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四-(5)
その日の訓練は、当然ながらスムーズにいくはずもなかった。
原因はもちろん待合室での口論なのだが、怒りや苛立ちひとつ表わさず淡々と指導するサリュウに対し、固く心を閉ざしかけたチヒロに、なめらかな力の統制など望むべくもない。
やがて一時間後、
「訓練は終わりだ。帰れ」
「でも……」
「感情のコントロールもできないものに力の統制ができると思うのか。帰れっ!」
怒声を浴び、チヒロは身をすくませて立ち上がった。
「失礼……します」
返事はない。チヒロはどうすることもできずに、すごすごと瞑想室を出た。
身の置き場もなく悄然と食堂にいると、昼を過ぎて朝番を終えた八部メンバーが、ぞろぞろとやってきた。元気なマリカが手を振る。
「おっはよ、チヒロ」
「おはよう、ございます」
ぎこちない笑みに、状況を察しているらしいメンバーは顔を見合わせたが、なにも言わず、それぞれ好みの食事をトレイに乗せて近くに集まった。
渋く卵かけご飯にサバの味噌煮をとったヒナトが、ひとつ離れた席から声をかける。
「チヒロ、昨日は大活躍だったって? 大変だったね」
「いえ、活躍だなんて……」
「でも予知観たんでしょ?」
マリカと並んで前の席でパスタを丸めながら、フアナが尋ねる。
「はい。だけど実際、隊長がいなかったらどうなっていたか……」
「あのひとは特別です。われわれ五人が束になってかかっても敵いませんよ」
穏やかにそう慰めるのは、八部最年長のラギ。饂飩と寿司をもって斜め向かいに腰掛け、彼はわずかに声の調子を落とした。
「彼はなるべくしてなった稀人です。われわれとは違います」
「え……」
驚くチヒロに、ヒナトが意外そうな顔をした。
「知らないの? チヒロ」
「あ、そっか。あんた六花出身よね」
マリカの声に、すぐ後ろに座った大男がふり返る。
「俺も六花だぞ」
「あたしもよ。だけど、あんたは五つからこっちでしょ。チヒロは三週間前。こっちの常識をまだ知らないのよ」
「常識、ですか?」
「そう。隊長は、政府が三風で実験させていた人工子宮ベビーの第一号なの。だけど、それだけじゃなくて……えーと、なんて言ったらいいんだろ」
口ごもるマリカに、ラギが助け舟を出した。
「公式にではありませんが、彼はコズミ博士が遺伝子操作をして産み出した〝純粋培養の稀人〟と言われています。真偽のほどは定かではありませんが……」
「あの力の強さをみせられちゃ、納得なんだけどね」
ヒナトの声を聞きながら、チヒロは全身から血の気が引いていくのを感じた。
待合室でのサリュウとの会話――『生まれたときからここにいる』。大切なものは、『いない』。
――わたし……とんでもないこと言った。
傷つけられたのではない。自分が傷つけていた――知らないうちに。
――謝らなきゃ……隊長に。
焦る思考は、だが統制がとれてきたため、みんなには聞こえない。
ラギが、グレーの瞳に困惑した表情を浮かべて、チヒロの知らない〝常識〟を教えた。
「コズミ博士は、完璧な稀人を創ろうとしていたと言われています。ですが、彼は非常に強い力の持ち主ですが、完璧ではありません。テレパス、サイコキネシス、テレポート……でも、パイロキネシスやプリコグニションはもっていませんから」
「隊長、テレポートもできるんですか?」
「ええ。隊長がいないとわれわれが困りますので、最近はあまりやらないようですが」
「でも、チヒロも強いんだよね? 隊長をサポートしたんでしょ?」
「あ、僕もスゥから聞いた。通信室でも感じるくらいすごかったって」
スーリエとヒナトは、部隊の公認カップルである。あーら仲良し、とからかうマリカを無視して、ヒナトが続けた。
「落ちたひとをアポートして助けたんだって?」
「あれはシャモンさんのリードがあったから……」
手を触れない対象物を瞬間移動できるのがアポートの特性だが、移動先は大抵、本人の手元近くというのが普通である。昨夜のように場所から場所への転移など、チヒロにとっても初めてのことだ。
「でも、訓練生でいきなり実戦参加だなんて、すごいよね。僕は最初テレポートしたとき、足ががくがくして止まらなかったよ」
「あ、あたし帰って泣いた。恐くて」
「わたし今でもそれに近いぃ~」
大袈裟に同意するフアナに、「あんた、それはぶりっ子すぎでしょ」とマリカが突っ込む。
ラギが苦笑して話を戻した。
「でも私も、たまに夢でうなされますね。透視がまったく外れてたっていう……」
うわ、それ最悪と全員の声があがる。
一緒になって笑いながら、チヒロはみんなが気を遣ってくれているのを感じた。
怒られたのは自分のせいなのに、責めるでもなく無言で次にいけと背中を押されている気がする。
――頑張らなきゃ。自分で選んだんだもんね。
『わたしは、わたしとマナクを守るためにここにいます』
そう啖呵を切ったのだ。進むしかない。
サリュウの怒りはなかなか冷めないだろうが、許してもらうまで謝ろうとチヒロは決めた。
心に重く沈む感情をふり切るように眼鏡を外して息をつくと、向かいからフアナが覗き見た。
