(9)
弐-(9)
チヒロが訓練生としての自分をとり戻せたのは、昼をだいぶ過ぎてからだった。
ようやく落ち着いたマナクに留守番を言い聞かせると、ダイナンが持って帰ってくれた制服を着込み、本部に向かう。
サリュウを探すが、もう昼番に交代されていた。
「隊長なら、食堂へ行くと言っていましたが」
とラギに教えられ、本部を飛び出たものの、肝心の食堂の場所が分からない。
――えっと……。
きょろきょろしていると、チヒロの脳裏にひとすじ、覚えのある力が届いた。
意図的に発せられたテレパスではないが、彼の力はずば抜けているのでアンテナに引っかかりやすい。
チヒロは、すれ違う人にぶつかりそうになりながら狭い通路を小走り、食堂に辿り着いた。
数十種類の食事が並ぶビュッフェ形式のカウンターに、広いテーブルスペース。
八部だけでなく同じフロアの人間全員が利用するらしいそこは、昼のピークを過ぎて、がらんとしている。そのテーブルのひとつで、八部隊長がひとり食事をしていた。
並べられているのはフランスパンとスープ、残りわずかな牛ヒレのステーキ。
サリュウは傍に来た訓練生に目もくれず、冷ややかに言い放った。
「なんの用だ」
「用って……その、検査の途中で帰ってしまったので……」
「だったら行くのはここではなく、医務局だな」
フランスパンをちぎりつつ、皮肉たっぷりに指摘する。
チヒロは気まずげに、テーブルの横に少し離れて立った。
「アサギ先生が今日はもういいと言っていたと……ダイナンさんが」
「ダイナンに行かせたのか?」
手を止め、サリュウが鋭く睨む。
「ダイナンさんがどうせ仕事上がりだからって、わたしの代わりにガウンを返しに行って下さって、ついでに制服を――」
「チグサ三等宙佐、だ」
遮って言い直し、サリュウはパンを小皿に放り出した。手を払い、
「それでなくともせめて、ダイナン宙佐と言いたまえ。彼女はやさしいひとだが、君の先輩で世話係ではない。君は訓練生だ。それをしっかりわきまえて行動しろ」
「すみませんでした」
サリュウは、うなだれるチヒロにさらに叱責の言葉を浴びせようとして、気がついた。
彼女の意識が聞こえない。
――統制できたのか……?
「期待させて申し訳ありませんが、それはまだ無理です」
小さく口にされた答えに、サリュウは無言で額に拳を当てた。
チヒロがむっとした顔で反論する。
「一度も統制なんて学んだことがないんです。やれって言われて、すぐにはできません」
「学ぶ機会を自分に与えなかったのは君だ」
「――分かりました。もう結構です。六花に戻ります」
言い捨て、立ち去ろうとするチヒロに、冷静な声が追いかけた。
「戻ってどうする」
叱責でも非難でもない声音が、人気のない食堂に怖いほど冷たく響く。
「君はすでに稀人として認定された。六花に戻ることは当艦規定違反だ。マナクを残して宇宙空間に放り出されたいか」
うっかりすると忘れがちだが、ここは宇宙艇内。安全な航行と乗員全員の生命を守るために、規律違反には重大な罰則が待っている。
その最大が船外追放――すなわち死刑である。現在二十六年におよぶ[まほら]の航海中に、その宣告が下ったのは三度と聞いていた。
「わたしは籠の中の鳥ってわけですね」
「そうではない。君は選ばれたんだ。その自覚をもちたまえ」
「――誰が選んだんです?」
淡々と食事を再開していた男の手が、またも止まった。
「教えてください。誰がわたしを選んだんですか? あなたですか? 政府ですか? 遺伝子……それとも神というやつですか?」
「口を慎め、ハナダ三等宙士」
「あなたはわたしに命令をしますが、それですら誰かが選んだことなんですか。だったらそんなものは――クソ食らえってやつです」
「ハナダ三等宙士!」
サリュウが一喝する。
ぴいん、と広い食堂中に響く鋭い声に、チヒロは一瞬身をすくませ、それでもしゃべるのを止めなかった。
「わたしは、わたしとマナクを守るためにここに居ます。わたしがいる理由は、それだけです。あなたがそれを脅かすなら――わたしは全力で歯向かいます」
つ、と頬を涙が伝う。チヒロは拳でそれを拭い、唇を噛みしめた。だがその足は、根が生えたようにそこから動かなかった。
サリュウが乱暴にナプキンで口を拭い、空の食器に叩きつけた。そのとき。
「――おっと隊長。ゴキゲン斜めですこと」
おどけた口調で、トレイを掲げた金髪の巨漢がやってくる。
ふっと、その場の冷えた空気が常温に戻った。
「……おまえか。なんでいる?」
「なにって、当番前にしっかり食べとくんだよ。腹が減っては戦はできぬってね」
サリュウは腕時計を見た。今は十五時半。カイデンの夜番までには、あと六時間余りもある。
見惚れるような筋肉を誇る同僚兼部下は、向かいの席に陣取り、黙々と山積みのハンバーガーの包みを剥きはじめる。
「おまえ、一日何食食べるんだ?」
「んー、五食くらい?」
「食べすぎだ」
「なに言ってんだよ。丈夫な体を作るためには、これくらい食わなきゃだめなんだって」
彼の筋肉はハンバーガーとコークでできているようだ。サリュウは、まだ立ち続けている訓練生をちらりと見やった。
「ということは、おまえ今、暇だな?」
「んあ?」
「――ハナダ三等宙士」
呼びかけられ、チヒロがはっとなる。
「は、はい」
「ソウワ二等宙佐の手が空き次第、彼に三十七階フロアを案内してもらえ」
当人の許可なしの命令に、カイデンが顔をしかめる。が、口いっぱいのハンバーガーにふさがれて反論できない。
「案内は今回だけだ。すべての主要機関の位置と名前、その働きを覚えろ。いずれ必要になることだ。もし後日聞き返すようなことがあれば、罰則を与える。心してかかるように」
「はい」
「それが終わったら上がっていい。以上だ」
サリュウはそう言うと、苦虫を潰したような顔になるカイデンに一瞥をくれ、食事の終わったトレイを下げて食堂を出ていった。