(4)
伍-(4)
翌日チヒロは、一人食堂で、一向に減る気配のないオムライスをつついていた。
夜中に見た幻が、頭から離れてくれない。
――いったい何だったんだろう……。
あのとき感じたテレパスは、絶対に彼のものではないと断言できる。だが〝サリュウ〟という言葉もまた、はっきりと聞き取ったのだ。
――双子……ただの生き写し? それとも生霊なのかなぁ。
どちらにせよ生身ではないのだ。確認のしようがない。
生霊であれば、なんらかの想いが形を成したものだと本にはあったが、それがなぜマナクと話していたかがさっぱり説明がつかない。
しかも泣いて、そのうえ全裸である。
――今日隊長と顔を合わせなくてよかったよ、ほんと。
サリュウは本日ニビ警視に呼び出され、朝から警察庁である。
つまりチヒロは自習ということなのだが、これで二人で瞑想室に籠もるとなったら、雑念が払えなくて、昨日に引き続き雷を落とされるところだ。詳細を見たわけではないが、恥ずかしくてまともに顔を合わせられるものではない。
――だけど、なんでわたしのところに来たんだろう。
彼が打ち明けてくれた〝出生〟が関わっているのだろうか。
コズミ博士の実験の内容からすれば、サリュウと同じ生まれをもつ者がいてもおかしくはないが、その後チヒロが自室のコンピュータで検索をした範囲では、二十五年前の第一次人工子宮ベビーで誕生した稀人は一名となっている。
特殊な環境に育ったことを考えれば、人格や精神の乖離で、ということも考えられなくはないが、あの時間サリュウは夜番に出勤していたはずだ。
――やっぱり、ドッペルゲンガー?
本人そっくりで、それに出会うと死期が近いといわれる二重身。
それがマナクの前に現われた意味など、どんな屁理屈をこねようが思い浮かばず、チヒロはスプーンでいたずらにケチャップを塗り広げた。
ふと、大きな人影が隣に座る。
朝番の終わったカイデンだ。トレイの上はいつもの山盛りチーズバーガーではなく、小さな箱庭ができそうなカツカレーである。
「おう」
「ども」
チヒロは大柄な宙佐を見上げ、頭を下げた。
「今日はメニューが違うんですね」
「ありゃ食い飽きた」
あれだけチーズバーガーを食べれば飽きるのも分かる気がするが、チヒロは、そう答えるカイデンにいつもの覇気がないことに気がついた。
「なんだか元気ないですね」
「おめえもな。サリュウとなんかあったか」
水を飲み、前を向いたままカイデンが尋ねる。チヒロはスプーンでオムライスを切りながら、
「特になにがあったわけでもないんですけど……ちょっと考えちゃって」
「なにを」
「隊長って兄弟いるのかなあ、とか」
カイデンがじろりと小さい頭を睨んだ。
「てめ、あいつは……」
「分かってます。ラギさんたちに聞きましたし」
チヒロはさらに声を落として、
「それに、本人にも聞きました」
「きっ……聞いたって――ったく、とんでもでもねえガキだな、てめえは」
「知りたいかって言われたので、はいって言ったら、教えてくれたんです」
チヒロは、ぼそぼそと言い訳をした。内容が内容だけに、お互い大きな声では話さない。
「無理矢理聞き出したわけでも、読んだわけでもないですよ。本人が聞かれたくなければそう言うでしょうし、腫れ物に触るみたいな扱いってイヤなんです。わたしもマナクのことでそうでしたから」
カイデンの眼差しが少し緩んだ。カレーとご飯をスプーンに山盛りにしてかぶりつく。
「あいつも珍しいこった。俺にも言わねぇのにな」
「カイさんには、今さら言い出すきっかけがないんじゃないですか? なんか……知ったら、カイさんは噂している人たち全員に否定して回りそうだからって」
大きな造りの顔がにやりとした。
「かもな。……ってことは、やっぱデマなんだな」
「半分は本当、半分は嘘だそうです」
上から注がれる視線に、チヒロはすまなそうに両手を合わせる。
「ごめんなさい。これ以上はわたしの口からはあんまり……プライベートをどこまでしゃべっていいかは、本人に聞いてからでないと」
「いいさ。……いや、少し安心したよ」
「なにがですか?」
「おめえだよ。サリュウとぼろくそにやりあってたから、あいつにあんまイイ感じしてないかと思ってさ」
「それはお互い様なんですけどね」
「意外に口も固いみたいだし、な」
チヒロが驚いたように隣の男を見た。大きなカレー皿は、すでに三分の一が平らげられている。黙々とカレーを口へ運びながら、カイデンが低く切り出す。
「あいつも昔は、あんなふうじゃなくてな」
「あんなふう?」
「他人に触るのを極端に避けたり、友だちづきあいとかさ。もっと普通にしてた」
「そう、なんですか」
「まあ、噂がどこまで真実かはさておき、あいつはここじゃ生まれたときから有名人だ。いろんなやつらが寄ってきちゃ、友だちヅラしていろんな噂をふり撒きやがる。あいつはうまくそういった奴らを嗅ぎ分けて近づかせないようにしてたが、いつもうまくいくわけじゃない」
カイデンは、カレーを食べるペースを落とさずに続けた。
「俺みたいになーんも考えてない馬鹿と違って、あいつは超強力なテレパスなんて面倒なものまでもっちまってるからな。こいつがってやつに何度も裏切られて、あいつはとうとう心に蓋をしちまったのさ。俺でももう……触れやしねえ」
「でも、カイさんが傍にいてくれて、隊長はすごく救われてる気がします」
ようやく半分のオムライスを食べ、チヒロは不器用なライオン頭を見上げた。
「昨日寝てるカイさんを隊長が連れて帰ったんですよ。あ、力で、ですけど――こう、カイさんを立たせて、ロボットみたいに歩かせて」
「あいつ、俺にそんなことしやがったのかよ」
「だけど、嫌な相手だったらそこまでしないと思うんです。隊長の性格からして、強引にテレパスで叩き起こしそうですもん」
「……」
「わたし見てて、ああ仲いいんだなあって思いましたよ」
カイデンはチヒロの話を聞きながら、ふと、夢うつつで聞こえた声を思い出した。
《大丈夫。傍にいるから》
――あいつの声、なのか……?