「ね、その眼鏡ってファッションだよね?」
医学の進歩した現在、多少の近眼や乱視は日帰りの外科矯正で簡単に治せる。
チヒロは、上のリムのない眼鏡を指先でくるりと回した。
「はい、一応。わたし外見が地味なので、眼鏡くらいしないと人に覚えてもらえなくて」
「そう?」と、ヒナトがやや遠目に見る。
「植物園で働いていたとき、あるお客様に説明をしたんですけど、もう一度いらっしゃったときにわたしを探して下さったみたいで。〝背が低い黒髪の〟って結構いて、結局会えなかったんです。なので、これじゃいけないかなと」
「それで眼鏡なの?」
「はい。手軽ですから」
「あ、ちょっとかけてみたい」
チヒロの眼鏡を借り、フアナが、どう?とポーズを決める。眼鏡はフアナからマリカ、ヒナトへと移り、なぜかカイデンの手に渡った。
強引に掛けようとする男に、「眼鏡壊れるって!」と全員が止める。
そこへ、夜番のダイナンを連れ、サリュウが食堂にやって来た。ふたりはこちらに軽く目礼すると、にこやかに談笑しながらビュッフェを選んでいく。こっそりとマリカが囁いた。
「うわ、やっぱ美男美女。絵になるカップルよね~」
「もうマリってば、やめてよ」
サリュウに想いを寄せるフアナが眉をひそめたが、その表情はしゃべるよりも雄弁だ。ほう、とため息が洩れる。
周りにシンクロしそうになったチヒロは、自分の立場を思い出すと、慌ててカイデンの手から眼鏡をとり返し、トレイを持つサリュウの前に立った。
感情の見えないダークグリーンの瞳。チヒロは気圧されないように、がばりと勢いよく頭を下げた。
「隊長、先程はすみませんでした。もう二度とないよう気をつけますので、訓練の指導をお願いします!」
「無理だな」
言い捨て、サリュウが席に着く。一瞬チヒロは文句で言い返そうとしたが、それでは先程の二の舞だと、息を吐いて気を鎮めた。
「じゃあ、隊長の手が空くまで待ちます」
「残念ながら、二十年くらい先だ」
「サリュウ」
聞く耳をもたない彼を、向かいに座ったダイナンが小声で諌める。
だがチヒロは、返事があるのは良い兆候と考え、しつこく追いすがってみることにした。
「それなら、隊長が指導したくなるまで待ちます」
「永遠にならん」
《じゃあ、したくなるまで共振し続けるっていうのはどうですか》
「テレパスでつきまとうのか」
冷ややかにサリュウが肉声で返す。
「でも実際、指導していただかないとそういう状態に陥ると思いますけど」
《俺の壁を破れるのか、おまえに》
《はい――ご指導いただけるのであれば》
言ってから、チヒロはあれ、と気がついた。誘導尋問をみずから失敗してしまった。
肩を落とすチヒロに、くすりとサリュウが笑う。
「絶対に指導したくない気分になってきたが、おまえに付きまとわれるのは迷惑だ」
ぱさりと布製のナプキンを広げて、
「許可しよう」
「あ、ありがとうございます」
「だがさっきも言ったが、今日は無理だ。警察庁から呼び出しが入った」
言い、サリュウがナイフとフォークで肉を切り分けはじめる。
「ちょうどいい。おまえもつき合え」
「へ? わたし、ですか?」
「おまえが予知した事件だ。おまえがいかなくてどうする」
「なにをすればいいんでしょうか」
チヒロはダイナンの隣に座って尋ねた。
「今朝のメモは持っているか」
「はい」
サリュウは流れるような所作でミートローフを食べつつ、差し出されたメモを右手に取って眺めた。
「例の疑問はひとまず保留だ。あの二点を適当にぼかして、ずらっと並んだ制服オヤジたちに観たことを話せ。あとは俺がやる」
「……隊長」
「なんだ」
「前から思ってたんですけど、隊長も目上の人、嫌いですよね?」
カシャン、とサリュウの左手からフォークが皿に落ちる。サラダを食べていたダイナンが、吹き出しそうになって横を向いた。
気を落ち着け、サリュウがフォークを手に取り直す。
「警察と反りが合わないだけだ。第一、俺はおまえと違って、面と向かって歯向かうことはない」
「どうだか」
「なに?」
「隊長のことだから、面と向かわない代わりに、あの手この手を使って歯向かっていそうで。わたしがそのダシにされそうで厭なんです」
「当たっているかもな」
笑顔もなく肯定され、チヒロは憮然とした。
「勘弁してくださいよ。かわいい部下になんてことしようとしてるんですか」
「かわいい部下は他にいる。おまえ、本当に反省したのか?」
「感情的になったことを反省したんです。そのほかは別です」
「ヒヒじじいたちの前に置いて帰るぞ、おまえは」
「なんでですか。大事な訓練生がヒヒじじいの餌食になったらどうしてくれるんですか」
「それが狙いだ。じじいたちは食当たりを起こしてダメージ、俺はおまえがいなくなって万々歳だ。一石二鳥、というやつだな」
「二兎追うものは一兎をも得ずというじゃないですか」
「誰がウサギだ」
「わたし、です。決まってるじゃないですか」
「ウサギに失礼だろう。謝れ」
「ヤです」
どうしてもまともな会話の成立しない二人の横で、ダイナンが食べるのも忘れて笑っている。
真剣な話から入ったつもりだったチヒロは、またも、あれ?と頭をかいた。
サリュウが小さく、馬鹿と呟いた。