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千夜航路~天つ海翔ける星の宙船~  作者: 藤田 暁己
<其の伍> Doppelgänger――二重身
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(7)

 

伍-(7)


 力の統制がだいぶとれてきたせいか、このところチヒロの訓練内容も変わってきた。

 [まほら]の政府組織の成り立ちやM法に関する知識、稀人の歴史などの学科に加え、八部の実務見学というのもそのひとつである。

 みんなが働いている姿を本部の片隅でメモとボールペンを握りしめて見ているのだ。質問は許されているが、緊急通信も頻繁に入り、ゆっくり教えてもらうという雰囲気ではない。

 場の緊張感に目を白黒させるしかないチヒロに、


「現場とか本部の雰囲気に慣れるまでには時間がかかるもんだよ。気にしないほうがいいぜ」


 つい一年前まで訓練生だったというアスマが、食堂で顔を合わせたときにそう言った。

 以前は朝番だった彼は、今は夜番だ。彼と一緒に夜番をするキサが話しかける。


「統制はだいぶ慣れたみたいだね」

「はい」

「マナクちゃんはどう? 慣れたかな?」


 身長はサリュウやカイデンに負けず高いのに、小太りでおとなしいキサは、声も小さく穏やかだ。


「はい。でも最近、変な友だちができたみたいで」

「友だち?」


 朝番を終えたマリカが横から聞き返す。

 チヒロは、上級幹部生ばかりが集まる隣のテーブルに一瞬目をやり、頷いた。


「そうなんです。といっても実際の友だちじゃなくて、たぶん想像の友だちなんです。夜中にひとりでしゃべてってて」

「それって、そのままで問題ないの?」


 チキンを齧りながら、向かいのミヅハが尋ねる。今日はみんなで仲良くフライドチキン大盛りを頼んだのだ。

 チヒロは脂のついた指を紙ナプキンで拭いた。


「ええ、今までも似たようなことがあったんです。たぶん、今トレーニングが楽しいんだと思います。それを寝ぼけて反芻しているんじゃないかと、トレーナーの人も言っていました」

「ふうん」

「でも、前に一度フェイントがあって。想像の友達と思ってたら、相手がちゃんといたんです。人間じゃなくて、クモでしたけど」

「クモぉ?!」


 チヒロの周りにいたマリカ、アスマ、キサ、ミヅハ、フアナ、ヒナトが声を張りあげる。

 ちらり、とこちらのテーブルを上級幹部生たちが見た。隣のテーブルにはサリュウ、カイデン、ダイナン、ラギと、昼番以外の八部メンバーが揃い踏みである。

 注目を浴びたチヒロが、困り顔で説明した。


「巣を作らないハエトリグモの仲間で、ちっちゃい一センチくらいのクモです。仕事場では服を着替えて消毒もして帰るんですけど、どこかで紛れ込んでたらしくて部屋に住みついたみたいで」

