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参-(9)
なるほどフアナの言うとおり、サリュウのルックスは〝まあまあ〟だ。地球暦も四千年を超えて流行り廃りの波があるが、それを差し引いても悪いほうではない。
日本人も混血率が高くなり、生まれながらにカイデンのような金髪やマリカのように褐色の肌の子も多いが、うまく混ざり合うと、どこの国ともつかないフアナやマナクの母のような美形が現われた。サリュウもそれに近い。
長身で足も長く筋肉質だが、欧米人的なごつごつした感じはない。頭が小さく、しなやかなシルエット。薄い色調の肌はカフェ・ラテのようで、短い黒髪を後ろに撫でつけてたたずむ姿は、彫像さながらだ。
――モテないわけないんだろうけどなぁ……。
昼食も兼ねた夕食を食べるサリュウを眺めながら、チヒロは思った。
彼はチヒロの訓練につき合った後、本部で溜まった仕事を片づけてから来たようである。約十時間も休憩なしとは、よほどの仕事中毒だ。
センザイ導師を廃人に導きかけたチヒロは、怖がって導師たちが誰も指導してくれないため、訓練はサリュウに頼るしかない。一足先に食べ終えてしまったので、少し離れた場所で彼の食事が終わるのを待っているところだ。
せっかくの食事時間を焦らせるのも何かと、チヒロはズボンのポケットから、手書きのメモを取り出した。先日カイデンに案内してもらった、このフロアの見取り図だ。
三風を構成するのは、大きく分けて四つの棟。
三風は研究都市のため、チヒロのいた六花のようにビルが並び、空中スロープが張り巡らされているわけではない。無機的な巨大な建物が四方に立ち、連絡通路でつながれ、中央には全層に通じるシューターを備えた芯があった。
四つの棟とは理学研究棟(研究棟)、医療棟、工学研究棟(工学棟)、保安管理棟(管理棟)。八部はこの中の管理棟――[まほら]内で起こった公衆衛生にまつわる問題を管理する棟の三十七階フロアの一区画に居を構える。
そう聞くとあまり大きな規模のようにないが、プールや無重力室を備えた各種トレーニングルームや視聴覚室、映像メディアを揃えた書庫、備品室、武器庫まである、軍の一駐屯地だ。
その複雑なフロアの配置を二度聞いたら罰則と言われたチヒロは、メモを握りしめて復習をする。
――ここから右へ出てトイレ、貨物用のシューター、備品室があって……。
20%の力の統制をしつつ考え事、と言うのはなかなか慣れないもので、チヒロは口の中でぶつぶつ呟いた。
気づいたらしく、サリュウがこちらも見ずに問いかける。
「なにを譫言を言っている?」
「いえ。ちょっと復習を」
「復習?」
ぺろりと200gのステーキを平らげたサリュウが、眼だけをこちらに向けた。
「フロアの見取り図です。聞いてはいけないのであれば、書いておこうと思って」
「馬鹿」
一言で言い捨てたサリュウに、チヒロが反論の口を開こうとすると。
「レベルを40%にしてみろ」
「え?」
「一瞬だけだ。今保っている壁をもう四分の一下げてみろ」
瞑想室以外で精神障壁のコントロールをしたことのないチヒロは戸惑った。が、隊長命令に逆らえるはずもなく、不承不承、半眼に閉じる。
以前目を完全に瞑って眠ってしまい、サリュウに怒鳴られてから、瞼は閉じきらないようにしている。
――今の壁を四分の一下げる……。
つまり今よりも、力をもう四分の一開放してよいということだ。
全体の約四割の意識のドアを開けたチヒロは、すうっと感覚が澄むのを感じた。同時に意識が拡大し、食堂にいるはずなのに宙に舞い、フロアのすべてを見渡していた。
地図を眺めるよりも早い。フロアの配置だけでなく、現在そこにいる人たちの姿までが意識に飛び込んでくる。
通路をこちらに向かって、カイデンが歩いてきている。本部にはミヲ、シャモン、ウズメ、スーリエ、イブキ。フアナとミヅハは私室だ。
――ほかの人たちは……。
などと見回して、チヒロは他人のプライベートを覗き見していることに気づき、はっと意識を閉ざした。
――やば、見ちゃった。
慌てるチヒロの内心を知ってか知らずか、めずらしく赤ワインをグラスで飲んでいるサリュウが、低く話しかけた。
