(8)
参-(8)
よくやった、などと初めてサリュウ・コズミ鬼隊長に褒められ、チヒロがにやけたのも束の間。翌日から統制のための猛特訓が待ち構えていた。
ふたりで瞑想室に籠もって力を全開放したり、または閉ざしたりといった練習は勿論。
「今日は一日、ドアを二つだけ開けたままにしろ」とか、
「今日はひとつだけを残して、すべて開けていろ」
といった日常生活でも意識するような訓練も、併せておこなわれるようになった。
サリュウに怒鳴られ、叱られつつもチヒロはなんとかそれについていったが、大変だったのが全部閉ざして一日を過ごせ、と言われたときだ。
「え……と。マナ、もですか?」
妹マナクに繋がるテレパスくらいはいいかと聞くチヒロに、サリュウの即答が返る。
「すべて、だ」
取り付く島もない。仕方なくチヒロは瞑想に入り、全部の意識のドアを閉ざした。
が、いつまでも座りつづけたままの訓練生に、星も凍りつく隊長の声が飛ぶ。
「なにをしている」
「……」
「体は動かしていいんだぞ」
「――うー……」
「普通にしゃべらんか、馬鹿者。すべての意識を閉ざすのに、誰がすべての動きを止めろと言った。ここで座って一日過ごすつもりか、この間抜け!」
散々である。
今日の課題は20%の開放だ。初めての表現に、チヒロは閉じかけた瞼を開く。
「すみません。それって、ドア何枚くらいですか」
「それは自分で考えろ」
「具体的に言っていただいたほうがイメージが掴みやすいんです」
「能力の開放レベルは、一般に全てパーセントで表わされる。それに慣れろ」
「そうなんですか?」
問い返すと、サリュウが薄く眼を開けた。
「おまえには分かりやすく〝ドア〟と言ったが、力に対するイメージは個人によって違う。花、木、風の流れ――ダイナンは〝音〟と言っていた」
「音?」
「彼女は力を音階で視ている。単音、和音、高音、低音……それらが重なって旋律となる。それが彼女の力のイメージだ」
彼女自身のやわらかさを表現しているようで、チヒロは感心した。
――音だって……優雅だなぁ。
「おまえに彼女のような優雅さは求めん」
「それはどうもご親切にありがとうございます」
チヒロの皮肉に、サリュウはふっと口元をほころばせる。
「〝ドア〟は開放するための最初のイメージだ。自分の好きなイメージに変えていけばいい」
「隊長は、何なんですか?」
「俺は〝水〟だ」
わずかでは生命を潤し、多くなれば巨大な威力をもって生命を脅かすこともある水――底知れぬ深さをもつサリュウの力に、ふさわしい。
――自分はなんだろう……?
考えてみても、すぐには思い浮かばない。
チヒロは自分のイメージを創ることを後の宿題に回し、今日の課題に専念した。
心の中にドアを思い浮かべる。ふと、気になったことをサリュウに問いかけた。
「隊長」
「――なんだ」
「隊長の20%って、水何滴くらいですか?」
「この……馬鹿者っ!!」
またしてもサリュウの怒鳴り声が、瞑想室の壁に吸い込まれた。
*
「水何滴って……それはサリュウも怒るわよ」
呆れたように言ったのは、ダイナン。
食堂で八部の先輩女子たちに囲まれ、チヒロは椅子の上で身を縮こませた。
ちなみにチヒロの前にいるのが、ダイナンとマリカとフアナ。右隣にミヅハが座っている。
怒鳴られたおかげで訓練が伸びたチヒロは遅めの昼食を、彼女たちは本日のスイーツを並べて優雅なティータイムだ。当番は違っても、八部のメンバーは皆仲が良い。
チヒロのひとつ上だというフアナが、微妙な顔になる。
「隊長の力が水何滴で表わせたら、わたしたちの力なんて、ほんのちょっぴりになっちゃうよぉ」
「しかも全部で」
「いや~んっ」
同じ苺ムースを選んだミヅハと、きゃっきゃと笑う。チョコレートパフェをもったマリカが尋ねた。
「だけど、なんでそんなこと口走っちゃったの?」
「あ……あの、水って言われて、とっさにジョウロを思い浮かべてしまって……」
「ジョ……」
ありえなーいっとフアナたちが笑い転げる。チヒロは弁解した。
「植物園で働いていたから、水っていうとタンクとかジョウロとか、そういうのしか思いつかなかったんです!」
「じゃあ、せめてタンクにしておけばよかったのに」
とはダイナンの弁。しとやかにクレーム・ブリュレを掬いつつも、痛いところを指摘する。
「そうなんですけど、先にジョウロが出てきちゃって……」
「それってどう聞いても、サリュウがジョウロをもって水をやってるって図よねぇ」
「に、似合わない……」
クールな隊長がジョウロで花に水やりという、現実的にはありえない光景に、ミヅハはもう椅子から転げ落ちそうな勢いだ。
チヒロは、しょんぼりと目の前のロールキャベツをつついた。
