはお世辞にも言いがたいが、生まれたときから見慣れた無機質な環境は、氾濫する人の意識を遮断し、ささくれだつ彼の精神を落ち着かせた。
ここは宇宙空間を航行する宇宙艇内だが、一心、四辻の一部を除き、生活空間には地球と同じ重力を備えてられており、地面も空も存在する。勿論すべてがコンピュータ制御されたスクリーン上の幻であるわけだが、その状態でないと人は長く生活できない。
宇宙生まれであるサリュウも、知らないはずの青い空や緑の草が、なぜか時折無性に恋しくなることがあった。
暗い天井には、[まほら]が捨ててきたはずの地球の映像が浮かんでいる。
サリュウはしばらくそれを眺め、ふう、と息をついて眼を閉じた。
――だめだな……。
先ほど行使した力の影響で脳はぐったりと疲労しているはずなのに、興奮が醒める気配はなかった。眠れるとは到底思えない。
サリュウはベッドに転がったまま、持ってきた用紙の束を目の前に掲げた。
閉鎖空間の船内で消耗品である紙は貴重だが、完全自動によるリサイクルシステムが二十四時間体制で稼動しているうえ、非エネルギー消費性素材のほうが有用な場面も多いことから、いまだ紙製資料の人気は健在だ。
映像データのない資料は[まほら]のホストコンピュータに登録された個人情報からの転送で、情報保護という点から上級幹部生以下の自由閲覧は禁止されている。
つまり同じ八部に属しながらサリュウの許可なしに見られるのは、十五人中カイデン、ラギ、ミヲ、シャモン、ダイナン、そして彼自身を含めた六名だけである。
サリュウは定型文で書かれた資料を眺め、生年月日を見て驚いた。
「十八才?」
確かに冷静さを取り戻した後半の喋り方は、年相応の落ち着きが感じられた。それでも、
「大きすぎだろう……」
めったに独り言など言わぬサリュウの口から、驚きが漏れる。
稀人は遺伝的傾向ともいわれるため、両親に可能性があれば胚の時期からDNAを採取培養して可能性を探る。誕生後も一才、三才、六才、以降四年に一回の定期健診で識別されることがほとんどで、よほど特殊な事情がない限り三風への転入が義務づけられている。
幼子を両親から引き離す所業だが、我が子の特殊能力を持て余す親がほとんどの状況で、手続きは滞りなく行なわれた。いわんや、親子の絆など旧世代の錆びついた代物である。
――めずらしく親でも反対したか?
皮肉な頭でそう思い、両親の項を見たサリュウはまたも驚いた。
一才の時に母親は死亡。さらに父親と継母も、
――六年前、工場の爆発事故で共に死亡……か。
追加の項目には〝養護施設退所後は妹と同居〟と小さく記載がされていた。
すぐさま警官を送り込もうとしたサリュウに、待ってほしいと言った少女の言葉が脳裏をかすめる。
『家族もいますから』
何気ない一言だが、サリュウにとって、どれほど遠い言葉であることだろう。
頭上に浮かぶ架空の地球と同じく、それは捕らえようのない空虚な幻だった。
資料を握ったまま眼を閉ざし、サリュウは夢もない短い眠りに落ちていった。
*
午前五時。いつものモーニングタイマーに起こされ、八部隊長サリュウ・コズミは重い体を引きずってシャワーに向かった。熱い湯を頭から浴びないと、今日一日は乗り切れそうにない気分だ。
シャワーからあがると、均整のとれた長身に自動ドライヤーが吹きつけ、新しい制服が差し出される。
糊のきいたクラシカルな灰褐色の詰襟の制服に身を包み、淹れたてのブラックコーヒーを一杯。そして身繕いを整えて、勤務予定時刻の十五分前には本部へ到着する。これが彼のいつもの朝の習慣である。
それが今朝は、コーヒーの段階でつまずかされた。
ポン、と通信が入ったことを知らせる音が鳴り、個人用通信機のランプが緑に点灯する。サリュウが反応するより先に、強引に通信画面にしわ垂れた男の顔が大写しになった。
『コズミ宙佐!』
激高一声。
サリュウは飲みかけのコーヒーを噴き出さないように嚥下しつつ、できるだけ穏やかに応じた。
「聞こえていますよ、ハジ警視正。おはようございます」
『お、起きていたかね?』
「はい、この通り。警視正もお早いご出勤で」
『呑気に挨拶などしている場合ではないぞ、君! 昨日深夜、許可もなく八部が五葉市の居住区内に現われたそうじゃないか。どうなっとるんだ!』
五葉市警察のトップは、紳士といわれるトクサ本部長。八部の緊急活動性にも理解があり、その程度のことで警察庁まで通報するとは考えにくい。
それはつまり、ワカタケ五葉市長に連絡が回ったということだ。
――もうちょっと余裕があると思ったんだが。
この様子では長官の耳に伝わるのも時間の問題かとため息をつき、サリュウは残りのコーヒーを口に含んだ。ガミガミ屋の太鼓親父に知られた以上、今さら焦ってもはじまらない。
五葉市長からの通信で叩き起こされたと見えるハジ警視正は、むくんだ青白い顔をさらに蒼くし、画面の向こうから指を突きつけた。
『君、悠長にコーヒーなぞ飲んでいる場合かね!』
「まだ勤務時間外です。それに、五葉市の件は私の指示です。部下に問題はありません」
『な、なんだとっ?!』
「爆発物が設置されているとの緊急通報があり、即時撤去いたしました。部隊の独自判断の許容範囲内と心得ておりますが」
『しかし、船外にて爆破処理とは少々乱暴すぎないかね?! 証拠物件も採取せずに――』
「爆発まであと四分という状況で、あれ以上の処置があったとおっしゃるなら、是非ともご教授いただきたいものです」
弱冠二十五才の八部隊長は、にっこりと警視正のたるんだ顔に微笑みかけた。
「――と、ワカタケ市長にはそのようにお伝え下さい。市民の危機を救った点を強調すれば彼も折れますよ。あのビルが崩落していたら、どのような被害が予想されたかを……ね」
『だが君は、六花市の警官を出動させてその通報者の身柄を監視中というじゃないか! これは一体どう説明するつもりかね?!』
どうやらハジ警視正の眠りを破ったのは、一本の電話だけではなかったらしい。
彼の慌てように納得しつ、サリュウは残り少ないコーヒーを手に言い訳を考えた。
――だめだ。やっぱり頭が働いていないな。
二十歳を境に、人間の脳細胞は一日に約十万個死滅するという。そのダメージをひしひしと感じながら、サリュウは苦しまぎれの言い逃れをひねり出した。
「警視正。近隣を巡回していた六花市警邏隊の手を煩わせたことはお詫びしますが、緊急であったとご理解いただきたい。その件は極秘事項でして、まだ警視正にも申しあげられる状態にありません。申し訳ありませんが、後日おって必ず連絡いたします」
『おい、そんな言い訳が通用するとでも――』
「申し訳ありません、警視正。出勤の時間ですので。失礼」
通信ボタンを切ると、サリュウはコーヒーを飲み干した。
ハジ(櫨色):山櫨で染めた深い赤みの黄色
トクサ(木賊色):木賊のようなくすんだ青みの緑
ワカタケ(若竹色):さわやかな青緑色