「マナクはそれと話してたの?」

「一方的にですけど。名前もちゃんとあって、みーちゃんっていうんです」


 どん引き気味の若いメンバーに比べて、聞こえているらしい向こうのテーブルのメンバーが、声を殺して笑いに肩を震わせている。


「食べ物がなくて餓死したら困るから、仕方なくみーちゃんにはお帰り願いましたけど」

「クモ触ったの?」

「もちろん触らないと捕まえられないですから。紙で箱作って、翌日一緒に出勤を」

と、チヒロはここで後ろをふり向いた。


「もうっ! 笑うんだったらきっちり笑ってくださいよっ。喋りにくいじゃないですか!」


 ごめん、と笑いながらダイナンが謝るが、サリュウは皮肉な一瞥をくれる。


「喋りにくいのはそういう理由じゃないだろうが、このタコ」


 丸めた紙ナプキンをつぶてにして投げた。


「訓練生に暴力はやめてください、隊長」

「暴力ではない。くだらない話に対する抗議だ」

「クモのみーちゃんのどこがくだらないんです」

「悪かった。くだらないんじゃないな。センスがないんだ」

「謝っても、けなしたら意味ないじゃないですか」

「褒めるつもりも謝るつもりもない。おまえが食堂で話す内容にセンスが感じられん」

「そんなこと言ってると、隊長の隣でみーちゃんに添い寝させますよ?」

「自宅侵入は犯罪だぞ」


 冷ややかにダークグリーンの瞳が見れば、負けじとチヒロが眼鏡の向こうから睨み返す。


「隊長。わたしの力にアポートってあるの、ご存知でした?」

「M法違反だ」

「指導者が指導者ですから」


 またしても、ああ言えばこう言う二人の低次元の応酬に周りが笑いを堪えていると、


「――お。随分仲がいいなあ、おまえら」


 ハスキーな低声が、食堂の入り口の方から割り込んだ。

 黒い制服にコート姿の若い警視が顔を覗かせ、驚くみんなによう、と片手を挙げる。


「いいなあ、ここは華やかで。俺もこっちに移ろうかな」


 半数を女性が占める八部メンバーをつくづく眺める。野性味溢れる颯爽としたニビの視線に、女性メンバーが赤くなった。


「おチビちゃんも元気か?」

「はい。ニビ警視、この間はお世話になりました」

「おう。……あ、おチビちゃんに会いたいって人が外に来てるぜ」


 ニビが身振りで入り口を示す。チヒロは立ち上がって、広い背中の後ろに隠れるようにして立つ小柄な人物を見た。

 途端、ぱっと電球が点いたようにチヒロの顔が明るくなる。


「シンバシのおじ様!」


 わずかに頭頂の薄いもじゃもじゃの茶色の髪と髭、研究者らしき白衣を着た男は、小走りにやってくる少女を両手で受け止めた。


「チヒロ。元気そうでなによりだ」

「はい、おじ様こそ。……ニビ警視は、それでこちらに?」


 カーキ色のコートを着た男を見上げる。ニビは、見覚えのあるノートを持った手を振った。


「いや、俺はコズミに用が――今いいか?」

「ああ」


 早くも食事を終わらせたサリュウが立ちあがる。

 ちょうど入口で顔を合わせる形となり、チヒロは慌てて博士を紹介した。


「隊長。父の友人のシンバシ博士です」

「よろしく」


 シンバシが身長に似合わぬ大きな手を差し出すと、サリュウが、どうもと言ってその手を握り返した。


「……では、失礼」


 踵を返し、ニビとともに去る。その微妙な間に、チヒロは不自然なものを感じた。


――隊長?


 昔からよく知る父の友人に、最強の稀人がなにを視たのかチヒロは不安になったが、シンバシの声に現実に引き戻される。


「会えてよかったよ、チヒロ。なにせ研究棟から出ない生活をしているものだからね。ここに来るのも迷ってしまって、うろうろしていたら彼に教えてもらったんだよ。さすが警察官、頼りになるね」


 ニビは、よく八部本部も訪れるらしい。警察庁幹部とは思えぬ腰の軽さである。


「マナクは元気かい?」

「はい。隊長の許可をいただいて、ここで一緒に暮らしてます。おじ様は、まだ三風に?」

「いまだ軟禁暮らしさ。まあ、だから君の噂も耳に入ることになったんだがね」

「噂?」

「八部の訓練生にとんでもない鉄砲娘が入ったってね」


 おどけたシンバシの言い方に、聞こえていたメンバーがくすりと笑う。気がついて、チヒロは先輩たちのところに彼を連れて行った。


「えーと、父の昔からの友人で、わたしの後見人のシンバシ博士です」

「稀人であることを知らされていなかった、情けない後見人なんだがね」


 毛虫じみた眉毛を八の字にして、シンバシはメンバーに頭を下げると、近くの席に腰を下ろした。おずおずと、ラギが話しかける。


「あの……失礼ですが、もしかしてケイタ・シンバシ博士ですか?」

「おや、知っているのかね」

「はい。〝真空状態における念波の変容と課題〟の論文、興味深く拝見させて頂きました」

「こんなところに読者がいるとは、私の研究も単なる暇つぶしではないようだな」

「暇つぶしだなんて、とんでもないです。お会いできて光栄です」


 いつも冷静沈着なラギが興奮した口調で言う。不思議そうな顔をするメンバーに説明した。


「彼は、稀人研究で第一人者のシンバシ博士ですよ。教科書にも載っています。Dr.K.S.としか書いてありませんが」


 心当たりがあるのか、感心したような響きがメンバーからあがる。限局空間である艇内では様々な軋轢を生むことがあるので、主要な研究者は皆姓名を公表しないのが通例なのだ。


