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四-(9)
エレベーターを下り、三風に戻るシューターへの連絡通路を歩きながら、サリュウが尋ねた。
「長官となにを話していた?」
「べつに……雑談です」
「雑談?」
「隊長の悪口とか、いろいろ」
ぎろり、と上方から視線を注がれ、チヒロは居心地悪そうに頭をすくめた。
「冗談です。本当に雑談ですってば。怖い顔しないでくださいよ、もう」
「口が悪くてひねくれた性格のただのオヤジ、だからな」
「……聞いてるんじゃないですか」
「一部だけだ。あのじじいと二人で話そうなんて、よくそんな気になったな」
「そんなに嫌な人には思えなかったですけど?」
「馬鹿。あの黒服ヒヒじじいたちのトップだぞ。肚の底はドロドロだ。迂闊に読んだら、こっちの脳が腐る」
乱暴にサリュウは言い、到着地点をセットしてシューターを開けた。
一緒にシューターに乗りこんだチヒロは少し黙り、ぽつんと言った。
「――長官は、ダイナン宙佐のお父さんだったんですね」
「読んだのか?」
「ほんの少しです」
「本当におまえはタコ足配線だな」
「彼も強い心の人でしたから、あんまりは視えませんでした。でも、悪い人じゃなかったです」
「おまえはあいつの恐さを知らん」
「そうですね。表面では娘さんを心配する、頑固一徹なお父さんって感じだけでした」
「おまえが横にいたからかもしれんな。〝子ども〟という意味で」
皮肉に言うサリュウを、ちろ、と下からの視線が睨む。
「娘さんを捨てた元恋人の男に、父親が冷たくなるのは当然です」
サリュウが顔色を変えた。ぽん、と音を立ててシューターが停止する。
「――なんで知ってる」
「長官が、ですか?」
三風に着いたシューターを降り、チヒロは後ろに続く男をふり返った。
「彼にはいろいろ情報源があるみたいでしたよ。娘さんが自分とは違う稀人で、権限の届かない三風にいるんじゃ無理もないです」
サリュウが額を押さえて呻いた。
「知っていたのか……あの能面狸じじい」
「はい。〝最強の稀人〟が警察庁長官の娘婿になるかもしれないって状況は、相当ショックだったみたいですよ」
「ダイナンは親子の縁を切っている。娘婿もなにもない」
「それでも、親ってそんなもんです。心配で心配で仕方ないんですよ。隊長もおとなしく恨まれていてあげて下さい。そのうち分かってくれますよ」
「だからおまえは、あいつの恐さを知らんのだ」
数歩でチヒロを追い抜いた男が、本部に足を向けつつ肩越しに睨んだ。
「以前、八部をここからすべて撤去して研究棟内へ押し込めようとした男だぞ」
「そうなんですか?」
「先々代の隊長の頃だ。六花市で無軌道逃走をしていたエア・カーを五台がかりで追い詰めていた警察のエアパトを、八部が間違って全滅させた」
「え?」
衝撃的な内容に、チヒロの目が点になった。
「ぜ、全滅って……」
「おまえは知らないかもな。当時はかなり騒がれた事件だ。これで決定的に八部と警察の間に亀裂が入ったとも言われているが……」
そう前置きして、サリュウは苦い口調で説明する。
「犯人は三件の殺人の重罪犯で、どうせ死刑になるならとやけくそだったのさ。車はエア・ラインを抜けて暴走していて、住民への危険が高いと見た警察は、八部に出動を要請した。当時のメンバーは、暴走する車を急停止させるのは危険と判断し、遠隔でエンジンを止めると同時に郊外へテレポートさせようとした。もちろんその先に警察が待っているという筋書きだ。これが見事に失敗した」
「どうしてですか?」
「要因はいくつかある。まだメンバーの稀人の力が不安定だったこと、加速する車の速さに指示をするテレパスがぶれやすかったこと。それに、運悪く嵐が来ていたことだ」
嵐とは、宇宙嵐――宇宙空間を襲う未知の電磁波の風のことである。それは、新星の誕生やブラックホールなどと関連づけて考えられることもあるが、いまだ謎の自然現象だ。
嵐が起こると艇内の電子機器はもちろん、稀人の力である脳波にも影響が出るといわれる。
いつもよりゆっくりした足取りで廊下を進みながら、めずらしくよく喋るサリュウが続けた。
「力の統制が乱れた彼らは、エンジンを停止した犯人のエア・カーの代わりに、警察の車三台をまとめてテレポートしたんだ。三段重ねで瞬間移動した車の中身は、当然押し潰されて目も当てられない。犯人の車は制御を失って飛んで行き、巻き込まれたエアパト二台もろとも地面に落下。犯人も警官も即死。奇跡的に住民に被害はなかったが、八部始まって以来の大失態だ」
「……うわ」
「長官は激怒。八部を解体、全員を研究棟で管理するよう断固として求めてきた。半月の職務停止のうちに宇宙嵐の稀人に対する影響が証明できて、それは免れたが、当時の隊長は解雇。テレポーターもテレパシストも精神をやられて失制者になった。うちは大痛手だ」
昨夜のサリュウらの働きを思うと、考えられないような不始末である。
「隊長は、参加されていなかったんですか?」
「俺もさすがにそこまで年じゃない。十八年前はまだ子どもだった」