自分の悪夢を視たのだとしても、それでもあのサリュウの態度は納得できる気がしない。
『俺は愛する資格を持って生まれてこなかったんだ』
――なに考えてるんだ、あのヤロー。さっぱりわかりゃしねぇ。
黙りこくるカイデンを、チヒロが覗き込む。
「やっぱり今日のカイさん、おかしいですよ?」
「読んだらわかんだろーがよ」
「今日は誰も読みたくないし、読まれたくないから99%シャットアウトです」
読まれたくないのは主にサリュウからなのだが、最強の彼から防御するには、ほとんどを断ち切らなくてはチヒロには無理だ。
サイキックのカイデンは、テレパシストの表現に少し考え込んだようになる。
「……で、それでなんでサリュウの兄弟が気になんだよ」
「唐突に戻りますね」
「出生を本人に聞けんなら、兄弟も聞きゃいいだろーがよ」
「だって……そう言ったら、なんで聞くのかって訊かれそうで」
「なんでだ?」
チヒロがうつむいた。
「絶対に、隊長には内緒にするって約束してくれます?」
「うん?」
頭を傾けるカイデンの耳元に、もぞもぞと囁く。
夜中に現われた幻のサリュウの話に、大造りの顔がくしゃくしゃになった。
「なんだそりゃ?!」
「そう言いたいのはこっちです。なので、兄弟かなにかなのかなあと……」
「消えたんなら、兄弟もクソもねえだろうがよ」
「ですよねえ」
はあ、とチヒロがため息。
「やっぱ隊長だったのかなあ……」
「あいつの泣いてる顔、想像つかねぇけどな」
「泣いたとこ、見たことないんですか?」
「ガキの頃ならある。一度だけな」
望まれて誕生したといわれる、優れた稀人。大人たちに好かれる、その取り澄ましたような態度が気に食わなくて、カイデンは最初たびたび喧嘩をふっかけた。
とうとう殴り合いの喧嘩までしたが、なぜかよく話すようになり、気がついたらいつも行動を共にするようになっていた。
その後いつだったか、サリュウがこんなことを洩らした。
『ちゃんとした友だちはカイが初めてだ』
『ちゃんとした友だち?』
そう聞いたカイデンに、サリュウはそのとき、なんと言っただろう。
『僕には……レイしかいなかったから』
「――レイ」
カイデンはぽつりと呟いた。チヒロが聞き返す。
「なんですか?」
「俺もあんまうまく言えねーんだが、あいつは昔からちょっとよく分かんないところがあってさ。話を聞いてても、どこまでが本当か時々分かんなくなる」
確かにサリュウは、本当のことを話しても、どこか人を煙に巻いているような言い方をすることがある。チヒロは黙って頷いた。
「小さい頃あいつには友だちがいた。〝レイ〟って呼んでたが、俺はそれを本気にしなかった」
「え?」
「レイは、年も取らずに眠ったままなんだとさ。食べるのも会話するのも、全部寝たままだ」
「植物人間……?」
「今考えりゃそうかもな。だが、ガキの俺はそれが分からなかった。会わせろといってもあいつは絶対にダメだというし……俺はてっきり、あいつが頭で作った友だちなんだと思ったよ」
「頭で作った友だち……」
「寂しいやつってのは、そういうのを一つや二つもってるだろ? 俺はそうだと思ったのさ。だから、いもしないやつの話はするなとあいつに言ってやったんだ」
『カイになら話してもいいと思ったんだ。でも……カイがそう言うなら、もう話さないよ』
寂しげにそう呟いて、サリュウはうつむいた。
そのとき、頬に流れる光るものをカイデンは見たのだ。
「ああ、俺やっちまったなーと思ったね。だけど、あいつは本当にそれっきりレイの話はしなくて、今まで通り俺とも友だちだった。でも俺は、あいつのなにかを壊したような気がしてな。……たく、つまんねー友だちだぜ、俺はよ」
乱暴に言い、カイデンはぐびりとグラスの水を呷った。カレー皿はすでに空だ。
チヒロは、スプーンで最後のオムライスをかき集めて、
「じゃあ、やっぱりあれは隊長の思念のかけら、なんでしょうか……」
