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千夜航路~天つ海翔ける星の宙船~  作者: 藤田 暁己
<其の伍> Doppelgänger――二重身
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(2)

 

伍-(2)


 サリュウは力を使ってカイデンを歩かせると、巨大なクイーンサイズのベッドに寝かせ、暗示を解いた。ついでに上着のボタンを外してやる。勿論、素手ではない。

 くかーと鼻を鳴らし、カイデンの寝息が響く。どことなく寝顔が落ち着いて見えるのは、横になっているからか、それともチヒロの声を聞いたせいなのか。


《大丈夫……傍にいるから》


 念話とも催眠ともとれぬ、微弱な力。それでも包み込むようなあたたかさだった。

 通常では分からぬほどのそれを感じとったサリュウは、離れた椅子に腰掛け、大きな造りの男の寝顔を眺めながら思いをめぐらせた。


――まさかあいつ、本気でこいつに惚れてるんじゃないだろうな。


 タコ足配線真っ青のリーディングをもつチヒロは、カイデンの気持ちを知っているのだから、まさかそんなことはないと思うが、いつの世も女心は謎の世界だ。叶わぬと知りつつ想いを寄せている可能性がないわけではない。

 口が悪く感情の起伏の激しい、幼い外見の訓練生と恋愛という図式がうまく成り立たずに、サリュウは額に手を当てた。


――だがまあ、あいつは世話好きみたいだし。


 発達障害をもつ妹マナクと一緒のせいか、チヒロはやたらと他人の事情に口を挟みたがる。カイデンのハンバーガーもそうだし、サリュウのこともそうだ。

 本当はなにを聞いても知らぬふりをして、適当に済ませておけばよいことなのだ。そのほうがずっと楽なはずだ。

 それなのに話を聞きたいと言い出し、聞いたら一人で泣く。その行動や感情に、こちらまで振り回されてしまいそうだ。


――なぜ話したのかな、俺は……。


 ふと思う。

 ずっと胸のうちに秘めていた出生を誰かに聞いてもらいたいと思うことはあった。だが、話したところでなにが変わるわけでもないという思いが、彼の口を閉ざしてしまっていた。

 それが今回なんのためらいもなく、するりと口から出てしまった。

 午前中言い過ぎたことへの後ろめたさがあったとはいえ、彼にしては少し無防備すぎる行為だった。そのうえ、カイデン以外は連れて行ったことのない、あの場所を教えてしまった。


――まずいな。あいつのペースに巻き込まれている。


 自分を取り戻さなければ、と思うが、同時にこのまま流されていくことを望む気持ちも否定できない。


「んー……」


 わずかに呻いて、カイデンが寝返りをうった。むにゃむにゃと何事か呟きながら、口の端が笑っている。

 ぐっと安らかな顔をみせて眠る幼馴染を、サリュウは複雑な想いで眺めた。


 母親との別離の影響だろうか、明るく開放的な性格ながら心の奥底に決定的な欠落感をもつ彼は、ひとの傷みが分かる男だった。

 ひとを信じられない少年だったサリュウが、唯一心を許した友。それがカイデンである。

 心を読むまでもなく彼はなんでも口に出したし、なにより嘘がなかった。

 感じたままに笑い、怒り、泣く彼と一緒にいるうちに、サリュウはそれらの感情を学んだといってよい。

 学業成績もよく、最強の稀人と言われ、求めるものがなにもないようなサリュウがなりたかったもの――それは〝カイデン〟だったのかもしれないと、今になって思う。


 彼の明るさも率直さも、直情的なところもすべてが自分と正反対で、だからこそ友人でいられたのかもしれないが、決して成り得ない自分自身をそこに重ねてみていた。

 カイデンには口が裂けても言えないが、彼が抱える母親との別離の哀しみ。それですら羨ましかった。

 自分には、離れていく者すら存在しないから。

 代理母たちでさえ、すでに誰かの母親だ。ユノと関係をもったことすら、自分のものにならない母親への思慕のせいであった気がするほどだった。


《大丈夫。傍にいるから》


 失ったことのない自分には、与えてくれるものなどないのか。

 サリュウは、両手で自分の顔を覆った。

 自分の中にある、どす黒いものの正体に、たった今気がついた。


――嫉妬だ。俺は……カイに嫉妬している。


 ダイナンを先に獲られたときですら、分からなかった想い。今までずっと、自分は親友だと思っていた男に嫉妬し続けていたのだ。

 それがこんな些細なことで思い知らされるとは、考えもしなかった。

 あたたかな笑みを浮かべて眠る男の横で、サリュウは灰色の絶望感に包まれていた。



 チヒロがマナクを養成区から連れて帰り、夕飯を作って食べ、一緒にシャワーを浴びると、四つ下の妹はこてんと眠ってしまった。

 最近はいつもこうだ。養成区でのトレーニングに慣れてきた影響で、疲れるのだろう。一度は夕飯を食べながら眠ってしまったこともあった。

 テレパスはまだ繋がりっぱなしだが、頻繁に姉を呼ぶこともなくなり、チヒロは少し安堵していた。


――もうちょっと隊長に慣れてくれれば、文句ないんだけどなぁ。


 サリュウが部屋にきて怒鳴って以降、マナクは彼の姿を見ると、恐怖が甦るのか極端に反応するようになってしまったのだ。泣くわめく程度ならまだいいが、養成区からの帰りに廊下で鉢合わせたときは、部屋に入ってもしばらく暴れ回り、自傷に近い行為をとったこともある。

