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参-(1)
チヒロ・ハナダが訓練生として八部に迎えられて一週間。広汎性発達障害をもつ妹マナク・トキのテレパスの再測定を含め、ほぼすべての検査が終了した。
医務長室に呼び出し、データを並べてそう告げるユノ・アサギ医師に、サリュウ・コズミ隊長が問いただす。
「ほぼ、というのはどういうことだ?」
「チヒロの力は強くて、まだ検査し足りないところがいくつかあるの。でも、分かったことも多いわ。
まず、ドアを通り抜けたあれは、あなたの予測どおり〝アポート〟ね。テレパスで感知した対象物を自分の手元に引き寄せる――これがアポートの物理作用だけど、あのときはマナクのいる部屋が対象物だったために、動かすことができずに自分が引き寄せられてしまった――そういう機序ね」
「テレポートはないんだな?」
「テレポートとアポートに物理現象としての差異はないの。使う本人の〝意識〟が違うだけ……空間を飛び越えて物が動くということに関しては、サイコキネシスも同じね。ただ、本人の認識ができるかどうか、という違いだけ」
「〝その者の意識宇宙が最大の宇宙である〟か……」
サリュウは、稀人の力を初めて物理法則に乗っ取って解明し、定義づけたノリナガ・コズミ博士の言葉を引用した。
「他には?」
「プリコグのデータがまだ出てないの」
一番欲しかった力のデータがないと聞き、サリュウの眉間に深い縦皺が寄った。このところ滅多に消えることのない皺ではあるのだが。
「なんだと?」
「チヒロは睡眠状態に入ると、すぐにマナクと〝直結〟しちゃうのよ。今までずっとマナクの意識に寄り添っていたせいじゃないかと思っているんだけど」
「俺がいても、か?」
出会ってから、ほとんどチヒロと共振状態が解けたことのないサリュウが、不審な顔になる。
「それに、俺はマナクと通じたことはないぞ」
「問題はマナクじゃなくて、チヒロにあるからよ。彼女の〝繋がりやすさ〟は異常だわ。他のテレパシストと実験をしてみて分かったことだけど」
アサギ医師はテーブルの向こうで、考え込むように腕を組んだ。癖のない黒髪が、音もなく肩先をすべり落ちる。
「チヒロは、とてつもなく巨大な受容体なのよ。一番強く感知したテレパスに常に共振してしまう――それが彼女の力の正体ね」
「つまり?」
「つまり、ここではあなたが一番力が強い。だから覚醒しているときは、あなたにアンテナが合うの。だけど常に抑えているあなたより、弱くてもテレパシストが至近距離にいれば、そちらに合わせてしまうのよ。圧倒的なリーディングの力ね」
「気が変にならないのか?」
「それが彼女のすごいところよ。合わせられるけど、同調はしない。個が確立しているの」
――それは性格だな。
医師の説明に、サリュウは皮肉に思った。
触れれば折れそうなほど脆さを抱えているのに、一度肚を据えたときのあの靭さは、自分ですら圧倒される。
――そのくせによく泣く……どうなっているんだか。
考え込むサリュウを、アサギ医師が、ちら、と眺めた。
「だいぶ慣れてきたみたいね。それとも、気に入ってきたのかしら?」
「よせ、ユノ。俺はもう誰も受け入れないよ」
「それは……彼女のせい?」
「分かっているはずだ。俺に人を愛す資格はないよ」
愛される資格も。
思考の一欠片にも浮かばなかったその言葉を、だがユノは察した。
「サリュウ。たまにはゆっくり逢っていけば? あなたの〝眠り姫〟に」
「長くいても、眠り続けているだけだよ」
「いいえ。眠りながら――あなたを待っているの」
彼の腕に手を触れる。
サリュウはさり気なくその腕を引いて、ズボンのポケットに突っ込んだ。
「ありがとう、ユノ。……じゃ、せっかくだから検査待ちの間、会いに行ってくるよ。お言葉通りに」
「よろしく言っておいて」
「ああ」
かすかに微笑んで、サリュウが研究棟の奥に去る。
その黒ともつかない深い瞳が、寂しげな光を見せたことに、医師は気がついていた。