(3)
壱-(3)
本部から送られた資料を年代もののプリンターで出力するサリュウの背後で、さっきからカイデンがぶつぶつ言っている。
「なんだよ、DNAロックって……ミヅハのやつ」
「定義が知りたいなら教えるぞ。個人DNAを登録して本人以外には解除不可能なようにセッティング、かつパスワードゲノムがランダムに更新されるという画期的なオートロックシステムだ」
「なんでそんなものミヅハがつけてるんだよ」
「そういえば先週買ったと言っていたな。忘れていた」
あくまでも冷静な同僚を、カイデンがぎろ、と睨む。
「なんでおまえが知ってんだよ」
「ほとんどみんな知ってるぞ……おまえ以外は」
突如ぱん、と音をたて、サリュウの手から印刷の終わった資料が空に舞った。
驚きもなく、サリュウが濃い眉を寄せる。
「おい、散らすなよ」
「なんで俺だけ除け者なんだよ」
「あーあ。まだ読んでいないのに、あんな隙間に入って」
困ってもあまり変わらない表情で、長身のサリュウは天井の隙間に挟まった紙に手を伸ばした。背中を向けたまま、呟くように問う。
「カイ。おまえ本当に分かっていないのか?」
「なにがだよ」
「ミヅハをふっただろう、先週」
「……」
「俺はみんなの私生活に口を出す気はないし、読む気もない。だけど、最低限のマナーはわきまえろよ。彼女は傷ついた。立ち直ろうとしているんだ。軽率な行動は慎め」
女性はみんな自分に惚れていると豪語するカイデンは、口先ばかりではない。次から次へ花を渡り歩く蝶のようにつき合う女性を変え、その自由奔放さが魅力でもある代わりに、それを縛りたいと願う相手を深く傷つけてしまう。
子どもの頃から共に三風で育ったカイデンを、サリュウは兄弟のように思っていたが、理解しがたい部分もあるのも事実だった。
いつも陽気な彫りの深い顔立ちに、昏い色が浮かぶ。
「隊長命令?」
「いや。友人としての忠告だ。おまえの評価が下がるのを放っておけない」
「おまえは……やさしいよ。昔からそうだ。だけど――」
金色にも見える明るい鼈甲色の瞳が、ふ、と同じ高さの黒みがかった瞳を見た。
「おまえに本当の友だちなんているのか?」
「カイ……」
カイデンの視線を真っすぐに受け止めていた瞳が、苦笑に細まる。
「しまったな。おまえは俺を友だちだと思ってくれてなかったってことか」
「サリュウ!」
逆立った髪がさらに天を衝く勢いで、カイデンが怒鳴った。
「そうじゃねぇ、逆だっ! どういう意味で言ってるかってことくらい、分かってるんだろうが!」
「おまえの思考は乱雑で読みにくい」
「俺より単純な人間がこの世にいるかよっ。だから苦労してんじゃねーかっ!」
言って、はっとカイデンは、自分の話がすり替えられていることに気がついた。
「俺はてっきりおまえに怒られると思って……最低の人間だとか、そう言われるんじゃないかと、そう思って……」
もぞもぞと言葉尻が口の中に沈んでいく。サリュウは今度こそ本当に微笑した。
――だから怒れなかったんだけどな。
この単純単細胞な男が、明るさの陰でどれほど自分のしたことを悔やんで傷ついたかを、会った瞬間サリュウは気がついてしまった。
気づいた以上、彼を責める気持ちにはなれない。それだけのことなのだが。
――人の心は謎だらけだ。
テレパシストの自分がそう思うのだから、世間一般の人間はさぞや大変だろう。
妙な同情を感じながら、サリュウは小さくしょぼくれる男の肩に手を置いた。
「悪かったよ、カイ。おまえは真性のMだったんだな。俺に責められたいなんて」
「……サリュウ」
「うん?」
聞き返す男の体を突然、女性の太腿並みの両腕ががっしりと抱きしめる。
「やっぱり俺にはおまえだけだよっ。愛してるぜ、サリュウっ!」
抱擁というには締めつけ感が激しすぎる男の腕の中で、サリュウが本日最大の険悪な顔になった。
「カイ。おまえ、わざと俺を怒らせようとしてるな?」
「え、分かる?」
「当たり前だ」
宇宙空間並みの冷たさで返し、サリュウは自分を抱きしめる腕を軽く払った。
「――え?」
きょとんとしたカイデンが、まるで木偶人形のようにぽてん、とその場に巨体を沈ませる。
「サリュ……おまえ……」
「いろいろ込みで罰だ。そこでしばらく頭を冷やせ」
テレパスの一形態である催眠でカイデンの動きを静止させた男は、にこりともせずにそう言うと、空いている片手を宙へ掲げた。
ぱさぱさ、と鳥でも舞うように、散らばった紙がその手の中に集まる。
「サイコキネシスはこう使うもんだ。――じゃ、俺は寝てくる」
集めた紙の束で固まった男の腕を叩いて、
「動けたら、おまえも寝ろよ。けっこうひどい顔色だ」
《だ……だれのせいだ……っ》
精一杯のテレパスでの反論に、サリュウはくすりと笑って、手にした資料を片手ではじいた。
「この子、かな?」
《え、S野郎……》
「お褒めの言葉としてとっておくよ」
紙の束をひらひらと振りながら、サリュウは通信室から出て行った。