(4)
参-(4)
食後のコーヒーは、いつもなら多忙な八部隊長の少しばかりの心の安息である。
だが、今回はさすがにやめておくかとサリュウが席を立ちかけると、なにを気を利かせたか、チヒロが三人分のコーヒーを運んできた。
「隊長、どうぞ」
「……ああ」
仕方なく席に座り直す。
そこへ華やかな声を響かせて、数人の女性たちが食堂にやって来た。朝番の終わったダイナンとフアナ、夜番のスーリエとミヅハだ。
彼女たちを見るなり、慌てたようにチヒロが立ちあがる。
「すみません、ちょっと挨拶してきます」
初日以降医務局に入りびたりの訓練生は、そそくさと席を離れると、しばらく顔を合わせることのなかった女性隊員に声をかけた。
「チグサ宙佐!」
「あら、チヒロ。久しぶりね。……いいのよ、ダイナンで」
「すみません、ダイナン宙佐。このあいだはありがとうございました」
「わざわざいいのに」
「でも、お世話になったうえにマナクが髪を引っぱったりして――」
おろおろと謝る訓練生に、ダイナンは首を振って、艶やかなブルネットを耳にかきあげた。
「気にしないで。大丈夫だから」
「本当、すみませんでした」
ぴょこん、と頭を下げる小さい肩を、手でやさしく押し戻す。
「謝ることはないわ。だけど、マナクにはちゃんと教えなきゃだめね」
「はい」
ダイナンはにっこり笑うと、チヒロがやってきたほうに軽く視線を向けた。
「大きな二人に囲まれちゃったのね?」
「あ、はい。囲まれたっていうか、なんだか厳重に見張られてる感じです」
「あらあら」
チヒロの表現に、フアナたちもくすりと笑う。
「ご飯はもう食べたの?」
「はい……あ、すみません。お邪魔してしまって」
「いいえ。今度はわたしたちと一緒に食べましょ。ね?」
「はい」
笑顔で頷くと、チヒロはもう一度御辞儀をして席に戻る。すると突然カイデンが立ちあがって、座ろうとした訓練生の首を太い腕で巻き絞めた。
「――おまえ、読んだな?」
「お、おじえまぜんよぉ~」
「当たり前だっ、馬鹿!」
重低音の囁きで叱ると、カイデンは黒い頭を拳でぐりぐりと小突く。
「いでででで」
「まったく、このかわいげのないガキんちょが……」
ため息をひとつ吐いて、
「いいか。おまえがいかに俺に惚れようと、俺は絶対にお断りだ。分かったか!」
周りに聞こえる声で乱暴に言うと、その体をぽん、と突き放した。そのままサリュウにも拳を突き出すふりをして、食堂を出て行く。
唖然とする周囲の眼を浴びながら、チヒロは、食堂を去り際カイデンが軽く片目を瞑ったことに気がついた。なるほど、自分は〝フラれた〟のかと思い至る。
「……意外に役者」
小さく呟き、まだ周囲の人がざわついている中、チヒロが席に戻るや。
「おまえ、なにをした?」
素早い問いが目の前の男から発せられる。虚を突かれ、チヒロは一瞬言葉に詰まった。
「なにをしたと言われましても、どう言ったらいいのか……」
「言う必要はない」
ことん、とコーヒーカップが置いて告げられた言葉に、チヒロがはっと身を強ばらせた瞬間。彼のガードが〝下がった〟。
――読まれる……!
意識を防御しようとしたが、もう遅い。
額に手を当てたサリュウが、ぎらりと睨んだ。怒りとも呆れともつかぬテレパスが伝わる。
《嘘でごまかしてどうする》
《お言葉ですが、嘘も方便といいます》
《白い嘘という言葉もあるが》
サリュウは、テーブルの上に肘をついた手を組んで口元に当て、念話を続けた。
《悪気はなくとも、嘘は簡単に周りを巻き込んで傷つける。軽易な行動は慎め》
《……はい》
《それから――今後あのふたりには近づくな》
あのふたりとは、カイデンとダイナンのことだ。
《どうして、ですか》
《あのふたりの関係は、君が踏み込むところではない》
それが、彼らを大切に思っているからこその台詞だということは分かった。だが、チヒロは言い返さずにいられなかった。
《隊長は……ひとの思考や感情が読めるのに、どうして他人の心が分からないんですか》
表情を険しくするサリュウを、チヒロは臆せずに正面から見つめ返す。
《分かっているはずです。あのふたりが、あなたのことでどれだけ苦しんでいるか……心配しているか》
《その発言はプライベートにすぎる。ここに来たばかりの君が口を出すべき問題ではない》
《そうかもしれません。でも……あなたはプライベートと仕事を分けるように求めますが、それは不可能だと思うんです。プライベートが楽しければ仕事もはりきりますし、嫌なことがあればはかどらない。それが普通です。わたしはそんな普通の人間が好きですし、そんな人間でいたいです》
サリュウの眼は厳しかったが、なにも返ってこなかった。
《わたしは周りの人の感情や記憶を読んでしまいますが、それでその人のすべてが分かったような気になっているわけではありません。あくまでそれは、その人の要素のひとつなんです。その人を理解する、パズルの欠片です》