「おまえんとこに出てどうするって気がするけどな」
「それは確かに」
カイデンは、大量の紙ナプキンで顔の汗を拭くと、チヒロの水を勝手に取りあげて飲む。
「まあ、自分のことも話したし、おまえには少し心を許してるのかもな」
「心を許すんなら、もうちょっと指導を緩めて欲しいです」
「馬鹿。愛の鞭ってヤツだ」
「ただの鞭のような気がしますけど」
チヒロの言い草に、カイデンがようやく少し笑った。
「――で。じゃあ、カイさんの不機嫌の原因も、隊長ですか?」
「てめ、やっぱ読んでんじゃねーかよ」
「引っかけ、です」
眼鏡の縁から、悪戯っぽい黒い瞳が見上げる。カイデンが唸った。
「そーゆーところまであいつの指導を受けてんのか」
「違いますよ。カイさんは顔に出やすいんです」
「その態度があいつに似てきた」
「のりうつったみたいな言い方はやめてください」
スプーンをくわえて、訓練生が顔をしかめる。
「隊長となにか合ったんですか? 話してよければ、ですけど」
口を出すなと言われていたことを思い出し、チヒロは付け加えた。
カイデンが空のグラスをテーブルに置く。
「二十年つき合って、今もってあいつがなに考えてるかさっぱり分かりゃしねえ」
「謎の程度は宇宙並みです」
「以上、だよ。ったく……俺にダイナンを任せるって言いやがった」
「え……」
「意味わかんねえよ。あいつの行動の……したいことがさっぱり分かんねえ。だから、もう悩まないことにした」
「カイさん」
「いくら考えたって、俺にあいつの頭ん中は覗けねえ。だから、忘れていつものようにするさ。食って寝て仕事して……そのうちなるようになる。おまえも、切り換えちまいな」
ぐりぐり、とおかっぱ頭を乱暴に撫でる。
もう、と乱れた髪を直しながら、チヒロはふと、カイデンがもう今日のことは二度と口に出す気がないのだと思った。
どんなに深く心をかき乱すものでも、彼は一人で封じ込め、いつもの笑顔を見せるのだろう。サリュウのために。
あの偏屈な隊長と何年も友情を続ける秘訣を、チヒロは見たような気がした。
忘れるのだ。歩み続けていれば、解決できなくとも問題にならなくなるときがきっとくる。
病的なほど前向きで健全なその姿勢に、チヒロの気分も軽くなった。
「分かりました。わたしも忘れます」
「そうしろ」
言いつつも、カイデンは難しそうな顔を崩さない。口をもごもごさせる彼に、さり気なくチヒロが言い出した。
「カイさん、お水もらってきましょうか?」
「ん、ああ」
カイデンは曖昧に返事をしたが、チヒロが水の入ったグラスを二つ持って戻るや、早速片方を取りあげて一気に飲み干す。チヒロの手が、残りのグラスをそっと差し出した。
「カイさん。辛いのだめなんですね」
「……ちょっとカレーが辛すぎたんだ」
意外に食べものに弱点が多い彼に、くすくす笑いながら、チヒロは本日のカレーが甘口と書いてあったと口に出すのを控えることにした。
今くらいは少し、彼の名誉を尊重したほうがいいと、そう思った。
* * *
お読みいただきありがとうございます。ようやく5章までこぎつけました。
サリュウの過去編第二弾です。
ここまでが前振りとか、ほんと申し訳ない限りですが、だいたいこんな感じで彼らの過去を絡めながら、現在の事件がちょっとずつ動いていくという形になります。
気長にお付き合い下さいませ。。。
今、ビットコインが問題になっていますね。
[まほら]社会ではすべて電子マネー使用としているので、どきどきしながら動向を見守っています。
架空の通貨って怖いですよねえ…。多くの人が危惧していたこととは思いますが。
[まほら]内の金融システムも再考の必要がありそうです。
でも、船内で貨幣を造って流通させるのは多大な無駄なので、実際の貨幣が必要になるのは、星に辿り着いた後でしょうね。(そこまで書く予定はありませんが)
ま、それよりも資源のない閉鎖環境での産業基盤の確立(屁理屈)が一番の問題なんですけど(笑)。