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四-(2)
疲れた顔ながら、迷いない足どりで八部本部を出て行ったサリュウを、カイデンは少し遅れて追いかけた。
「サリュウ!」
案の定、長身の男は通路の途中の壁にすがるように座り込んでいる。力を開放しきった後は、いつもこうだ。
触られるのが嫌いな男だが、両手で上着を掴んで揺さぶりたてた。
「おい、起きろ! こんなところで寝るな」
「……大丈夫だ、カイ。少し休んだら、すぐに戻る」
「死にそうな顔して、なにとぼけてんだ、おまえ!」
押し殺した声で怒鳴り、ふっとカイデンは胸倉から手を離した。力なく、
「それに、なんだよあれ。ダイナンを任せるって……」
サリュウは半分眼を閉じたまま、額に手を当てた。
「そんなこと言ったかな。後を任せるって言ったつもりだったんだが」
「言った。もうボケてんのかよ」
「疲れてるんだ」
「だったら部屋に帰って休め。ほら」
カイデンに促され、サリュウは感覚のない重い体を持ち上げた。
「――あ」
「なんだよ」
「歌が聞こえる……」
動きを止めて、耳を傾ける。どこからか、かすかに響く甘い声。
疲れているせいか、現実の音かテレパスなのか区別がつかない。カイデンが妙な顔になった。
「おめーイカレたんじゃないだろーな?」
「いや。ほら……なんだろう。子守唄、かな……?」
カイデンが耳を澄まして、ああと笑った。
「チヒロがよく歌ってる。マナクを寝かしつけるときにいいんだそうだ」
「あいつは今、意識がないはずだぞ」
「じゃ、マナクじゃねえの? いつも一緒に歌ってるから」
それじゃ子守唄にならないだろう、とサリュウは思ったが、
――子守唄か。久しぶりに聞いたな……。
単純な旋律と舌足らずな歌声に、ほっと心が和むのを感じる。
サリュウは壁に手をつくと、もう数歩先の私室までを足を引きずるようにして歩いた。カイデンがポケットから勝手に抜きとった鍵で、先に部屋のドアを開けて待つ。
ようやく辿り着いたサリュウは、部屋に入るなり、そのまま倒れこんで眠りに就いた。
*
意識を失うように床の上で寝はじめた男の後ろ襟とズボンを鷲掴み、カイデンは、おらっとばかりにベッドに放り出す。
ぼすん、とスプリングが弾んだが、それでもサリュウが目覚める様子はなかった。
ため息をついてカイデンはその寝顔を見下ろすと、変わらない殺風景なインテリアを一瞥して部屋を出て行く。鍵は明日返せばよい。
ドアに鍵をかけ、ふり向いたカイデンは、すぐ傍の通路に背をもたれて佇むブルネットの女の姿にぎくりと身構えた。
「ダイナン。おまえ、いつから――」
「子守唄あたりよ。……ねえ、彼は大丈夫なの?」
カイデンが気まずげに舌打ちをする。
「平気だよ」
「確かにテレパスはすごかったけど、あんなに動けなくなった彼は初めてだわ。医務局へ連れて行ったほうがいいんじゃ……」
「大丈夫だ。あいつは慣れてる」
「でも――」
言いつのろうとするダイナンを、めずらしくカイデンが厳しい表情で制した。
「めったに見せないが、長時間フルオープンした後のあいつは、いつもこうだ。心配するな」
はあっと大きな息をつき、絞り出すように低く告げる。
「あいつは力が強すぎる。肉体が、その力に耐えきれないんだ」
「え……」
「歩けなくなるってまでは、あんまなかったんだが……。強い力を使えば使うほど、あいつの肉体はやられていくのさ。だから力を抑えるんだ」
「……うそ」
ダイナンが、衝撃を抑えるように口元に手を当てて、ふらりと下がった。その腕を掴んで支え、カイデンが押しかぶせて続ける。
「誰にも言うなよ、ダイナン。俺も二十年間あいつとつき合って、ぶんなぐって、やっと聞き出したんだ」
彼の言葉を拒否するように、ダイナンが小さく首を横に振った。
「すぐに命がどうこうってわけじゃないみたいだが、あいつに無理はさせられない。俺も助けられる限界はあるけどな」
「だって、今まで……どうして――」
三年前不慮の事故で亡くなった二代目隊長の跡を継いでから――いや、まだ隊員だったときも、それ以前の学生の頃から、サリュウはずっとその圧倒的な力と存在感で、高きに過ぎるゆるぎない稀人たちの柱であった。
先輩たちすら失神するほどの過酷な状況でもつねに統制を保ち、フルオープンしても決して失われることのなかった彼の輝きに一気に翳が差した気がして、ダイナンは思わず自分を抱きしめた。
普段の陽気さに似合わない苦渋を湛えたカイデンが、震えるその頬を指先で撫でる。
「男はみんな弱味を見せたがらないもんさ。分かってやれ、ダイナン。あいつもおまえの前では、強い男でいたいんだよ」
「でも、あなたは知っていたんでしょう? どうしてそうなの。いつもいつも、わたしは入り込ませてもらえないの?」
「ダイナン――」
「弱いところがあったっていいじゃないの。わたしはそういうところだって……」
ダイナンの瞳から、涙がこぼれる。カイデンは少しためらい、これまで以上に苦しげな顔で、彼女の肩を両腕に抱きしめた。
「泣くな、ダイナン。おまえが泣いたら、俺はどうしていいか分からなくなっちまう」
「じゃあ、ちゃんとごまかさないで、わたしにも話してくれる? 弱くても苦しくても、隠さずに打ち明けてくれる……?」
「それはあいつが――」
「彼だけじゃない。あなたもよ」
涙の浮かんだ瞳でカイデンを睨み、ダイナンは彼の腕を拳で叩いた。するりと男の胸から抜け出る。
「馬鹿ね。どうしていつも肝心なことが分からないのよ」
「ダイナン……」
「先に戻るわ」
涙を払うと、金色の髪の男を置き去りにして、ダイナンは本部に戻った。