チヒロは長いテレパスをいったん息継ぎするように止めて、
《わたしは稀人としての教育を受けていませんから、言っていることが間違っているかもしれませんが、最初に伝わるものって、だいたいその人が今一番口にしたいこと、なんです。
実際に言うことと感じたことが裏腹で、昔はよく混乱しましたが、最近はそれがやさしさなんだと思うようになりました》
《やさしさ?》
《はい。ホワイト・ライ、です。嘘でくるんで、いいところだけを相手に見せる。それって、すごくやさしいと思いませんか?》
《真実は厳しすぎるからか?》
《嘘でくるむことで、本当が伝わればいいんです。真実をそのまま伝えても、うまく伝わらないことも多いから……》
チヒロは、ふっと自分の手元に視線を落とした。
「すみません。先程は言いすぎました。隊長も心配していらっしゃるんですよね。でしゃばらないように気をつけます」
ぽつりと口に出された謝罪に、サリュウもやや眼差しをゆるめた。
「どこまで視た?」
《視たというより、カイデン宙佐はオープンすぎて……》
困惑したようにテレパスで返し、チヒロが顔をしかめる。サリュウは眉をついっと上げて、
《あいつはいつも全開だ。ガードのガの字もない》
《でも、他のひとたちは気づいてませんよね?》
《サイキックとしては最強だからな。放射が強くて読みにくいんだろう》
《なるほど》
稀人でも、力の種類によって質が分かれる。
チヒロやサリュウのようなテレパスは、受動の力のため陰性。カイデンのようなサイキックは、発動する力ゆえ陽性、と称された。その発する陽性の力をサリュウは〝放射〟と形容したのだ。
《ダイナン宙佐は、さすがにきっちりしてました。性格ですかね》
《彼女は謎だ》
《……隊長以上に謎のひとがいるとは思えませんけど?》
眼鏡の向こうから皮肉な視線を送る少女に、サリュウは、にやりと片頬を上げた。
《読むか?》
「結構です」
チヒロが声に出して返す。
「即答で拒否か」
「読んで済ませるなんて物臭なことしないで、教えたいんなら口で言えばいいじゃないですか」
「教えたいわけではない」
「読むかって今、自分で聞いたんじゃないですか。第一、隊長の思考には百万ぐらいの皮肉と悪口雑言が詰まってるんでしょうから、読んだらこっちが毒気に当てられます」
「毒気に当たっているのはこっちのほうだ。日々おまえの低俗な思考に晒されている身になってみろ」
「あれ、おかしいですね。どうして八部最強のテレパシストが、そんな低俗な人間の思考に日々晒されているんです? もしかして、低俗度合いが似ているんですかね?」
「おまえが勝手に波長を合わせるんだろうが。少しは遠慮や慎みを覚えろ」
「その言葉はそっくりそのままお返しします。だいたい、今の状況で読んでるのは隊長のほうじゃないですか。思考じゃなくて心を読んでくださいよ。きれいすぎて、その汚れた目には視えないかもしれませんけど」
「真っ黒でなにも視えん」
「……感じの悪いオヤジ」
「腹の立つガキだ」
ぴしりとサリュウは言い返し、低く語をつなげた。
「それに……おまえはもう少し、ひとではなく周りの空気を読め」
「え?」
はっとチヒロが辺りを見回すと、八部隊長と訓練生の口論に、食堂中が静まりかえっていた。
飲み終わったコーヒーカップを手に、サリュウが席を立つ。
「休憩は終わりだ。行くぞ」
「は、はいっ」
慌ててチヒロもカップを持ち、カウンターに片づけて、彼の後を追いかけた。
食堂を出て行く大小の背中を見送り、フアナがくすりと笑った。
「すっごいあの子。隊長相手に言い返すなんて」
「その前にテレパスでもなにか話してなかった?」
とは、テレパシストのミヅハ。同じ力を持つスーリエが顔をしかめる。
「わたしはほとんど分かんなかった」
「あ、でもあたしも速すぎてなにがなんだか……。ダイナンさんは分かりました?」
ミヅハのの問いに、準一級といわれる宙佐は、ブルネットを揺らして否定した。
「いいえ。読めたのは、ほんの少し」
〝カイデン〟〝嘘〟〝読む〟〝口を出すな〟――ダイナンが感じたテレパスは、幾通りもの解釈ができそうな、わずかな単語でしかない。
「あれは、サリュウが今までしていた精神障壁のレベルでおこなわれた会話よ。わたしたちには手が出せないわ」
サリュウが最近、ブロックと呼ばれるテレパスの防御レベルを上げたことは、みんな察している。フアナなどは気づかずに近寄って、張り巡らされた強い精神波に触れてしまい、手の痺れがしばらくおさまらなかった。
思い出したのか、フアナがそっとその右手をさする。
「でもそれって、余裕で一級レベルってことですよね?」
「カイデンの話だと、チヒロとサリュウは共振しているそうなの。だから彼女は、彼のレベルに合わせやすいのかもね」
「じゃ、隊長以上の力ってことですか?」
その問いに、ダイナンが黙った。
代わりに曖昧な笑顔でごまかしながら、彼女はチヒロの力に得体の知れない不安を感じていた。