チヒロが背伸びをするようにして、サリュウを見上げた。
「え、隊長っておいくつなんですか?」
「二十五だ」
「うそっ。わたし、てっきり三十才は超えてるのかと……」
「俺はラギより年上かよ。まったくおまえは……」
いつもの口調で言いかけ、サリュウはふと言葉を途切らせた。足を止め、隣を見ぬまま低く切り出す。
「――両親のことを悪く言ってすまなかった」
チヒロは少し驚いた顔をしたが、いいえと首を振った。
「わたしこそ、考えなしに物を言ってすみませんでした。どこの出身か、なんて……」
「本当に知らなかったのか?」
「はい。さっきラギさんたちに聞きました」
サリュウは苦笑し、それからなんとも言えぬ表情を浮かべた。
「俺が〝創られた稀人〟というのは、三風では当たり前だからな」
「本当……なんですか?」
その問いに、深い緑の瞳が向けられる。
「知りたいか?」
「はい」
チヒロは一瞬怒鳴られるかと思ったが、意外にもサリュウは、さらりとした調子で口にした。
「――半分は本当で、半分は嘘だ」
「半分、ですか?」
「ああ。コズミ博士は独自の理論で稀人の力を証明してみせた人だが、それで満足したわけではなかった。実証しようとしたんだ」
ズボンのポケットに手を突っ込むと、とん、と狭い通路の壁に背をついた。
「特に稀人の力と遺伝子の関係を突き止めようとした彼は、世界中から稀人と思われる人物のDNAサンプルを集め、いくつかの力と遺伝子との関連性を見出した。――そこからが彼のすごいところだ」
ミュータントのMともいわれるM遺伝子は、数十種のゲノムの総称である。その組合せは億単位だ。
他人事のように淡々と、サリュウは語る。
「クローン法で、類人猿以上の高等動物の遺伝子操作は禁止されている。だから、遺伝子を組み換えることはできない。だが、卵と精子があれば子どもを作ることは法的にも可能だ。彼は自分の妻の卵子を使って、生殖不能な自分の代わりという名目で、集めた稀人の精子で思うとおりの力を持つ子どもを作ろうとした。……だが、そのどれも失敗だった。育った子どもはみんな幼少時には力を失ってしまった。ところが、博士はあきらめなかった」
反対側の壁際で息をつめて聞き入るチヒロに、サリュウは憫笑ともとれる表情をみせる。
「彼は、子ども同士を交配させたのさ。俺はその三代目だ」
「近親婚は禁止されてるはずじゃ……」
「彼は何人、初代の子どもを創ったと思う?」
「え……五、六人、ですか?」
「数千、だよ。彼の狂信的誇大妄想的思想に共鳴して資金を出すやつらがいたのさ。彼らが生まれた子どもを世界中に里子に出し、成熟した生殖細胞を採取した」
「……ひどい。まるで物みたい」
「当人たちは知らないさ。力がないから利用されることもないし、ただ監視され記録されるだけだ。博士は第三次世界大戦後[まほら]計画が実行可能だと知ると、俺たちの世代を準備した。表向きは宇宙空間で必要になるだろう人工子宮の実験材料の提供という体裁だったが、実際のところは、やはり彼の理論の証明だ。極限状態で稀人の因子が目覚めるという――」
「じゃあ、やっぱり隊長は稀人の遺伝子をもっているってことですか?」
「いや。俺は〝彼の〟子どもだ」
「え……」
「俺の名前はサリュウ・〝コズミ〟だ。俺は、実験の対照として創られたコズミ博士本人の未熟な精子細胞から採ったDNAを継いでいる。彼は稀人じゃない」
サリュウは吐き出すようにふうっと息をつき、天井を見上げた。
「もっとも三代目だから、親の名前は№四〇〇三と№二七五八なんてことになっていたが――俺は、親というものが分からない」
眼差しだけでチヒロを見る。
「実感できないんだ。家族という感覚がない。だから、おまえの心情にも共感できないのさ。長官に嫌われるのも……当然かもな」
「育ててくれた方は、いらっしゃらなかったんですか?」
「代理母はいた。ユノの母親だ」
「そうだったんですか」
「だから彼女とは乳姉弟と言いたいところだが……まあ、それだけでは済まない部分もある」
言葉を濁し、サリュウはにやりとした。チヒロは察して、
「そういう相手と一緒の職場って、やりにくくないですか?」
「べつに」
平然と否定が返る。その辺りがすでに、家族の愛情に包まれて育ったチヒロと大幅にずれている気がする。
「それに、代理母は他にもいたぞ。時間制で交代するんだ。仕事だからな」
「なんだか寂しいですね」
「そうでもない。同じ年頃の子は何人かいたが、俺はかわいかったからもてまくりだ」
親の愛情という意味で言ったチヒロは、その欠落した感覚になにも言えなくなった。
――この人は、本当に〝母親〟を知らないんだ……。
彼が男尊女卑めいた言動をとるのは、そんな幼少期が関係しているのかもしれない。
うつむいて言葉をなくしてしまうチヒロに、乱暴な声が落ちた。
「馬鹿、泣くな。俺は同情されるのが嫌いだ」
「泣いてません」
きゅっと唇を噛んで、チヒロが顔を上げる。
涙のこぼれる寸前で止まった黒い瞳に、サリュウがかすかに笑った。
「じゃ、いいところへ連れて行ってやる」