 マナクがパニックのときに怒鳴られたことも関係しているのだろうが、そのときチヒロ自身も睡眠薬が切れておらず不安定だったことで、恐怖が加速したのではないかとアサギ医師は推測した。


『テレパスが繋がっていると共倒れになるというのはこのことよ。激しい感情がより増幅されるの。危険よ、チヒロ』


 忠告してくれたが、すでに遅い。それに、繋がっていることが普通なのに、どうやって断ち切ればいいというのか。

 自分の力と感情のコントロールにも不安を覚えるチヒロは、ため息をついて頭を抱えた。

 確かに今までは、サリュウ・コズミに対して、そんなにいい感情を持っていたわけではなかった。

 非常に優れた稀人であることは事実だし、ついつい反抗的な態度をとってしまうが、彼の指導は的確で分かりやすく、また事件への対処は部下として尊敬する。

 だが、あの冷たく人を突き放すような態度。力を制御するための防御がそのまま他人との壁に思えてしまうのは、チヒロの想像力だけではないはずだ。


――隊長は、本当に寂しくないのかな……。


 そんなことを訊いたら、馬鹿、と一蹴されるのは目に見えている。

 チヒロはベッドで眠るマナクの隣で、両膝を抱えた。

 サリュウが今日淡々と教えてくれた出生は、一度には充分理解できないほどの重い内容だった。


『家族という感覚が分からない』


 それが真実だからこそ、チヒロが彼の身の上を思って泣いても同情しても、なぜなのか理解できないのだ。そこの部分をまったく切り落とされて生まれてきたのだから。


――あんなに……なんでもできて、すごい人なのに……。


 可哀相、などという言葉で括れるほど、単純なことではない。

 きっと誰も、無制限の愛情をもって彼を抱きしめたものがいないのだ。それはもう、時を遡っても誰も与えることができないのだ。

 チヒロは、泣くことができないだろう彼の分まで、ぼろぼろ涙をこぼした。

 母と別れた喪失感を抱えるカイデンは、忘れられないにしても、いつかそれを昇華することができるだろう。事故で両親を失った自分たちも、そうやってなんとか暮らしてきた。

 だが、喪う者すらいないサリュウは、チヒロにとってあまりにも遠いところにいた。

 カイデンに囁いた子ども騙しのおまじないなど、かすんで消えてしまいそうなほど。


――絶対届かないよ……。


 力の強さも統制も、心さえも遠い場所に立つサリュウと、自分がこれからどうやって向き合っていけばいいのか、チヒロにはまったく分からなかった。

 マナクが寝言を言って、掛け布団を手ではがす。チヒロは少し笑って、そっとそれを戻してやった。

 安らかな息。隣に誰かがいるあたたかさは、言葉よりなにより心強い。


――あ……。


 ふいにチヒロは思い出した。

 マナクのパニックをサリュウが遠隔で抑えたときの情景。

 確かあのとき光となった彼の意識の腕が、マナクの意識を閉ざす前、やさしく指で涙をぬぐっていた。


――なぜ……?


 眠らせるだけなら、そんなことをしなくてもいいはずだ。


『泣くな。女が泣いているところを見るのは嫌いだ』


 いつもの皮肉げな口調でそう言ったが、それが彼の優しさだったとしたら、どうなのだろう。


『力を使わせて悪かった。二度とさせん』

『よくやった』


 何気ない気遣い。そして、圧倒的に包み込む深い意思の海。

 意思の壁が感情の隔たりであるのなら、あの大きな包容力はそのまま心に比例するのではないのか。

 チヒロは、ぐっと込みあげる熱いものにまた涙し、口の端に小さな微笑みを浮かべた。


――どこがくそったれのろくでもない遺伝子なのよ。ちゃんと優しいところだってあるじゃん。なんで自分で気づかないの……馬鹿オヤジ。


 手の届かないほど遠くにある、温度のない冷えきった彼の宇宙。

 そこには小さな小さなやさしさの欠片が浮かんでいるのだと、チヒロは信じた。


――絶対に本人は認めないだろうなぁ……。


 くすりと笑う。

 その欠片をもっと見つけることができたなら、少しは彼も身近になるかもしれないとチヒロは思い、瞼を閉じた。



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