「やり方は分かったか」
「は、はい」
「くれぐれもプライベートを覗くんじゃないぞ」
――あ。ばれてる……。
冷や汗をかくチヒロに、サリュウがまた小さく馬鹿、と呟いた。
そのとき、のっしのっしという擬音効果がふさわしいカイデンの巨体が食堂に現われる。
「カイデン宙佐」
呼びかけて、チヒロは駆け寄った。調理場の方を気にして、おい、と眉をひそめるライオン頭を下に引っぱりおろして囁く。
「重大事件勃発です」
「あん?」
チヒロはたくましい腕を引いて、観葉植物の陰になったサリュウの席近くまで連れてきた。どうせ彼は知っていることだ。
「事件ってなんだよ?」
「どうやらわたしたち、〝つきあわされ〟そうです」
「はあ?!」
チヒロは昼のマリカたちとの会話をかいつまんで話し――無論サリュウに関しては黙っておいたが――片思い疑惑が浮上してしまったことと、
「調理師さんにも、〝彼はきっと気があるから頑張れ〟とか励まされちゃって……」
「なんでそういう展開になるんだよ」
「知りませんよ。カイさんの演技不足じゃないですか?」
「なんで俺が。やりはじめたのはおまえだろーよ」
「ああ、もう! ほんとそんな気ないから、きっちりみんなに否定してくださいね!」
困りきった様子のチヒロと渋面が増していくカイデンの会話に、傍で聞いていたサリュウがくすくす笑う。
実に愉しそうな彼の様子に、カイデンの機嫌が悪化した。
「おい、サリュウ。なに笑ってんだよ」
「そうですよ、隊長。笑ってないで、なにか画期的なアドバイスをくださいよ」
どぼどぼと手酌でボトルからワインを注ぎ足し、サリュウが冷たくあしらう。
「馬鹿。俺は、軽々しく嘘をつくなと言ったはずだ」
「嘘ついたあとで言われても意味ありませんから」
二人の会話にカイデンが気がついた。
「なんでサリュウが知ってる」
「読まれました。完璧に」
聞くや、カイデンの大きな顔が、ぎりぎりまで昔なじみの男に詰め寄った。
グラスを持ったまま、サリュウがにんまりと笑う。
「あいつとは繋がりやすいんだ」
「この厚顔無恥テレパシストが!!」
「あ、その形容詞いいですね」とチヒロ。
「おい、チィ。おまえもサリュウ並みなら読まれないようにしろよ、このボケナスッ!」
カイデンは、むぎゅうと訓練生の首に右腕を巻きつけ、左手で髪の毛をかきまぜた。
「痛たたた……む、無茶言わないで下さいよぉ~」
「足りないんだったら俺が鍛えてやる。おらおらおら」
どこが鍛えているのだか、チヒロの頭を持って振り回すカイデンに、
「お、いいぞ。カイ、もっとやれ」
ワインを傾け、ご機嫌なサリュウが囃したてる。
目を回されそうになりながら、チヒロは初めて見る彼の満面の笑顔に、さすがにかちんときた。
――この鬼隊長っ。
隙をついてカイデンの手から抜けると、サリュウの手元のグラスを奪い、一息にあおる。
「えっ」
「おい、それで最後なんだぞ!」
慌てる男たちの声を無視して、グラス一杯に注がれた赤ワインを飲み干したチヒロは、ふう、と手で口を拭った。グラスをテーブルに戻し、毅然と二人を睨む。
「いいですか、二人とも。訓練生とはいえ、わたしは可憐な女の子なんです。きちんと紳士的にゃあつかいをひてくれ……ほにゃ? ほひが、まあって……」
途中からいきなり呂律が回らなくなったチヒロの目が、ぐるんと上を向く。
そしてそのまま、へなへなとその場に崩れた。
「おいっ」
サリュウが立ちあがり、床にひっくり返った少女を覗きこむ。茹ダコのように喉元まで真っ赤だが、他に異常はなく、すうすうと落ち着いた寝息が聞こえるだけだ。
カイデンが肩を掴んで揺さぶるが、ぐにゃぐにゃとなるだけで起きる気配はない。
「……寝てやがる。おい、ワイン一杯だぜ?」
「睡眠薬がよく効くやつは酒も弱いと聞いたが、本当だったんだな」
「サリュウ。どうするよ、これ」
「引きずって連れて行くか」
真面目な顔で言う男に、さすがにカイデンが冷たい眼差しを注いだ。
「それくらいなら俺が背負っていくぜ」
「馬鹿。噂を確定されたいのか」
「あ、そっか」
男二人は顔を見合わせると、怒られることを承知で、ダイナンを呼び出すことに決めた。
女神の怒りにおびえる二人の男の足元で、チヒロがひとり平穏な顔をして眠っていた。