「そうなんですよ。隊長には〝俺の力がジョウロに収まるサイズだったら、こんなにいつも苦労して統制する必要があると思うのか! 貴重な俺の時間を割いてつき合っている訓練の成果がこの程度か、この大馬鹿者!!〟――て、もうめちゃめちゃ怒られて」
「うん、聞こえてた」
と、ミヅハがにこにこ。
他のメンバーの笑顔にも気づいて、チヒロががっくりとうなだれる。
「筒抜け、なんですね」
「最近、怒られてなかったのにね」
フォローするようにミヅハが言ったが、効果は逆だ。チヒロの頬がひきつる。
「いつからみんな知ってたんです?」
「結構前よ。ね?」
皆に聞くのはマリカ。うん、とフアナも頷いて、
「最初は驚いたけど、最近慣れたよね」
「そうそう。あの隊長は怒っても、怒鳴るってあんまなかったんだけどね」
ふたりの会話に、チヒロはますます落ち込む。
「そ……そうなんですか」
「気にすることないよぉ。みんな、ああ今日も頑張ってるなあって、あたたかく見守ってるからさ」
ミヅハがなぐさめる。どこかポイントがずれているのが、彼女の良さらしい。
ダイナンが、やさしくチヒロの腕を撫でた。
「そんなに落ち込まないの。サリュウにはわたしから、あんまり怒らないように言っておくから」
「すいません、ダイナン宙佐」
「わたしたちだけでいる時には、称号はいいのよ」
「……はい、ダイナンさん」
ようやく笑顔をみせるチヒロににっこりして、食べ終えたダイナンが席を立つ。
「仕事があるから、先に行くわね。みんなはゆっくりしてて」
「は~い」
お疲れ様です、などという声にいちいち笑顔で応え、ダイナンはブルネットの髪を弾ませて去っていく。ほんのりと甘い香りが、そのあとを追って流れた。
マリカが、ふうっとため息を吐く。
「あ~、いいオンナ」
「そういう表現やめなさいよ」
フアナがたしなめる。
「いいじゃないの。彼女、仕事もできて顔もきれいなんだけど、ウズメやミヲ姐さんと違って常に〝女〟って感じがするじゃない? あたし、そこがイイと思うんだよねぇ」
「あ、わかるぅ。仕事がすっごい忙しくて昼夜ぐちゃぐちゃになるときでも、ふわっとダイナンさんの香水のいい香りがするの。ああいうのって憧れちゃう」
今回の当番変えでダイナンと組んだミヅハが、うっとりと言う。
「同性から見てもセクシーだもん。あれ素肌でしょ?」
「あ。パウダーだけって言ってた。肌がそんなに強くないから、ベースの上にふわっとパウダー乗せて、あとはアイメイクなんだって」
と朝番でダイナンと一緒だったフアナが、ミニ情報を披露する。
マリカが、意味深に横から覗きこんだ。
「ふうん。元カノはチェック済みなんだ~」
「え。フアナさん、隊長とつき合ってるんですか?」
サリュウが以前ダイナンと交際していたというのは、公然の事実だ。
チヒロの問いかけに、フアナの象牙色の肌がぱっと赤らむ。
「つき合ってないわよ」
「あんた、こないだ隊長落とすって張り切ってたじゃない」
「だって……噂、聞いちゃったんだもん」
「噂?」
フアナは気まずげに、アイスティーの入った高いグラスを両手で握った。
「前に通信室に一般兵が入ってた時の話」
ああ、とマリカが笑う。ミヅハがきょとんと、チヒロと顔を見合わせた。
「なにそれ?」
「んー結構、有名よ。……あのね、昔、通信室には八部じゃなくて一般兵が入ってたのよ。で、そこの女子兵が隊長に惚れちゃったんだけど、彼はあの通りだから目もくれなかったの。そしたらその子、どうしたと思う?」
効果を確かめるように語を切って、声をひそめる。
「どこからか手を回してマスターキーをコピーして、留守のうちに入り込んで隊長の部屋で待ってたんだって!」
「ええっ!」
「しかも全裸で、ベッドに寝てたらしいわ」
「うわぁ、やるう~」
「ところが隊長は彼女がいると分かった瞬間、部屋には入らずに警備員呼んだらしいの」
「え、ひどーい」
ミヅハの声に、でしょ、とフアナが同意を求めた。
「本当は女の子がいるって気づいた段階で、カイデンに頼んで説得しようとしたんだけど、彼女がパニくって大騒ぎになったらしいのよ。で、ついには警備員が出てきたってことみたい」
「くわしいわね」
「カイデンに聞いたの」
最近カイデンと別れたミヅハが詰め寄る。
「あたし聞いてないよ。なんでマリが知ってるのよぉ?」
「うるさいわね。昔ちょっと味見、したのよ」
エキゾチックなマリカは、露骨というか性的表現が豊かだ。
「うそ。いつ?」
「んー、三年前くらい」
「え、じゃあ、あたしより前なんだ」
「そ、結構前よ。彼、見た目より淡白なんだもん。物足りなくって」
「……あんたって、ほんとヤらしい」
つん、とそっぽを向くミヅハに、パフェの底をさらいながらマリカが舌を出す。