「では、チヒロのお父様もそのような方面の研究を?」

「いや、彼は植物学者だ。なかなか面白い男でね。植物の念波の測定や人との交信の可能性などの研究を行なっていた。亡くなって実に残念だよ」

とチヒロを見て、

「君はお父さんのような植物学者になると思ってたんだけどなあ」

「すみません。おじ様の分野に入り込んでしまいました」

「まったく驚きだよ。では、論文のほうもやめてしまったのかね?」

「はい。研究対象がなくては話になりませんから」

「植物における成長速度と念波の関係か……おもしろいテーマだったんだけどなあ」

「資料はネリさんに全部渡してきました。彼が仕上げてくれると思います」


 ラギが口を挟んだ。


「チヒロは六花で研究を?」

「はい。一応研究員として植物園に勤務していましたので。ほとんど雑用係でしたけど」

「あれ? 高卒じゃなかったっけ」とヒナト。

「補助事業の一環で、研究員をしながら大学の単位が取れるというのに偶然受かりまして」


 簡単に言うが、高卒で研究員をこなし、かつ大学に通うとは並みの頭脳でできることではない。


「あの論文ができれば学位も取れたのに。もったいないよ」


 真顔で言うシンバシ博士に、チヒロが照れたように頭をかく。


「あは。続けていてもできたかどうか……わたしは研究者向きではないので」

「すごい、チヒロ。頭いいんだ」

「いえ、勉強も研究も中途半端ですし」

「もったいない。そこまでしているのなら、最後まで勉強してはどうです?」


 メンバー屈指の頭脳派として知られるラギに勧められ、チヒロは当惑した顔になった。


「でも、訓練の合い間に勉強させてくれるかどうかは、鬼隊長の気分次第ですから」

「彼は厳しいのかね?」


 一同から苦笑が洩れる。チヒロは大きく頷いた。


「ビシバシやられてます」

「厳しい指導というのは、するほうも大変なんだよ。それだけエネルギーが要るからね。彼は君に目をかけてくれているということだ」

「目をかけられているのか、目をつけられているのか分かりませんけどね。エネルギッシュな人であることは確かです」

「ですが、彼は非情な人ではありませんよ。個人のスキルアップに関しては、融通はきかせてくれるはずです。私がこうしてここにいられるのも、彼の理解のおかげです」


 一番年長のラギは、サリュウと同じ二等宙佐だが、仕事ができないわけではない。

 サリュウよりも先に八部となった彼が、隊長にならず昇級もしないのは本人の意志であるようだ。軍の監視局からの誘いも断りつづけているらしい。


「私は現場での稀人のデータを集めているんです。緊急のことが多いので、全部の力の測定をするのは難しくてなかなかデータが揃いませんが……サリュウにはよく協力してもらっています」

「ラギさん、勉強家ですね」

「現場によって、力が通じやすいところと通じにくいところがあるというのに興味を持ちまして……」

「君の名前は?」とシンバシ博士。

「ラギ・クレナヰです」

「ああ、〝透視を妨げる物的質量の存在について〟だ。去年の暮れに出したやつ、読んだよ。稀人自身が研究報告を出すというのはなかなかないからね。大変興味深かった」

「ありがとうございます」


 尊敬する博士からの言葉に、ラギが少し顔を赤くした。


「君は研究者向きだよ。チヒロもだが……稀人ということで一括りにして、全員を[まほら]の統制管理に使おうとする政府のやり方が、私はどうしても納得できなくてね」

「博士。それはちょっと、ここでは危険な発言ではありませんか?」


 やんわりとダイナンがたしなめる。博士は気軽な調子で肩をすくめた。


「日頃そういう発言をしているから、私は三風から出してもらえないんだよ」


 チヒロに言った軟禁状態というのは、冗談でもなんでもないのである。


「おかげで失制者相手に研究の日々だ。だが……ソウイチよりはましさ。彼はその意見を上訴したために三風から追われてしまった」

と、赤毛の男を見て、

「ラギ君、君なら聞いたことがあるだろう?」

「ああ、稀人に認識票をつけようという政府の動きに反対して、一心まで船長に直談判に行った科学者ですね。おかげでわれわれはナチスに追われるユダヤ人のようにならなくて済みましたが……確か名前は、ソウイチ・ハナダ博士――」


 言い差して、ラギははっとダイナンたちと顔を見合わせた。

 シンバシ博士が頷く。


「そうだ。ソウイチ・ハナダは、チヒロの父親だよ」



シンバシ(新橋色):明るい緑みの青

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