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四-(6)
警察庁の呼び出しを受けた隊長と訓練生がいなくなった食堂で、八部メンバーの爆笑が湧いた。フアナがお腹を抱える。
「なにあれ、おっかしー」
「だ、誰か口論じゃなくて掛け合いだって言ってあげれば?」
「もったいないって。隊長の意外な一面が見れて、僕けっこう好きかも」
「本当、意外ですね。本人たちが真剣だから余計に可笑しくて……」
日頃穏やかなラギでさえ笑みくずして、ヒナトらに同意した。
ダイナンも笑い涙を指先でぬぐう。
「わたし、なんだか喧嘩の原因が分かる気がするわ。最初はチヒロが反抗的なのかと思ったけど、あれはどっちもどっちね。ほんと小学生の言い合いみたい――ねえ、カイもそう思わない?」
「……あ? 悪ぃ。聞いてなかった」
転寝をしていたのか、ふわりとライオン頭が揺れる。
「夜朝連番なんて無理するから。もう休めば?」
「ああ、そうすっか」
カイデンが席を立ったのを機に、ほかの皆も食堂から引きあげはじめた。
*
「……なんか、みんなにめちゃめちゃ笑われてる気がします」
「気がする、のではなくて、そうなんだろうな」
上層階行きの人用シューターに向かう途中で洩れた呟きに、前を歩く男から冷静な指摘が入る。
[まほら]内の各層間を高速で行き来するシューターは、チューブ状のラインの中に両尖形の楕円の乗物を収めた構造で、乗物とチューブの間は無重力だ。
乗物はロケットエンジンで発射され、指定の階で逆噴射ストップがかかる。七楽から最上階一心まで約八十秒。三風からであれば二十五秒で着く。
チヒロは手のひらで、側頭部をとんとんと叩いた。
「抑えてるはずなんですけど、よく聞こえて……」
「あいつらがセーブしていないからだろう。まったく、おまえの頭はタコ足配線だな」
「どういう意味です」
「配線を伸ばして何人とでも繋がれる。俺だったら、気が変になるところだ」
入口で到着地点のコード番号を入れるサリュウの後ろで、チヒロがぷっと頬を膨らませた。
「どうせ統制が足りないって言いたいんでしょ。いいですよ、もう」
「俺だったら、と言ったんだ。おまえはそうはならない」
サリュウが、シューターの隔壁を開けて振り向いた。
「おまえはリーディングが強い。今まで長年統制管理していなかったせいか、それを受けても問題ないように脳が上手くコントロールしているんだろう」
「でも隊長も……」
「リーディングに関しては、おまえの方が強力だ。だから読まれる」
シューターの内部は、かろうじて二名が立てる広さに作られている。チヒロはサリュウに触れて怒られないよう、壁に背中を押しつけるように離れて立った。
シュ…と点火音がして、シューターが上昇する。
「隊長より強いなんて、変な気分です」
「つけあがるなよ」
「大丈夫です。プライドと身長の高さだけは、絶対に敵いそうにありませんから」
「その態度が、すでにつけあがっているというんだ」
さほど大きくないサリュウの声が、いつになく近くで反響する。
チヒロはぎこちなく、壁に後ろ頭をつけた。
「……狭い、ですね」
「カイデンと入るともっと狭いぞ」
「確かに」
「もっとも――あいつは狭いのをいいことに、女を口説くのによく使うが」
「え?」
きょとんと見上げるチヒロに、ふいに真剣な視線が落ちた。艶のある低声が囁く。
「――二人きり、だな」
どきん、としたチヒロが言葉を失っていると、サリュウがぷっと吹き出した。ベルと同時に停止したシューターから逃げるように出、八部隊長は壁に手をついて爆笑する。
からかわれているのだと気づいたチヒロが、真っ赤になって怒鳴った。
「隊長っ!」
くくく、とサリュウの肩が笑いに震える。
「お……おまえも女だったんだな」
「あたりまえですっ。乙女の純情な心をからかわないで下さいよっ!」
「わ、悪かった」
珍しくサリュウが謝るが、笑いながらなので、まったく謝罪されている気がしない。
サリュウは笑いをおさめて歩き出し、数歩行ったところでまた立ち止まる。
「お……乙女って、似合わな……」
「隊長っ!!」
*
一心は[まほら]の突端に位置する。したがって、宇宙艇の操舵に必要な各機関が大部分を占め、残りの狭いスペースを二分する形で自衛宙軍の本部と警察庁の建物が置かれていた。
サリュウとチヒロが向かったのは一心の左半身、警察庁の青い建物である。
警察庁の五十階に停止したシューターを降り、さらにエレベーターを使って上階へ上がる。
八十三階に着くと、通路に群れる黒い服の男たちが、一斉に二人に視線を突きつけた。黒のダブルの背広に肩章、金ボタンというクラシカルな装いの集団は、時代錯誤を通り越して威圧感がある。
チヒロは思わず、目の前の広い背中に隠れた。
「馬鹿者。堂々としていろ。舐められるぞ」
「は、はい」
二等宙佐であるサリュウに全員が軽く頭を下げたり敬礼をするが、その眼は決して好意的ではない。むしろ冷ややかに侮っているようだ。
慣れているのか、平然と彼らを無視して通路を行くサリュウに、背広の上からカーキ色のコートを羽織った男が声をかけてきた。
「コズミ! どうした、めずらしいな。今日はお供連れか」
「警察庁お望みのプリコグを説明書代わりに連れてきた。チヒロ・ハナダだ。――チヒロ、ニビ警視だ」
ニビと呼ばれた男は、サリュウとあまり年の違わぬ若い顔に、にっこりと笑いを浮かべて、長身の陰に隠れる低い頭を覗きこんだ。
「お。君が噂のキングコングちゃんか」
「訓練生のチヒロ・ハナダ三等宙士です。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀するチヒロに、サリュウが教える。
「よく顔を覚えておいてもらえよ。これから必ず世話になる相手だ」
「この隊長は人遣いが荒くってねえ。俺を遣いっぱしりだと思って、何でも頼んでくる」
「手柄はやっているだろう」
「こうやって恩も売るんだぜぇ。ヤな奴だろ?」
ハスキーな声で、ニビが笑う。張りのある声音は通信で聞くよりも若々しく、表情豊かだ。メッシュを入れているのか、ところどころ明るく見える褐色の髪を短く刈り、目尻の切れ上がった力強い両眼、唇の薄いよく笑う口。
動作は機敏で、どこかアスリートのような雰囲気が漂う。サリュウよりもやや身長の低い彼は、がっしりした手をチヒロに差し出した。
「マサズミ・ニビだ。よろしく、チビ=コングちゃん」
「はい、こちらこそ」
「期待してるぜ。……じゃ、コズミ。あとでな」
肩をぽんと叩き、片手を挙げてニビ警視が去る。その姿に放心したような眼差しを送るチヒロに、ぽつりと隊長の声が呼びかけた。
「驚いたか?」
「はい。なんだかとても……強い、ひとでした」
握手した手に目を落とし、うまく言い表わせないもどかしさを感じながら、チヒロは答えた。
サリュウのような吸い込まれる力ではない。圧倒的に放たれる波は、カイデンの放射のようでもあり、まったく違うものでもある。
――稀人じゃないのに……。
「彼は一心でも指折りの武道家だ。心身を鍛錬することで、一般人でもあれほどの精神力を身につける。覚えておくことだ」
「はい」
サリュウの言葉に、チヒロは素直に頷いた。