「なによ、女がスケベじゃ悪い? あたしは濃厚なのが好きなの」
「えーわたし逆。正直そっち関係、苦手」
小さな声でそう言ったのはフアナ。可憐な容姿に似合わぬ悩殺体形で他部署からもアイドル視されている彼女の発言に、さすがのマリカも驚いた。
「あんた嫌いなの?」
「うん。なんかもう早く終われって感じで、イイ思い出ない」
「意外……」
最後のクリームをひと舐めして、マリカがフアナに空のスプーンを向ける。
「でも、アンタかわいいから苦手ってくらいがいいかも。それで大好きだったら、見た目も中身もただのエロガールだもん。そうしときな」
「マリちゃん、言いすぎよぉ」
おっとりとミヅハがたしなめる。
「じゃあ、ファ。年上とかいいんじゃない?」
「あんたそれで隊長なの?」
フアナが、長い茶色の髪に顔を隠してうなずく。
「だって、ラギとかシャモンはいいおじさんとかお兄さんって感じだし、ヒナトにはスーリエがいるし、キサは女に興味なしだし、イブキとアスマはガキだし……カイデンにはミヅハがいるし」
「もう別れたってば」
「別れても、あんな女たらしはイヤなの!」
「あっそ」
「隊長はルックスもまあまあだし大人だし……それにあのテレパスってば、包み込まれるみたいに大きくて、やさしいんだもん」
「やさしい?!」
思わず聞き返すチヒロを、マリカの黒い瞳が一瞥する。
「本当、怒鳴られるのはあんたくらいよ」
ミヅハが正面のフアナの手を両手に握った。
「でも、ファの言うこと分かるよ。あたしも最初感じたとき、どきっとした。すごいんだもん。こう……ぶわあっと抱き締められてるみたいだよね」
「そう! すっごい大きいの。あー……でも、そうかあ。隊長、みんなにそうなんだもんね。わたしだけじゃないんだもんね……」
だんだんと小さくなる声でフアナは言い、食堂に現われた黒髪長身の男を恨めしそうに見た。
「わたしじゃだめかなぁ」
「頑張りなよ。いつものガッツはどうした?」
マリカが励ます。ミヅハもそっと首を捻って、そちらを窺った。
「だけど隊長、ダイナンさんと別れてから本当に彼女いないのかな?」
「いるわけないでしょ、あの堅物」
「まあ、隊長のスケジュール見たら、ぎっしりだもんね。恋愛してる暇もないって感じ」
「時間は作るものよ。カイデンだって要領よくやってるじゃない」
意地の悪いマリカにミヅハはあかんべえをする。フアナがぽつんと本音を吐いた。
「カイデンと足して2で割れればいいのに……」
「2で割っても、カイデンの女の数はお釣りがわんさか来るわ」
「マリっ」
ミヅハが怒鳴る。いいじゃない別れたんだから、とマリカは悪怯れない。
「こーゆーことはガンガン喋って、すっきりして次に行くのよ」
「でもなんか今、恋愛って気分じゃない……」
ミヅハがため息をついて、フアナ同様テーブルに沈む。
四人中二人が撃沈したテーブルで、チヒロはなんとか励まそうと、明るく言った。
「あ、でもミヅハさんもフアナさんもかわいいから、きっといい恋愛できますって」
「……チヒロ。あんたって、カイデン狙いなの?」
突然マリカが訊いた。驚くチヒロに、ミヅハも言い出す。
「あたしも思ったぁ。なんか仲良さそうだし……この前カイデンもなんか言ってたし」
この間の〝フラれた〟件だろう。チヒロはフォークをくわえて言葉を探した。
「あれは、カイさんのジョークです」
「ジョークぅ?」
「というか、まあ隊長に怒られていた時に助けてもらったお礼のせい、というか――」
もにょもにょと言い、チヒロは結局、簡単にハンバーガーの一件を話してしまう。
肘枕をして聞いていたマリカが、へえと頷いた。
「あたし、ちょっとカイデン見直したわ」
「結構わたし、フォローしてもらってます。っていうか、単に隊長に怒られすぎなんですけど」
「え、じゃあ隊長は?」と、フアナが尋ねる。
「へっ?」
「ずっと一緒にいるでしょ? 気にならない?」
「はあ~ん。あんた、それが聞きたかったのね」
マリカがからかう。
「いいじゃない。……ね、どうなの?」
じ、とフアナの大きな鳶色の眼に見つめられ、チヒロはたじろいだ。
「なにも、ないです」
「ほんとに?」
「はい。共振してるってことですが読まれっぱなしですし、テレパスでほぼ悪口ばっか言われてますから、恋愛感情を持ち込む隙がありません」
フアナが両手を組んで、うんと伸びをした。
「あ~良かったぁ。よし、頑張るぞっ」
「あら、現金な子。――ね、チヒロ。あんた隊長に興味ないんだったら、ファに情報回しなよ」
マリカが大きな瞳を、ぱちんと片方閉じる。
「かわりにカイデンの情報教えるからさ」
「あ、あたしも教えてあげるぅ」
ミヅハが乗っかる。なんだか妙な方向へ流れてしまった話を戻すことができずに、チヒロの休憩は終わった。